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元NEWS23キャスター、佐古忠彦監督、筑紫哲也さんの言葉を胸に沖縄の戦後史を描く

水上賢治映画ライター
佐古忠彦監督 撮影:筆者

 2017年に公開され、大きな反響を得たドキュメンタリー映画『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』と、その前身となる2016年にTBSの報道ドキュメンタリー番組「報道の魂SP」として放送された『米軍(アメリカ)が最も恐れた男~あなたはカメジローを知っていますか』

 この2つの作品は、沖縄ではよく知られながら時代の流れで本土では忘れかけられた瀬長亀次郎という沖縄の政治家に再び光を当て、同時に現在に続く沖縄のさまざまな問題の本質に斬り込んだ。本土には伝わっていない、知られていない沖縄の事実がつまっていた作品といっていい。この2作品で、沖縄で「カメさん」と今も親しまれる瀬長亀次郎という人物をはじめて知り、驚いた人は少なくないはずだ。

 いわば忘れ去られそうだった偉人を掘り起こし、本土からは見えていない沖縄の戦後史を丹念にひも解く地道な作業を試みたのは、1996~2006年まで、報道番組「筑紫哲也NEWS23」でキャスターを務めた佐古忠彦。現在もJNNドキュメンタリー「ザ・フォーカス」のプロデューサーを務め、報道畑を歩み続ける彼に、再び監督に挑み、カメジローと沖縄に向き合った新作ドキュメンタリー映画『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー 不屈の生涯』について訊いた。

沖縄について感じてほしいことを、感じてもらえ、伝わってほしいことが、伝わったかもしれない

 はじめに初の映画監督作となった前作『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』は、大きな反響を呼び、数々の映画賞にも輝いた。この反響をどう受け止めたのか?

「まず、2016年に現在の『JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス』の前身となる番組『報道の魂』で、49分のドキュメンタリー『米軍(アメリカ)が最も恐れた男~あなたはカメジローを知っていますか』として放送したのですが、『こんな人がいたんだ』という声が多く寄せられました。沖縄ではある一定の世代以上の人に知られている存在ですけど、本土では『こんな人物がいたとは』と感じた人が多かった。この反応を見たときに、ひょっとしたら沖縄について感じてほしいことを、感じてもらえ、伝わってほしいことが、伝わったかもしれない。そう思ったんですよね。それがあったから前作の映画につながった気がします」

 その「感じてほしいこと」「伝わってほしいこと」は、作品の出発点、根底にあるテーマにつながっていた。

「私の中に、『歴史を見れば現在がわかる』という意識があって、それを常に頭の隅におきながら、沖縄で取材を重ねてきました。いわば自分の作品において根底に流れるテーマになっている。

 たとえば辺野古の基地建設や高江のヘリパッド建設をめぐるニュースが報じられる度に、沖縄が一方的に反対して抗議活動をしているような、どこか批判めいた受け止め方を本土側の人間の多くはしていないか?

 なぜ、本土ではこのような世論が形成されてしまったのかを考えたとき、やはり沖縄の戦後史という視点がすっぽり抜け落ちているような気がしてならない。

 カメジローさんを通して戦後史を見れば、本土にいる人間にとって沖縄の問題がまったく違って見えるのではないか?  これが作品に取り組むきっかけで出発点でした。カメジローさんの足跡をたどれば、戦後史になにがあったのか、そこからさかのぼって沖縄戦でなにがあったのか。さらに沖縄の戦前になにがあったのか、ひとつの線としてたどれる。しかも、その線は途切れていない。我々が生きている今にしっかりとつながっている。その思いを胸にまとめたのが前作『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』でした。

 そして、沖縄で劇場公開されると、とりわけ高齢者のみなさんから多くいただいたのが『カメさんに会いに来た』という声。この事実は、カメジローさんというひとりの政治家と民衆の距離の近さを物語っている。カメジローは沖縄で生きてきた人々の募る想いを共有していた。沖縄で実際に暮らす人々の生の声を届ける、いわば代弁者だった。その姿勢は、政治スタンスは違っても、昨年亡くなった翁長雄志前知事や、現在の玉城デニー知事にも引き継がれているといっていい。一方で本土の公開で、多かったのは『こんな人がいたのか』『沖縄にはこんな事実があったのか』という声。沖縄の人々の本当の声に触れることで、沖縄の見方が変わったという声を多くいただきました。そういう意味で、自分が沖縄について『感じてほしいこと』『伝わってほしいこと』が届いてくれたのかなと思いました」

