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「命を無駄にせずいただく」。残酷より憧憬の声が寄せられた猟師、千松信也さんの生き方とは

水上賢治映画ライター
映画「僕は猟師になった」より

 今回のコロナ禍では、ほぼすべての人が生活に何らかの影響を受けたはずだ。自宅で多くの時間を過ごすことになり、自身の生活空間やライフスタイルなど、衣食住について見直した人は多いのではなかろうか。巣ごもり生活が続く中で「せめて食事は体にいいものを」「おいしいものを食べたい」など、毎日の食事、食生活に目がいった人は少なくないだろう。

 ドキュメンタリー映画『僕は猟師になった』は、京都のコンビニにもほど近い山で、猟師として生きる千松信也さんの日常の記録だ。

 イノシシやシカを罠でとらえ、木などで殴打し気絶させ、ナイフでとどめを刺す。その獲物を、捌いて、肉はもちろん骨まで一切無駄にすることなくすべてをいただく。

 野生動物の命と向き合う千松さんの姿を目の前にしたとき、おそらくそれぞれが「食」について深く考えるに違いない。それほど千松さんの暮らしであり、そして生き方は、わたしたちが現代の生活でどこか忘れかけた食事への感謝や命の尊さに気づかせてくれるところがある

 実際、今回の映画の前身といえるNHKで放送されたドキュメンタリー番組「ノーナレ けもの道 京都いのちの森」には、1000件を超す再放送希望の声が寄せられた。その声のほとんどが、千松さんの営みへの憧憬の念だったという。

わたしたちがどこか忘れかけた食事への感謝や命の尊さに気づかせてくれる千松さんの日常

 わたしたちの心になにか訴えかけるものがある、千松さんの生き方。ご本人は、番組の反響をこう振り返る。

「例えば銃での狩りは、一発撃って弾が命中したら、獲物はかなり遠い場所で倒れて息絶えます。一方、罠での狩りは、かかった獲物を棒などで頭を叩いて失神させて、心臓にナイフを刺してとどめを刺さないといけない。命を奪う距離がすごく近い。それを映像で目の当たりにすると、生々しく実感として伝わってくるところがあると思うんです。

 『残酷すぎる』といった批判的な声が多く寄せられることを、ある程度覚悟はしていました。実際、知り合いの猟師などに、猟に対する苦情のメールが届いたりすることもよくあります。なので好意的な意見や再放送を希望される声が寄せられたことに正直言って驚きました。そのような反響があったのは、スタッフのみなさんが丁寧に撮ってくれて、僕のやっている猟や考えていることが誤解なく伝わったからではないかと思っています」

苦い思い出から取材はすべてお断りしていた

 ただ、千松さんは当初、取材を引き受けるつもりはなかったと明かす。

「『ぼくは猟師になった』という本を出したときに、2回ほどテレビの取材を受けたんですよ。でも、動物をしとめる残酷さを伴うシーンがカットされたり、僕の話したことが、取材者のイメージする勝手な『猟師像』に当てはめられて都合のいいようにつながれていく。自分が相手のイメージに沿った役割を演じさせられるだけなのかなと。僕は本を書くチャンスがあったので、だったら自分自身の言葉で伝えればいい。あえて映像に出なくてもいいし、出る理由はないなと思ったんですよね」

 今回の密着取材を受けた理由をこう語る。

「その後もテレビの取材のお話はけっこうありました。ドキュメンタリーの話がほとんどでしたが、例えばお笑い芸人に山で修行させてくれとか、アイドルに命についての授業をしてほしいとかいう話もあって。でも興味はなかったので全てお断りしていました

 ただ、今回の川原愛子監督とスタッフのみなさんはちょっと違いました。僕の本『けもの道の歩き方』を読んでくれていて、ここで書かれていることを映像化したいと。それで『ちょっと変わったことを考える人がいるなぁ』とまず思ったんです。

 それで、どういう映像にしたいかということで、参考資料として見せてくれたのが『リヴァイアサン』という漁船で魚を獲る映像をナレーションも説明もなく描いたドキュメンタリーでした。そして、僕がどのように森や動物と対話しているか、向き合っているかということを含めて映像化したいと説明してくださって、それだったらお任せしてみようかと思いました。

