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哀しみと向き合い、大切な人を想う。いま忘れたくない心を描く「パラダイス・ロスト」

水上賢治映画ライター
映画「パラダイス・ロスト」より 

 新型コロナウィルスの感染拡大を受け、映画館が営業停止となったことから上映が中断していた福間健二監督の『パラダイス・ロスト』の再上映が始まった。先に主演女優の和田光沙のインタビューを届けたが本作は、ある種、コロナ禍で新たな意味をもった1作といっていいかもしれない。

 この作品で描かれるひとつの死は未知のウィルスを前にわたしたちの不安に不思議と重なり、それでも前を向く人の心の在り様は、どこか殺伐としたコロナ禍のいま、大切な人の心を届ける

 そこで再上映に際し、あらためて福間監督に話を訊いた。

何年も先のことを周到に計算して生きるのは保守化するだけではないか

 はじめに、ひとりの人として、今回のコロナ禍による世界の変化をこう受けとめたと明かす。

「いちばん感じたのは、この世界に予想もできなかったような変化が起こりうるということ。ひと言で表すれば、驚きました。『何年も先のことを周到に計算して生きる』というのは、人間として『保守化するだけなんだ』という思いをもっていましたが、やはりそうなのだと思いました」

 ひとりのアーティストとして、演劇の舞台公演が中止になったり、映画館が休業になったり、プロスポーツの興行が中止になったり、ライブハウスが営業停止となったりと、こうしたカルチャーの発信がストップしてしまう状況はこうみていたという。

「辛いことだけど、こうなってみると、人と社会が、文化や表現に対して、どう考えているのかが見えてくる。演劇、映画、音楽を、現在進行形で生きているものとして、ほんとうに必要としている人の存在が少数でも、はっきりと見えてくるといいと思いました。そして、ある意味で、それは見えたと思いました」

公開してすぐの上映中止。そのときの心境

 自身の映画『パラダイス・ロスト』も映画館の営業停止で公開間もなくして上映中止に。このときの心境をこう明かす。

「まず、中断の前に、映画館に足を運ぶのをためらう人たちが増えてきた時点で、きびしさを感じました。そうでなくても、最近の世の中、映画館で映画を見ることの楽しさが忘れられがちになっていましたから。

 それから、考えたのは『ほんとうに自分の表現に自信があれば、中断になろうとかならず見てもらえる』と、確信できるのかどうか。自分と表現が試されているとも思いました。

 社会と文化のシステムがそれほど公平にできていない面もあるけど、もともとそんなによく遇されてきたわけではないという思いもあり、妙な期待は抱かないことにして、この時間を足踏みにならないように自分なりに過ごしたいと思いました」

 現実としてはコロナの影響はその前から始まっていた。取材を受けながらも、「劇場にきてください」と言うことがはばかられるなど、苦しい状況がすでに2月から始まっていた。

「自分の作品を映画館で上映してもらう。このせっかくの機会を活かせない。それが先ほど触れた『きびしさ』の要因でもあります。でも、この時期、人と社会が体験していることの全体からすれば、そんなに大きいことではないかもしれない。自分の作品の表現に、少しでも、この『変化』の体験を前にしてもぐらつかないものがあればいいと、大げさに言えば祈るような気持ちがありました

映画「パラダイス・ロスト」より
映画「パラダイス・ロスト」より

 そうした中で、ミニシアターエイドなどのアクションが起こった。

「これは喜ばしいこと。休館状態が長引くなかで、経営の大変になったシアターを助けたいという動きが起こったのは、映画の作り手としてもひとりの映画を愛する人間としても、心を安堵させるものだった気がします」

文化を守るアクションはこの先が大切。映画館はある意味で、不良性が肯定される場所

 ただ、このアクションはこの先が大切と福間監督は語る。

「正直に言って、意外なくらい、ミニシアターを支援しようという声があがり、成果もあったと思います。しかし、これが、実際に人が足を運んで映画館に通うということとつながるかどうか。つながってほしいと願うけど、そんなに簡単じゃないと思います。

 あと、支援の動きが、不必要なまじめさの要求になっていくという心配もわたしの中にはあります一般的に認知される『いいこと』の基準からはずれること、それをよしとしないといけないなと。映画館は、ある意味で『不良性』が肯定されるような場所ですから

