児童虐待の現実を描き、反響やまない「ひとくず」。自堕落な母親を熱演した主演女優2人が語る
医師から児童虐待の実態を聞き、大きな衝動を受けた俳優で監督の上西雄大がなにかに突き動かされるように脚本を書きあげ、完成させた映画「ひとくず」。昨年の春に封切られた同作は、新型コロナウィルス感染拡大による映画館の閉鎖で一時公開がストップしたものの、秋になって改めて全国各地で上映が再開された。
そのことは、上西監督への昨春と昨秋の2度にわたるインタビューでお伝えした通り。
公開から1年が経って公開規模が拡大!「追いくず」なる現象も
その後、上西監督の児童虐待の現実を知ってほしい想い、そして、ニュースでその都度報じられているように、コロナ禍での児童虐待の増加という厳しい現実によるこの問題への関心の高まりもあって、映画「ひとくず」は本邦公開から1年が経とうというのに、劇場公開が続くどころか公開規模が拡大する異例のロングランが続く。とりわけ関西では、熱烈なファンが生まれ、同作をリピートしてみる「追いくず」なる現象も起きている。
そこで改めて同作をクローズアップ。今回は、物語のキーパーソンといっていい二人の母親を演じ、とてつもない説得力で毒親を体現し忘れがたい印象を残す、徳竹未夏と古川藍のインタビューを3回に渡ってお届けする。
まず、「ひとくず」は、上西監督が主宰する大阪の劇団「テンアンツ」の仲間とともに作りあげた作品。徳竹と古川は劇団のメンバーで、実は、本作においては俳優のみならず、ともに助監督も務めている。
出会ったとき、上西監督は焼肉屋のご主人(笑)
劇団「テンアンツ」で上西監督と活動をともにするに至った経緯を二人はこう明かす。
徳竹「『10ANTS』の立ち上げは確か2010年か、11年のこと。その成り立ちは、かなりひょんなことから始まっているんです(笑)。
当時、私は別の劇団に所属していたんですけど、その座長と、上西監督の共通の知り合いの俳優さんがいらっしゃり、なにか集まったときにプロダクションを立ち上げようみたいなことになったというか。
出会ったとき、上西監督はまったく芸能とは関係なく、焼肉屋のご主人だったんですが(笑)、ライターをしているから『自分が台本を書くから、舞台をやってみよう』というところから始まったと記憶しています。
最初は、上西監督の焼肉屋さんのお店の中で、20分ぐらいのお芝居を3本立てで毎週やる形で始まりました。上西監督はとにかく脚本を書くのが早い。なので、しばらくは新作の舞台を3本、毎週やっていました。
最初は上西さんは作のみで、演出は別の方がという形でした。ただ、上西監督は演者でもあるので、だんだん『作品のイメージと演出のイメージが違う』と感じることが多くなって、『もう自分で(演出も)やる」という流れになっていった気がします。そうこうするうちに『10ANTS』ができていた感じです。
それで私は、別の劇団に所属していたんですけど、そちらはどちらかというとお芝居というよりはパフォーマンス主体のちょっと変わったグループでした。自分の中では舞台でお芝居したいところがあったので、『10ANTS』にそのままお世話になることになったといいますか。気づけば、立ち上げから私は所属していました(笑)」
「焼肉屋さんをやっていて、芝居もするって、この人は一体何者?」
一方、古川は途中から『10ANTS』へ参加することになった。
古川「私も最初は別の事務所に所属していたんです。
上西監督との出会いは、そのころで、客演で同じ座組の舞台にたまたま出ることになったとき。当時、私はまだ経験が浅くて、稽古についていくのが精一杯で。ほんとうにいっぱいいっぱいだったんですけど、上西さんが声を掛けてくださったんです。ただ、もうそのときは舞台の稽古にしか頭がいっていなくて、上西監督とどういう会話をもったとかは覚えていないんです。名刺をもらったことだけはよく覚えているんですけど(笑)。
それでほんとうにありがたいことなんですけど、このときの私を見て『10ANTS』の舞台の脚本を一つ書いてくださって、事あるごとにこれに出演してほしいと言われたんです。
ただ、私は上西監督のことをそのときは全然知らない。『焼肉屋さんをやっていて、芝居もするって、この人は一体何者?』みたいにちょっと怪しんで(笑)、失礼ながらずっとお断りし続けてました」
