9月1日、「学校に行きたくない、でも行かなきゃ」と苦しいあなたへ

迷路の中で見る迷路と、外から見る迷路は、全く違います。(ペイレスイメージズ/アフロ)

 多くの地域で、夏休みが終わり2学期の始まる9月1日が近づいてきました。

 9月1日は、子どもの自殺が突出して多い日と知り、驚きました。

平岩国泰さん:「子どもの自殺が特別多い9月1日」~子どもが学校に行きたくないと言ったら~

田中俊英さん:ミサイルと9.1(自殺)問題

 死んでも行かなきゃいけない学校なんか、ありません。

 でも、「行くくらいなら死にたい」と思うほどの学校なのに行かざるを得ない場面や、「行くしかない」と思い込んでいる子どもは、少なくないはず。自分の胸に手を当てて考えてみれば、自分の小中高時代に思い当たる節が一つ二つある大人は、案外多いのではないでしょうか?

 本記事では、どうしても学校に行きたくないけれど「行かざるを得ない」と思い込んでいる子どもたち、少なくとも「2学期が始まったら、朝は家を出て学校に行かなきゃ……死ぬほど行きたくないんだけど」と思っている子どもたちのために、状況の「しのぎ方」をまとめました。

 主に公立小中学校の小学5年生~中学3年生を想定していますが、高校生にも役に立つかもしれません。

1. どんな学校にも、保健室はあるはずだ

 教室とクラスメイトと担任教師たちだけが学校ではありません。学校には必ず、保健室があります。

 学校になんとか行けたら、死ぬほどイヤな担任教師やクラスメイトがいる教室に行く前に、保健室に飛び込みましょう。

 「お腹が痛い」「頭が痛い」「気分が悪い」と言えば、よほどのことがなければ「教室に行きなさい!」とは言われないでしょう。

 保健室の先生(養護教諭)の多くは、保健室に来る子どもたちの「お腹が痛い」などなどが言葉通りの症状ではなく、何か本当に伝えたいメッセージを手渡すためのカプセルである場合も多いことを、よく知っています。

 ただし学校によっては、「学校に来れる子を保健室に居させてはいけない」という方針を取っている場合もあります。このような学校である場合には、3節飛ばして「5. 学校だけが世界じゃない」を読んでください。学校をアテにしていたら傷つくだけですから。

 「自殺しかない」という状況になってまで、あるいはボロボロに追い詰められてまで学校に行ってあげる義務は、子どものあなたにはありません。義務教育の「義務」を背負っているのは、子どもではなく親です(だから、子どもが学校に行かないと、親はあわて、大人たちは親を「ダメ親」と見るわけです)。

2. 保健室はダメ? でも学校には、けっこう居場所があるかも

 学校方針が「どの子も大切に」というものであり、保健室にしかいられない子どもも大切にされるのだとしても、保健室の先生との相性が悪かったり、その先生がイマイチな先生だったりすることはあるでしょう。でも学校には、案外、さまざまな居場所、あるいは「居場所」になれるかもしれない場所があります。

 学校には、図書室もあるはずです。そこには、いつもはいないかもしれませんが、図書館の先生(司書教諭)が来るでしょう。図書館の先生は、その学校の先生たちの「タテ」「ヨコ」のつながりとは少し違うつながり方をしています。

 学校によっては、給食室もあるでしょう。給食を調理して後片付けを終えている給食室の大人たちは、学校の先生ではない立場から、何かを感じ、何かをしてくれるかもしれません。学校の大人たちではあるけれど、先生たちの「タテ」「ヨコ」の中にはいない大人たちです。

 問題は、授業時間中も図書館を開けて出入り自由にしておける学校は非常に少ないということです。図書館の先生が、毎日いつもいるわけではないからです。いま図書館の先生は、「週に1回か2回くらい来る」ということで良いことになっています。その学校の「図書館の先生」がいつもいるのなら、図書館をいつも開けておいて出入り自由にしておき、保健室と同じように、教室に居づらい子どもたちの「居場所」にすることができます。でも、先生の人数は減らされ続けています。図書館の先生は、最初に減らされた先生たちです。

 給食室で働いている職員たちも、仕事だけで精一杯、学校の先生たちに「よけいなことをするな!」と言われないように身を守るだけで精一杯かもしれません。すると、給食室の職員たちの休憩場所に「そっと、居させてもらう」ということもできないわけです。

 図書室がどんなふうに使えるか、給食室、理科や美術や音楽や体育の準備室といったものがあるかどうかは、その地域の大人たちが「しかたない」と考えたり、「こういうのがいい」と選んだりした結果です。

