貴方は貴方のままです、車椅子生活になっても ~ 猪狩ともかさんに捧ぐ

障害は不幸ではありませんが、不便を生み出すのは確かです。(写真:アフロ)

不慮の事故による脊椎損傷で下半身不随となったタレントの猪狩ともかさんが、本日、ブログで状況と現在の心境を明らかにされました。

猪狩ともかオフィシャルブログ「いがとも夢の奮闘記」:大切な皆さまへ

現在の猪狩さんは下肢を自分の意思で動かせず、今後は車椅子生活になりそうだということです。

本記事では、元気なスポーツ中年だった42歳のときに中途障害者となって車椅子生活を送ることになった“ちょっと先輩”の立場から猪狩さんにエールを送ります。

周囲の方々は、何をどう理解し配慮すればよいのか、ヒントを得ていただければ幸いです。

大丈夫、何も諦めなくていい

ブログで気丈に「希望の光になりたい」と語っておられる猪狩さん。

大丈夫です。

中途障害者になったために諦めなくてはならないことは、非常に少ないのです。

猪狩さんご自身がしなくてはならないことは、基本的に、事故の前と大きく変わっているわけではないであろう頭脳と感覚と上半身の運動能力を使って、下肢が動かせないという新しい事態に適応することだけです。

ただし、日本社会の中で障害者というマイノリティとして生きること、少なくとも当面は車椅子という見た目を「選ばない」という選択肢がなくなること、およびそれらが引き起こす問題は、個人で解決出来る問題ではありません。社会の問題です。

障害者自身の考え方や頑張りで解決できることは、もちろんあります。

でも、環境や社会が変わらない限り、その障害者はいつか消耗して潰れます。運が良ければ、「消耗して潰れたときには後期高齢者だったので、健常者と大差ない生涯だったかも」ということになるかもしれませんが。

だから、環境や社会は変わる必要があります。これは障害者の課題であるとともに、今のところは障害者でもマイノリティでもない方々すべての課題でもあります。

白と黒で描かれた絵から黒を消してしまうと、絵そのものが消失します。「白が問題」とも「黒が問題」とも言えないのです。

日本社会は、障害者に代表されるマイノリティとの共生が進んでいるようで、実はそうでもありません。相模原の障害者殺傷事件や優生手術などの事件が起こるたびに、そのことが思い出され、そして簡単に忘れられます。

日本社会のこのような課題は、現在26歳の猪狩さんや現在54歳の私が生きている間に解決することはないでしょう。

障害者と障害者ではない人々の間の平等、すなわち、すべての人の平等は、どこかに設定されているゴールではなく、永遠に追求されるべきプロセスなのです。

まずは国連障害者権利条約を

もしよろしければ、国連障害者権利条約を読んでみてください。日本は2014年、この条約を締結しています。締結に先立って国内法も整備しています。この条約は、日本の障害者に関するバックボーンなのです。

ただし政府公定訳より、明快で原文の意味を正確に反映していると思われる「障害のある人の権利に関する条約」 川島聡=長瀬修 仮訳(2008年5月30日付)をお勧めします。藤井克徳さんによる絵本もあります。

ここでは、初心者マーク障害者として頭に入れておいていただきたい部分を紹介します。

・障害者になったからといって、何も失わなくていい

すべての者はいかなる区別もなしに同宣言及び同規約に掲げるすべての権利及び自由を享有することができることを宣明し及び合意した

(「障害のある人の権利に関する条約」 川島聡=長瀬修 仮訳(2008年5月30日付)前文(b))

・障害者になる前と同じように、貴方は貴方

すべての人権及び基本的自由の普遍性、不可分性、相互依存性及び相互関連性、並びに障害のある人に対してすべての人権及び基本的自由の差別のない完全な享有を保障する必要性

(「障害のある人の権利に関する条約」 川島聡=長瀬修 仮訳(2008年5月30日付)前文(c))

・障害を生み出す社会を変えることは、永遠の課題

障害者が個人として「障害」を持っているのではありません。障害を障壁にしてしまう社会だから、障害者が「障害」に直面するのです。

障害のある人・ない人・考え方・振る舞い・環境の複雑な相互作用を続けながら、何が障壁であるのかを可視化し、障壁を根気強く減らしていくことが求められます。それは、ゴールのない永遠のプロセスです。

障害〔ディスアビリティ〕が形成途上にある〔徐々に発展している〕概念であること、また、障害が機能障害〔インペアメント〕のある人と態度及び環境に関する障壁との相互作用であって、機能障害のある人が他の者との平等を基礎として社会に完全かつ効果的に参加することを妨げるものから生ずる

(「障害のある人の権利に関する条約」 川島聡=長瀬修 仮訳(2008年5月30日付)前文(e))

・車椅子が必要なことは「障害」じゃない!?

