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性暴力、虐待とどう向き合うのか?消えない過去の痛みと向き合った彼女たちが教えてくれること

水上賢治映画ライター
『ラ・カチャダ』 マレン・ビニャヨ監督 筆者撮影

 ここ数年において世界の社会的な問題のひとつにあげられるのが、女性に対するセクシャルハラスメントや性的暴力。MeToo運動をきっかけに、ほんとうの意味での実情が表に出て、その被害は想像以上に広範囲に及んでいることが判明しつつある。

 ただ、これだけ世界的問題になってはいるものの、当然ながらすべての国に浸透しているわけではない。女性に対する暴力がまだまだ根深く残り、表に出てこない国もある。旧態依然として無理解な社会のままのところもある。

 そのことをある意味、目の当たりにしたドキュメンタリー映画が<山形国際ドキュメンタリー映画祭2019>で上映された『ラ・カチャダ』だ。

 まだ30代と若いスペイン出身のマレン・ビニャヨ監督が初長編として発表した本作は、エルサルバドルの市場で働き生計を立てているシングルマザーたちに焦点を当てている。

 傍から見ると、彼女たちはエルサルバドルの「肝っ玉かあちゃん」といった風情で逞しさと愛嬌を感じさせる。そんな彼女たちに、これまで誰にも言えなかった過去があることが作品を追うごとにわかっていく。

『ラ・カチャダ』 マレン・ビニャヨ監督 筆者撮影
『ラ・カチャダ』 マレン・ビニャヨ監督 筆者撮影

 まず、なぜスペインからエルサルバドルへと取材に向かったのかをビニャヨ監督はこう明かす。

「2010年のことですが、当時、わたしは大学生。コミュニケーションについて学んでいました。そのとき、卒業制作作品を作ることになったのですが、得た奨学金にひとつ条件がありました。それは、どこかの組織とコラボレーションすること。それでエルサルバドルのNGOと組み、その団体のプロモーションビデオとなるような短編ドキュメンタリーを作ることにしたんです。

 エクアドルでだいたい3カ月ぐらいの期間でしたけど、NGOの女性たちのふだんの生活を追いかけ始めました。何を隠そう、実は、このときが、わたしがドキュメンタリーに出合った最初の瞬間でした。現実をカメラで撮影して、映像に記録するというドキュメンタリー作家という職業を志そうと、このとき決意したのです。

 というのも、エルサルバドルの女性たちの直面している現実というのは、わたしにとっては衝撃でした。ヨーロッパで暮らすわたしの日常とはかけ離れていたのです。当時、わたしは20歳そこそこで学生で、社会的な責任もさほどない、ひとりの若者でしかありませんでした。

 でも、NGOで出会ったエルサルバドルの同世代の女性たちは、すでに子どもを抱えいて、家族を支えていた。ただ、労働環境は決していいとはいえない。イコールで経済状況も悪く、綱渡りのようなギリギリの毎日を送っている。わたしとは比べようのない過酷な人生の真っただ中にいる。

 しかも、そのコミュニティーにはギャングがはびこっていて、直接的ではないにせよ『暴力』に支配されているところがあって、それが生きていく上でプレッシャーになっている。

 このエルサルバドルの女性の置かれた過酷な現実をもっと世界に知らせなければいけないと思いました。そこで、スペインに戻って、ドキュメンタリー映画の勉強を続けたのです」

エルサルバドルの女性たちの過酷な現実を世界に知ってほしい

 こうした下準備を経て、2013年にビニャヨ監督はエルサルバドルに移住する。

「もともとラテンアメリカに興味があって、ほかの国もみてみたいと思い、チリに行きました。でも、5カ月ぐらいいたんですけど、やはりエルサルバドルかなということで移りました」

 こうして、前回のNGOとの短編ドキュメンタリー制作の際、出会った女性たちと再会を果たす。

「今回の作品に登場する女性の何人かは2010年のときに出会っていました。その前にネットで彼女たちが劇団を立ち上げたことも知っていて。そのこと自体にも、ものすごく驚いたんですけど、グループで作った20分ぐらいの短いお芝居をみて、ひじょうに感銘を受けたんです。

 わたしはあまり演劇などをみて、涙を流すタイプではない。ですけど、このお芝居に関しては、はじめから最後まで涙が止まりませんでした

 市場で働いていて、いつも目が虚ろで下ばかりをみて、夢も希望もないような顔をしていた彼女たちが、女優として舞台に立ち、しかも自分たちの苦しい生活について語る。ほんとうに彼女たちの心の叫び声がきこえてきた。そして、舞台で彼女たちはとても輝いていました。