 学校に行くくらいなら死にたい小中学生のあなたに役立つ場所が、学校の中にあれば言うことはないのですが、「必ずあるから大丈夫」とは言えないのが情けないところです。

3. 学校には、スクールカウンセラーもスクールソーシャルワーカーもいる

 保健室も図書室も、アレもソレもコレも、あなたに居場所を用意する力になれないとしても、学校を完全に見放すのは、まだちょっと早いかもしれません。

 学校にはときどき、「スクールカウンセラー」「スクールソーシャルワーカー」と呼ばれる大人が来ているはずです。「カウンセラー」は気持ちをほぐすことの専門家です。「ソーシャルワーカー」とは、いろんな問題で困っている人を助けて元気にすることの専門家です。

 カウンセラーやスクールソーシャルワーカーに話を聞いてもらうことは、やってみる価値が大いにあります。

 ただし、カウンセラーやソーシャルワーカーの中には、いろいろな人がいます。その人の方法が「自分にとっての解決ではない」ということもあります。相性がどうしても良くない人もいるでしょう。得意不得意もあります。優秀な人もいれば、ちょっとダメかなという人もいます。

 死ぬ思いをして学校に行っているあなた、学校に行くことを考えると死にたくなるほどのあなたにとっては、「あなた自身の役に立ってくれるかどうか」が一番大切です。「この人、ダメ」と思ったら、離れちゃっていいんです。苦痛をガマンしてお付き合いしなくてはならないほど大切な人たちではありません。

 もちろん、とても優秀で人柄も素晴らしくて、あなたとの相性も最高のスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーがいるかもしれません。もしもそうだったら、しっかり助けてもらって、その幸運を次のもっと大きな幸運に結びつけましょう。

4. 学校のまわりに、「ナナメ」の大人の友だちをたくさん作ろう

 学校によっては、掃除が専門の業者さんなど、先生でも学校職員でもない大人がいるかもしれません。学校に教材などを買ってもらう業者さんも、ときどきは来るはずです。そういう、学校の「タテ」「ヨコ」の関係の中にいない大人を探して、少しでも話を聞いてもらうことは、やってみる価値があります。

 そういう大人たちは、学校の先生の免許(教員免許)を持っていないかもしれないし、学校の先生のように大学を卒業しているわけでもないかもしれません。しかし、泣きそうな顔で、あるいは何か訴えたいメッセージをたくさん抱えていそうな顔をして近づいてくる子どもの、ぎこちなく「こんにちは」と挨拶する姿と表情から「何かあるな?」と気付く鋭さは、学校の先生の数百倍持っているかもしれません。

 ほんの一言二言三言でいいから、いろんな人に話を聞いてもらいましょう。

 そのこと自体が、あなたの気持ちをほぐし、あなたを心強くし、少しずつでも、あなたの立場を良くしていく力になります。

 イジメは、イジメをする人がいるから起こります。イジメの相手として選ばれるのは、弱くて一人ぼっちで、どれだけイジメても仕返しを心配しなくてよさそうな人です。このことは、大人の世界でも子どもの世界でも全く変わりません。たぶん、子どもが大人を見習って、そうしているのでしょう。

 あなたが、いろんな大人と少しずつでも細いつながりを持っていれば、イジメをする人たちは「仕返しが来るかもしれないから、他のイジメ相手を探そう」と考える可能性が高いのです。あなたのバックにいる大人たちは、あなたがイジメられていると知ったら見殺しにするかもしれませんが、イジメる人たちの思いもよらない逆襲があるかもしれません。予想がつかないものを、人は恐れます。だから、あなたがいろんな大人と少しずつ細くつながることは、それだけでイジメを遠ざけるのです。

 もしかすると、「目立ちたがり」「大人のいい子ちゃん」だからイジメるのだ、と言われるかもしれません。また、イジメをする人たちがクラス委員長などを巻き込んでいたら、「先生の知らないところで大人と話している」といったことをクラス会で問題にされ、クラスのルールとして禁止されるかもしれません。そうしないと、イジメを続けにくいからです。

 そういう時にあなたがすべきことは、相手の思い通りにならないことです。すると、「思い通りにならない」を理由として、イジメが一時的に激しくなるかもしれません。しかし効果がないことが分かれば、イジメる人たちは、別のイジメ相手を探すだけです。だから、イジメ効果をなくせばいいのです。

 1回イジメられたら、2人、誰かに少しでも話を聞いてもらいましょう。学校の近くのお店のオバサンに「○小学校で、今日こんなことをされて辛かった」としゃべって走り去る、といったことで充分です。「名前は知らないけど、○小学校でイジメに遭ってる子がいる」ということを知っている大人を増やすだけでも、大いに効果があります。そのオバサンは、次に会ったとき、「あれからどう?」と聞いてくれるかもしれません。

