気鋭監督たちの名がずらり。世界の片隅で生きる人々の小さな声を届ける映画を日本に紹介し続ける
ヨーロッパはもとよりアジア各国、南米、映画産業がさほどさかんでもない小国の映画を全国の映画館で楽しめる。世界に注視される映画界の新たな才能に出会える。
こうした映画の多様性をわたしたちは当たり前のように享受している。が、実は彼らの存在なくして成り立たない。
「独立系配給会社」。いわば映画界の黒子的存在である彼らは、世界中の作品を、世界の映画シーンを牽引する映画作家を日本に紹介している。日本で世界各国の映画が楽しめ、世界の映画作家たちの作品を観ることができているのは、彼らのおかげといっても過言ではない。
その独立系配給会社が集まり、コロナ禍を乗り越えようと「Help! The 映画配給会社プロジェクト」をスタート。現在、13社が配給会社別にベストセレクションといっていい豪華な映画見放題パックの配信を始めた。
今回は、ワン・ビンやアピチャッポン・ウィーラセタクンらを日本に広く紹介した立役者といっていい配給会社「ムヴィオラ」の見放題配信パックをピックアップ。
パックは出し惜しみなしの全部出し
まず、ムヴィオラの武井みゆき代表は今回のムヴィオラの見放題配信パックの全容についてこう語る。
「ひとことでいえば、出し惜しみなしの全部出し(笑)。せっかくの機会なので、権利があって配信が可能な作品をすべて出すことにしました」
渾身のドキュメンタリーを発表し続けるワン・ビンとの出会い
まず、ムヴィオラの配信作品を語る上で欠かせない映画作家は中国のワン・ビンといっていいだろう。個人的ではあるが、いまや世界においての重要な映画作家に数えられるワン・ビンを、日本に紹介したのは山形国際ドキュメンタリー映画祭で、作品を劇場公開して日本に広く伝えたのは武井さんだと思っている。
「いえいえ。そんなことはないです。ワン・ビンは、『鉄西区』が3部作として完成する前、すでにロッテルダム映画祭やベルリン映画祭で注目されていましたから、すごく有名な映画作家になるのは確実だったと思います」
ワン・ビン監督作品との出会いをこう語る。
「最初は、アテネ・フランセ文化センターで2008年に特別上映会があって見たんです。『鉄西区』と『鳳鳴ー中国の記憶』を。
都合が悪くて、前年の山形国際ドキュメンタリーに行けなかったんですけど、山形に行った人たちが、ワン・ビンの話でもちきり状態になっていた。それで、見に行ったんです。
見たら、ほんとうにびっくりしました(笑)。
ただ、すぐに配給しようとは思わなかったんです。なにせ、『鉄西区』は9時間。『鳳鳴ー中国の記憶』は、まだ3時間くらいなので、可能性はあるような気がしましたけど、そのころは、まだ配給を始めて間もない頃で。3時間、老婆を正面からのフィックスでずっと撮っているドキュメンタリー映画をわたしが劇場にブッキングできるのかまだ自信がなかった。配給したい気持ちはやまやまだったんですけどね。
それでこのときは見送ったんです。
そのあとに、ちょっと誰から聞いたか忘れてしまったんですけど、ワン・ビンが劇映画を撮るらしいと聞いて、そのとき、『劇映画ならば配給しやすいかも』と。
それが『無言歌』で、東京フィルメックスで上映されることになったので見たんですけど、もう圧倒されて『よし、やろう』と決心しました。
『鳳鳴-中国の記憶』でやりたかったのに踏ん切りがつかなかったので、もう今回は決心しようと思ったんです。
まあ、そのときは自分なりに難しい作品でもある程度やれる、配給としての自信も少しついてもいたので、踏ん切りがついたところもあるんですけどね」
ワン・ビンに初めて会ったのは、その『無言歌』のプロモーションで来日したときだった。
「ちょうど彼が『三姉妹ー雲南の子』の撮影が終わったあとぐらいで、高山病にかかっていて体調を崩してしまって、来日してすぐに病院に連れて行って大変だったんです。
第一印象は思い描いていた通りの人だったというか。『鉄西区』について、お亡くなりになったドキュメンタリー作家の佐藤真監督がかつてコメントを寄せられている。その言葉がわたしはいまだにものすごく好きで、実は『三姉妹ー雲南の子』のときに佐藤監督の奥様にちょっとお願いしまして、パンフレットに引用させていただいたぐらいなんです。