徳竹「余談ですけど、上西監督、めっちゃお肉をさばくの早いですよ(笑)」
古川「そうそう。まだ公開していないんですけど、すでに撮り終えている映画があるんですけど、そこでは監督のすばらしい包丁さばきが見れると思います(笑)。
話を戻すと、当時、私は、舞台に対して苦手意識もあって、ましてやメインの役をやるなんて、無理だとの自分の思いもありました。当時、芝居を教わっていた事務所の先生に相談しても、『おまえが主役なんかできるわけないやろう』って言われるし。自信がないから長い間、断り続けていたんです」
徳竹「私は(劇団にいたので)めっちゃ覚えています。たぶん2年か3年ぐらい、ずっと断わられていました(笑)。
のちに『テンアンツ』で何度も再演することになる人気舞台なんですけど、主演女優にオファーを断わられ続けていた(笑)」
古川「そうやって断り続け、数年たったあるとき、私、もう芝居自体、役者自体を辞めようと思ったんです。
そのとき、なんでかは覚えていないんですけど、一度、上西監督とお会いすることになった。その会話で、相談というわけではないんですけど、『実は、もう役者とかお芝居を辞めようと思っている』ことを伝えたんです。
すると上西監督が『もったいない』と、『それだったら、とりあえずずっとオファーしていた舞台に最後に出てほしい』と言ってくださった。
もう辞める覚悟を決めていたので、どうしようかと思ったんです。けど、思い直したというか。もう主役なんて二度とできることはないから、最後にやってみようかなと。で『お芝居もまだまだ下手だし、舞台もそんなに経験ないけども、よろしくお願いします』とお引き受けしたんです。
その日から、『テンアンツ』の稽古場に通う日々が始まりました。『テンアンツ』の稽古や劇団の雰囲気がどういうものかまったくわからなかったので、最初はビクビクし通し(笑)。
でも、稽古を始めたら、すごく温かい。親身になって愛情をもっていろいろなことを指導してくださる。私、こんなに親身になって教えてくれることをそれまで経験したことがなくて、ものすごく楽しかったんです。
そこから、まだ籍のあった事務所にいるよりも、10ANTSの事務所に行ってるほうが多くなって(笑)。楽しく稽古を積みながら、公演を迎えることになるんですけど、本公演のときに、もう前の事務所とやっていくのは無理というちょっとショックなことがあって……。
それでいろいろと整理がついたところで、もう一度、改めて芝居をやってみたいなと思い直して、前の事務所を辞めて、『10ANTS』にお世話になることになりました」
徳竹「そして、その作品以降、『10ANTS』の舞台にずっと出ることになっていく(笑)」
古川「そうですね。初めての舞台が確か2015年でしたから、そこから現在に至っています」
映像に乗り出すことはあまり考えていなかったと思います
当初の「劇団テンアンツ」は完全な劇団で舞台公演のみ。映像に乗り出すことはあまり考えていなかったという。
徳竹「最初は舞台ですね。映像を作るという考えはあまりなかったと思います。
最初は、それこそ舞台装置もない、お店のライトの明るさをレバーで上げ下げするのが照明といったようなところからスタートしてますから。
そこからだんだんいろいろな人の力をお借りして、ホールでやれるようになって、セットを組んでの公演もうてるようになっていきました。
映像に乗り出したのは、5年ぐらい前ですかね。
劇団の名刺代わりというか。みんなの映像資料になるようなものを作ろうというところから短編の映画を作ろうという話になって。それが始まりだったと思います」
古川「私もそのころはもう所属していたのですが、そんな感じの始まりだったと思います」
徳竹「『劇団テンアンツ』の大きな目標として、舞台公演をまず地元の大阪で大成功させて、全国各地を回りたいというひとつの夢があったんですね。
それを叶えるためには、やはりもっともっと自分たちの知名度を上げなくてはならない。その知名度を上げるひとつの手段として、『映像作品で自分たちのことを知ってもらうというのはありではないか』というところから映像に目を付けて乗り出したところがあります(笑)」
上西監督は、笑いを最後に涙に変換してしまう