 それで、今度はもっと長い舞台を作ると聞き、しかもテーマが『母親』とのこと。そこでその劇ができるまでのプロセスを追いかけたいと思ったんです」

最初はシングルマザーたちが舞台を作り上げる工程を記録すると思っていたが…

 このような形で、エルサルバドルで物売りをするシングルマザー5人が講師とともに立ち上げた劇団「ラ・カチャダ」への密着が始まる。このとき、ビニャヨ監督は退路を断ったという。

「当初、わたしは広告会社で働いていました。でも、講師からいろいろと話を訊いていたら、稽古でこんなこと、あんなことがあったと、毎日なにかが起きている。これはもうとにかくいま撮影しないとダメなと思って、会社を辞めました(笑)。カメラももってなかったんですけど、古いミニDVをひとつ借りて、とにもかくにも撮影を始めたのです。

 友達にも言われました。『無謀だ。どうやってこれから生活するの』と。パートナーも『えっ!』と、言葉を失っていた。でも、いま『撮らなければ』と、周囲には耳を貸さずにもう動き始めてしまったんです」

 そんな監督を劇団のメンバーは「ようこそ」と受け入れてくれたという。

「彼女たちとはすでに親しくなっていて、友達になっていました。信頼してくれて、撮影することも全然問題なかった。でも、いろいろと整理してカメラを通さずにみたいことがあって、一度だけカメラマンを連れてきてもいいか尋ねたことがありました。そうしたら全員一致で『それは遠慮してほしい』と。

 そのとき、わたしだから心を開いて、ここにいることを許してくれていると実感しました。

 そこからは 稽古の間、隅っこで彼女たちのリハーサルを邪魔しないようにして、存在を消すようにして。その辺にある椅子やテーブルと同じような感じにその場に溶け込むようにしました。すると、彼女たちも全然カメラのことを意識しなくなって、自分たちのあるがままの姿を見せてくれるようになりました」

母親をテーマ、深くほりさげたことで、封印していた過去の虐待、暴力がフラッシュバックで甦る

「母親」をテーマにした舞台作りは、当初は順調にいくかと思われた。演じる5人も自らが母であり、そんな難しいこととは思わず、気軽に構えていたところがあったという。

「母親についての作品を作ろうとなったとき、みんな『それいいね』というぐらい、ノリノリでした。『わたしは母親よ、自分の語ればいいだけじゃない』ぐらいの感じでした」

 ところがリハーサルを繰り返し、自身のアイデアを入れ、よりいい舞台にしようとしたとき、おのずと彼女たちは自分たちの生活、母としての現在の自分自身、自らの母親といったことに向き合うことになる。そうなったとき、予想もしないことに彼女たちの身に起こる。

「母親」というテーマにむきあったとき、彼女たちがこれまで心の中に封印してきた記憶と、内なる声があふれ出てきたのです。

 夫に受けた暴力、幼いころの性的虐待、母の愛をまったく得られなかったこと、性暴力を受けたのに周囲からまったく理解されなかったこと、そういったことがフラッシュバックして彼女たちの記憶に蘇った。そして、かつて自分が受けてひどく傷ついたのに、自分もまた子どもに暴力を振るってしまっていること、子どもを愛しているのにそれをうまく言葉で伝えられないといった自責の念に苛まれる

 芝居を作ることが、彼女たちにとってはこれまでの過去の傷と、これからよりよい未来を築くにはどうしたらいいのか、そして、過去の苦しみを乗り越えるにはどうすべきかという、自身と正面から向き合う時間になったのです」

 これにはビニャヨ監督自身びっくりした明かす。

「わたしは彼女たちが今度はどんなすばらしい芝居を完成させるのか。彼女たちがどのようにして役を獲得して女優として光り輝くのか。その過程を記録するものだとばかり思っていました。

 劇団のメンバーとはもう友人同士になって、いろいろな話はきいていました。いまの生活の苦しさや元夫への愚痴とか。それなりに彼女たちの置かれた状況や苦境は知っていました。