 ただ、いざ撮影が始まったら思った以上に大変で。ここまで密着して撮影されるとは思ってもいなかったので、ちょっと後悔というか、『えらいことを引き受けてしまったな』と思いましたね(笑)」

 川原愛子監督は、千松さんが出演を引き受ける際の条件として、「動物の命が消えていく数分間、僕は動物と二人きりで過ごします。猟師になって17年になりますが、慣れない時間です。その時間を共有する覚悟はありますか?」と問われたと、公式パンフレットのインタビューで明かしている。

「ちょっとした飲みの席での話し合いだったんですけど、その頃にはもうお酒がまわっていて、よく覚えていないんです(笑)。本当に言ったかどうか、かなり怪しいです」

千松信也さん
千松信也さん

自分の食べる肉を誰かに殺してもらって得ている負い目がどこかにあった

 千松さんが猟を始めたのは京都大学の在学中から。狩猟免許を取って、猟を始めたきっかけはなんだったのだろうか?映画では、誰かに獲物を殺してもらって肉を食べる負い目があり、『自分で食べる肉は自分で手に入れたい』との思いから猟を始めたことを打ち明けている。

「もちろんそうなのですが、それはいくつかある理由のひとつ。

 大学時代、親からの仕送りもなく自分で稼がないといけませんでした。貧乏で食べるものもないとなった時、『山に行ったらでかいイノシシがまるまる手に入るかもしれない』といったノリで始めたところがまずあるんですよ。

 狩猟免許を取ったのも、『猟師になる!』と思い立ったわけではありません。やってみたら思いのほかのめりこんでいった。それで結果的に猟師になっていたところがあるんです。

 ただ、猟を続けていると喜びだけでは割り切れない部分も出てくる。それを突き詰めると、自分の食べる肉を誰かに殺してもらって得ている負い目に突き当たった。その負い目を、ずっとどこかで感じていたから、『自分で食べる肉は自分で責任をもって獲りたい』という考えに至ったのかなと思うわけです」

僕が望む猟は、野生動物たちと同じような狩り

 千松さんは、1シーズン、イノシシやシカを10頭くらい獲る。自分と家族と友人らが食べる分しか、獲らないと決めている。以前は販売もしていたが、いまは肉を売ることもなければ、「害獣」を獲って報奨金を得る猟もしていない。

「僕が望む猟は、人間以外のほとんどの野生動物がやっているような狩りといいますか、自分たちが生きるために必要な食料を自分の力で獲るということ。どんな肉食動物も、家族やグループの仲間が食べる分以上に獲物をむやみやたらと殺したりはしない。動物と同じスタンスでいたい」

動物の命を奪う瞬間に馴れることはない

 千松さんは、動物の命を奪う瞬間というのは馴れないという。これは、ほんとうに馴れないのか、それとも馴れてはいけないと思っているのだろうか?

「1シーズンで10頭くらい獲るのですが、僕はどんな性格のイノシシなのか、シカなのか想定して、個体識別して獲っている。こいつちょっとどんくさいやつだなとか、こいつは臆病だけどへましちゃうタイプとか、相手を思いながら追っかけ合いをしている。獲物に対しての思い入れが強いんです。単にシカが獲れたとか、イノシシが獲れたというのとはちょっと違う感覚がある。なんとなく相手への情があるから、単純に獲物が獲れて機械的に処理するといった感じにはなれないんですよね。だから、馴れない。

 もうひとつ、やはり釣った魚などと比べると、イノシシもシカも人間くらいの大きさがある。体温もあれば、声もあげる。そうなると、馴れたくないという以前に、馴れることができない。

 馴れないし馴れたくないと思っているけど、結果として、自分と同じくらいの大きさの哺乳類を僕は、ここまで数百頭も獲っている。しかも、彼らを殺しておいて食べて、さらに自分だけ人間で、ほかのものも食べて生き長らえている。殺したシカやイノシシより自分は価値があるのかといまだに思う。実際、とどめを刺す時にそんなことを考えていたら、相手に反撃されるかもしれないし、苦しませるだけ。なので、考えないでとどめを刺しますけど、気持ちは馴れない。

