大田原から世界に挑む渡辺紘文監督「海外は好反応、国内ではまだカルト。白黒も自身出演も苦肉の策から」

映画制作集団「大田原愚豚舎」の渡辺紘文監督 筆者撮影

 「映画はどこでも作れる。そして国境はない」。このことをいま一番実践している日本人映画監督といっていい渡辺紘文と、弟の映画音楽家の雄司と旗揚げした映画制作団体「大田原愚豚舎」。兄弟の故郷である栃木県大田原市を拠点に独自の映画創作活動を続ける彼らの田舎町で生きる人間を慈しみ、そのありふれた日常を愛おしく収めたモノクロームの映画は、今年、イタリアとアメリカで特集上映されるまでの広がりをみせている。

 栃木県大田原から世界へ。現在開催中の特集「異能・渡辺紘文監督特集―大田原愚豚舎の世界Vol.2―」を受けて、渡辺監督に訊く2回に分けてのロング・インタビューの後編。前編では主に新作「叫び声」「わたしは元気」についての話になったが、ここからは映画作り、創作について。

モノクロームの映画にしたのは苦肉の策から

 「大田原愚豚舎」の映画はすべてがモノクロームの作品。なぜ、モノクロームなのだろうか?

「これも偶然から始まったといいますか。第1作の『そして泥船はゆく』は、当初カラーで撮ろうという案がありました。でも、『大田原愚豚舎』という映画制作団体は、ほんとうに少人数でお金もない(笑)。衣装部も美術部もなければ、照明機材もいいものを用意することが難しい。それで、最初にカメラ・テストをした時点で、ウヒョンとの話し合いで『カラーは厳しいんじゃないか』という結論に至ったんです。苦肉の策といっていい。

 ただ、白黒で撮影をしていくうちに、やっぱりいろいろと発見がある。考えてみれば、映画はモノクロでスタートしている芸術。撮影してみると、モノクロの根源的な美みたいなことに気づく。

 最近は白黒でどのような表現ができるか、もっと突き詰めたいと思っているんですよ。それぐらいモノクロームの世界は奥深い。なにかしらの発見がある。

 もちろんカラーに挑戦してみたい気持ちもあります。ただ、いまは白黒で表現することの面白さを感じているので、まだこだわっていきたいと思っています」

映画「そして泥船はゆく」より
映画「そして泥船はゆく」より

批判されたり、理解が示されないことの方が新しい見方や世界を表現できる可能性を持っているのではないか

 そのモノクロ映画は突き詰められ、さらに映画の源流といっていいかもしれないサイレント映画に近くなってような気さえする。第1作の『そして泥船はゆく』は軽妙な会話劇のスタイルとなっていたが、新作の『叫び声』と『わたしは元気』は、シンプル。もはや会話を持たずしても映画は成り立つ。余計な説明は一切省いて、必要なものだけで構成してできたようなところがある。

「『そして泥船はゆく』のころは、ほんとうにどうやったらおもしろくなるのか。そこで言葉に頼ってどうにかしようと頭をひねっていたところがあります。でも、いまはちょっと変わってきてるかもしれないです。また、戻るかもしれないですけど(笑)。

 そういう意味で、セリフはどうでもいいというか。意味をもたなくても十分おもしろい。それが『わたしは元気』はけっこうできているんじゃないかなと、自分の中では思っています。

 そもそも、僕も弟の雄司もクラシック映画からの影響を大きく受けていると思います。父親が映画好きで、それこそ黒澤(明)監督とか、デヴィッド・リーン監督とか、チャップリンとかの作品を子どものころからみせてくれたんですよね。その影響がどこかで出ているんだと思います。

 といいながら、なにかの映画をお手本にしてそのルールにのっとって作るのは嫌だというか。これだけ映画の歴史は長いですから、おもしろさの『型』みたいなものはけっこう出来上がっている。こういう内容でこういう表現をすればお客さんが喜ぶ定石みたいなものがある。

 ただ、自分としてはそこにのっかるのではなくて、むしろ、たとえば批判されたり、理解が示されないことの方が新しい見方や世界を表現できる可能性を持っているのではないかと思うんです。

 だから、あまり定石にとらわれたくないというか。例えば映画祭に関してもメソッドみたいなのがあって、こういう作品はカンヌ向き、こういうのはベルリン、これだったらベネチアみたいな傾向がありますよね。

