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「代表取締役」は「現役女子サッカー選手」。ノルウェー1部リーグ所属、黒崎優香の挑戦

宮下幸恵NY在住フリーライター
現役サッカー選手で代表取締役でもある黒崎優香プロ(写真=黒崎さん提供)

アスリートはその競技だけしていればいい。

そんな考えはもう古い。

現在ノルウェーの1部リーグ「Arna-Bjørnar toppfotball」(アルナ・ビョルナール)に所属する女子プロサッカー選手、黒崎優香は今年1月に株式会社「株式会社ユウカ考務店 」を設立。「現役アスリート」と「代表取締役」の二足のわらじ生活をスタートさせた。

「株式会社ユウカ考務店」の業務の1つに、夢に描いていた海外留学サポート事業をおこなう「YK Sports Agency」がある。

ロゴ=黒崎さん提供
ロゴ=黒崎さん提供

立ち上げた裏には、英語ゼロから始めたアメリカ留学があった。「なでしこリーグではなくアメリカ留学」を選んが道については、以前コラムでも紹介しているのでこちらを。

どうして「現役」ながら「起業家」となったのか。女子サッカー選手としては珍しい二足のわらじについて語ってもらった。

ノルウェーでのプロ生活

アルナ・ビョルナールのØyvind Nordtveit監督(右)と。(写真=黒崎さん提供)
アルナ・ビョルナールのØyvind Nordtveit監督(右)と。(写真=黒崎さん提供)

「男子なら本田圭佑選手や長友佑都選手のように、現役ながら仕事をしている人も多くいるんですけど、女子はまだまだ少ない。アメリカに留学した頃から、将来的にはエージェントのようなこともしたいと思っていたので、偉大なる方の力を借りながら会社を作りました」

現在はノルウェー北部ベルゲンに住み、週に4、5日は練習し週末に試合。ノルウェーの女子プロサッカーリーグの後半戦から加入し、残り4試合を残している。女子サッカーの場合、海外に挑戦したとしても完全プロ契約ができる選手はほんの一握りだというが、「生活に困らないぐらい」の収入は得ている。

チームメイトにはスウェーデンやデンマークなど欧州各地のほか、ニュージーランド、そして日本出身の黒崎さんという国際色豊かな顔ぶれだ。

多くの選手は英語を話すが、チームミーティングやプレー中はほとんどがノルウェー語。「サッカーはゼロコンマ何秒で判断しなきゃいけないスポーツ。練習終わってから英語で話してくれることもいるけど、ほとんどノルウェー語なので勉強しないと」。

新たな環境に馴染み、結果を求められるプロの世界で戦いながらも、練習の合間を縫って「株式会社ユウカ考務店」代表として仕事を進め、パワポ作成にズームミーティングと精力的に動いている。

女子サッカー最高峰のアメリカで成長

東京五輪での女子サッカー日本代表は1次リーグで敗退。苦戦は記録に新しい。一方の欧州女子サッカーは、スウェーデンがカナダとの決勝に挑み銀メダルを獲得し力をつけてきている。

「日本と海外のレベルの差は広がっていると思います。D1(最高峰レベルのディビジョン1)のようにアメリカの大学のトップチームはレベルが高いですが、D1といっても300校以上あるのでレベルは様々です。D1(最高峰レベルであるディビジョン1)の環境でできるっていうのは今後の女子サッカー界にもいい影響をえるはず。そういった意味でも、海外留学という選択肢を知ってもらいたい」

4つ上の兄の影響で4歳でサッカーを始め、女子サッカーの名門・藤枝順心高校に進学。3年時にはキャプテンを任され、全国優勝を達成すると、国内ではなくアメリカ留学をチョイス。1年間、勉強優先の語学学校生活を送り、ケンタッキー大に進学。その後オクラホマ大に編入し、全米大学体育協会(NCAA)のトップレベル、ディビジョン1でプレーした。

女子サッカーの最高峰アメリカ。そして大学トップレベルの環境が、黒崎さんを大きく成長させた。

チームミーティングではブラックライブズマターも議題に

勉強をおろそかにすると試合に出ることができないNCAAのルールに伴い、勉強とサッカーを両立。アメリカ国内でブラックライブズマターが沸き起こった昨年は、試合前の国歌斉唱時に膝をつくことも経験した。

オクラホマ大女子サッカー部では試合前の国歌斉唱で膝をつく経験も(写真=黒崎さん提供)
オクラホマ大女子サッカー部では試合前の国歌斉唱で膝をつく経験も(写真=黒崎さん提供)

「正直にすごい経験だったなと思います。アメリカにいたから、白人の選手、黒人の選手の両方の意見というのを聞けましたし、育った家系やどこの地域出身かなども政治に関係しているということを知りました。

チームとしてどうするのかというのを何度もミーティングしました。しかし、ミーティングをしても意見が1つになるということはなかったです。私たちの場合、最終的には監督が決定権を持っていて、その中で膝をつく、またはつかないどちらにしてもしっかりリスペクトしようという結論になりました。

私もいろんな人の意見を聞いたり、母に相談したりしました。その中で、私はチームにいる黒人の選手をサポートしたいと思い、国歌斉唱で膝をついたんです」

新型コロナウィルスの拡大により大学の授業がオンラインに切り替わり、部活動が休止になると、迷いながらも日本へ一時帰国。

夜中3時に起きてオンライン授業を受けるも、「質問されても答えられないし、英語も出て来なかった。宿題が本当に大変でした」。昼夜逆転する中、自主練習だけは続けていた。