 ただ、彼女たちの過去や、どれほどひどい仕打ちを受けて、大きなトラウマを抱えているかは知りませんでした」

 劇団のメンバー自身、これまでほんとうに誰にも打ち明けてこなかったことだったという。

「彼女たちも、自分の過去について話すのは初めてだったとのこと。いままで誰にもはなせなかった。

 おそらくいままでいろいろと自身を否定されてきたから、話そうにも話せなかったところがあると思います。稽古場は自分のことを安心して話せる場所にもなってことで、ようやく打ち明けることができた。彼女たちを責める人は、あの場には誰もいませんから」

 作品は、彼女たちがつらい過去と真正面から向き合っていく。

「みていただければわかるように、彼女たちはひどい暴力を受けてきている。ある人は、性的虐待、ある人はレイプされた過去がある。そして、みんな10代で妊娠している。

 残念ながら彼女たちだけではなく、ほかにもエルサルバドルでは多くの女性が同じような目にあっている。しかも、そういったことをエルサルバドルではどこか社会全体が許容しているところがある。男性が『たいしたことない』と認識するのはまだしも、女性にも、被害にあった女性に対して『騒ぐことではない』『(被害にあった)女性に非がある』といった考えが根強く残っている。なので、女性に対する不当な暴力の連鎖がまかりとおっている。いわば、女性に対する暴力が社会によって隠蔽されてきた。

 こうした状況下で苦しんできた彼女たちのことを思うと、ほんとうに心が痛みました」

映画『ラ・カチャダ』 (C)Cachada
映画『ラ・カチャダ』 (C)Cachada

負の連鎖を少しでも変えるために

 なので、当初の予想とは大きく変化したが、すぐに作品は彼女たちの物語にするよう切り替えたという。

「そのころは、まだMe Tooのムーブメントはまだ起きていませんでした。その状況ですから、世界が理解するかはわからない。でも、彼女たちの声をなんとか多くの人たちに届けられないかと思いました。

 エルサルバドルは殺人率の高い国でもあって、ギャングの抗争も絶えない。そういった殺人事件はけっこう報道される。でも、彼女たちが日常茶飯事で受けている暴力については、誰も語らないし、誰も知らない

 リサーチしていく中で、エルサルバドルの女性たちで、もちろん社会階級が低くなればなるほど状況は大変になる。でも、低所得層だけではなく、全階層の女性たちが同じような暴力の問題に直面して苦しんでいる。その状況や現実を、わたしの友達やパートナーのジャーナリストはまったく知らなかった。

 変な話ですけど、エルサルバドルではどこか女性への暴力がノーマルのところがある。祖母も母も受けてきているから、娘が受けるのも『普通』になってしまう。

 でも、『ラ・カチャダ』のメンバーは自身と真剣に向き合うことで、自分たちが実は犠牲者だったことに初めて気づく。

 負の連鎖を少しでも変えるために、このことは届けないといけないと思ったんです」

 そうした社会の無理解と闘いながら、メンバーは自身のトラウマと向き合い、乗り越え、自らのアイデンティティーと、ひとつの芝居を完成させていく。

「彼女たちの声を世界に届けたい、彼女たちの助けに少しでもなればと思っていましたけど、わたし自身カメラを回すべきなのか、苦悩の連続でした。もっと彼女たちを追い込むことになってしまったらどうしようとか、話をさせて傷をさらに広げてしまったらどうしようと、怖かったです。

 でも、カメラがいい具合にフィルターになってくれて、なんとか成し遂げることができました。また、彼女たちがむしろわたしを勇気づけてくれました」

 いま、撮影の日々を振り返る。

「彼女たちは、その身の上を嘆いているばかりではなかった。過去を克服して戦うファイターになったと思っています。みんな強いだと思います。

 過去の自分も現在の自分も受け入れて、子どもへの暴力でみんな悩んでいましたけど、いまは良好な関係を築いています。ほんとうにみんなたくましいし、人生の再スタートをきっています」

 その上で、同じような境遇にいる女性たちにこうメッセージを寄せる。

「過去に受けた傷はそう簡単にはいえない。忘れたいと思うし、自分の胸だけにとどめておきたいと思う。でも、苦しいけどきちんと向き合って、心を整理させることが、最終的には自分は悪くない=自己肯定につながるとわたしは思いました。

 そして、大変だと思うのですが、声をあげてほしい。暴力を許さない。なぜか、被害を受けたほうにバッシングがいくことが多々ありますけど、そうした声を掻き消すのもまた、被害者の声なのです。

 勇気ある『ラ・カチャダ』の女優たちの姿を通して、世界が、エクアドルの社会が少しでもいい方向へかわってくれたらと願っています」

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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