これまで発表してきた作品は、心温まるようなアットホームな内容が多いとのこと。上西監督も、劇団「テンアンツ」にとって、社会派映画の色合いが強い「ひとくず」は異色の作品と公言している。
徳竹「上西監督は小さいころから、松竹新喜劇に慣れ親しんできたとのことで。何か、笑って、笑って、最後にグッときて泣ける。いわゆるハートウォーミングな人情芝居というのが作品の基本にあると思います。
私の中では、上西監督は、人を描くことに一番重きを置いている。出てくる人、出てくる人、みんなが何かしらのバックグラウンドをもっていて、ひとりの人間として作品の中で存在している。どんな小さな端役であっても見た人が必ず覚えるぐらいきちんと存在していて、ただ通り過ぎるだけのようの人は絶対に出さないし、いない。どんな小さな役でも、ちゃんとも見せ場を作る。
そういうひとりひとりの登場人物が立った人情喜劇的な内容が多いと思います。
稽古しながらどんどん笑いネタが増えていっちゃって、私らですら、『えっ、こんなに笑いのネタ盛り込んで大丈夫ですか?』っていうぐらいのときがあるんです。『これじゃドタバタの喜劇で終わってしまうんじゃないか』と。
でも、上西監督は、笑いを最後に涙に変換してしまうというか。悲喜劇にうまく着地させるところがある。それは、お客さんの心の中にある、当時はちょっと恥ずかしかったけど、いまとなってはいい思い出であったり、懐かしい思い出であったりといったことにつながっていて、なにか同じ思いや時間を共有できるような感覚を覚える作品が多いと思います。
小難しいことを考えさせるような作品ではなくて、気軽に観ることができる。だから、だからあまり舞台になじみのない人もはまって、『舞台を見るようになりました』って言ってくださる方もけっこういらっしゃいます」
古川「私にとって『10ANTS』の作品は、なんだろう、まず、役者として、もう1作目からいい役をいただいて、舞台をやるごとに自分が成長できている。まず、役者としての現在地を実感できる場所である。
監督と出会ってなかったらほんとうに役者をもう辞めていた。それを考えたら、今の自分はもう信じられないというか。もう出会いに感謝しかないです」
徳竹「さっき古川さん言いましたけど、ほんとうにめっちゃ親身に稽古をやってくれるんですよ。普通の舞台だったら、ある程度できる人たちが集まって、たぶん『じゃあ、次はこうやってみようか』みたいな感じで、演出を固めていく。
でも、『劇団テンアンツ』の場合は、経験のない人からある人まで全部ごちゃ混ぜというか。ベテランの方から、まだ始めたての方もいて、徹底的に付き合ってレッスンして、最後はちゃんとお客さんが見て楽しめるぐらいのところまで持っていくんですね。それは、ほんとうによくそこまでできるなと舞台関係者からいわれます」
古川「私も初めて出た『劇団テンアンツ』の舞台のとき、ベテランの方が多過ぎて、もう何回泣いたかっていうぐらい、打ちひしがれた(苦笑)。でも、ほんとうに上西監督が熱心に最後まで見捨てることなくフォローしてくれたんですよね。私が『私のせいなのに、すいません』というぐらい。
そうした上西監督の作品にかける情熱を知った上で、脚本についていつも感じるのは、人間の掘り下げ方の深さというか。監督の人柄があってのことだと思いますけど、いつも人間の機微や情に触れた話をここまでよく書けなと驚かされます。
さっき、徳竹さんも言ってましたけど、どの人物もきちんと作品の中で生きている。だから、演じられる喜びをいつも感じるし、劇団の俳優という立場を離れて、ひとりのファンとして。ひとりでも多くの人に届いてくれたらなといつも思います」
(※第二回に続く)
※表記について、舞台の時は『劇団テンアンツ』。現在は『映像劇団テンアンツ』。
映像制作の時は、10ANTSとしている。
「ひとくず」
監督・脚本・編集・プロデューサー:上西雄大
出演:上西雄大 小南希良梨 古川藍 徳竹未夏ほか
横浜シネマジャック&ベティにて 3/13(土)~
池袋シネマロサにて3/19(金)~25(木)
あつぎのえいがかんkikiにて3/20(土)~3/26(金)
アップリンク吉祥寺にて3/26(金)~4/1(木)
そのほか全国劇場にて公開中。
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