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ハートを射抜かれるおじさん続出!世代を超えた青春映画「アルプススタンドのはしの方」の魅力に迫る

水上賢治映画ライター
映画「アルプススタンドのはしの方」より

 今回のコロナ禍で真っ先に自粛を強いられたのは、一斉休校を命じられた子どもたちだ。それに伴い、スポーツ系、文化系問わず、学生たちに向けた大会は相次いで中止。ここにきて、高校野球の甲子園大会をはじめ代替の大会が開かれるつつある。この自粛期間を通して、こうした学生大会が、子どもたちにとって大きなものであるとともに、それにとどまらず実は社会が多くのことを享受していることに気づいた人は多いのではないだろうか。

 現在ロングラン上映中の映画「アルプススタンドのはしの方」もまた同じことを感じさせてくれる1作といっていいかもしれない。ここには、甲子園を目指す高校球児だけではない、「あなたの」「わたしの」「みんなの」甲子園が存在する。

高校演劇で全国一になった戯曲が生まれるまで

 基になったのは、兵庫県東播磨高校演劇部が上演し、第63回全国高等学校演劇大会で最優秀賞に輝いた傑作戯曲。原作者で現役高校教師である籔博晶さんは、この戯曲が生まれたきっかけをこう明かす。

籔「書くきっかけをくれたのは、私の母校が21世紀枠で、春の甲子園に出ることになったことです。それで実際に甲子園に観戦に行って、外野席から見ていたんですけど、アルプススタンドに母校の現役の生徒たちがずらっと並んでいる。そのとき、想像してしまったというか。『この子たち全員バスできたのかな』とか、『来たくない子もいただろうな』とか、あと、自分は高校時代演劇部だったので『なんで野球部の晴れの舞台につき合わされなきゃいけないんだ』とか。

 そんなことを考えつつ、正直なことを言えば自分は高校野球にもさほど興味がなかったんですけど、最後は母校を一生懸命応援していて、気持ちが熱くなった。なんかこういう気持ちをひっくるめてひとつの物語にしたらおもしろいものができるんじゃないかと思ったんです」

最初の生徒たちの反応は「いまいち」?

 こうして書き上げた戯曲は、顧問を務めていた東播磨高校演劇部の生徒たちに見せることになる。ただ、反応はいまいちだったとか。

籔「最初に完成したものを渡して、読み合わせをしたんですけど、ほぼ全員ピンときていないというか。そもそも、野球のルールを分かっていない生徒もいて、なかなか内容がつかめないでいました。

 それで、生徒を連れて、実際に野球の試合を観にいったりして、イメージつかんでもらいました。また、当時の生徒自身の性格や考えを役に投影させたりしたりもしましたね。ですから、僕が最終的には書きあげてはいるんですけど、そこにかなり演劇部の生徒たちの気持ちや思いものっていて、演劇部全員によって完成した脚本のようなところがあります。

 あと余談ですけど、僕自身が中学生のときはサッカー部で。ずっとベンチで、試合にほとんど出る機会がなかった。そのベンチウォーマーの気持ちもちょっと入れたい。実際の役としては登場しませんけど、物語の背景としての重要人物で登場人物のセリフにのみ登場する万年補欠の矢野君は、僕自身といっていい。僕は中学でサッカーを諦めてしまうのですが、『続けていたらもしかして』みたいなことも含めて、矢野君に自分の思いをのせているところがあります」

映画「アルプススタンドのはしの方」より
映画「アルプススタンドのはしの方」より

 こうして誕生した高校演劇の戯曲は、大きな反響を得て、第63回全国高等学校演劇大会では最優秀賞に輝く。

籔「地区大会から始まって、県大会、近畿大会、全国大会に進んでいったのですが、大会を経るごとにみなさんからの声援が大きくなっていったといいますか。

 このときの近畿大会が兵庫県開催で兵庫県の演劇部の生徒や顧問の先生方が運営をしていたんですけど、いろいろな人から『全国に行ってね』とすごく声をかけていただいた。

 そのときに、全国に行ってほしいと思ってもらえる作品なのかなと思って。自分たちの舞台がちゃんと観てくれた人のところに届いている手ごたえのようなものを感じました。

 あと、その間にも、地区にライバル校というか、互いにいい存在の学校がありまして、その先生に『これはすごい台本』とおっしゃっていただけたり、県大会で先輩の先生にいい意味で『これはかなわん』と言われたりもして、いい舞台を作ることができたのかなぁと思いました」