9月に学校が再開すると、部活動も再始動。しかし、2日に1回のPCR検査や監督から「女子サッカー部員以外とはあまり接しないように」というコロナ対策のための厳しい指導もあり、ストレスが溜まる日々が続いた。

アメリカ女子プロサッカーリーグNWSL(National Women’s Soccer Leage)のドラフト対象となる大学最終シーズンだったが、1分8敗。

「最後だから集大成として、やり遂げたいっていう気持ちもありましたけど大学4年間で満足した結果を残すことはできませんでした」

コロナによるシーズン短縮のため、もう1年大学に残りプレーする選択肢もあったが、ちょうどその頃オーストリア1部リーグ「FC Wacker Innsbruck」からオファーが。

「選手としては試合に出たい」とオーストリアでプロデビューを飾った。半年契約を終えると次のシーズンのオファーももらったが、「もっと上のレベルでやりたい」とノルウェーに渡った。

「国によってサッカースタイル違うので、合わせるのが難しいのもあるけど、どれだけ適応できるかだと思う。楽しむことを忘れず、しっかり適応できるように頑張らないと」

留学生だった黒崎さんを受け入れてくれたチームメイトは一生の友達。左から2番目が黒崎さん。(写真=黒崎さん提供)
留学生だった黒崎さんを受け入れてくれたチームメイトは一生の友達。左から2番目が黒崎さん。(写真=黒崎さん提供)

レベルを超えた豊富な選択肢があるアメリカ

ケンタッキー大、オクラホマ大とプレーした黒崎さんの元には、すでに「いい日本人選手知らない?」とアメリカの大学関係者から問い合わせが来ていて、「思った以上に(コンタクトが)多いんです」。

「YK Sports Agency」では、「アメリカ最高峰のD1(ディビジョン1)にサッカーで挑戦したいと思っている学生のサポートもしたいですし、D2やD3、NAIA(National Associstion of Intercollegiate Athletics)でサッカーが1番じゃなくて、勉強しながら頑張りたいという学生がいたら、その子のプランに合わせてサポートしたい」と描いている。

「日本では、サッカーが上手くないとアメリカに行けないと思ってる人が多いけど、そうじゃないんです。確かに上のレベルを求めると実力が必要になりますが、アメリカの大学にもレベルが色々あるし、短大だってある。

選択肢はたくさんあるんです」

アメリカの大学で奨学金を得てスポーツをするのは狭き門だ。それに、「進学されたから全てが保証されるわけでもないし、勉強は大変だし、監督変わったらスカラシップがカットされるかもしれない」厳しい世界でもある。

女子サッカー界の後輩たちへ伝えたい思い

「自分は留学したから視野が広がりました。日本の大学に進学していたら、空いている時間はバイトして飲み会やサッカーだけ頑張っていたかもしれないですね(笑)。

アメリカに来てからは、サッカーで頑張るのは当たり前で、サッカー以外の時に勉強しよう、スポーツビジネスを学ぼうとか、そういうところに興味を持てるようになりました。自分としてはアメリカに行ったことで将来の幅が広がったってことを伝えられると思います。

チャレンジしたことで何か言われることがアメリカではないし、チャレンジ大歓迎。そういう環境にいられたのは大きかった」

オーストリアでのプロ生活中に、米国に戻り撮影した卒業写真。(写真=黒崎さん提供)
オーストリアでのプロ生活中に、米国に戻り撮影した卒業写真。(写真=黒崎さん提供)

英語ゼロからの語学留学から始まり、常に自分で新たな道を切り開いてきた。「人に恵まれたし、運もあった」というが、運が巡って来たのは理由は?

「自分でアクションを起こすことが他の人より多かった。自分で何かしら行動を起こしてるから、運も寄ってきてる」

今後の進路に悩むサッカー女子へ

だからこそ、後輩たちには伝えたい想いがある。

「もちろん、新型コロナウイルスの影響で、今まで当たり前だったことが当たり前ではなくなったり、大変なことが増えたことも理解できます。でも何かしらを理由に挑戦することを諦めている気がするんです。

1歩を踏み出すには、勇気も必要でしょう。でも行動しないと何も変わらない。だから私はチャレンジし続けたい。どんな形であっても、サッカー、サッカー以外でも。今回の会社を設立した理由もそうです。

私は、アメリカの大学という選択肢を日本のサッカー界に広げていきたいし、本気で挑戦したいと思っている学生には、本気でサポートしてあげたい。将来の可能性を広げるのは、その人次第だと思います。でもその道を作ってあげるのは、経験した私たちだからこそできることなのではとも思います。私は私のできることで女子サッカー界に還元していきたいです」

何かを理由に諦めるのは簡単かもしれない。挑戦し続けた先にできた道は、後輩たちの道しるべになる。

NY在住フリーライター

NY在住元スポーツ紙記者。2006年からアメリカを拠点にフリーとして活動。宮里藍らが活躍する米女子ゴルフツアーを中心に取材し、新聞、雑誌など幅広く執筆。2011年第一子をNYで出産後、子供のイヤイヤ期がきっかけでママ向けコーチングの手法を学ぶ。NPO法人マザーズコーチ・ジャパンの認定コーチに。『「ダメ母」の私を変えたHAPPY子育てコーチング』(佐々木のり子、青木理恵著、PHP文庫)の編集を担当。

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