座間9遺体事件:自殺願望には、原因の直接解決を(改題)

孤立やメンタルヘルス上の問題は、個人の感情や選択だけによるものでしょうか?(写真:アフロ)

 座間9人殺害事件以後、「死にたい」と考える若年層、特に10代女子への接し方がクローズアップされています。

 「死にたい」の背後にあるのは「生きづらさ」です。

 この「生きづらさ」を解決するには、何が必要なのでしょうか?

「生きづらさ」の原因は、本人や親しい人々が認識できるものなのか?

 座間9人殺害事件の犠牲者9名のうち8名は女性です。うち4名は10代。4名は21~26歳でした。犠牲者となったきっかけは、SNSで自殺願望を表明したことでした。

 その後の報道によれば、犠牲者となった女性たちの中には、離婚後など厳しい状況にあった20代女性も含まれていました。しかし、はっきりと「これだ」と思われる背景が存在したかどうかは、現在のところはわかりません。

 いずれにしても、「死にたい」「消えたい」という希望を口にする10代女子が、「あなたは生きづらいんですね」と言われたら、口頭で「Yes」と答えるかどうかはともかく、内心では「そうだ」と思うことが多いと思われます。

 「口では言わない」「内心では」というのは、しんどい状況にある人ほど、本音を語りにくいものであるからです。

参考:【連載・第2回】女の子は「アンケート」に本音を書かない~若年女性の“見えない傷”と「レジリエンス」(治部れんげ)

潜在的「サバルタン」としての若年女性

 「サバルタン」という用語を用いれば、本音がなかなか語られない理由は、「その人々はサバルタンだから」の一言で説明できます(生活保護で暮らす人々は、「サバルタン」の一典型とも言えます)。

サバルタン(英語: subaltern、フランス語: subalterne)は、ポストコロニアル理論などの分野において用いられる、ヘゲモニーを握る権力構造から社会的、政治的、地理的に疎外された人々をさす術語。日本語では「従属的社会集団」などと訳されることがある。

出典:Wikipedia: サバルタン

 若年であり、さらに成人にも達していなかったりすれば、男女を問わず「ヘゲモニーを握る権力構造」の中にはいないでしょう。さらに若年女性となると、まず家庭内で「ヘゲモニーを握る権力構造」の中にいることが極めて稀でしょう。

 若年女性は、そもそも「サバルタン」化しやすいのです。

潜在的「サバルタン」だから、実態がわかりにくい

 近年、「女性の貧困」「シングルマザーの貧困」は、比較的広く認識されるようになってきました。しかし、女性単身世帯・母子世帯の貧困は、ある日突然に始まるわけではありません。背景となっているものは、まず、生育・教育を通じた家庭内の女性の貧困であり、家庭内での社会的剥奪です。

 その家庭自体は貧困ではないとしても、「女子に教育はいらない」と教育投資を受けられないこともあります。親世代に刷り込まれた「女の子は幸せな結婚をして専業主婦になるのがいい」という思い込みに縛られることもあります。また、男のきょうだいが勉強も遊びも楽しめる一方で、女の子は幼少期から家事その他を担わされ、育ちや学びの機会を奪われている場合もあります。

 このようなことは、問題とはされてきているのですが、実態把握は進んでいません。といいますか、実態把握は原理的に不可能に近いと思われます。若い彼女たちが家庭内で問題ある扱いを受けているとしても、その家庭こそが彼女たちの命綱です。自分が何をされているのかをご本人たちが把握すること自体、ほとんど無理に近いのです。それでも、ご本人たちも問題を認識していないとしても、苦しいという実感はあるでしょう。「死にたい」「消えたい」とボソリとつぶやくのが彼女たちの精一杯になりやすい背景は、このようなものです。

 それでも若干の果敢なチャレンジは行われ、結果にも結びついていますが、まだまだ不十分です。

参考:『下層化する女性たち: 労働と家庭からの排除と貧困』(小杉礼子・宮本みち子 Amazon書籍ページ) 

