寝屋川監禁事件 ~ 無力すぎる社会は、彼女に何が出来たのか?

せめて、忘れずにいたいです。(ペイレスイメージズ/アフロ)

 2017年末、大阪府寝屋川市の民家で、衰弱死していた33歳の女性が発見されました。

 精神疾患を患っていたとされる女性・Aさんは、15年以上にわたって家族の住む家の敷地内に監禁されていました。

 何があれば、最悪の結末を防げたのでしょうか?

事件の経緯は?

 最初に、メディア報道から事件の経緯をまとめます。人名はイニシャルで示します。

1985年

Aさん、父親Kさん(55)・母親Yさん(53)の長女として出生。父親はガラス工場に勤務する会社員。母親はAさんの小学校時代は地域の子供会などに積極的に参加(報道1)。

1995年

Aさん(小5)、両親・次女とともに大阪府寝屋川市に転居。運動会で創作ダンスを披露。母親に見てほしかった(母親が見に来たかどうかは不明)(報道1)。当時の同級生はしばしば、Aさんの全身の叩かれたようなアザや、着ていた衣服が破れているのを目撃していた。Aさん自身は「犬にかまれた」と語っていた。同級生らは虐待や体罰を疑っていた(報道2)。

1997年

Aさん(小6)、不登校に。担任教員は同級生に「事情がある」と説明(報道1)、さらに「そっとしておいて」と語ったという(報道2)。

1997年~2000年

Aさん(中1~中3)、中学校に登校せず。一家が外出する姿が近所から目撃されなくなる(報道1)。以後、一家は地域と関わらずに暮らしていた様子である(報道6)。

2001年

Aさん(16歳)、統合失調症と診断される(報道1)(報道3)。

2002年ごろ

両親、Aさんが暴れるため(報道1)(報道3)、子ども部屋として作られていた(報道3)プレハブ小屋を改修して「療養させ」た(報道4)。小屋は約2畳、生活スペースは約1畳。両親は「周囲に知られたくなかった」という(報道1)。逮捕後、両親が「精神疾患を患い、暴れるようになったので16~17歳ごろから自宅内の間仕切りした2畳間に監禁していた」「勝手に外に出ると危険なので、室内で療養させていた」と供述した(報道6)。両親、簡易トイレや二重扉、監視カメラを設置して監禁を始める(報道3)。部屋には窓はなく、内側からは開けられなかった。布団はあった(報道4)。

2005年~2017年?

Aさんは障害年金を受給していた可能性があるが、寝屋川市の障害者福祉は利用していなかった(報道5)。障害者手帳(精神保健福祉手帳)は申請しておらず、手帳取得が前提となる障害者福祉サービスは利用していなかった(報道6)。

2010年~2017年?

両親、Aさんが暑がって服を脱ぐため、季節を問わず全裸で生活させていたという(報道1)。

2017年1月ごろ

両親、Aさんの食事を1日2食から1食に減らす(報道3)。

2017年12月18日ごろ

Aさん、栄養失調状態で凍死する(報道3)。発見時の身長は145cm、体重は19kgだった(報道4)。

参照した記事

(報道1)朝日新聞「お母さんにダンス見てほしい…衰弱死の女性、小5の文集」2018年1月2日21時11分

(報道2)産経WEST「【寝屋川監禁】小学校時代、体にあざ…同級生「本当にむごい」」2018年1月2日19時32分

(報道3)毎日新聞「寝屋川監禁死 両親を監禁容疑で再逮捕「数年前から裸に」2018年1月2日 20時45分(最終更新 1月2日 22時49分)

(報道4)毎日新聞「寝屋川死体遺棄 監禁、カメラで内部確認 機器介し会話」2017年12月26日 15時00分(最終更新 12月26日 17時39分)

(報道5)【寝屋川監禁】産経WEST「「隔絶空間」で何が…突如消息を絶った真面目な小6少女」2017年12月30日 08時05分

(報道6)毎日新聞「寝屋川死体遺棄 障害者手帳の申請なく 監禁の33歳長女」2017年12月27日 06時45分(最終更新 12月27日 08時18分)

療養目的でも監禁は違法

 まず最初に指摘しておきたいのは、「どういう善意や目的があろうが、監禁は違法」ということです。当たり前すぎますか?