作品化の打診、しかし音沙汰なしでてっきり流れたかと

 そして高校演劇の枠を飛び越え、まず若手俳優たちによる浅草九劇での舞台公演が決定する。

籔「そうなったのは偶然というかつながりというか。今回の映画版の脚本を手掛けてくれて、舞台版の演出を担当してくれた奥村徹也君が、大学の同級生で。それぞれ別の演劇サークルに入っていたんですけど、お互い知っていたんですよ。それで全国高等学校演劇大会で優勝すると、NHKで放送されるのですが、それを奥村君が観てくれて『すごくよかった』と連絡をくれたんです。

 ちょうど、そのころ、今回の作品の企画の方ですけど、野球場を舞台にした映像作品を模索していたみたいで、それで僕を奥村君が紹介してくれたんです。

 それで高校演劇の舞台を見ていただいたら、すごく気に入ってくださって、映画にするかドラマにするかわからないけど、とにかくなにか作品にしましょうと。

 それはぜひということでお願いしたんですけど、そこから半年ぐらい一切、音沙汰がなくて、僕は『流れたのかな』と思ったんです。そうしたら、突然『舞台をやります』と連絡がきてびっくりしました(苦笑)。こちらはてっきり映像作品を想定していたので

舞台公演は連日満席の大反響

浅草九劇での舞台公演は、連日売り切れの大好評を得る。

籔「高校演劇は60分という縛りがあるんですけど、実際の舞台だとちょっと短いということで、原作に少し僕が書き加えて、奥村君に送って、そこでダメ出しされて(笑)といった感じで改訂を重ねていってできた脚本で。それを、同級生の奥村君が演出してくれたのがすごくうれしかったです。

 それから、高校演劇でできなかったこともいろいろやってくれました。やはり高校演劇だと限度がありますから、球場の客席の作りこみとかほんとうにしっかりやってくださったので、ほんとうに原作を大きくしてくれたと思いました。原作者とか離れてひとりの観客として観ても、おもしろくてジーンとくる舞台だったと思います。

 あと、そのときに、高校演劇に出ていた当時の生徒4人を連れて観にいったんですね。卒業して以来だったんですけど、かつて自分たちが演じた舞台をこのような形で一緒に観ることができたのは忘れられない思い出になりました

 ただ、実は舞台化の話を聞いた直後は複雑な心境だったそうだ。

籔「舞台化はそれはそれでうれしかったんですけど、舞台になったということは映画はもうダメになったんだなと思って、ちょっと残念で複雑な心境だったんです。

 ただ、企画サイドは舞台で口火をきって、勢いをつけて映画にいこうという意識があったみたいで。それで確か舞台の本番1週間前ぐらいに、『映画もやります』と言われて、もうこっちは舞台で終わると思っているから、またびっくりだったんですけど、うれしかったですね」

映画「アルプススタンドのはしの方」 城定秀夫監督(左)と籔博晶さん(右) 筆者撮影
映画「アルプススタンドのはしの方」 城定秀夫監督(左)と籔博晶さん(右) 筆者撮影

理屈じゃなく感動した。絶対に流したくない企画と思った

 一方、映画化の話がきたとき城定秀夫監督はやる気満々だったと明かす。

城定「まず、NHKで放送されたものだと思うのですが、資料として高校演劇での舞台をみせていただきました。最初は普通にみていたんですけど、だんだん前のめりになって、気づいたら泣いていた(笑)。

