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魔法の拳で痛快KOを連発する元K-1世界王者、武居由樹は那須川天心を待ちわびる!?

宮崎正博ボクシングライター/スポーツコラムニスト/編集者
元3階級制覇王者、八重樫東トレーナーのミットを何度も弾き飛ばす(写真:山口裕朗)

 次世代スーパースターの予感がプンプンと匂い立つ。圧倒的な破壊力に震える。武居由樹(大橋)がプロフェッショナルボクシングで戦ったのはたったの4戦。トータル601秒とおよそ10分しかない。その間、観戦者は驚嘆しっ放しである。

 楽に勝ち抜ける対戦者ではなかった。2戦目に対戦した竹田梓(高崎)はそれまで5戦オールKO勝ち。3戦目は大学ボクシングで実績を持つ今村和寛(本田フィットネス)。最新、4月に2ラウンドで失神TKOに追いやった河村真吾(堺春木)は東洋太平洋王座への2度の挑戦経験を持つ。みんな、いとも簡単に打ち倒してきた。

 26歳の元K-1世界チャンピオンは8月26日(東京・後楽園ホール)、東洋太平洋スーパーバンタム級チャンピオン、ペテ・アポリナル(フィリピン)相手に初のタイトルマッチに挑む。

 7月半ば、武居由樹にインタビューした。

凄絶なKOを生み出す魔法の拳

 繰り返すが、武居のボクシングで演じたノックアウト劇は驚きでしかない。右フック、左ストレート、アッパーカット。サウスポースタンスから打ち放たれる一撃で、展開を一気に切り裂いた。一打一打は予測を裏切るものだらけ。右フックはときに飛びつくように。またのときはナックルのひねりを利かしただけ。モーションレスの左ストレートはフォームこそテキストどおりでも、「このタイミングで打つのか」と後になってあらためて息を呑む。アッパーカットも大胆に過ぎる。武居の戦いはまるで魔法をかけたように、勝利の究極の形『KO』を演出していく。

 あらためてキックボクシング時代のダイジェストを見てみたらさらに驚いた。傷ついた対戦相手に襲いかかる姿にはぎらつく野性が幾重にも重なる。ボディブローで痛めつけ、さらにフィニッシュへと無慈悲に追いたてた。

 無慈悲とは倫理上の正義に反するとしても、非日常であるリングの中では最上の美学にもなる。一切の迷いもなく、破壊へと突き進む武居に誰もが熱狂に引きずり込まれた。間違いない。キックボクシングの世界から、ボクシング界は新たなスターの原石をプレゼントされたのだ。

さまよえる少年の魂は格闘技に救われる

 東京の下町、母子家庭に育った。今でも「父親の顔は知りません」と武居は言った。そのシリアスに過ぎる幼年時の履歴、心の変遷を語るには、一見の取材者が求めた1時間ではとても足りない。やたらと深掘りするのも武居に対して失礼に当たるのだろう。ネットやうわさで聞きかじった数々を少々、紹介するのにとどめるのが適切だと思う。ひどく素行の悪い子供だった。母親の財布からくすねた金で遊び歩いた。その額はとても小学生が扱うレベルではなかったという。絶望した母が心中を考えたという。

 母子の救いの声に応えたのがキックボクシングジム『POWER OF DREAM』の古川誠一会長だった。10歳の武居を自宅に引き取り、キックボクシングはもちろん、言葉遣い、礼儀作法からの一切を教え込んだ。

「練習のときはとても厳しかったけど、ふだんはとてもやさしくしてもらいました。古川会長はぼくの命の恩人です」

 格闘技の素質が最初から光ったわけではない。

「始めてわりとすぐに試合に出たのですが、1、2年は勝ちより負けのほうが多かったんです」

 古川会長宅に寄宿する仲間は、第1号の武居を皮切りにどんどん増えてくる。自分の行き場が見つからぬままに家庭の枠組みからはじき出される少年は少なくないのだ。

「みんなと一緒にやっているのが楽しくて。一所懸命というより、やっぱり、みんなとがんばっているという感じでした」

 楽しんで取り組んでいるから自然に上達してくる。中学生になってからは、ほとんど負けなくなった。そして、古川会長の勧めにしたがって都立足立東高校ではボクシング部に入部した。

「古川会長はボクシングが好きですから。大学に進むか、プロになってボクシングを続けてほしかったようです」

 だが、結果には結びつかなかった。

「最終学年のとき、これに勝てばインターハイを狙えるという大会で負けたんです。反則(失格)負けでした。中学時代にムエタイの試合をやっていたんで、ついつい首相撲をやっちゃって」

 首をつかんで振り回すタイ式ボクシングの技で相手を投げ飛ばしてしまった。つまり、当時の武居にとってのボクシングはそこまでのものだった。やがて、仲間がキックボクシングでプロデビュー。「かっけー」(かっこいい)と思った。18歳が目指す最初の目的地はこれで決まった。

世界チャンピオンのまま、新たな可能性にチャレンジする

 2戦目から連敗を喫した。プロのキックボクサーとして悔しいスタートになったが、その後は順調に白星を重ねた。だが、まだまだ本気ではない。

「のらりくらりとやらされていたという感じでした。みんなが遊びながら引っ張ってくれていました」

 気持ちが切り換わるのは老舗団体『全日本キックボクシング連盟』の血を受け継ぐKrushのトーナメントを勝ち切り、初代53キログラム級のチャンピオンになってから。2016年6月、プロデビューから1年半、19歳だった。

