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「ダンスと聞いて気後れする人にこそ観てほしい」。約100年前に遺されたダンスを探し求めて

水上賢治映画ライター
「イサドラの子どもたち」のダミアン・マニヴェル監督

 ダンスを主題にした映画は数多く存在する。ひとりのダンサーを記録したドキュメンタリーもあれば、著名なダンサーの生涯を描いた劇映画もあり、ミュージカル映画もある。これらを総じてダンス映画とするならば、本作『イサドラの子どもたち』もまたそこに属することになるのだろう。

 ただ、本作は限りなくダンスについて語りながら、従来のダンス映画とはまったく違う世界をみせてくれる。ダンス映画の枠組みを飛び越え、ダンスの真髄に迫った1作といっていいかもしれない。

 手掛けたダミアン・マニヴェル監督は、短編 『日曜日の朝』がカンヌ国際映画祭批評家週間短編大賞を、初長編の『若き詩人』がロカルノ映画祭特別大賞を受賞するなど、注目を集める俊英。日本では五十嵐耕平との共同監督作品『泳ぎすぎた夜』が話題を呼んだ。

アクロバット師として現代サーカスのカンパニーに入団したキャリアの持ち主!

 今や気鋭の映像作家として世界から脚光を浴びる彼だが、実は映画の道に進む前はコンテンポラリー・ダンサーとして活躍していた。

「10代のころからダンスが好きで、ヒップホップをやっていたんだ。18歳のときにはアクロバット師になりたくて、専門の学校にも行っている。

 そして20歳のときアクロバット師として現代サーカスのカンパニーに入団して、舞台に立っている。そのカンパニーでは、コンテンポラリー・ダンスについても多くを学んだ。その経験を踏まえて、そのあとはコンテンポラリー・ダンスのカンパニーにも入って活動していたんだ。

 で、実は、そのカンパニーにいたときに、僕は演出家や振り付け師の仕事を見ることがすごく好きなことに気づいて、彼らを撮影するようになった。実はこれが映像の入り口。今の映画作家になるきっかけはダンスにあったといってもいいかもしれない」

 そもそも何の影響からダンスを始めたのだろう。

「僕は子どものころ、学校の授業に退屈するタイプの生徒でね。体を動かすことの方が性に合っていて、ヒップホップだけじゃなくて、武術もやっていた。空手を。

 だから、なにかに憧れてダンスを始めたというよりは、自分の中に身体を動かしてなにかを発散したい衝動のようなものが常にあった。いま考えると、たぶん言葉を使ってではなく、なにか身体を使って表現することを欲していたような気がする。それで自然と空手やダンスに目が向いていったんじゃないかな」

伝説のダンサー、イサドラ・ダンカンのソロダンス「母」とのめぐり逢い

 今回の作品が取り上げるのは、伝説のダンサー、イサドラ・ダンカン。20世紀初頭、舞踊の世界に革命を起こしたと言われる彼女は、モダンダンスの始祖とも称される。

 偉大なるダンサーとして今も多くのダンサーに影響を与える彼女だが、1913年4 月に二人の子供を事故で亡くす悲劇に直面。その痛みと苦しみの末に、亡き子どもたちに捧げるソロダンス「母」を作り上げている。

 『イサドラの子どもたち』は、このソロダンス「母」が重要なモチーフとなっている。このダンスとの出合いを監督はこう語る。

「ダンサーだったので、イサドラ・ダンカンの存在は昔からよく知っていたんだ。それこそもう20年ぐらい前、学生時代から何度も彼女の自伝も読んでいた。

 ただ、ソロダンス『母』について知ったのは2018年のこと。結果としてこの『イサドラの子どもたち』になるんだけど、新作映画の準備中のことだった。

 実は、当時、ダンスについての映画を撮るということだけを決めて、女優のアガト(・ボニゼール)が僕の友人の振付家と、即興ダンスの練習を始めていて。アガトとその友人と僕が、どういうものにしようかアイデアを練っているときに、偶然友人が放った一言のおかげで、イサドラ・ダンカンの『母』というソロダンスの存在を知ったんだ。

 その存在を知った瞬間、どんなダンスなのか、どのようなことが表現されているのか知りたくなって、すぐにリサーチを始めた。

 そこでわかったのは、まず約100年前のダンスだから映像はない。イサドラが撮られるのを拒んだんだ。写真もない。あるのは舞踊譜だけということ。そのとき、今回の映画の出発点は『この舞踊譜だ』と確信してしまったんだよね(笑)」

映画「イサドラの子どもたち」より
映画「イサドラの子どもたち」より

約100年前の想像するしかないソロダンスに誘われて

 その舞踊譜に魅せられた理由はどこにあったのだろう?