 これはもうなんなんだろうと。戯曲も併せて届いていたんで、目を通したんですけど、確かに話がすごくしっかりしている。伏線もちゃんとすべてに張られていて、それがきちんと回収されている。でも、それだけでは収まらない、こちらの感情に訴えかけてくるようななにかがこのシナリオにはある。これはすごい、ぜひやりたいと思いました。

 企画が立ち上がっても当たり前のように流れるのがこの世界。だけど、この企画に関しては絶対流したくない。だから、あんまりこういうことしないんですけど、知り合いの制作会社に声かけたりして、是が非でも実現の方向に向けようと自分なりに動いたところがあります」

 なぜ、そこまで心を動かされたのか。

城定「おそらく簡単に言葉で説明できるようなことじゃない。理屈じゃいないんですよね。さっき言った通り、気づくと心を動かされている。ですから、僕としては、この感動をなんとかストレートに映画にできないかと思いました」

映画「アルプススタンドのはしの方」より
映画「アルプススタンドのはしの方」より

「しょうがない」に込めた想いとは?

 作品は、タイトル通り、甲子園球場のアルプススタンドのはしの方が舞台。5回表から話が始まる。

 その場所に、なんとなく所在のない演劇部の安田と田宮、元野球部の藤野、帰宅部の宮下が席を共にする。特に野球に思い入れのない彼らは「しょうがなく」応援を始める。この「しょうがない」が作品のひとつのキーワードになっている。

籔「単純に、自分の口癖で。なんか、結構、今回の『アルプススタンドのはしの方』を書くまでも『しょうがない』とよくつぶやいていた気がするし、最近、自分が過去に書いた台本を見返したんですけど、しょっちゅう『しょうがない』というセリフが出てくる。

 だから、自然に出てきたセリフだと思うんです。ただ、『しょうがない』とばかり言っいてていいのかなと考えて、最終的に『しょうがない』を乗り越えるような話になったような気がします

 はじめから、『しょうがない』をキーワードにしようと思ってはいなかった。ただ、『しょうがない』といいながら諦めないといけないことがけっこう人生ではある。だから、安田も藤野もそうですけどなにか諦めて挫折した人へのエールになればと思ったところはあります。だから、僕がここで使っている『しょうがない』にはちょっと前向きな意味が込められている

城定「しょうがないという言葉はネガティブにとられがちですけど、僕は必ずしもそうではないと思っています。この作品においては、他人への慰めの言葉として使っていますがそれは相手に投げかけているようで、自分への言葉でもある。

 「私たちが勝手に諦めちゃだめだよ」と田宮のセリフであるとおり、ここでの『しょうがない』は確かに慰めや諦めのネガティブなものです。でもその向こうにはなにか道があるかもしれない。映画とは少し外れた話というか、その先の話になりますが、気持ちに区切りをつけるという意味では『しょうがない』という言葉も時には必要です。ですから、テーマとしては『しょうがない』と言ってはいけないということではなく、『しょうがない』で終わらせてはいけないということですかね。

 低予算の映画なんかやってると、しょうがないことしかない。しょうがないからはじまりじゃあどうしようかと考える(笑)」

映画「アルプススタンドのはしの方」より
映画「アルプススタンドのはしの方」より

学生たちが輝く場所。それが甲子園。それは誰にでもある

 夢舞台で野球部員たちがスポットライトを浴びる中、彼らはしぶしぶながら応援をはじめる。しかし、野球のルールをろくに知らない演劇部の安田と田宮、野球を諦めた藤野らが集まったところで応援に熱が入るわけはない。最初はむしろ愚痴や世間話に花が咲く。

 ここで彼らが繰り広げる会話は、特別な瞬間でもなければのちのち記憶に残るようなことでもない。何気ない生徒間の日常のよくある対話だ。その彼らの視界の先では、甲子園のグランドで高校球児が熱闘を繰り広げている。でも、その試合は安田たちの視界には入ったり入らなかったり。それでも、確実に時は経過し、試合は進んでいく。