そこにはこう書かれているんです。『王兵(ワン・ビン)のカメラの対象との距離のとり方には、ワイズマンの冷徹さとも小川紳介の親密さとも違う、柔和な透明さがある。それは溢れんばかりの情熱を内に秘めながら、木偶坊の如く微笑んで、小さな小さなデジタルカメラをそっと構えているという感じなのだ』と。
この『木偶坊の如く微笑んで、小さな小さなデジタルカメラをそっと構えている』というのがすごくいいなと思ったんです。『鉄西区』を見たときに、きっとこんな人なんだろうなと会ってもいないのにそう思った。
それでご本人に実際に会ったら、ほんとうにその言葉通りの人でした。物静かだけど、うちにものすごい情熱を秘めている。
あと、彼の手。わたしはワン・ビンの手が好きなんです。最初に彼の手を見たとき、びっくりしました。中国の映画監督というのは全員がそういうわけじゃないですけど、やはりインテリ層が多い。いい家柄でいい大学を出て、海外留学経験があってといった具合に。そういう監督はきれいな手をしている。
でも、ワン・ビンは違う。労働者の手。働いてきた手をしている。この手を見たときは、ほんとうに感動しました。
その手で木偶坊のように微笑みながらカメラを構えているわけです。でも、そのうちには熱いモノを秘めている。
いつもは、木偶坊のように笑ってはいますけれども、『ここぞ』という局面においては、ほんとうに一歩も引かない。自分が映画で何を残していくか、何を撮るかっていうものを追求している。映画に対して、これだけの覚悟をもって向きあっている作家というのはそうはいないと思います」
今回の見放題配信パックでは、『鉄西区 三部作』『鳳鳴―中国の記憶』『無言歌』『三姉妹-雲南の子』『収容病棟 前後編』『苦い銭』のワン・ビン作品が入っている。武井さんから見てのワン・ビン作品の魅力は?
「なかなか言葉では説明しづらいのですが、わたしの中で、見ていて『わー、映画だな』という震える瞬間があるんです。
ワン・ビンは、もう天才的としかいいようのない瞬間をカメラに収めることができる。もう、ワンカット見るだけでわかるんです。『これは、ワン・ビンだ』と。
説明がつかないんですけど、わたしにとっては『映画だ!』という興奮を味わわせてくれるものがいつもある。それがワン・ビンの作品。
以前、蓮實重彦さんが『無言歌』の映画評で、たしか西部劇にたとえたんですよ。それを読んだとき、もしかしたらその感覚がわたしの中にもあるのかなと。
わたしは、ジョン・フォードやハワード・ホークスとかが大好きで、それをずっと見てきたところがあるので、同じような興奮をワン・ビンの作品に感じているような気がします。
あと、いつもひれ伏したくなるのが、ワン・ビンの歴史に向き合う姿勢と、その中でもとりわけ、いわゆる歴史の本や教科書では一切とりあげられることのない市井の人々の声をくみとって、歴史をきちんと描こうとする。その姿勢はやはりものすごく尊敬できるし、いつも感動をさせられるところです。
大金が入ってくるわけではない、こういう映画をよく撮り続けることができているなと思います。最近、ちょっと心配になってきているのは、『三姉妹-雲南の子』の撮影で体調を崩してから、自分が何歳まで、あと何年の間、映画が撮れるのかっていうことをすごく意識しているように感じるんです。
だから、何か自分を加速させているというか。自分が生きているうちに撮りたいと思ったものは、撮り残したくない意識がいまのワン・ビンにはものすごく強くあるような気がしてならない。
最新作の『死霊魂』が出来上がったのも、反右派闘争で右派分子とされ粛清された人々を『無言歌』と『鳳鳴-中国の記憶』で描いて、まだ描き切っていない思いがどこかにあって、つながったと思うんですよね。『これをやらずに自分は絶対に死ねない』といった気持ちが作品に出ている気がする。その生き急ぐ感じをちょっと心配しています」
そういう人間性に触れるにつけ、ワン・ビン作品は公開が難しいとされても配給したくなると明かす。