 そのミニシアターでの再上映が始まった福間監督の最新作『パラダイス・ロスト』。作品の出発点をこう語る。

「実は、いつも、出発点にテーマはない。それから、作品の全体がひとつのテーマに向かうことでまとまるという感じも、好きではない。

 でも、何も考えていないわけではない。『パラダイス・ロスト』は、身近な人たちの死がつづいたところから発想したのは確かですが、まず、死に対して、ただ悲しむという以上のことがあるべきでは、と考えたかもしれない。

 死の先に地球への愛を考えていることで共通する原民喜と木下夕爾の言葉を思い出したことが、大きかったですね」

 作品は、ある日突然、夫を失った妻の亜矢子が、彼の存在を感じながらも深い哀しみを抱え、そこから「生」を再び取り戻すまでが描かれる。脚本を書き上げた当時から撮影までを、監督自身はこう振り返る。

「身近な人に死なれちゃうと、その人にそこまでに届けたいことを届けていなかった自分のダメさが見えてくる。25年以上前の、友人の作家佐藤泰志の死以来、ずっとそうなんだけど、そこで感じる、自分への悔しさをバネにしてやってきたってことがある

 死者に見つめられながら、生きているってこと。それを忘れないようにしようってことになるけど、脚本の段階よりも撮影と編集の過程でよりつよくそれを意識しましたね」

コロナ禍でより濃い形となって伝わってくる哀しみについて

ここで映し出される突然の哀しみは、このコロナ禍でより濃い形となって、こちらに響いてくるところがある。監督自身はこの哀しみについてこう言葉を寄せる。

「身近な人に『死なれる』ということのつらさ。その一面は、自分がなにかをやり遂げるのを、その亡くなった人に、見せることができなかった悔しさから来ると思う。でも、亡くなった人はどこかで見ていてくれるかもしれない。

 死者を思うというのは、その視線を感じて、自分の生を問いなおすことであり、そこから新たな地平へと踏み出すことではないか。『パラダイス・ロスト』で伝えたかったことのひとつは、そういうことです」

 『パラダイス・ロスト』に限らず、福間監督の作品は、人間が哀しみをうけとめ、そこから生を見出していく。そういったテーマが多い。人間にとっての哀しみや人の生死、生きるということを描き続ける理由は?

「コロナもそうなんですけど、なにか、そんなに怖くない。人間世界には、もっと怖いことがある。その一方で、生きていることほど、すばらしいことはないと思う。

 じゃあ、生きていればいいかっていうと、フランス五月革命のときの落書きで『生きのびることは、生きることじゃない』というのがあった。『生きていればいい』の一歩先に踏み込む言い方ですね。

 物語とか考えていくと、結局、そこに出る。生きていればいいのかってことだけど、自分にとって、というよりも、人間にとって、未知の領域がまだあると思う。そこまで行きたいといつも思うんです」

映画「パラダイス・ロスト」より
映画「パラダイス・ロスト」より

自分という人間を強くする。周囲の人をラクにする「言葉」

 もうひとつ際立つと思えるのが、美しい言葉の数々。詩人でもある福間監督が言葉を大切にしていることが伝わってくる、シンプルだが力強い、セリフだけどセリフ臭くない登場人物たちの交わす言葉もまた印象深い。

「言葉って、センスの問題がある。ゴダールをはじめとして、すぐれた映画作家は言葉のセンスもいいけど、多くの監督が、言葉に対する意識がちゃんとしていないという気もする。

 『どうなったらいいのか』と、考えるよりも、演じる役者さんから自然に出てくるものを活かしたいってことがある。ぼくの考えた言葉だとしても、その人物の言葉になるかどうか。そうなるためには、役者さんの持っている『いいところ』が出るってことが大事。そうじゃないと、言わされている感じになる。極端に言うと、キャラクターが少し変わるくらいでもその『いいところ』を出してもらった方がいい」

 そこではじめて生きた言葉になるという。今回の中での、福間監督の核となる言葉をこう明かす。

「キーワードということでは、和田光沙さん演じる亜矢子の言う『大丈夫じゃないけど、生きていく』あたりかな。泣きながら、でもなにか明るく言ってもらった。『ここはパラダイスじゃないけど、人々はへこたれずに生きている』も、そのヴァリエーションですね」

