相模原事件の植松聖被告とは、何者か? - ラジオドキュメンタリー『SCRATCH 線を引く人達』

境界を引くのは、人間です。(写真:アフロ)

2016年7月26日未明、神奈川県相模原市の障害者施設で元職員・植松聖被告が入所者19名を殺害した「相模原事件」は、異常な人間が起こした異常な出来事として、もはや忘れ去られようとしています。

異常な出来事であることは間違いありませんが、背景は「異常な人間」と「異常」だけなのでしょうか?

重度障害児の父である記者・神戸金史さんが、事件から受けた衝撃、植松聖被告と会ってみようとするまでのとまどい、面会して交わした会話、そしてその後の思いの変化を描くラジオドキュメンタリー『SCRATCH 線を引く人達』(TBSラジオ・RKB毎日放送 共同ドキュメンタリー企画)は、事件そのものならず、事件の真の背景である「現代」を生きることそのものを、深く静かに問いかけてきます。

放送されたのは2017年12月29日ですが、2018年1月5日まで radiko.jp で聴けます

人間の価値を決めるのは誰なのか?

2016年7月26日の事件直後、植松被告が衆議院議長に宛てた手紙の

「障害者は不幸を作ることしかできません」

という一節が、大きな反響を呼び起こしました。障害児者と親しい人々の「そんなバカな」「なんということを」という反応もあれば、「その通り、障害者はお荷物だ」という反応もありました。

相模原事件の政治利用についていけない

私自身は、この後、相模原事件とは最低限の関わりをしていました。

この直後の2016年8月、厚労省に「相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チーム」が設置されました。チームは8回の検討の後、2016年12月、ざっくり言えば「医療と警察との連携」「簡単に措置入院を解除しない」「措置入院解除後は警察も含めて状況把握を怠らず」という内容の結論をまとめました。精神医療の目的が「治療」ではなく「危ない人を閉じ込めておく」であることを示しているも同然のこれらの内容を含めて、2017年に精神保健福祉法改正案が提出されました。いったん廃案となりましたが、本年2018年、国会に再提出される見通しです。

事件の衝撃も生々しい間に始まった行政による政治利用、その政治利用に対抗する立場のいたし方ない政治利用に、私は正直なところ、「ついていけない」「受け止めきれない」という思いしかありませんでした。

共感や同情は期待できるものなのか

事件直後、重度障害児を持つ放送記者の神戸金史さんが、障害のある息子さんへの思いをフェイスブックに綴った文章が話題になりました(後に書籍化 Amazon書籍ページ)。そして、大きな共感を呼び起こしました。

私は当惑しました。世の中にこんなにも障害児・障害者やその家族の思いへの想像力や共感があるのなら、なぜ、日本の障害者福祉は、現在のような状況なのだろうかと。そして「期待するな」と自分に言い聞かせました。どうせ一時的なものだろう、と。

そういうわけで私は、神戸さんのご著書や作品は、見られないままでした。「見ようとすることが辛い」としか言いようがない感情がありました。

この動画は、神戸さんの文章を歌詞とした在日韓国人ミュージシャン・趙博さんの歌に、多数の障害児の生まれた時と現在の写真を重ねあわせたものです。

太い線で分けられようとしている今だからこそ、聴いてみた

しかしその間にも、障害者政策・施策はどんどん、障害者を「働ける」「働けない」で区分けするようなものになりつつあります。

しかも問題は、「働ける」と「働けない」の間に、超えようとしても超えられない大きなギャップがあることです。そして、超えて「働ける」側に行ってしまうと、生きること・暮らすことを支える障害者福祉が利用しづらくなります。一気にギャップを乗り越えた上、どのような福祉も必要としないレベルに達しない限り、「働けない」障害者の世界に押し込められてしまうというわけです。

その「働けない」障害者には生活保護がありますが、年々、最低限度ではあるけれど「健康で文化的な」生活という建前をかなぐり捨て、「生かさず殺さず」「まだ死んでない」という方向に進みつつあります。

でも、今回の神戸さんたちの作品のタイトルは、地面に線を引く「scratch」という行為から取られています。

そういう説明を読んで、私は「聴いてみよう」と決意しました。

私自身が、「太い線やギャップによって、世の中から見えないところに押しやられようとしている」というプレッシャを感じ続けているからです。

植松被告がいう「心失者」とは

植松被告は、殺すべき障害者を「心失者」と呼びます。人の心を失っているから「心失者」。人の幸せを奪い、不幸をばらまく存在なので、安楽死させるべきなのだそうです。

自身も重度障害児の親である神戸さんは、植松被告に手紙を書きました。すると返事があり、

「楽しい存在である子どもの心失者を人間として70年間養うために、どれだけの金と人手が必要なのだろうか? 泥水をすすり飲みながら死ぬ子どもがいるのに」

という内容の記述があったといいます。

私はギョッとしました。これは、相対的貧困状態にある日本の子どもに対してしばしば浴びせられる「途上国の絶対的貧困の子どもよりマシ、ゼイタク言うな」という言葉そのものではありませんか。

