そのとき「最低限度」とは?~災害と生活保護

陸前高田の一本松は枯れてしまいましたが、地域は少しずつ復興へ。(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

 災害は、いつ、誰をどのように襲うか予測できません。

 生活基盤もインフラもズタズタになったとき、生活保護には何が出来るのでしょうか?

 私たちは、どのように生活を再建できるのでしょうか?

「災害があれば生活保護が増える」とは限らない

 災害は生活基盤を奪い、場合によっては職業も奪います。生活保護の対象となるための条件は、ほぼ「何もかも失う」ことですから、災害後には生活保護の申請・利用が増えそうです。しかし実際にはそれほど増えず、少なくとも直後には減少することも多いのです。

 背景には、災害後のさまざまな事情があります。

福祉事務所やケースワーカーが被災している場合も

 東日本大震災の激甚被災地のうち数ヵ所では、役所・役場が甚大な被害を受け、「生活保護業務に必要な書類がない」「震災で亡くなったケースワーカーがおり業務が追い付かない」という状況もありました。生活保護への潜在的なニーズがあったけれども把握できなかったのかもしれません。あるいはニーズが実質的になかったので、把握できないことが結果として問題にならなかったのかもしれません。

 いずれにしても、生身の人間が行っている業務である以上、そういうことは起こりうると考えておく必要があるでしょう。

地域を離れられる人は離れてしまう場合も

 ギリギリの状況で暮らしていた単身高齢者、あるいは高齢者夫妻が、被災をきっかけに遠隔地の血縁者のもとに身を寄せることもあります。その高齢者たちが生活保護で暮らしていたのであれば、その地域の生活保護世帯は減ります。

避難所暮らしで、現金の使いようがない場合も

 同じく東日本大震災の激甚被災地では、商店・金融機関を含めて市街が機能を失っていたこともありました。このような場面では、現金があっても使いようがない場合もあります。

 「現金がなくて暮らせない」という問題が浮上するのは、場合によっては発災から数か月後、現金を使う可能性と必要性が浮上するところまで地域の回復が進んでからでしょう。新たに生活保護の必要性がクローズアップされる場合もありますが、補償金・義援金等が先立って支給されていると、表面化しにくいのです。

 しかしながら、「手元に150万円あるけれども、生活復旧に145万円は必要。今後1ヵ月間、生活のために使える金額は5万円。だけど、自分の世帯の保護基準(生活扶助)は10万円」というケースでは、生活保護の対象となりえます。考え方と手続きは、後の「補償金を受け取ったら生活保護打ち切り」というわけではない、ただし自立更生計画書の提出はお忘れなく」節と同様です。

月々の補償金等があるため、生活保護の対象にならない場合も

 充分な金額の補償金等が、長期にわたって毎月あるいは年に数回給付され、月額が生活保護基準を上回る場合は、生活保護の対象となりません。生活保護基準以上の収入が毎月ある場合と同じく、「それで生活できる」とみなされ、生活保護の受給資格がないことになります。もともと生活保護で暮らしていた方が、このような補償金等で生活保護脱却となる場合もあります。

 ただし、毎月必要な経費を差し引くと生活保護以下になるのであれば、生活保護の対象となります。たとえば、治療の必要な持病があり、家賃と医療費を支払ったら生活保護基準(生活扶助費)以下になるのなら、生活保護の対象となりえます。生活保護の医療扶助だけを利用するという方法(医療単給)もあります。「医療だけ生活保護」という方法は、災害時に限られるものではありません。無料低額診療とともに、「持病があるけれど、医療が受けられない」というワーキング・プアの方々に広く知られて使われてほしいものです。

「補償金を受け取ったら生活保護打ち切り」というわけではない、ただし自立更生計画書の提出はお忘れなく

 原則として、もともと生活保護で暮らしていた方が災害時に義援金等を受け取ったことを理由として、生活保護を打ち切られることはありません。そのお金で可能になるのは、生活保護以上の暮らしではないからです。

 生活保護が可能にする暮らしは、「健康で文化的」な生活といえる最低限度。これを実現できる金額として、生活保護基準が定められています。実際に「健康で文化的」な生活が可能だったことがあるかどうかは微妙ですが、ともあれ、生活保護基準以下にはならないけれども、以上にもなれないのが生活保護の暮らしです。それ以上の収入があったら、原則、収入認定(召し上げ)されます。

 しかし災害時の補償金・義援金等は、収入認定の対象としない取り扱いが認められています。賃貸物件に住んでいれば、基本、建物のケアをするのは貸主です。しかし、壊れた家具や電気製品などの買い替えは自分で行う必要があります。また、その建物やその地域に住み続けられない場合には、新しい住居の初期費用や引っ越し費用が必要になります。それらの費用は、月々の生活費と別に突発的に必要になるため、生活費である生活保護費(生活扶助)と別に確保することができます。

具体的には、補償金・義援金等の収入を申告するとともに、「自立更生計画書」という書類を作成して提出します。今後必要な金額がまだ明確になっていない場合は、「このような用途に、概ね〇万円」というざっくりした記述でかまいません。

宮城県登米市の自立更生計画書フォーマット。この内容が記載してあればよい。
宮城県登米市の自立更生計画書フォーマット。この内容が記載してあればよい。

「生活保護しかない」という人々が増える時期は?