 精神障害者を自宅に監禁しておくこと(私宅監置)は、1950年、精神衛生法が成立するまで合法でした。その後は1965年まで「精神科病院ではないどこか」に閉じ込めておくことが許されていました。1965年以後、精神障害者を閉じ込めておくことが可能な場所は、ほぼ、精神科病院と刑務所のみとなり、現在に至ります。これらの事情をさらに詳しく知りたい方は、「精神障害者は20世紀をどう生きたか」(秋元波留夫氏)「私宅監置と拘束具」(日本精神神経学会)をご参照ください。

 ともあれ、精神障害者の家族を家の中に閉じ込めておくことが日本のジョーシキだった時期は、それほど遠い昔ではありません。

核心は「なぜ監禁したのか?」

 Aさんが2002年に監禁されたところから2017年に亡くなるまでの成り行きは、たとえば「地震で監禁小屋とAさんの存在が明らかになる」といった偶然の力が働かなければ、避けられなかった可能性が高いかもしれません。

 そもそも、どのような精神障害があろうが、監禁そのものが問題であり、さらに違法です。したがって「なぜ、監禁に至ったのか」が核心です。両親が語ったという内容を全面的に信用すると、理由は「Aさんが精神疾患に罹患したため、やむにやまれず監禁した」です。Aさんが受けた仕打ちの残酷さを思うと、とても「しかたない」などとは言えませんが、ありうる話です。

Aさんは、本当に統合失調症だったのか?

 しかしながら報道によると、16歳だったAさんが統合失調症と診断された2001年より5年以上前、Aさんが小学生だった1995年には既に、両親のどちらかまたは両方による虐待の可能性が疑われていました。

 これを考慮すると、Aさんが患っていたとされる精神疾患には、

  1. 統合失調症そのもの
  2. 虐待と監禁によるトラウマ障害
  3. 虐待へ抵抗する言動や監禁による影響が統合失調症患者と類似

の、少なくとも3通りの可能性が考えられます。そしてこの3つの可能性は、症状や状態だけから識別できるとは限りません。

現在使用されている診断基準「DSM-V」で統合失調症の症状とされているのは「妄想」「幻覚」「まとまりのない発語(例:頻繁な脱線または滅裂)」「ひどくまとまりのない、または緊張病性の行動」「陰性症状(すなわち感情の平板化、意欲欠如)」です。Aさんの精神症状であったとされる「暴れる」「どこかに行こうとする」は、ここに含まれる可能性があります。

 しかし、これらの症状は、虐待によるトラウマ障害や監禁による影響(拘禁反応)としても現れることがあります。また、親の虐待に抵抗する言動が、その親にとっては「妄想」「滅裂」で片付けたいものである場合もあります。監禁されて心身の意欲を失わせるような日常が続いていれば、「意欲欠如」ともなるでしょう。

 「統合失調症」という診断は、実際には「DSM-Vの診断基準のコレとアレとソレに該当して期間などの条件も満たしているから」という形で機械的に行われるわけではありません。「統合失調症という診断名がついていた」という事実に接したときに考えなくてはならないことは、実に数多いのです。素人が簡単に評論してよいことではありませんが、「専門家だから誤りようがない」「専門家に診断されたんだから正しい」とは限りません。少なくとも、そのことを心に留めておくだけでも、報道の見え方が異なってくるでしょう。

(Aさんが「統合失調症」と診断された時期の診断基準はDSM-IVでしたが、統合失調症の診断基準は、現在のDSM-Vもほぼ同じです。基準そのものにご関心をお持ちの方は、統合失調症ナビの解説などをご参照ください)

何があれば、監禁へ至らなかったのか?

 Aさんが監禁されるまでの経緯については、現在のところ、「もともと虐待があったのか、なかったのか」「精神疾患だったのか、それとも理不尽な扱いに対する反応だったのか」の組み合わせを考える必要があります。

 組み合わせは、以下の3通りとなります。

  1. 親による虐待があり、精神疾患を発症した
  2. 親による虐待があり、虐待に反応する言動を示した
  3. 親による虐待はなかったが、精神疾患を発症した

(「親による虐待はなかったが、虐待に反応する言動を示した」はありえません)

 監禁に至らないために周囲や行政が働きかける可能性があったとすれば、「親による虐待はなかったが、精神疾患を発症した」であった場合だけでしょう。その場合も、苦しむ本人や家族に対して有効な介入がなされることは少なく、しばしば「家族の絆で何とか抱え込もうとした末の近親間殺人」という結末となります。

 家庭の中を含め、精神障害者の地域生活を支えるための公費や制度は、あまりにも貧弱です。家族が誰か・何かを頼りたくても、頼る先が事実上存在しないのです。

週刊女性PRIME「精神障害の長女を殺害した父親に長男「よく我慢してきた」」2015年12月8日

もし虐待があったとして、何が出来たのか?

 もともと親による虐待があったとすれば、精神疾患は、さらなる虐待や搾取の口実として利用される可能性があります。また、精神疾患ではなく虐待に反応していた場合も、親としては「都合悪いので隠さなきゃ」ということになるでしょう。子どもが暴力や言葉で抵抗するのであっても、周囲の人々に虐待の可能性を考えさせる暗い表情をしているのであっても、親が虐待を疑われて都合よろしくないのは同じですから。

 もしかすると、Aさんの在学していた小学校・中学校の先生方や教育委員会は、虐待の可能性を考えていたのかもしれません。児童相談所にも相談していたのかもしれません。虐待の発覚を怖れた親が子どもを家から出さなくなることは、長期欠席児の「あるある」です。

 しかし、1990年代当時の状況や世の中の認識を考えると、それでも家庭の中に踏み込むことは、ほぼ不可能だったのではないでしょうか。虐待通報ホットライン「186189」は、まだ存在していませんでした。

障害年金は、どのように申請されたのか?