前項で引用したくだりには、「障害(disability)」と「機能障害(impairment)」の2つの用語が使われています。異なる用語を充てるのは、内容が異なるからです。

猪狩さんの下肢障害は「機能障害」です。

車椅子がなければどこにも行けません。車椅子があっても、段差に行く手を阻まれて行けない場所があるかもしれません。

目の前にケーキ屋さんがあって、美味しそうなケーキが見えるのに、お店の入り口が3段の階段になっていて入れなかったら、「ケーキ屋さんに入ってケーキを見比べて、あれこれ迷いながら選ぶことを楽しむ」ということが出来ません。

3段の階段があれば、たとえば60cmを一気に飛び上がることができない人でも、お店に入れます。運動能力が優れているわけではない健常者は、すでに階段によって“配慮”してもらっているのです。でも階段は、車椅子族にとって充分な“配慮”ではありません。このことが、お店に入ることが出来ないという「障害」を生み出します。

「機能障害」は「障害」につながりますが、「障害」をなくすことで「機能障害」が問題にならない状況を生み出すことはできます。

そしてそれは、個人ではどうにもできない社会の課題です。

社会の課題として取り組むための方法は、数多くあります。障害者運動は、その一つです。いつか、猪狩さんの性にあう方法が見つかり、楽しく取り組めますように(車椅子生活が続けば、必然的にそうなるでしょう)。

・貴方は貴方のままです、大事なことですから二度言います

猪狩さんが「障害者になったから」「障害者福祉を利用する立場になったから」といった理由で、それまでと違う何かを強制されたり、それまで自然にしてきたことを諦めさせられたりすることは、あってはなりません。

障害のあるすべての人は、他の者との平等を基礎として、その身体的及び精神的なインテグリティ〔不可侵性〕を尊重される権利を有する。

(「障害のある人の権利に関する条約」 川島聡=長瀬修 仮訳(2008年5月30日付)第17条)

猪狩さんが猪狩さんであることは、誰も奪えない

若く健康そのものの猪狩さんを襲った不慮の事故、そして事故によって奪われた下肢の運動能力は、他ならぬご本人にとって、大きな打撃であろうと拝察します。

でも事故と脊椎損傷が猪狩さんから奪ったものは、下肢の運動能力です(おそらく下肢だけではなく、損傷部位より下の内蔵の数々にも影響は及んでいるはずですが)。

その事故と脊椎損傷は、猪狩さんを猪狩さんでなくするわけではありません。

猪狩さんが事故の直前まで考えていた近未来や将来のプラン・好きなこと・やりたいこと・嫌いなもの・苦手なもの・長所・欠点・体験・経験・その他もろもろ、猪狩さんを猪狩さんにしてきた全てが、今もそのままであるはずです。

現在の身体の状況に応じた方法の修正や、環境が整うまでの延期なら、余儀なくされるかもしれません。

でも、諦めなくてはならないものごとは、ありません。

諦めなくてはならないとしたら、それは「社会が障害を生み出している」ということです。

どうぞ、これからも貴方のままで

猪狩さんは今、ご自分に訪れた新しい状況に、まずは慣れる必要があるでしょう。そのために病院のリハビリがあります。車椅子は愉快で面白い乗り物ですが、安全に乗りこなせるようになるためには、一定の訓練が必要です。また、ベッドなどへの「移乗」といった新しい動作の数々も、習得する必要があるでしょう。

退院して日常生活や社会生活の場に戻ったら、身体障害と車椅子がもたらした新しい状況に、驚いたり喜んだり悲しんだり悔しがったりする日々が始まることでしょう。

そして、いつかは職業生活にも復帰されることでしょう。

ブログに語られていた芸能活動への復帰を、私は自然なことと受け止めました。職業人が負傷して、治療ののちに職業に戻ることは、当たり前じゃないですか。

海外で同業者が集まる大会のとき、しばしばダンスパーティーが開催されます。もともと舞踏が「下手の横好き」だった私は、車椅子をウィリーさせて左右に振ったり、上半身や腕の使えるところを使ったりして、仲間とのダンスを楽しんでいます。障害者になったからといって踊らなくなるという選択肢については、考えたことがありません。

プロの猪狩さんが、もしも車椅子でステージ活動を再開されたら、どんな素晴らしいパフォーマンスが見られることでしょうか。楽しみです。

とはいえ、日本で公的に「障害者」として扱われることは、なくては生きていけない障害者福祉などと共に、さまざまな制約をもたらすものでもあります。惨めであることを求められたり、逆に立派であることを求められたり、嘆き悲しむことを期待されたり、逆に「障害の受容」を求められたり。

周囲の期待に応えてみたいと思ったら応え、イヤだと思ったら抵抗し、先入観に反発したり、逆にその先入観を利用したり、健常者の前で大きな声で言うわけにはいかない小さな試行錯誤も、続いていくことでしょう。

障害者になった以上は避けられないアレコレを猪狩さんが受け止め、いつか「これはこれで楽しい」と心から思える日が訪れることを、車椅子歴14年目のセンパイとして確信し、まずは順調な経過を祈ります。