(C)TBSテレビ
(C)TBSテレビ

 説明しておくと、瀬長亀次郎は沖縄の政治家。沖縄がまだアメリカの占領下にあったころ、彼は沖縄人民党を組織すると、米軍の統治に対して抵抗運動を展開する。返還前には那覇市長になり、返還後は国会議員となり、国に沖縄の窮状を訴え続けた。前作はそんな亀次郎の政治家としての足跡を中心にしていたが、今回は人間・瀬長亀次郎に焦点を当てている。

「前作公開後、多く寄せられたのが『カメさんのもっと素顔を見たい』という声。そこで彼が残した230冊以上の日記を改めて読み返してみることにしました。前回はどうしてもカメジローさんの政治家としての業績に目がいってしまっていたんですけど、今回は彼の素顔ということで、父として夫としてなどプライベートな面に気を留めて読んだんです。すると、まったく違うカメジローさんの顔が見えてきました。それもこれも、ありとあらゆることをカメジローさんが日記に書いているからなんですけど。それこそ、家族での食事のひとコマとか、東京のデパートに買い物にいったこととか、家族を連れて映画にいったこと、その映画の批評とかまで書いてある。長女が家出をしてあたふたしていることなんかも書いてある。それは私にとっても、新たなカメジローさんの実像の発見でした。なので、今回はそうした家庭人としてのカメジローさんの横顔を伝える一方で、前作では描き切れなかった沖縄の歴史をたどれればと思いました」

 作品を通して強く印象に残るのは、家庭人としても、政治家としても、何事においても相手ときちんと向き合い、対話しようとするカメジローの姿。敵も味方も関係ない、誰に対しても真摯に向き合うカメジローの実直な人間性が見えてくる。

「これだけの活動をしていますから、変な話、家庭を犠牲にしていてもおかしくない。でも、カメジローさんはそんなことはなくて、沖縄にいるときはどんなに遅くなっても家族の待つ家に戻ったそうです。『同じ島にいて家族が別々にいちゃいかんよ』と言って。

 あと、こんなエピソードもあります。あるインタビューで『多くのカメさんファンがいますね』と質問されると、カメジローさんは、こう答えました。『ファンというか友だちだな』と。それぐらい親身になって沖縄の人々の声に耳を傾けて、その市井の人々の立場になって、その声を国に届けようとしていた。『人のために生きた人』という証言が劇中にもありましたけど、まさにそういう人だったんだろうなと思います」

(C)TBSテレビ
(C)TBSテレビ

 「沖縄のほんとうの声を国に届ける」。その姿勢が表れているのが、作品中で重要なシーンとなる佐藤栄作首相との質疑のやりとりだ。時の首相に一歩も引かず、沖縄の窮状を訴える熱のこもった答弁には心を打たれるに違いない。少し話は変わるが、その熱を帯びた質疑は一方で、論戦にもなっていないような現在の国会答弁の虚しさを感じさせる。

沖縄の人々の声を代弁するようなカメジローは追及の手を緩めない。一方、総理も視線をそらさない。カメジローの質問に真摯に答える姿勢を見せている。二人の本気と緊迫感がひしひしと伝わってくる。それに対して、今の国会はどうだろう?これだけの議論がなされているのか。ちょっと考えてしまいますよね」

 そして、カメジローの姿は沖縄の民意を浮かび上がらせる。

「保守も革新もこえたところ。右も左もない。本土の価値観や政治・思想では決してはかれないし、わからない。そこに沖縄の人々の心であり沖縄のたどってきた歴史があることが、カメジローさんを見るとよくわかると思います。沖縄は民主主義をひとつひとつ勝ち取ってきた。対して本土は与えられた、それを当たり前と思っている。そして、現在も民主主義を勝ち取ろうとしているところが沖縄にはある。そのことに私たち本土の人間はもっと気づかないといけないのではないでしょうか」

沖縄に行けば日本が見える。この国の矛盾が沖縄にはいっぱいつまっている

 そもそも佐古監督が沖縄の取材をはじめたのは20年以上前。NEWS23時代より前にさかのぼる。

「1995年に沖縄米兵少女事件が起きました。事件直後、取材には関われなかったのですが、その後に取材する機会があって。これが沖縄と向き合う最初の機会になりました。その翌年に、NEWS23に入るんですけど、筑紫(哲也)さんが復帰前の沖縄特派員だったこともあり、沖縄は番組のひとつのテーマでした。それもあって、先輩たちがそれぞれにテーマを見つけて、沖縄を独自取材していまして。気づいたら自分もそのひとりになっていたんです。