 「Aさんは障害年金を受給していた」という報道があります(「障害者年金」とする報道も見られますが、公的年金用語としては誤り)。

 障害年金には、障害基礎年金・障害厚生年金の2通りがあります。就労歴がなかったAさんの場合、考えられるのは障害基礎年金のみです。

 障害基礎年金の申請にあたっては、

  1. 20歳以前(国民年金未加入)に初診日があり、20歳以後に障害基礎年金を申請
  2. 20歳以後に国民年金へ加入し、20歳以後に初診日があり、初診日から1年半以上後に障害基礎年金を申請

の2通りの可能性が考えられます。

 「初診日」から申請までの間には、必ずタイムラグがあります。「一時的な状態ではなく、障害である」ということを明確にするためです。なお、障害年金でいう「初診日」は、世の中の「その病気の初診日」とは意味合いが異なります。詳しくは年金機構の解説ページをご参照ください。

 いずれにしても、初診時・年金申請時の少なくとも2回、医師が診察し、診察と判断を診断書に記載しているはずです。また精神障害の場合、1~5年ごとに再審査があり、その度に医師の診断書が必要です。

 Aさんが障害年金を受給していた期間は未だ報道されていませんが、少なくとも2回、医師の診察を受けているはずです。その2回のうち少なくとも1回は20歳以後、つまり2005年以後です。しかしこの時期、Aさんは既に監禁されていました。

 Aさんは、どのように精神科を受診したのでしょうか。診療録にはどのように記載されているのでしょうか。監禁の事実を医師は認識していたのでしょうか。不自然さは感じていなかったのでしょうか。気になることばかりです。

障害者手帳を取得していなかったのは?

 Aさんは障害者手帳(精神保健福祉手帳)を取得しておらず、したがって寝屋川市に「精神障害者」として認知されていなかったことが報道されています。

 まず、自治体の障害福祉サービスを利用するにあたっては、障害者手帳の取得が大前提となります。障害者手帳を取得しないと、自治体に「障害者」と認識されず、したがって公的障害福祉サービスの対象とならないのです。

 しかしながら「障害年金の給付は受けているけれど、障害者手帳は申請していない」というパターンは、身体障害・知的障害・精神障害のいずれの障害であっても、特に珍しいものではありません。背景として多いのは、「その自治体が、障害者福祉を利用されたくない」「障害福祉サービスを利用したくても、介護事業所や福祉業者がない」といった事情です。

「取得しても意味がないので、障害者手帳は取得しない」というのは、極めて自然な選択です。さらに精神障害では「この子を精神障害者と認識したくない、いつか就職も結婚もできると思いたい」という親の希望によって障害者手帳を取得しない事例も数多く見られます(精神障害でも就職や結婚は可能ですが、親世代のスティグマ感は簡単には消せません)。

 Aさんのケースでは、両親が「娘を監禁していると知られたくなかったから障害者手帳を申請しなかった」という可能性とともに、両親に「娘が精神障害者と公認されるのはイヤ、妹の将来にも影響するし」「どうせ使えない障害福祉サービスに期待しない」という気持ちがあった可能性も考える必要があります。

根本的な対策は、どこにある?

 本記事では、障害者の地域生活・障害者福祉を中心に、寝屋川監禁事件で見落とされがちな事実や視点を掲示し、制度について解説しました。障害年金や障害福祉サービスに関連する制度を理解することは、生きるために情報をアップデートし続けなくてはならない障害当事者にとっても、容易なことではありません。

 報道に若干の誤解や認識不足が見られるのは、いたし方ないことだと思います。報道陣の皆様に、障害者団体・社会福祉士・精神保健福祉士・社会保険労務士などから充分な説明を受ける機会がありますように(自分は現場を遠く離れた場所にいて、取材していただき報道を読ませていただいていることに、心より感謝しております)。

 本記事が、この事件について皆様がご自身なりに感じ、考え、想像を及ぼすためにお役に経てば幸いです。

 逮捕された両親に対する取り調べが進みはじめ、経緯や背景が明らかになってくるにつれ、私には「簡単に実行できそうな解決策も、『もしもA機関のBさんがCという行動を取っていれば』という偶然への期待も、あまり意味がなさそうだ」という実感が強まってきています。

 障害者や病気を抱えた人々を含めて、すべての人が「生きやすい」世の中を。

 それこそが、根本的な予防策であり解決策でしょう。