「『死霊魂』は8月1日から日本公開になるのですが、完成した当初は、配給するつもりはなかったんですよ。だって、8時間を超える作品で、『どうやって公開するんですか?』とふつうは考えるじゃないですか。
だから、最初は見ると危険なので見ないでいたんですけど、昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映されることになって、字幕付きでせっかく見られる機会があるとなったら、見ないわけにいかない。それで、見ちゃったらもうアウトですよ。もう選択肢がやるしかないという作品で(笑)」
自分の映画の概念がすべて吹っ飛ぶような体験
ムヴィオラと深いつながりのある映画作家がもうひとりいる。世界的に知られるタイの映画作家、アピチャッポン・ウィーラセタクンだ。
「アピチャッポンもワン・ビンと同じで、確かアテネ・フランセ文化センターではじめて見たんです。山形国際ドキュメンタリー映画祭の特集上映かなにかで。ちょっと覚えていないんですけど。
2001年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で『真昼の不思議な物体』が上映されて、すごく業界内で話題になっていた。『すごく変わった映画を作る、とんでもない天才がいる』と。
それで、これは見逃せないと思って、アテネに『真昼の不思議な物体』を最初に見に行ったのがアピチャッポン作品との出会い。
これはもう、ほんとうに自分の映画の概念がすべて吹っ飛ぶような体験で。なにか、画面を前にしているだけで、うれしくなってきて興奮してきて、楽しい。もう見た瞬間に虜になっちゃった。
でも、やはりこれも当時は配給できる自信がなくて、見送ったんです。
翌年の2002年に、『ブリスフリー・ユアーズ』が東京フィルメックスで上映されることになって、アピチャッポンが来日したんですけど、そのとき、どなたかに紹介していただいてはじめて彼と話したんです。
そのときの声といい、手のひらの感触といい、その風情といい、作品から受ける印象そのままの人で、さらにアピチャッポンのファンになってしまった(笑)。
ほんとうに最初お会いしたとき、『この人は世界一優しい人なんじゃないか』と思いました。ほんとうに声も表情も柔らかくて、癒されるというか。
まあ、創作になるとアーティストですから、若い頃には現場のスタッフに厳しく当たることもあったと本人は言っているみたいなんですけどね。でも、とにかく人間性がすばらしい。
その後も、『トロピカル・マラディ』や『世紀の光』をみて、もう大興奮していたんです。でも、見続けながらも、ワン・ビンよりアピチャッポンの作品を配給するのはさらに難しいなとも思っていたんです。
どうやって紹介していったら、より多くの人のところへと届くのか全然アイデアが浮かばなかった。どうしたものかという状態がずっと続いていたんです。
それで2010年、『ブンミおじさんの森』がカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に選出されて、『これならいけるかもしれない』と思ったんですけど、シネマライズさんがすでに権利を買ったとお聞きしたので、『うわー、うらやましい』で終わると思っていたんです。
ですが、シネマライズさんに『実はわたし、アピチャッポンが昔から大好きで』とお話をしたら、なんとわたしに配給を任せてくださることになった。
それがアピチャッポン作品の配給の始まりで、『光りの墓』など、その後の作品は自分で買い付けをしています。
ちょっとコロナの影響で動けていないんですけど、今年『真昼の不思議な物体』のリマスターが出ているので権利を手に入れようと思ってたんです。それ以外の作品も、集めて、全部揃えたいなと思っているんですけどね。
ただ、もう作品を伝えづらいんですよ。説明してはいけない映画なので(笑)。でも、ほんとうにアピチャッポンはすごい才能の持ち主だと思います。
アピチャッポンとワン・ビンの作品を配給できている。それで、もうわたしは幸せです(笑顔)」
チャレンジングな作家のチャレンジングな作品ばかり
ワン・ビンとアピチャッポンだけではない。ムヴィオラが配給していなければ日本ではスルーされていただろうと思われる個性際立つ気鋭作家の作品がラインナップには並ぶ。
