2017年の生活保護(絶望編)、そして絶望から芽吹く希望

絶望的だからこそ、希望を忘れずに(写真:アフロ)

2017年の生活保護には、希望のムードが漂いました。しかし予算面・制度面では決して楽観できません。

本記事は「希望編」「絶望編」の後編、絶望編です。

最後に、絶望を通して芽吹く小さな希望についても触れます。

生活保護は、どこへ行く?

ここ数年の生活保護の方向性を「本音」の言葉で言い表してみると、以下のような感じです。

  1. 生活保護は使われてはならない、重病人と重度障害者以外は働けばなんとかなるはずだ
  2. 働けない高齢者は仕方がないから保護するけど、別の考え方で(死ななきゃいい)
  3. 「貧困の世代間連鎖」は生活指導と教育で防ぐ (でも生活保護世帯が子どもを持たなきゃいいんじゃないかな……)

あまりにもあんまり、でしょうか? でも、公開されている政府資料の数々から読み取れるのは、そういうメッセージです。

2006年の「予言の書」

これらの方向性のうち1と2は、2006年の「新たなセーフティネット検討会」報告書に、少しは当たり障りの少ない言葉で記されています。この検討会を開催したのは、全国知事会と全国市長会です。

3については、旧産炭地など産業が崩壊した地域に「3世代連続して生活保護」という家庭が多く見られることから、「生活保護は自立の助長に役立っていない」という謎の記述があります。生活保護そのものが、若者や子どもに将来の可能性や職業の選択肢を提供するわけではありません。ましてや地域に産業を作れるわけでもありません。生活保護だけでは就労はどうにもならないのは、「それはそうだ」です。

この報告書には、2013年の生活保護基準引き下げ・生活保護法改正・生活困窮者自立支援法制定、その後進行している生活保護制度改革(私から見れば「改悪」ですが)の数々につながる記述があります。

国と地方の不思議な協力体制

前年の2005年、厚労省で「生活保護費及び児童扶養手当に関する関係者協議会」が開催されました。テーマは、生活保護費と児童扶養手当の費用負担の見直しです。

国75%・地方25%の費用負担について、地方は一歩も譲りませんでした(児童扶養手当については、国50%・地方50%であっさり決着)。議論の内容はだんだん、地方の負担を増やさずに国の負担を減らすため、生活保護を利用させない締め付け(役所用語でいう「適正化」)を行うことと、そこで地方と国がどのように協力するかに移行していきました。このことが、2006年の「新たなセーフティネット協議会」につながっています。

この時期以後、生活保護の締め付けは、地方自治体が国に対する発言力を増す手段の一つとしても意義を持ちはじめました。ああ、怖っ。

2017年「骨太の方針」

今年の「予言の書」は、なんといっても「骨太の方針2017」、正式名称は「経済財政運営と改革の基本方針 2017~人材への投資を通じた生産性向上~」です。

生活保護に関する記述を見てみると、以下のとおりです。太字は私のツッコミです。

生活保護制度、生活困窮者自立支援制度の見直し

医療扶助費の適正化のため頻回受診対策(ほとんど実態はありません)や後発医薬品の使用促進を強化するとともに、生活習慣病予防等のための効果的・効率的な健康管理に向け、データヘルス実施の仕組みを検討する(健康自己責任論、データ解析結果の独り歩き)。子供の生活習慣改善に向け、学校等と連携したモデル的な取組について検討を行う(子どもと家庭の自己責任論、家庭の中に入り込む指導)。生活保護世帯の子供の大学等への進学を含めた自立支援に、必要な財源を確保しつつ取り組む。就労支援事業について、参加率や就労・増収の状況に大きな地域差が存在していることを踏まえ、就労支援を推進する(ブラック企業でもいいんでしょうか?)。扶養の状況等を把握し、適切な保護の実施を図る(貧困の家族責任化)

生活扶助基準について、一般低所得世帯の消費実態との均衡等の観点からきめ細かく検証する(生活保護基準引き下げ)。級地について、見直しに向け必要な検証等に取り組む。

支援につながっていない生活困窮者を把握し、世帯全体への支援につなげる相談支援体制の整備を進め、地域の実情を踏まえ、就労準備支援事業の促進策や家計相談、子供の学習支援、居住支援の推進など、自立に向けた支援メニューの見直しについて費用や効果の観点も踏まえつつ検討する(相談と言う名の、何ですか?)

2006年の本音の方針を考え、「自立支援の目的は、生活保護制度を使われないことである」というポリシーが隠れていることを前提にこの記述を見ると、目的は、とにもかくにも「生活保護を使われないこと」でしかないのです。

医療費も例外ではありません。生活保護の「頻回受診対策」として、一部自費負担(立て替え払い)の導入が繰り返し検討されてきています。目的は、一時的な自費負担と立て替え分が「不適切」とされて返ってこないリスクを怖れて受診抑制させることではないかと勘ぐってしまいます。

「就労支援」「相談支援」「学習支援」という用語も、「なんだかよさそう」というイメージで見るわけにはいきません。「その人には適さない」という場面で供給側にすり潰されるようなことにならないか。供給側の都合ですべてが運ばれるようなことにならないか。「メニューは用意して支援してみたけど役立たなかったんだから、自己責任」というような使い方をされないか。

むろん、自治体も職員も支援者もさまざまです。心ある人、おかしなことはしない人も、たくさんいます。しかし数年にわたって生活保護の現場を見ている私は、「最悪」を考えないわけにはいきません。そして「最悪」の場合、本人を守るものは、ほとんど何もありません。

子どもの貧困問題 - 教育の目的は?