 このまったく同じ空間にいながら、まったく別々の時間を過ごすアルプススタンドのはしの観客席にいる面々と、試合を繰り広げる野球部と彼らを懸命に応援する人々の想いが交差しながら、徐々に交わる瞬間がある。

 そのとき、わたしの、あなたの、みんなの心の中の甲子園が不思議と立ち上る。その自分の中の甲子園というのはなかなか言葉で説明するのは難しい。しいて上げるならば、自分の居場所とでもいおうか。それは子どもも大人も関係なく、自分にとって大切な思いを寄せられる場所が誰にでもきっとあることに気づかされる。それに呼応するように、作品は、秀才も落ちこぼれも、目立つ子も目立たない子も肯定する。

籔「甲子園は野球だけではない。演劇部には演劇部の甲子園があるし、それぞれの甲子園がある。学生たちがすごく輝いてる場所、それが甲子園かもしれない。それは野球部員だけのものではない。自分が生き生きする場所があったと思うんです。この時期ってなにか自分が夢中になれたり、打ち込んだりすることがあったりする。自分が生き生きする場所があったと思うんです。その記憶って、今考えると『バカだな』とか『恥かしい』と思うことでも、キラキラ輝いて頭の中に残っている気がする。それも自分にとっての甲子園なんじゃないかなと。

 だから、それぞれがそれぞれの『甲子園』をみつけてくれたら僕はうれしい。ひとりの教師としては、そういうのを生徒が見つける手助けができたらと思っています。そういう思いを作品にこめたところはありましたね」

城定「やっているときは必死でそれがすべて。でも、試合に勝つとか、負けるとか、どうでもいいと大人になって気づく。高校生限定の輝きがある場所が甲子園なのかもしれない。その輝きにわれわれ大人もなにか理由もなく魅了されるところがあるんでしょうね。この作品も、そういったものが感じられたるものになればとは思っていました」

映画「アルプススタンドのはしの方」より
映画「アルプススタンドのはしの方」より

むしろ甲子園で撮影しなくてよかったかもしれない

 このように本作の重要な舞台になる甲子園。だが、諸事情があって本作は甲子園では撮影されていない。でも、作品をみているとそんなことはどうでもよくなってくる。なぜなら、ここは先ほど触れたようにみんなの心の中の甲子園であればいいのだから。

城定「そこはもう結構突っ込まれどころで、ガンガン指摘されています(苦笑)。でも、これは本心で、僕としてはもともと甲子園じゃなくてもいいと思っていたんです。

 ただ、プロデューサーが高校球児で、ものすごく甲子園に思い入れがあるから、最後までこだわった。甲子園でやりたいと。でも、叶わなかった。

 でも、僕はさっき言った通り、ぜんぜんこれに関しては悲観してなかった。批判的な意見を言う人は、『舞台は見立ての芸術だけど、映画は違うだろう』という。でも、僕は映画はそんな懐の狭いもんじゃないと思うんですよ。

 この映画は、甲子園に見えるかどうかが大切なんじゃない。安田をはじめとする甲子園の試合をみている彼らの気持ちが重要で。甲子園という場所のリアリティーよりも、アルプススタンドのはしにいる彼らが交わす会話や心情の吐露のリアリティーが大切だった。

 だから、むしろセットでやってもいいぐらいの気持ちだったんです。僕は甲子園でやっていたら、なんか野球に飲み込まれて、野球映画になってしまったような気がしてますし、実際のところ、もし甲子園でやれることになったら少なくともスコアボードと球場外観は入れろと注文されて悩んでいたので。野球ファンは甲子園のスコアボードに矢野の文字が出たら絶対感動するんだから写さない選択はないと言われ、まあ、そういうものかもなと承諾しながらも『そういう映画じゃないと思うんだけどな』という気持ちと戦っていました。