「われながら、チャレンジングな作家のチャレンジングな作品が並んだなと思います(苦笑)。それがわたしたちムヴィオラの配信パックの1番の特徴ですかね。
ある人にうちのラインアップについて言われたんですよ。『これを配給した会社の人は大金持ちなんじゃないか』って。つまり収益は度外視で紹介したいものを紹介していると(笑)。
まったく逆でキツキツでやっているんですけどね。でも、ほんとうに自分でも呆れるようなラインナップだと思います。ほんとうにどれも日本では興行が難しいという監督ばかりなんですよね。でも、待ってくれている人もいるし、評価してくれる人もいる。ほんとうに『劇場公開してくれてありがたい』と言われることも多々ある。だから、お客さんが入らなくて大赤字になった作品もあるんですけど、反省はありますが悔いはありません」
一番異端だった監督は?
ほんとうに個性際立つ映画作家の名が並ぶが、武井さん自身が会って一番異端だった監督には『ルイ14世の死』のアルベール・セラをあげる。
「彼はもっとも異端な監督で、作品も異端な映画だと思ってます。これは実際に会っても思いました。この人はとんでもない人だと。
詳細は伏せますけど(笑)、呆気にとられる人でした。
ほんとうに自分に自信があって、何も言うことをきかない。自分の創作に貪欲で、自分が撮りたいものを撮っている。プロデューサーにとってはもっともやっかいな作家。『いまだにこういう人がいるんだ』と驚きました。
物分かりが良く、アドバイスに従って、時代に合わせて、マーケットに合う映画を作る。そんな人ばかりじゃつまらない。
アルベール・セラはその対極にいる。誰の言うこともきかないし、自分の創作に圧倒的な自信がある。でも、彼のような存在がやはり世界の映画をおもしろくするし、場合によってはこの世界を豊かにすると思うんですよね」
とりわけおすすめしたい1本にはアラン・ゴミス監督の『わたしは、幸福(フェリシテ)』をあげる。
「アラン・ゴミス監督には絶対に出会ってほしいんです。『わたしは、幸福(フェリシテ)』は、アフリカのコンゴが舞台という時点で、ちょっと日本では縁遠い。しかも、まだアフリカ=貧困や政治腐敗といったステレオタイプでとらえられてしまうところがあるかもしれない。でも、この映画は違うんです。
そもそも、アフリカを描いた作品自体、どこか先入観で固定化したイメージで語られてしまいがちなところがある。ただ、アラン・ゴミスはそういうステレオタイプとは違う。いまのアフリカをいまの劇映画として作っている。いま世界の映画界でアフリカ系の作家が出てきていますけど、中でも、彼の才能は別格のような気がする。ほんとうに見てほしいです」
やろうという決め手は、まず興奮するか
これまで数々の作品を配給してきているが、やろうという決め手はどこにあるのだろう?
「ほかのみなさんがどうしているのかわからないんですけど、通常で考えると、まず日本のマーケットを考えて、こういうものだったら当たるとか考えつつ、その上で感動したものを選ぶような気がするんですね。
わたしの場合は、まずは興奮することが前提。あまりに感動したり興奮したりして、仕事で見てることを忘れてしまう映画。『もうめっちゃめちゃ良かった』って自分でまず言えるもの。なおかつ、マーケット的に日本人、日本のお客さまに見せるときに、これだったら大変かもしれないけど勝負できるかも、という順番で選んでる気がします。
それから、さきほどのワン・ビンの話にもつながるんですけど、わたしはたとえば大金持ちの人がたくさん出てくるような映画よりは、小さな声しか出せない、市井の人々の出てくる映画のほうがどうしても届けたくなる。
社会から疎外されたり、封じられてしまった人の声なき声をちゃんと届けている作品に心が動く。今回のラインナップだったら、ジム・ローチ監督の『オレンジと太陽』や、山形国際ドキュメンタリー映画祭で大賞を受賞したアンナ・ザメツカ監督の『祝福〜オラとニコデムの家』といった作品。弱い立場にいる人の声をきちんと届けようとしている作品には弱いです(笑)」
では、なぜ、こうした極端な(?)、個性的な作家性のある作家の作品に出会うのだろう?