 キャリアを考えていく上で、自身の作家性とか映画祭は戦略的に考えていくべきなんでしょうけど、自分はそういうことにとらわれたくない。それよりも、他人があんまりおもしろさがわかっていないことを発見して、新たな可能性を見い出すような映画を模索したいですね。

 でも、その割にクラシックな映画が持ってる根源的な面白さみたいなものもやっぱり自分が映画好きになったきっかけではあったりする。そこを追求したい気持ちもある。

 なので、これまでの映画の伝統を組む映画と、なにか時代の先をいくような新たな映画という2つの映画作りを目指している自分がいる気がします

自分が出演するようになったのも苦肉の策

 さきほど、苦肉の策という言葉が出たが、実は自身が自分の作品に出演することになったのも同様と明かす。

「自分が出ることになったのもほんとうに苦肉の策で。はじめのころは、そもそも出演者を雇う金もなければ、自分と祖母ぐらいしか出せる人も出たい人もいなかった(笑)

 『叫び声』で僕の後ろ姿がずっと映っているシーンがありますけど、あれは『七日』の撮影のときに撮っていて。なんで後ろ姿かというと、カメラマンのバン・ウヒョンが『おまえの正面のカットなんか撮りたくないし、誰も見たくない』ということから、ああいうショットになっているんです。

 それぐらい出ざるえなくて。第3作の『プールサイドマン』ではついに僕の役にセリフがつきますけど、これも苦肉の策で。主人公が素人なのでセリフをしゃべらせるのは難しいので、さあどうするとなったとき、もうこれは自分が責任をもってセリフをいうしかないとなった。やらざる得なかったんですよね。厳しい台所事情でない知恵を絞ってやっていたら自分が出演し続けることになってしまった」

映画「プールサイドマン」より
映画「プールサイドマン」より

近年では自作以外の俳優出演も次々と

 こう本人は謙遜気味に語るが、その演技が目にとまり、近年、自作以外での俳優出演も相次いでいる。

「ありがたいことです。金子由里奈監督の『眠る虫』や、足立紳監督の『喜劇 愛妻物語』とか、出演させていただいてうれしかったです。

 いや、どんどん呼んでほしいです。実は、もともと僕、仲代達矢さんの無名塾を受けたことがあるんですよ。あっさり落選して、『もう役者という生き物にはなれない』と断念して。それで映画監督に目標をシフトした経緯があるんです。ですから、なんかいま俳優として声をかけていただけるのは奇跡といいますか。不思議な気分です(笑)」

大田原で撮り続ける理由。実はあまりこだわりはないです(苦笑)

 これまで発表してきた作品のもうひとつの共通項はすべて、栃木県大田原市が舞台ということ。地元の大田原でこれからも作り続けるのだろうか?ちなみに今年公開され、蒲田を舞台にした連作短編映画「蒲田前奏曲」の一編「シーカランスどこへいく?」も最終的に舞台は大田原を選んでいる。

「実は『蒲田前奏曲』さすがに蒲田で撮ろうかなと思ったんですよね。でも、なんかそんなことにしばられていいのかと考える、クラシカルな映画作りではないチャレンジングな考え方の方の渡辺の思考が登場してきまして、『おまえ、そんな定石通りつくっている場合じゃないだろう』と。それで蒲田の映画なのに、大田原(笑)。

 舞台を大田原にすることに対しては、こだわりがあるようでないというか。自分が生まれ育った場所ですから、大田原のこういう所で撮ったらこういう面白いものが撮れるみたいなことはすぐに、パパっと頭に浮かぶんですね。イメージがすぐ思いつく。

 それと変な話、地元なのでたいがい交渉はまとまるといいますか。たとえば『プールサイドマン』でいうと、自分がもともとプールの監視員をやっていたことがあって、あのプールは元職場で、お願いして貸してもらえたんです。『普通は走り出す』に出てくる喫茶店は、自分の小学校時代の友人のお兄さんが経営しているお店で。お願いしたらすぐに撮影させてくださったりとなにかと融通が利く。たぶん東京だったらこうはいかないと思うんですね。

