「おかしいものはおかしい」と、ズバリと言う官僚の登場 『社会は変えられる』書評

150回を超える講演で訴えてきたことをこの本にまとめたという(写真:筆者撮影)

経産省という"部外者"の立場から社会保障制度に切り込む

先日、著者の江崎禎英氏の講演を聞く機会があった。見慣れた厚生労働省のデータを用いているのだが、見せ方も視点も内容もまったく違う。細かい数字を交えながら熱を込めて語る江崎氏の話に引き込まれ、90分があっという間に過ぎた。そして、思わず、この本を購入した。

江崎氏は、現役の経済産業省の官僚だ。今、官僚のイメージは極端に悪い。ここ数ヶ月、どこを見て仕事をしているのか、と言いたくなる出来事があまりに多すぎた。だが、そんな残念な気持ちを払拭してくれたのが、著者の江崎氏の講演であり、この本だ。『社会は変えられる』。大きく出たじゃないか、と思うかもしれない。しかし、実は、江崎氏は、経済産業省(当時は通商産業省)の官僚として、官庁オブ官庁の旧大蔵省(今の財務省)に店頭市場改革や外国為替管理法改正などを仕掛け、実現した強者だ。「おかしいものはおかしい」と言わずにいられないタイプらしい。「待ってました」と言いたいところだ。今回も、厚生労働省管轄の社会保障制度に、経済産業省という“部外者”の立場から大胆に切り込んでいく。

こちらは厚生労働省による、見慣れた日本の将来人口推計のグラフ。高齢者が増えているように見える。後ろで示す江崎氏が作成したグラフとの違いを見てほしい(グラフ出典:厚生労働省社会保障審議会年金部会資料)
こちらは厚生労働省による、見慣れた日本の将来人口推計のグラフ。高齢者が増えているように見える。後ろで示す江崎氏が作成したグラフとの違いを見てほしい(グラフ出典:厚生労働省社会保障審議会年金部会資料)

「おかしい」をそのままにしてはならない

人は誰しも、長年の慣習に縛られる。まず既存の制度、方法論に当てはめて考える。やりにくい。おかしい。窮屈だ。そう思っても、「いや、これはそういう制度だから」と、何とかその中で解決しようとする。制度そのものを変える方向にはなかなか進まない。

江崎氏は、それを、太平洋戦争において無謀な作戦で数万人もの死傷者を出した「インパール作戦」になぞらえる。「おかしい」と気付いても、それを正すのは自分の役割ではないと目をつぶる。それによって何万もの犠牲者が出ることになっても、自分は与えられた役割を果たしただけだと、誰も責任をとらない――。

そして、高齢化率27%を超え、超高齢社会となった日本の社会保障制度を前に、また「インパール作戦」が繰り広げられてはいけないと、江崎氏は警鐘を鳴らす。

こちらが江崎氏の作成した「日本の将来人口推計」のグラフ。厚生労働省のグラフとは逆に、下に行くほど年齢が高いグラフに。こうして見ると、高齢者は今後、さして増えないことがよく分かる(グラフ提供:江崎氏)
こちらが江崎氏の作成した「日本の将来人口推計」のグラフ。厚生労働省のグラフとは逆に、下に行くほど年齢が高いグラフに。こうして見ると、高齢者は今後、さして増えないことがよく分かる(グラフ提供:江崎氏)

効かない抗がん剤には薬剤費を支払わないという提案

厚生労働省の「日本の将来人口推計」などのデータを用いながら、まず伝えたのは異なる視点から読み解いた解釈だ。高齢化は対策すべき問題か? 健康長寿を願い、それを実現した社会が高齢化するのは当然のこと。人類が求める理想に近い社会こそが超高齢社会なのだ。ただし、人口が増えていく時代に作った社会保障制度をそのまま維持しようとしているところに無理がある。といっても、制度を維持するためにサービスを切り下げたり、制度そのものを否定したりすればいいわけではない。守るべきものと変えていくべきものを見極め、今の時代に合った制度にしていく必要があることを訴える。

患者にも医師にも「優しい」ために、使い放題でコスト意識が働かない医療保険制度。薬の対価を支払う患者ではなく、処方を決める医師が直接の顧客となっている医薬品業界の特殊性。制度の問題点を指摘すると共に、例えば抗がん剤について、「効かなかった薬には薬剤費を払わない代わりに、効いた薬の薬価を大幅に引き上げてはどうか」など、大胆な改革案を提案する。

バブルに向かう時期に今の社会保障制度は作られた。経済状況も人口構成も違うのだから、何らかの改革が必要なのは明らかだと江崎氏は指摘する(グラフ提供:江崎氏)
バブルに向かう時期に今の社会保障制度は作られた。経済状況も人口構成も違うのだから、何らかの改革が必要なのは明らかだと江崎氏は指摘する(グラフ提供:江崎氏)

人を幸せにする取り組みは必ず理解される

それにしてもなぜ、経済産業省の官僚が、厚生労働省管轄の社会保障制度に介入するのか。

それは、長年のしがらみから、時に身動きが取れなくなる主管官庁との役割分担なのだと、江崎氏はいう。といっても、決して第三者的な気楽な立場から批判や提案をしているわけではない。その本気の思いは、この本の第三章を読めばわかる。第三章には、冒頭に書いた旧大蔵省相手の店頭市場改革や外国為替管理法改正を始め、江崎氏が旧通商産業省や出向先の岐阜県庁などで手がけてきた、容易ではない様々な取り組みの軌跡が記されている。時には叱声を浴び、怒りをぶつけられても、「おかしいものはおかしい」と主張し、江崎氏は人を動かしてきた。

中でも、岐阜県庁出向中、リーマンショックの影響で困窮する日系ブラジル人労働者を、希望通り祖国に帰国させた逸話には胸が詰まる。地元金融機関の協力を得て、無担保無保証で総額1億円もの帰国費用を700人に貸し付けるという、前代未聞の融資を実施したのだ。

リーマンショック後、仕事を失った日系ブラジル人は一部屋に20人で住むなど、困窮度が高かった。*写真の人物とは関係ありません。(写真:フリー素材)
リーマンショック後、仕事を失った日系ブラジル人は一部屋に20人で住むなど、困窮度が高かった。*写真の人物とは関係ありません。(写真:フリー素材)

解決すべきことは何か、問題の本質はどこにあるかを見極めて、新たな考え方、方法論を導き出す。そして実践する。いかにその道が険しくても、諦めない。人を幸せにするための取り組みは、必ず理解され、人を動かすはずだという揺るぎない思いが、江崎氏にはあるのだろう。

これまでも“部外者”の立場から、実現不可能と言われた改革を実践してきた江崎氏。今回、現役の官僚として、公に、現行の制度の問題点を痛烈に指摘するには、相当の覚悟が必要だったはずだ。その覚悟をした江崎氏が、『社会は変えられる』という。その言葉を、信じてみたくなった。

●江崎禎英著 『社会は変えられる 世界が憧れる日本へ』 国書刊行会 本体1800円+税 

http://www.kokusho.co.jp/np/isbn/9784336062789/