「これはわからない。なぜか出会っちゃうんです」
映画館が再開にはなっているが、厳しい状況は続く。その中で、こう前を向く。
「今回、こういう危機になったとき、もちろん自分たちの生き残りを考えないといけなかった。でも、これは自分たちだけの問題ではなくて、上映してくれる映画館や一緒に仕事をしてくれる人たちにも影響が及ぶ。そして、わたしたちの場合、作り手にもその影響は及ぶ。というのも、自分たちが作品の権利を買うことで、それは製作者にお金が還元されている。
映画祭だけだとどうしても見られる人の数が限られる。配給することで多くの人に見てもらうことで、作家に多くを還元できる。映画祭だけの上映では、作り手も生きていけない。だから、ここでわたしたちが倒れるわけにいかない。
これまで主に洋画を配給する独立系配給会社の多くは黒子に徹したい考えがありました。自分たちが映画を作ってるわけではないので、やはり作り手の監督であり、出ている俳優を前面にだして、日本のみなさんに知ってもらう。そうしないと作品に申し訳ない気持ちが強かった。
だけど、こうなったら、黒子に徹するのではなく、もうちょっと存在を知ってもらおうと。自分たちの中でもどこか黒子に甘えていたところもあったので、ちょっと前に出て作品をアピールしていこうかなと思っています」
<ムヴィオラ見放題配信パック(21作品)>
https://www.uplink.co.jp/cloud/features/2413/
『世紀の光』『光りの墓』アピチャッポン・ウィーラセタクン/『鉄西区 三部作』『鳳鳴ー中国の記憶』『無言歌』『三姉妹ー雲南の子』『収容病棟 前後編』『苦い銭』ワン・ビン/『郊遊<ピクニック>』ツァイ・ミンリャン/『ラサへの歩き方』チャン・ヤン/『草原の河』ソンタルジャ/『すれ違いのダイアリーズ』ニティワット・タラトーン/『祝福〜オラとニコデムの家』アンナ・ザメツカ/『フォンターナ広場〜イタリアの陰謀』マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ/『パプーシャの黒い瞳』ヨアンナ・コス&クシシュトフ・クラウゼ/『オレンジと太陽』ジム・ローチ/『追憶と、踊りながら』ホン・カウ/『もうひとりの息子』ロレーヌ・レヴィ/『ヴィオレット-ある作家の肖像-』マルタン・プロヴォ/『ルイ14世の死』アルベール・セラ/『わたしは、幸福(フェリシテ)』アラン・ゴミス
▽3カ月見放題 2,480円(税込み)▽6カ月見放題は寄付込み5,000円&10,000円
*8月15日まで販売(購入から3ヶ月/6ヶ月の視聴可能)
<ムヴィオラ劇場公開新作>
『ぶあいそうな手紙』
7月 18 日 (土)よりシネスイッチ銀座、 7月 31日(金)よりシネ・リーブル梅田ほか全国順次ロードショー
『死霊魂』
8月1日 (土)よりシアター・イメージフォーラム ほか全国順次ロードショー
※『無言歌』の場面写真は(c)2010 WIL PRODUCTIONS LES FILMS DE L’ETRANGER and ENTRE CHIEN ET LOUP、
『わたしは、幸福(フェリシテ)』の場面写真は(C)ANDOLFI- GRANIT FILMS- CINEKAP- NEED PRODUCTIONS- KATUH STUDIO- SCHORTCUT FILMS