 だからむしろ別の球場でよかったくらいに思っているんですよ。言い訳がましいですけど」

籔「城定監督のおっしゃる通りで、僕もそれでよかったと思います。『これが甲子園だ』と思って見させていただきましたし。

 実は、最初に高校演劇で上演するときも、スタンドをどういうふうに舞台として見せたらいいのかなっていうのはすごく悩んだんです。結果として、大会の講評のときにも、『アルプススタンドにみえない』みたいなことを言われたことがありました。けど、僕としてはこれがアルプススタンドだっていうものをやってみせた、この脚本はそういうところのリアリティーで見せるものではないという気持ちがあったんですね。ですから、いま城定監督のお話をきいて、当時の僕と同じ気持ちでやってくださったのかなと思ってうれしいです」

映画「アルプススタンドのはしの方」より
映画「アルプススタンドのはしの方」より

 もうひとつ本作で触れておかないといけないのは、物語は試合の5回表からはじまり、9回裏まで続く。しかし、この間、一切、試合のシーンは登場することはない。これはある意味でとても斬新で新鮮。試合を映すことは考えなかったのだろうか?

城定「僕は、はじめから全く考えなかったです。なんで試合が映んないんだって批判も、少なからずあるんですけど(笑)、この作品は試合映してもあまり意味はないというか。最初は、試合にさほど興味のなかった彼らが、だんだん自分たちの境遇やいろいろなことが重なって声援を送る、そこがおもしろいわけで。彼らの姿が魅力的なのであって、そこで試合を映してもどうかなと思うんですよね。だから、むしろ、僕は、野球を映したら、おしまい、台無しだと思っていました。でも、籔さんはどうですか、この映画化で野球は映ると思いましたか?」

籔「実は、僕も試合は映してほしくないなと思っていたんです。でも、映画となると、やっぱり試合のシーンが必要になってくるのかなと思ってたんですよ。高校野球の試合が絡んでいるのだから、ふつうの映画だったら試合のシーンあるよなと。

 でも、作品をみたら、ちらっとも出てこない。だから逆に驚いて、すごくありがたかったです。ちゃんと映画でもこういう作り方ができるんだと思いました」

城定「野球の試合は想像してもらえたらいい」

籔「そうなんです」

城定「そのほうが楽しい。実際、映画を観てくれた人で、突っ込みもありつつ、見えない試合をあれこれと解説してくれている人がいて。

 試合を見た気になって、『俺の矢野にバントをさせるな』とかいう意見が出てたりする(笑)。それでいいんだと思うんです。野球が好きで野球映画かと思ってきた人は、試合の場面がないのでちょっと申し訳ない気がするんですけど」

スクールカーストで語らない学園ドラマを

 もうひとつ本作には、新鮮なところがある。それはひとつの学園ドラマでありながら、いまどきの学園ドラマとは一線を引くこと。いま、学校を描くとき映画においてもドラマにおいても、スクールカーストで語られることが実に多い。しかも、各層の激しい対立構造で語られることがほとんどだ。

 ただ、本作はそうした層の存在を示しながらも、対立構造では語らない。むしろ、それぞれの層を分け隔てなく肯定する。こういう形で学校を描いた作品はあまりないかもしれない。

 本作に登場する生徒たちを観ていると、昨今の学園ドラマはもう少し古い。いまの学校のリアルはこういう形なのかもしれないと思えてくる。

城定「僕は最初、現役高校教師が書いた優しい脚本だと思ったんです。こういう生徒間の話になると、どうしてもスクールカーストみたいなのを強調して極端なドラマにしてしまいがち。どうしてもドラマティックさを強調してしまう。

 でも、現実は違う。そのことを細かい部分まで籔さんは現役の教師だからわかっている。そのことを素直に出されている気がしたんです。

 だから、演劇部が、野球部なんて嫌いだとか言うけど、それはそこにそんなに悪意があるというようなことことにしていない。

 キャラクターも、現役先生が書いてるから、これがいまどきのリアルな高校生なんだなって、ありありと感じられる。ただ、一方で、今も昔もかわらないところがあると思うんですね。そこもきっちり押さえられている。だから、人物がどれもリアルなんですよ。