 実態が把握できないとなると、社会の課題として認識すること自体が困難を含むことになります。

 社会の課題を解決するための一連の流れは、「どのような実態があり、何が問題で、解決されたときにはこうなっており、解決の前後で状況はこのように変化する。その変化のために必要なのはコレとアレとソレであると考えられる。変化のための具体的方法と手段を検討し、実行し、時に方法と手段の見直しを行いつつ、最終的には解決に至る(かもしれない)」というものです。

 日本の若年女性の現在の状況は、「実態把握ができているとも言えないまま、問題だけが起こり続けている」と言いあらわすこともできます。では、その気になれば実態把握できるのでしょうか? それも難しいのです。なぜなら、彼女たちは「サバルタン」だからです。であれば、どう努力しても、問題解決にはたどりつけないということになるかもしれません。

解決に近づくと、彼女たちの「サバルタン」度が下がる

 実態把握は当面は無理、少なくとも容易にできるわけではないとしても、問題を解決する手段がないわけではありません。構造的に「サバルタン」化しやすい彼女たちの「サバルタン」度を下げることなら、なんとか可能と思われます。

 生まれ育ちつつある家族のもとで厳しい状況におかれているのなら、単身生活を促進すればいいのです。家庭のメンバーが「若い女性1人」なら、家庭内に性差別その他の差別は持ち込まれません。単身生活は、自己肯定感など今後の人生に必要な有形無形の「資源」を育む機会に恵まれなかった人々が、身につけるような機会ともなります。そのような機会が誰にでも提供されれば、若年女性の状況は大きく改善されるでしょう。

 「生活保護で大学に行けるように」という社会運動は、この目的のために役立つ可能性もあります。

参考:生活保護家庭の子どもの大学進学ダメ問題は解決に向かうのか 審議会の議論がダメなので整理します(大西連)

 大学進学を「合法的家出」の手段として活用することは、古くから広くみられました。

 ともあれ現在の社会運動の目的は、「生活保護世帯の子どもが、その世帯の中で大学進学する」ということです。それも難しそうな現在の政治的状況を見ると、「生活保護世帯の子どもが別世帯で大学進学」の実現、さらに「生活保護ではない世帯の子どもが、別世帯で生活保護を使いながら大学進学」の実現は、あまり現実味がなさそうです。

 いずれにしても、生活保護であってもなくても、「合法的家出」を支える手段が公的に整備されることが望まれます。それは、家庭内の貧困問題・家庭内の社会的剥奪問題を少しでも若年のうちに是正する手段の一つとして機能します。また「大学に行けば、その手が使える」という見通しは、しんどい状況にある高校生に、根拠ある希望と、その希望に対して努力する意味を具体的に示すでしょう。

「サバルタン」の問題は、その人々を「サバルタン」でなくすることによってしか解決しない

 本記事は若年女性を中心としていますが、人間が社会の中で「サバルタン」化する現象は、若年女性に限定されているわけではありません。むしろ男性が「サバルタン」化すると、「男なのに? 女より最初から恵まれているのに?」という視線が突き刺さり、あるいは自らが自らにその視線を向け、女性よりしんどい状況に陥りがちです。

 しんどい状況にある人々の問題を、一つひとつ解決することは、もちろん緊急性の高い目の前の課題です。しかし、しんどい状況を生み出す社会構造が変化しないままなら、新たな「問題の人」が永久に生み出され続けるだけです。

 しんどい状況を生み出す社会構造が変化するということは、「サバルタン」を生み出す「ヘゲモニーを握る権力構造」が変わることそのもの、すなわち政治そのものです。もしも本当に「解決したい」と望むなら、個々の社会的課題を解決しつつ、最終的には政治の問題として解決する必要があるでしょう。

 それが日本に可能なのかどうかは、分かりません。

 しかし、「しんどいという声を拾えるように」「語ってもらえるように」「SNSでウカツに『死にたい』とつぶやいて犯罪に巻き込まれることがないように」「心療内科や精神科に行ってもらえるように」「カウンセリングセンターや相談機関に行ったり電話したりメールを送ったりしてもらえるように」といった、それ自体は決して無意味ではないかもしれない個々の「焼け石に水」を積み重ねるだけでは、永遠に「焼け石に水」のままであることは確実だろうと思われます。