 でも、東京や海外を含めほかのエリアで撮りたくないかといえば、チャンスがあれば撮りたいと思っています

 ただ、やはり作品においてロケーションというのは重要で。たとえば誰もいないところをひとりの男が歩くシーンを撮りたいとなって、東京で撮ろうとしたら大変なことになる。でも、大田原だったらほとんど人がいませんから(笑)、通行整理なんてする必要はない。映画をとるのに何の支障もないすばらしいロケーションの場所はそこかしこにある。非常に自分としては自由で撮りやすい環境なんです。それが大田原で撮ってきた最大の理由といっていい。

 あと、大田原だとどんな人間がいるのかわかっているので、シナリオを書きやすいといいますか。僕が感じていることやその生活をそのまま書けばいいところがある。でも、逆に東京で生活している10代、20代の子たちの物語を書けといっても僕は書けないと思うんですよね。住んだこともないし、生活水準のようなこともわからないので」

映画「普通は走り出す」より
映画「普通は走り出す」より

 ただ、大田原愚豚舎の作品は、大田原という地域に根差していながら、いい意味でローカル色や風土色があまり感じられない。なにかそういう場所から超越した世界が広がっている。

「自分は、栃木を描こうとか大田原を描こうということを意識したことはない。僕の映画の師匠のひとりといっていいのが今村昌平監督なんです。その今村監督は、『映画っていうものは何を描くものだ?』という質問に対して、『映画っていうものは人間の生活を描くものだ』と即答している。それを聞いたときに、僕はすごく腑に落ちたんですよね。『そうか、映画って人間の生活を描くものなんだよな』と。

 それから自分なりに一生懸命、人間の生活を描こうとしています。人間の生活を描くことを追求している。するといろいろな世界が拓けてくる。

 その中で、現時点で自分なりに達した境地みたいなものもありまして。ひとつは普段の光景をそのままとればいいということ

 でも、これがなかなか難しくて、ちょっと間違っただけでコマーシャル的なことになって、ご当地映画の風合いになってしまう

 ありのまま撮る。それを心がけてはいます」

イタリア、アメリカ、海外の映画祭でも好評を得る

 大田原で生まれた作品は海を超え、今年、イタリアのウディネ・ファーイースト映画祭、アメリカのスミソニアン博物館で特集上映が組まれた。

「どちらも大きな反響がありました。変な話ですが、東京国際映画祭で上映したときより、好反応でした(笑)。

 新型コロナウィルスの影響で、オンラインでの上映ではあったんですけど、自分としては大きな自信になった機会でしたね。

 一方で、国内ではほんとうに一部の人に愛されるカルト映画のような存在になっているので、もうちょっと頑張らないといけないなとも思いました(苦笑)」

 これからのヴィジョンをこう明かす。

「『大田原愚豚舎』の体制としては、僕と弟の雄司、最近なかなか参加できていないカメラマンのバン・ウヒョンが鉄板の主要メンバー。あとは流動的で、その都度体制は変化すると思うんですけど、基本姿勢としてはこのスタイルで作っていけたらと思っています。

 今のところ年1本のペースで作品を発表しているんですけど、これをキープしていきたいというか。あんまり僕は立ち止まって考えるのが好きじゃない。立ち止まってたとえば3年とか4年、練りに練ってから撮るというのはどうもダメで。自分の中で明確な答えが出てなくても、とりあえず作ろうというタイプ。作ったものを踏まえて、次のことを考えとくというほうが性に合ってる。そもそも大田原愚豚舎自体が、自由な空間ですし、大田原の街はいつでも自由に映画を撮らせてくれる。これを撮ると決めて、外の出ればもう映画作りをスタートできる。それが大田原愚豚舎の映画作りのいいところだと思います。なので、常に作り続けていきたいです。

 まだまだ、僕の映画は少数の人にしか届いていない。でも、少数でも楽しみにしてくれている人もいる。それだけでちょっと頑張ろうという気持ちになるので、今回の特集上映でまた出会ってくれる人がいたらうれしいと思っています」

「「異能・渡辺紘文監督特集―大田原愚豚舎の世界Vol.2―」ポスタービジュアル」
「「異能・渡辺紘文監督特集―大田原愚豚舎の世界Vol.2―」ポスタービジュアル」

「異能・渡辺紘文監督特集―大田原愚豚舎の世界Vol.2―」

アップリンク吉祥寺ほか順次公開中。

上映情報はこちら

場面写真およびポスタービジュアルはすべて提供:大田原愚豚舎