 この後ろめたさは、おそらく僕だけの問題ではない。日本全国、世界各地の猟師にあることだと思います。

 例えば獲物を獲った後、葉っぱを目にかぶせるとか、枝をくわえさせるとか、心臓を神棚に捧げるとか、狩りにはいろいろな儀式があります。動物の魂を供養する儀式が各地で受け継がれている。そういうことが伝承されているということは、動揺を抑えてある意味正当化する、納得させるためにあるのではないかと思うんです。ほとんどの猟師がある種の心の葛藤を抱えながら猟をしているんじゃないかと思います」

山の環境は大きく変化。でも、動物たちはしたたかに生きている

 地球の環境の変化が叫ばれ、今年もすでに多くの自然災害が日本でも起きている。イノシシやシカが住宅街に出没したりといったニュースもよく目にする。このあたりの環境の変化を千松さんはどう感じているのだろう。

「20年近く山に入っていますが、確かに変化はあります。例えば、僕の猟場となる山ではイノシシの重要なエサになるどんぐりの実がなるナラの木が枯れる現象が10年前くらいに大流行しました。人間が炭や薪に使っていた、コナラやクヌギの木を切らずに放置した結果なのですが、その時期はイノシシの行動も大きく変化しました。

 近年は国の政策が、野生動物の保護から捕獲管理に方向転換して、増え続けていたシカが山によっては数を押さえることに成功しました。でも、逆に捕獲されない山にシカが移動して、その山の植生がめちゃくちゃになってしまう事態も起きています。実際、僕の生活している山でも、春先に採れていた山菜がシカに全部食べられてしまったことがありました。

 あと、ここ5年ほど台風や洪水で木がボコボコに倒れて、動物の行動が変化しましたね。常に森や自然は変化するもので、それに野生動物たちはしたたかに順応している、生きやすいところを見つけて暮らしている。このことは自分も見習わないと、と思っています。狩猟というのは畜産や農業と比べると不安定なもの。でも、不安定であるがゆえに機動性はある。ずっと同じ場所で獲り続けないといけないわけではない。猟場は常に移動することができる。そういう意味で、動物のしたたかな環境への順応性は狩りをする上で見習わなければと思っています。

 日本の森はヒノキや杉を植えたりなど、人間がさんざん好き放題手を入れた挙げ句、今はほったらかしになっている。自然は人間が手を入れないとありのままの姿になるという幻想がありますけど、人間が一度勝手に手をいれた森に自然な姿を求めるのは無理な要求です。ありのままの自然のような森は日本にはほとんどないと僕は思っている。森や自然ときちんと責任をもって関わらないといけない時代に入っている気がします

狩猟は四季折々の山の恵みをいただくこと

 改めて「猟をして生きる」ということをどう考えているのだろう。

狩猟は周囲から特殊なことに思われがちなんですけど、僕の中ではイノシシを獲るのも、川や海で魚を獲ることも、山で山菜を採ることもあまり変わりはない。どれも四季折々の山の恵みをいただくことなんです

 その恵みをいただくひとつの方法が狩猟。一番、労力も時間も必要だけど、その分、見返りも大きい。みなさんがスーパーでお金で買って入手するのと同じで、僕はお金のかわりに労力と知恵と技術を使って、山から食べ物をいただいている。特別なことではなくて、僕の中では山と向き合いながらの自分の生活の一部でしかない。それを変わりなく続けているだけで、これからも続けていきたいなと思っています」

 今回、テレビ番組から映画になったことをどう感じているのだろうか?

「とことん好きなだけ、納得するまで取材してくださいという気分でしたので、映画になるのが嫌という気持ちは一切なかったです。まあ、300日も追い回されるとは思いませんでしたけど(笑)。

 僕としては自分の日常の一部を撮られたに過ぎません。ただ、世の中がコロナ禍という事態にある中で、何か観た人が生きるヒントのようなものを見つけてもらえたらうれしいですね」

映画「僕は猟師になった」
映画「僕は猟師になった」

「僕は猟師になった」

監督:川原愛子

語り:池松壮亮 

出演:千松信也 

ユーロスペースほか全国順次公開中

写真はすべて提供:マジックアワー

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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