 この二つのセンテンスは、作品を表しているといっていい。それにしても、今回のコロナ禍は、言葉の大切さや正確さを認識する機会でもあった。コロナで世界中の人々が不安を覚え、誹謗中傷やフェイクニュースも飛び交った。日本でいえば、首相のいうことがもはやすべて嘘にしか聞こえないという状況にもなっている。こうした言葉をめぐる状況について福間監督はこう語る。

「安倍首相や小池知事によって『しっかりと』とか『真摯に』と言った言葉が死語になったのは、以前からのことで、それがいっそう悪化して、この一週間がどうだとかいうのもすべて、言う人間の『保身』のために言われる感じになった。

 医学、科学も、当てずっぽうで対症療法やっているように、結局、弁解しているだけじゃないか、という感じにぼくの目には映る。じゃあ、どうするか。体のことで言えば、感染したとしても、西洋医学にいい加減に振り回されないように、それに頼らないように、重症化しないような体を自分で作っていくしかない。まず、呼吸器と血行、ですね。できるだけいい状態にしておく。

 それと言葉も同じだと思う。正直に、自分のやったことを『やった』と言い、自分の見たことを『見た』と言う。そこからでしょう。自分という人間を強くする。それが同時に周囲の人もラクにしていくという道筋を探したい

 自粛警察とか、ひどいなあと思うわけです。だとして、その反対の態度はなんだろうってことですね。『大丈夫じゃないけど、生きていく』の、『大丈夫じゃない』をどう人と共有していくかってことを考えないといけないと思います」

これからの創作で考えたこと

 今回のコロナ禍で、ひとりの表現者としてはこんなことを考えたと明かす。

「表現の側からすると、少なくとも心ある人には『不要不急』と片付けさせないものを出していけるかどうか? そこを問われていると思いました」

 自身の創作についてはあらためて気を引き締めたという。

「こうなると、とにかく、やりたいことを思い切ってやる、そのための準備をする、という方向がひとつ。もう一方で、それだけでいいのかと思わされました。人と共に生きている共生感を強くしたいということから、ただ単に芸術性を追求するのとは違う方向も考えたいと思いました」

 再上映に際し、こうメッセージを寄せる。

「今回の再上映は、つらさをくぐりぬけた先の『出会い』だという気がする。『生きる、生き抜く』ことの大切さという点で、この(コロナ禍の)公開時期と作品との運命的なつながりを感じています」

いまこそ映画館での映画体験を!

 また、映画館で映画を観ることができる喜びを福間監督はこう表する。

「『映画、何を観る』というのではなく、まず、映画館の闇の中に座ってスクリーンと音に集中するだけで、ワクワクすることなんだと思っていたい。

 映画に行くということ、映画を観るということ、それが楽しい。夕方、街をぶらぶら歩いている延長で、今日は何をやってるかな、という感じで入って、おもしろい作品に当たる。それがいい。

 映画館で観るのでなければ、そうならないでしょう。芸術性、前衛性ありの作品でも、そういう映画館での映画体験の記憶をどこかに忍ばせている。それで見え方が、ちがってくる」

 たしかにそれこそが映画体験であり映画館体験なのかもしれない。最後に、このコロナ後、世界がどういうふうになっていってほしいか訊いた。

 

「ズバリ、経済第一、金儲けと効率優先の社会が、壊れてほしいです。とにかく変化はおこる。それが、この世界、悪い方に向かっていくだけという流れを止められないという『あきらめ』から、そうでもないだろうという『希望』に転じるような変化になってくれたらいいですね」

映画「パラダイス・ロスト」より
映画「パラダイス・ロスト」より

「パラダイス・ロスト」

東京・アップリンク吉祥寺にて公開中。7月3日(金)~京都・出町座、7月4日(土)~大阪・シネ・ヌーヴォ、神戸・元町映画館、8月1日(土)~横浜シネマ ジャック&ベティにて公開。群馬・シネマテークたかさき、鹿児島ガーデンズシネマ、近日公開予定。

『パラダイス・ロスト』公開記念「福間健二監督特集 京阪神三都編」開催。

京都・出町座 6月19日(金)~7月2日(木)

大阪・シネ・ヌーヴォ 6月27日(土)~7月17日(金)

神戸・元町映画館 6月27日(土)~7月3日(金)

福間健二監督特集+『パラダイス・ロスト』 

名古屋・シネマスコーレにて8月8日(土)以降予定

写真はすべて(C)2019 All Rights Reserved. tough mama

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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