 筑紫さんはよくこんなことを言っていました。『沖縄に行けば日本が見える。この国の矛盾が沖縄にはいっぱいつまっている』と。

現在になってもその通りだなと思います。この国の主権の回復が決まる日に、同時に日米安保条約が結ばれる。これによって、独立国にアメリカの軍隊がずっといつづける根拠ができあがる。そして、それが今も続いているが、その負担の多くをずっと背負っているのが沖縄です」

 最初に取材したのは、まさに日米地位協定に関わることだった。

沖縄で浪人生活を送っていた少年が米兵との交通事故で亡くなったんです。亡くなった少年のお父さんは兵庫県の先生でした。

 沖縄における米兵の特権事項はいろいろとあるんですけど、そこで暮らす生活者の視点で見たとき、納得できないことが多々ある。たとえば米兵の事故は公務中の事故と、公務外の事故で全然対応がかわってくる。まさに、その少年の事故は公務外の事故だったんですけど、賠償金は日本政府が一応要求できる。ただ、協定では、最終的にアメリカ側が妥当かどうか、支払うかも決める。つまり加害者の言い分で決められる。被害者にとっては到底納得できないですよね。しかも、このとき、お父さんは日本サイドから『訴えないでください。弁護士もつけないでください』と言われる。それで、このお父さんは日米地位協定の疑問にぶちあたり、おかしいと思い、被害者の会を立ち上げるんです。

 そのとき、はじめて私自身も日米地位協定について詳しく知って愕然としました。『こんな不条理なものなのか』と。

 日米安保や地位協定の話になると、本土ではイデオロギーの話になりますが、沖縄では、生活の問題でもあるんです

 実は、この取材でカメジローの存在も知ることになる。

「事故で亡くなった息子さんは、お父さんの知人で関西で教師をやっていた人が沖縄の彫刻家になっていて、その弟子になりたいということで沖縄にきていたんです。それが金城さんという方で、彼がカメジローの存在を私に教えてくれた。

 このときの取材はカメジローさんがよく言っていた『この国はアメリカから独立できているのか?』にもつながる。さらには筑紫さんの『沖縄に行けば日本が見える。この国の矛盾が沖縄にはいっぱいつまっている』という言葉にもつながっていく」

 こうして今へと至り、現在はテレビドキュメンタリーのプロデューサーを務める一方で、現場を取材し続け、今回の作品のような監督作品を発表している。

「この年になっても、取材に出て現場に立ってやれているのはありがたいこと。ただ、自分が監督して映画を作るとは想像もしていませんでした。そもそも『カメジロー』は、『米軍が最も恐れた男~あなたはカメジローを知っていますか』を観た職場の先輩が『よくできているなぁ、映画にしたらいいんじゃない』と言ったのがきっかけ。その場では笑い話で終わったんですけど、番組の反響をみて、これもっと広く知ってもらう手立てはないかと始まったんですね。でも、まさか映画館で上映されるとは夢にも思いませんでした」

伝えられなくなっていく危機感は持っています

 ただ、テレビドキュメンタリーをめぐる状況は決していいとは言い難い。東日本大震災にしても、広島、長崎の原爆の日にしても、敗戦の8月15日にしても、その歴史を伝えるドキュメンタリー番組が年を追うごとに減っている気がしてならない。映画もひと昔前に夏といえば、戦争に関する特集上映が必ず組まれ、戦争に関する新作映画が必ずあったもの。しかし、近年はわずか。『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』のような戦争と戦後史を深く洞察したような作品はあまり目にしなくなってきた。

伝えられなくなっていく危機感は持っています。今年で戦後74年ですよね。戦後80年、100年となったとき、どうなっているのかなと。いつか、私たちにとっての日清や日露戦争のような感覚でしかとらえられなくなってしまうのかなと。そう考えている間にも、戦争を語れる人がどんどん少なくなっていく。すごくあせります。沖縄のことを含めて、自分も残された時間でもっともっと取り組んでいかないといけない。沖縄だけでももっと知ってほしいこと、もっと伝えたいことがいっぱいある

 そうした意味でも、今後も定期的な作品の発表が期待される。

昔は、こうした報道のテレビドキュメンタリーが数多く放送されていた。今はちょっと苦しい時代ですけど、あきらめずに作っていきたい。逆に今は映画という機会もあると思って、次の世代につながる作品を届けていけたらと思っています」

 沖縄をめぐる諸問題における、沖縄と本土の人々の間にある温度差。もしかしたら佐古監督は、その差を少しでも縮めて、きちんとした対話がなされる地点にもっていく試みをしているのかもしれない。私たちにはまだまだ知らなければならない「沖縄の事実」がある。

(C)TBSテレビ
(C)TBSテレビ

「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯」

ユーロスペースほか全国順次公開中

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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