 なのでいい意味で、客観的に学校も生徒もとらえた物語になっていると思います」

籔「いまもスクールカーストはあって、1軍、2軍、3軍とかいうみたいです。ただ、そうわかれていても、なんとなくの区分で上下とはちょっと違うというか。『俺、1軍で、お前より上』みたいな感じはないんですよね。

 むしろ1軍はリスペクトされるタイプの人間というか。だから、それはそれでいい。

 ただ、自分は2軍だ、3軍だって思ってる子たちはどこか負い目のようなものがあるそれはあまり思わなくていいんじゃないか。引け目に感じなくていいのではないかという思がずっと僕の中にはあって、それでこういう形になったんですよね」

城定「たとえばなんですけど、『桐島、部活やめるってよ』とか意識しました?  書かれていたとき」

籔「ないですね

城定「僕もまったく意識してなくて、ただ、周りで言う人がいるんですよ」

籔「実は朝井リョウと、僕、大学の同級生なんですよ。だから、なんとなく学校で感じていたことっていうのが、同じ世代なんで、近いのかなと言う気がします」

今回のコロナ禍で相次いだ大会中止。現役教師として感じたこと

 今回のコロナ禍では甲子園だけではなく、数多くの大会が中止となった。この事態をどう受け止めただろうか?

籔「高校演劇もほんとうは全国大会が開催される予定でしたけど、やはり中止になってしまって。今回はオンラインで映像を流す形になってしまいました。ただ、やはりみんな夢舞台に立ちたかったんだろうなと思うと、ほんとうに胸が痛い。

 現在、勤めてる学校でいうと、新体操部が全国大会に出る予定だったんですけど無くなってしまった。部員たちががっかりする姿をみると、なんかしてあげられないのかと思います。一応、彼らも気持ちを切り替えて、これから進学や就職に頑張っていきますとは言っていたのですが、やはりやりきれない気持ちはあると思います。そういう姿をみると、こういう大会はなにものにもかえられないと再認識しました

城定「あまりつらいつらいとは言いたくないんですけど、映画界もつらい。映画にしても、演劇にしても、音楽にしても、エンターテインメントというのは、人間が生きていく上で必要なものの優先順位でいう後回しになってしまう。

 学生での優先順位としても、まず勉学がある。その次に部活といったことになる。ただ、そうした後回しのものかもしれないけど、世の中が平時に戻ったときは無くなっていては困ると思うんです。エンターテインメントにしても、部活のそういった全国大会にしても。そのためになんとか頑張って、いまは無くならないようにつなげていくしかないですよね」

 最後にこう言葉を寄せる。

城定「僕が泣いたポイントとみんなが泣いてるポイントは違うし、おじさんが見たときと若い人が見たとき、自分の置かれてる状況で感じ方が違うと思う。でも、なにか心が動く瞬間がきっとあると思っています」

籔「自分が原作者で変な話なんですけど、映画をみたときに、すごく勇気づけられたというか。なんか元気をいただいたんですよね。みなさんにとってそういう映画になってくれたらなと思います」

城定「感想とかで本当に1番うれしいのは、映画としてどうこうとかより、『あした、会社、頑張って行く勇気をもらいました』とかそういうひと言なんですよ。『ちょっと元気が出ました』とか。そういう作品になってくれたらと思います」

映画「アルプススタンドのはしの方」より
映画「アルプススタンドのはしの方」より

「アルプススタンドのはしの方」

新宿シネマカリテ、渋谷シネクイント、イオンシネマ板橋ほか全国順次公開中

監督:城定秀夫

原作:籔博晶・兵庫県立東播磨高校演劇部

出演:小野莉奈、平井亜門、西本まりん、中村守里ほか

(C)2020「アルプススタンドのはしの方」製作委員会

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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