「イサドラの時代のダンスというのは、口承で伝えられていた。なので、『母』の舞踊譜についても、ダンカンの弟子たちが口承で受け継いでいって、1970年ぐらいに舞踊譜になっている。

 つまり、舞踊譜自体は、ひとつの解釈でしかない。おそらく弟子から弟子へと伝わっていくうちに、踊り自体も微妙に変化していったはず。なので、実際のところ、ほんとうの意味でイサドラ・ダンカンが、どのように『母』を踊ったのかは想像するしかない。それは、ひとつのミステリーで謎めいている。その謎を紐解くようにしてダンスを創作することはひじょうにエキサイティングなのではないかと思ったんだ。

 僕は、1970年代の舞踊譜ばかりを集めた本の中に『母』を見つけたんだけど、なにか考古学者になったような気分でね。発掘調査をするような、謎めいたものが自分の前に立っているような気持ちになった。この舞踊譜を紐解き、ひとつのダンスを現代によみがえらせる。その過程をぜひとも映像に収めるべく、撮影したいと思ったんだ」

 作品は、イサドラ・ダンカンが遺したソロダンス「母」に、4人の女性が向き合い、3つの物語が語られる。ただ、当初はこうした構成になることは考えていなかったという。

「さっき触れたけど、アガトと一緒にダンスを題材にした映画を作っていくことしか決まっていなかった。それでこれは直感としか言いようがないんだけど、『母』と出合ったとき、こう思った。『これは1人の女性が踊るのではなくて、複数の女性に踊ってもらうべきだ』と。

 これは言葉で説明するのはなかなか難しい。でも、『母』は、100年近く前にもともと作られている。つまり昔のソロダンスになる。その昔のものを、身体も違えば、年齢も違う、生きてきた背景や境遇も違う、現代を生きている女性がどういうふうに受け止めて表現するのかを見てみたかった

 ソロダンスと4人の現代女性が向き合う。この構想を思いついたとき、僕自身、初めてこの映画の主人公は『母』であると理解したといっていい。そして、4人の女性が『母』と向き合う過程を見つめることで、ひとつの遺産となっていたダンスが時代を超えてしっかりと継承され、再び現代のものとなったダンスが生まれるのではないかと考えたんだ」

映画「イサドラの子どもたち」より 主演のアガト・ボニゼール
映画「イサドラの子どもたち」より 主演のアガト・ボニゼール

 3つの物語は、振付師のアガトが、イサドラの自伝と舞踊譜「母」を紐解き、そのダンスを導き出そうとするところから始まる。

 2つ目の物語は、若きダンサーのマノンとベテラン振付師のマリカが、対話を重ね、共作によって「母」を創作していく。

 そして3つ目は、「母」の公演を観劇した初老のエルザが、自らの人生とダンスを重ね合わせながら記憶を巡らせる。

「僕としてはこの『母』がどのように現代の女性によって継承されるのかを見てみたかった。

 アガトのパートでは、彼女自身が舞踊譜をどのように読み取り、それをどうやってものにして自らの身体を使って表現していくのか。いわば個人の創作の過程をじっくりと見てみたかった。

映画「イサドラの子どもたち」より
映画「イサドラの子どもたち」より

 次のマノンとマリカのパートは、すでに多くのキャリアを重ねた振付師が、まだキャリアが始まったばかりのダンサーに、どのようにこのソロ舞踊を伝授していくのか。ひとつの舞踊を年齢差のある二人がどのように理解して、共有して、ひとつの創作へと昇華させるのか。さらにそれをどう観客にまで届けていくのかを、見てみたかった。

映画「イサドラの子どもたち」より
映画「イサドラの子どもたち」より

 最後のエピソードとなるエルザについては、まず観客の女性として出発させたかった。『母』を前にしたとき、どのような感情が人々の中では沸き起こるのか?その揺れ動く感情を、エルザを通して見てみたかった」

映画「イサドラの子どもたち」より
映画「イサドラの子どもたち」より

僕は素人かプロの俳優かという区別はしない

 作品は、ダンサーがひとつのダンスを身体へ沁み込ませていく過程から、実際にダンスとして身体から発せられるまで、まだ見ぬ舞踊譜がイマジネーションと創作を経てひとつの形となるまでの瞬間、そして、そのダンスを目にした人の心模様までをも物語る。

 それを体現した4人の女性は俳優もいれば素人もいる。どうやって彼女たちからこうしたリアルなアクションであり、真意の感情を引き出したのだろうか?