 災害の内容と規模、支給された補償金・義援金の金額などにもよりますが、「生活保護しかない」という方々が増え始めるのは、半年後~5年後、場合によってはさらに後になる可能性があります。ニュースになりにくくなる時期、あるいは、そろそろ忘れられかけがちになる時期です。

 東日本大震災では、同じ県の中にも被災の内容と程度に大きな差が生まれました。甚大な被害を受け、復興に時間がかかっている地域では、生活保護へのニーズの増加は、むしろ今後が本番です。

 まさに、生活保護は「最後のセーフティネット」です。関心を向けられなくなり、多くの人々にとって記憶の中の生々しい出来事でなくなり、関心とともに資金も寄せられにくくなった後、世の中に思い出されなくなった人々を最後に救うことができる制度は、生活保護しかないのです。

災害が社会的弱者に及ぼす最も深刻な問題とは?

 災害は、「多数の被災者がいるから生活保護のニーズが増える」といった分かりやすい形で、社会保障の必要性を浮かび上がらせるとは限りません。しかし、災害が社会的弱者をさらに苦しめるものであることは、間違いありません。

 このうち最も深刻な影響は、住宅難でしょう。

社会的弱者は、災害でさらなる住まい弱者に

 もともと生活保護で暮らしていた人々を含め、低所得層や社会的弱者が、十分な災害対策がされた堅牢な住宅に住んでいることは多くありません。もともと条件が悪く立場の弱い人々が、災害時に大きな被害を受けやすい住宅に住んでいるとすれば、その人々が真っ先に住まいを失うのは当然です。

 そして、新しい住まい探しにあたって最も立ち遅れがちなのは、その人々です。住める状態の住まいは探しにくくなり、場合によっては家賃が高騰し、探すことも初期費用を払うことも難しいとなると、最も住まいを見つけにくい人々が、長期にわたって避難所に取り残され、生活再建のスタートにあたっても出遅れることになります。

大家さんたちも挑戦を続けている

 賃貸住宅経営者の団体である「ちんたい協会」は、全国41都道府県との間に、災害時の住宅提供に関する協定を結んでいます。日常的に社会的弱者の近くにいる大家さんたちは、日常的な支援の最も優れた担い手となる可能性があります。それが「可能性」で終わっているわけではないことは、このような活動からも見てとれます。あまりにも身近でリアルだからこそ、死亡リスクや夜逃げリスクに対するリアルな怖れから「お年寄りはちょっと」「生活保護の方はちょっと」ともなりがちなのですが、中には、熱意と向上心と知識を持った地域の柱となろうとする方もいます。このような大家さんたちの団体が着実な活動を積み重ねている地域では、災害時の住宅事情は、いくらか良好なものになることが期待できます。

 拙記事で恐縮ですが、「ちんたい協会」が現在のような活動を行っている事情にご関心ある方は、下記の記事をご参照ください。そこには、阪神淡路大震災に始まる、大河ドラマに匹敵するほどドラマティックな人物群像ストーリーがあります。

熊本地震で賃貸住宅が不足、大家さんも被災者という現実

7年目の今日この日に

 阪神淡路大震災を経験した精神科医の中井久夫氏は、災害をプリズムに例えています。災害は、有利な人をさらに有利に、不利な人をさらに不利に、柔軟な人をさらに柔軟に、頑固な人をさらに頑固にするものです。

 個人への影響だけではなく、社会に与える影響もまた、プリズム的なのではないでしょうか。災害のもとで、同調圧力の強い社会はさらに粘度を高め、分断されやすい社会はさらに分断されていくのではないでしょうか。その中で、「社会的弱者だけが被災するわけではない」ということを念頭に置き続けるのは、容易なことではないのだろうと思います。

 しかし、誰もが何らかの被災をしている可能性、誰もが何らかの傷を抱えている可能性に思いをめぐらせることは、やがて「情けは人のためならず」、自分を含めてすべての人々、自分の生きる社会に還ってくるのではないでしょうか。

 東日本大震災から満7年となる今日は、2011年のあの日よりも大きくなった格差と激しくなった分断の中で、まだ再起のスタートにも立てていない地域と人々を、静かに思い浮かべようと思います。