同じく「骨太の方針2017」には、下記の記述があります。

(2)人材投資・教育

人材投資の抜本強化

世代を超えた貧困の連鎖を断ち切り、子供たちの誰もが、家庭の経済事情にかかわらず、未来に希望を持ち、それぞれの夢に向かって頑張ることができる社会を創る。また、 誰もが生きがいを持ってその能力を存分に発揮できる一億総活躍社会を実現する。その際、教育が果たすべき役割は極めて大きい。

用語の選択はともあれ、特に良からぬことは書いてありません。しかしそもそも、教育を含む政策全体の目的が「人材への投資を通じた生産性向上」にあるのです。政権が「子どもに対する教育だけは投資ではない」と考えていると見るわけにはいきません。生活保護世帯の子どもたちへの教育も、大学等への進学を含め、「投資効果」という視点から考えられていると見るべきでしょう。

しかし、そもそも相対的貧困状態にある生活保護世帯の子どもたちは、最初から不利な状況にあり、投資効果という面では評価されにくい存在です。ならば、最初から投資を控えることになります。その視点からは、子どものいる生活保護世帯に対して生活保護基準を大きく引き下げたい意向が出てくるでしょう。これは、2013年以後に起こり続けていることそのものです。

もしかすると、「大学等への進学支援は、それでも潰れない例外的な子どもたちだけを対象に行えばよい」「生活保護基準引き下げは、タフで優秀な子どもだけを選抜しやすくするための機能も果たすだろう」とまで考えられているのかもしれません。

年明けの国会で予算案が可決されたら、生活保護基準は引き下げられてしまいます。生活保護法の再改正も行われてしまうでしょう。2017年には、このための委員会も開催されました。そこでは、生活保護受給は「リスク」と明記されています。

(高齢期に至る前の支援)

生活保護受給世帯となるリスクを抱える世帯が生活保護世帯に至らないようにするための役割が生活困窮者自立支援制度には求められており、就労支援や家計相談支援を通じ、生活困窮者について、可能な限り就労収入が得られるようにしておくことや家計管理ができる能力を身につけておくことが重要である。

生活保護の「その他の世帯」となりうるリスクを抱える世帯(いわゆる「8050」の世帯等)を含め、中高年のひきこもりの人や長期的に離職している人などについては、特に留意して必要な相談が行われていく必要がある。

出典:社会保障審議会生活困窮者自立支援 及び生活保護部会(第10回) 平成29年11月16日 資料2

生活保護にニーズを持つ人が必要としているのは、生活保護を必要としない雇用であり、社会保険であり、必要なら生活保護を安心して利用できることです。しかし政策は、そのような方向には向かおうとしていません。このことは、稲葉剛氏が記事(有料)で詳細に述べています。

それでも、だからこそ、希望は芽吹く

どこを見ても溜息しか出なくなる現状ですが、2013年以来の生活保護基準引き下げは、生活保護世帯だけではなく、数多くの低所得世帯に失望と落胆をもたらしました。

生活保護基準の引き下げは、社会保険料減免ライン・住民税非課税ライン・就学援助などの対象決定ラインにも影響し、実際に影響を受けた人々も数多いことが判明しています。

この間、生活保護以外のセーフティネットが充実したわけではありません。景気は回復し、雇用状況も改善したとされていますが、名目賃金はほぼ上がっておらず、低所得層はほとんど恩恵を受けていません(参考:石水貴夫氏記事)。

このような状況の中、生活保護をめぐる世論は確実に変わってきたと感じます。現在ただいま生活保護で暮らしている人々の肉声が報道で取り上げられる機会も増えました。210万人以上の生活保護制度利用者、人数でいえば最大のステークホルダーこそが生活保護問題の主役。そのことに気付く方が増えたのでしょう。

もちろん、「低所得のくせに子どもを生むからいけない」「失職したからいけない」「自己責任」という意見は、現在も盛んに発せられていますが、年々、勢いを失っているように思われます。多くの人々にとって、今、生活保護制度利用者が直面しようとしている現実は、近未来の自分の可能性を狭め、自分の状況をより劣悪にするものです。そのことが、少しずつ認識されてきたのだろうと感じます。

実のところ、私たちは、そんなに絶望することはないのかもしれません

支援を提供する側にいる人が、当事者に「あなたは、どういう支援があれば、もう少し元気になれるのですか?」と率直に教えを乞うことは、「それが欠けていた」「そうしなきゃ」という気づきや思いが世の中に増えれば、簡単に「当たり前」になるでしょう。

そのすぐ先には、国会や省庁の委員会に当事者委員として生活保護制度利用者がいる近未来もあるかもしれません。マイノリティといえばマイノリティですが、「約210万人」という人数には、それなりのインパクトがあります。今、障害者政策にかかわる障害者の存在が「当たり前」になっているように、生活保護政策にも、生活保護制度利用者が関わるのが「当たり前」になるべきでしょう。

それは、マイノリティも含めて全員で幸せになる社会という方向性であり、希望そのものです。

それでは、皆様、良いお年を。

来年もよろしくお願いいたします。