「まず、僕は素人かプロの俳優かという区別はしません。その人自身と真摯に向き合うだけ

 だから、たとえば、こうやってほしいとか、僕が彼らを自分の思うように従わせることはない。マノンだったらマノンに、マリカだったらマリカに、僕自身が順応するだけなんだ。

 これはどの作品のときも一緒なんだけど、僕が出演者との間で1番大事にしているのは、誠実であること、正直であること。だから、僕自身、作品について分かったふりはしない。

 監督の多くが撮影前から自分が撮る映画を見つけていると思い込んでいる、または撮影前に、まだ自分の映画を見つけていないことを認めたくない監督が多いんですね。それは監督自身が分からない、とは言えない状況があるから。現場のリーダーであるべき、という映画監督のイメージに囚われすぎていると思う。僕はいつも、自分がまだ『それ』を見つけていない、どこにたどり着くのかわからない、という状況を、必ずスタッフや出演者たちと共有するようにしています。そういう意味では、他の映画監督とは違う仕事の仕方をしているかもしれません。

 僕は出演者といっしょに、今回だったらイサドラの『母』の真髄を探していった。そして、『母』に宿っているあらゆるエモーション、イサドラが作品に込めた想い、太古から現代の女性にまで継承された母の子への愛情、ダンスのもつプリミティブな魅力や人間の身体の美しさにたどり着くことができた。それは映画を観てくれた人にも感じてもらえるんじゃないかな」

奇跡的な瞬間を収めるには、単に撮影することだけを意識しているカメラマンでは務まらなかった

 こうした奇跡的な瞬間がいくつも収められている本作は、撮影カメラマンが大きな役割を担ったといっていいだろう。果たして、どのような認識のもとで撮影は行われていったのだろうか?

「この作品は100%完全にフィクションではあるんだけれど、そのプロセスの過程の中には、限りなくドキュメンタリー映画の手法に近いところが部分的にあるんだ。たとえば、アガトがスタジオで頭を悩ませながらダンスを解析していくシーンがある。実際に使用したシーンは一部だけど、あのシーンは実は長時間撮影していて、あのダンスに対するアガトの苦悩は、実際の彼女の苦悩そのものなんだ。

 だから、単に撮影することだけを意識しているカメラマンでは務まらなかったと思う。僕と一緒でその人物に興味をもって向き合う人じゃないと務まらない。ある意味、受動的ではダメで能動的に動けなくてはならなかった。

 今回のカメラマンのノエ(・バック)はまさにそういう意識をもってくれていた。彼女たちの身振りや手振りから心情までのちょっとした変化を一瞬たりとも見逃さない。ダンスが生まれる瞬間をとらえようと、僕と出演者と一緒に探してくれた。ほんとうにこれには感謝している

ダンスと聞いただけで気後れしてしまう人にこそ観てもらえたら

 完成した作品について監督は、『ダンスにさほど興味のない人にこそ見てほしい』とメッセージを寄せる。

「『ダンスなんて門外漢なんだけど、その魅力の一端がわかった気がする』や、『ダンスのことは何も知らないけど、すごく感動した』といった、ダンスにさほど興味のない人からうれしい声をいっぱいもらっているんだ。

 これは僕としてもひじょうに喜ばしいこと。ダンス、とりわけコンテンポラリー・ダンスに対しては、抽象的すぎてどう見たらいいのか分からない、なんだか奇妙な動きをする、などと、とっつきにくく、苦手意識がある人が多いのではないでしょうか? フランスでもそういう人はたくさんいますよ。でも、難しく考えすぎないで。

 ダンスは誰の中にもある。実際に身体で表現する人もいれば、心の中で踊る人もいる。みんなの中にあるものだと僕は思っている。

 だから、『ダンス』と聞いただけで気後れしてしまう人にこそ観てもらえたらと思っている。

 この作品を観てもらえれば、そういうものではないことがわかってもらえると思っているんだ」

映画「イサドラの子どもたち」より
映画「イサドラの子どもたち」より

「イサドラの子どもたち」

シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中

ポスタービジュアルを含む写真はすべて提供:コピアポア・フィルム

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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