そして確信しました。植松被告の考え方は、おそらく、日本の「ふつう」なのだと。

ただし、「死ね」「殺せ」と声に出したり書いたりすることと、実際に殺傷事件を起こすことは、大きく異なります。植松被告は手紙の中で、「殺すべき人がいたら殺すことは、いたし方ない」とも記しています。そして、神戸さんが重度障害児の親であることを承知しつつ、

「自分の子どもが可愛いのは当然かもしれませんが、いつまで生かしておくつもりなのでしょうか」

と記すのです。番組では、神戸さん自身の動揺が語られています。

私自身もこの箇所で大きく動揺しました。「障害者には長く生きてほしくない」というメッセージが、行政から発せられ続けているも同然だからです。ここ数年、「障害者65歳問題」が障害者にとっての深刻な問題となっています。障害者は65歳になると、健常者に対しては75歳から適用される後期高齢者医療制度・介護保険(障害者福祉ではなく)が原則となります。ここにも「線引き」があります。

誰が線を引けるのか?

そして神戸さんは、植松被告と面会します。緊張感漂うやりとりは、ぜひ『SCRATCH 線を引く人達』を聴いていただきたいところですが、驚くべきことは、植松被告のいう「心失者」の内容です。

植松被告によれば、「心失者」とは「意思疎通が出来ない人」です。「意思疎通が出来ない」とは、「自分の氏名・年齢・住所が言えない」です。事件は真夜中のことでした。起こして「おはようございます」と答えた人は刺さなかったということです。

植松被告が「心失者」という存在に気づいたきっかけは、「津久井やまゆり園」入所者のお葬式を所内で行ったときのことだったそうです。お葬式の最中に入所者の一人が「おやつは?」と言ったことから、「心がない」と考えたのだそうです。仲間の死を悲しむ感情と「おやつは?」は、両立する可能性があります。もちろん神戸さんも、そこを鋭く質問しています。しかし植松被告は、その人々に「人間の心がない」とする見方を変えず、我が子の様子から心の存在や意思疎通の可能性を語る神戸さんに

「人としての感情がないのは、分かります。家族が、感情があると思おうとするのは分かります」

と答えます。

やり取りを通じて、神戸さんは、植松被告を「ふつうの青年」と感じたそうです。浅はかで、薄っぺらな知識で重大なことを判断している、平凡で気弱そうな若い青年。

「時代の子」の一人として

神戸さんは最後に、ホームレスなどマイノリティ支援を30年以上行っている奥田知志氏(東八幡キリスト教会牧師)に意見を求めます。

奥田氏は相模原事件に対して、「いつかこういう時代がくると思っていた嫌な予感が当たった」と語り、「これからが恐ろしい」という気持ちもあるといいます。その一方で、植松被告自身の「社会から認められていない」という気持ちを指摘します。

奥田氏は、職を失っていた26歳の植松被告が、働いていないことに感じていた大きなプレッシャと、自分の意義を発見するために「日本と世界の経済を救う」という論理を発見したこと、そこには、加害被害関係を巻き込む形で経済の渦があることを指摘します。

結局、生きづらいのは全員なのです。施設や精神科病院に障害者を隔離すれば、「自分たちは安心して生き延びられる」というわけではないのです。

「助けて」と言うことは社会のために必要

そして奥田さんは、「人間は一人では生きていけない」ということを強調します。

どんな人にも、いずれ、高齢になり病人になり、あるいは障害者になる可能性があります。だから、今の誰かの「助けて」という声を大切にすることが、将来のあなたのために必要だ……それは、「自己責任論」の方を含め、多くの人に届く可能性のある論理です。

しかし奥田さんは、「人間は一人では生きていけない」からこそ、助けを求めることは必要なのだと言います。

発想の転換です。自分が助けを求めることそのものが、社会の力になるという発想です。助けを必要とする人々は、社会のお荷物ではないのです。

すべての人が実際に、そんなふうに実感しながら生きることを、公共や制度が支える世の中に。それは、私が自分の仕事を通じて近づきたい境地でもあります。

番組末尾、神戸さんは植松被告との面会を通じて、「彼との間に自分が引いていた線が、少し薄まった」と語ります。そして、彼も自分も「時代の子」なのだと認識したと。

私も、重度障害児の親である神戸さん(なにしろ私は結婚も出産も育児もしてませんから)、有名メディア企業に勤務する由緒正しい記者である神戸さん、日本のみならず世界に大きな共感のうねりを起こした神戸さんに対して何となく引いていた線が、少しだけ薄まったのを感じました。

『SCRATCH 線を引く人達』は、2018年1月5日まで、radiko.jpで聴けます。