「初防衛戦のとき、チャンピオンとして背負う責任の重さを初めて感じました」

 武居の快進撃が始まった。とにかくパンチが凄い。切れがあって、重く、また硬い。蹴り技とのコンビネーションがそれに奔放に融合する。さらに激しい殺気も宿る。一戦ごとに『売れる』ファイターへと育っていった。

 2017年のK-1 WORLD GPに優勝し、世界スーパーバンタム級チャンピオン。2019年のトーナメントも3戦すべてKO勝ちで制した。だが、キックボクサーとしての将来に、だんだんと希望を失っていく。

 きっかけのひとつは2019年11月、井上尚弥(大橋)対ノニト・ドネア(フィリピン)の伝説の激闘を見て「かっけー」と感じたこと。さらにキックボクシングを取り巻く環境に飽き足らなくなった。

「キックボクシングでは日本人同士の戦いしか注目されません。もう日本人選手は倒しきった、もっと世界で戦いたいという気持ちがあって。古川会長に相談したら、ボクシングをやれって言われて」

 新たな挑戦である。高校時代のボクシング部員時代、成績を残せなかったことへのリベンジもある。2020年12月、K-1卒業とプロボクシング転向を発表した。

「負けるわけにはいかない。K-1世界王者のプライドがあります」(写真:山口裕朗)
「負けるわけにはいかない。K-1世界王者のプライドがあります」(写真:山口裕朗)

わずか5戦目で東洋太平洋タイトルに挑戦

 プロボクシングに転向してから1年半。4つの痛快KOを連ねて、一戦ごとに武居の評判は高まっている。

「まだまだだな、という気がします。課題なんていっぱいあります」

 むろん、そのとおりなのだろう。しかし、ボクシングでは正統とは言えない、その不思議のパンチや立ち回りには新技術の使者としての可能性が見える。

「きれいなパンチと言えないですね。でも、キックボクシングで倒してきたパンチです。古川会長から細かく教わってきたパンチです」

 今、この武居を教える3階級制覇世界王者、八重樫東トレーナーも同じことを言った。独特のタイミングや変化球的なパンチングフォームには積極的に手をつけない。

「ぼくの仕事は(武居の戦い方を)ボクシング仕様にしていくことだけですから」

 微調整を繰り返しながら、強いボクサーに仕上げる。ここまではワンパンチで試合を決めることが多かったが、河村戦では角度を違え、顔面、ボディへと意図的に打ち分けながら、着実に追い詰めていった。

「ボクシングとキックボクシングは、ただ足技を使わないというだけではなくて全然違う競技です。毎日、新しい発見があります。ああ、こんなに違うんだなと思ったりしています。パンチのほうも気づかないうちに、八重樫さんからいいふうに直されているのかな」

 その武居に勝負のカードが用意された。1年半のボクシング経験のすべてを尽くして、戦わないと勝てない相手である。

 27歳の東洋太平洋チャンピオン、ペテ・アポリナルは“サンダー”の異名を持つ。本来の右構えからときおりサウスポーにチェンジしながら手堅く守り、ときに強烈な一撃を狙ってくる。とりわけ右のオーバーハンドブローが強い。武居が不用意にも緩慢に動いたり、打ち終わりの素早い動作を忘れたら、危険なパンチを打ち込んでくるはずだ。

「負けられません。どうしても」

 ここで立ち止まるわけにはいかない。先には世界への道、さらに強力なライバルの存在が見える。キックボクシングのスーパースター、那須川天心が間もなくボクシングにやってくる。Krush、K−1としのぎを削り合ったRISEの大看板である。ウェイトクラスもたぶん同じのスーパーバンタム級。もし、ふたりの対戦が実現したら、今やジムメイトとなった井上尚弥の試合に負けないビッグマッチになるに違いない。

「那須川くんに対戦相手として選んでもらえるようなボクサーになりたい」

 子どものころに4度対戦し、武居は3敗1引き分け。だからこそと、この日、何度目かの「負けられません」を口にした。

「キック時代から応援してくれる人もいます。仲間たちに挑み続けている自分の背中も見せたい」

 そして、きらりと目を光らせて言った。

「K-1チャンピオンとしてきているのだから。プライドもあります」

 岩を打つ激しくも清い渓流にもまれながら、決心は決して水底に沈まない。そのほんとうの在り処をチラリと漏らすのだ。

ボクシングライター/スポーツコラムニスト/編集者

山口県出身。少年期からの熱烈なボクシングファン。日本エディタースクールに学んだ後、1984年にベースボール・マガジン社入社、待望のボクシング・マガジン編集部に配属される。1996年にフリーに転じ、ボクシングはもとより、バドミントン、ボウリング、アイスホッケー、柔道などで人物中心の連載を持ったほか、野球、サッカー、格闘技、夏冬のオリンピック競技とさまざまスポーツ・ジャンルで取材、執筆。2005年、嘱託としてボクシング・マガジンに復帰。編集長を経て17年、再びフリーに。

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