 ただし、完全に知らない人、特に車に乗っている人に話を聞いてもらうのは、やめておいたほうがよいでしょう。「いかのおすし」は、役に立たない場面もあるのですが、一応は気にして守った方がよい心構えです。

5. 学校だけが世界じゃない

「自分に学校はダメ」、あるいは「この学校は自分にはダメ」と見切りをつけざるを得ないけれど、とはいえ「家も居場所じゃない」となると、家でも学校でもない場所を探す必要があります。

 安全で、快適で、誰にも文句を言われない「居場所」を探すことは、実は大変な難問です。子どもだから大変なのではなく、大人にとっても大変なのです。

 しかし、候補はいくつかあります。

  • 図書館

 昨年、「学校に行くのが死ぬほど辛い子は、図書館にいらっしゃい」という公立図書館員のツイートが話題になりました。

 図書館には「給食が出ない」という難点はあるのですが、とても安全な場所です。横になってくつろぐことのできるスペースがある場合もあります。本がたくさんあるし、図書館によってはパソコンも使えます。

 あまり知られていませんが、図書館ではマンガを読むこともできます。誰もが手にとって見られる本棚(開架)にマンガがなくても、実は誰も知らない本棚(閉架)があって、カウンターで聞いたら出してくれることがあります。パソコンがあって、ゲームができるかもしれません。

 図書館の職員は、「なんで、ここにいるの? 学校は?」とか言いません。学校にいれば給食が食べられるはずの子どもが図書館でお腹を空かせていることは、心配するでしょうけれど。声をかけられたら、あるいは自分から話しかけて、「学校にどうしても行きたくないんだけど、家にもいられない」という事情を知ってもらいましょう。図書館の職員の方から声をかけての「おせっかい」はしませんが、利用者・来館者であるあなたに声をかけられたら、応じてくれます。

 食事を含め、図書館だけではどうしようもないこと・図書館が図書館である以上はできないことについて、図書館の職員が「何もしない」ということはありません。いろんな人やサービスや情報をつなぐことが、図書館の仕事ですから。図書館に出来ないなら、出来る組織や人とつながればいいんです。それもしない図書館員しかいない? なら、市境や町境の向こう側の図書館に行ってみましょう。

  • 「子ども食堂」「学習教室」「子どもの居場所事業」をやっている大人や場所

 図書館ほどドーンと構えて「いつでもいらっしゃい」というわけではありませんが、「子ども食堂」「学習教室」「子どもの居場所事業」といった活動をやっている大人たち、さらにそのような活動が行われている場所は、あなたの居場所の一部にもなれるかもしれません。

 いや、必ず、どのような子どもに対しても居場所になってほしいんですけど、相手は人間です。相性問題もあれば、能力・経験・時間・体力・気力・お金などの限界もあります。「子どもの居場所づくりを」と集まった大人たちが、「自分たちの居場所がなかった」ということに気付き、子どもの居場所という名の大人の居場所を作っている場合もあります。ないけど必要なものは、必要だから作らなくては。それが「大人の居場所」でも別にいいじゃないかと私は思います。アリバイづくりに子どもを巻き込んで「こ、子どもの居場所なんです!」と言われるより、ずっと子どものためにもなっていそうですし。

 ともあれ、どこにも、いろんな大人がいます。そういう活動が時々行われている場所(市民センターなど)の人も、いろんな困り方をしている子どもたちがいることに対して、一定の理解を持っています。

「車に乗って近づいてくる知らないオジサンよりは安全」くらいに期待して、ちょっと話を聞いてもらいましょう。あなたと「ナナメ」の関係を作れる大人候補がいることは、間違いありません。

 あなたの救いになる何かが見つかれば、言うことありません。

自分自身の経験~学校にしがみついたのは正解だったのかなあ?

 不登校が「登校拒否」と呼ばれて社会問題とされていた1970年代、家と学校の狭い社会に閉じ込められて苦しい思いをした末、学校にもいられなくなってしまった子どもたちの生きづらさは、想像を絶するものがあります。苦しみながらも生き延びた子どもたちの一部は、大人になると「同じ苦しみを年少の子どもたちにさせたくない」と考え、試行錯誤を重ねてきました。

 ざっと50年近い時間が経過した現在、日本にはフリースクールがあります。また、学校と家庭の代わりになれるかもしれない「子どもの居場所」もあります。不登校児とその親を支えるNPOもあります。少なくとも、そういったものが「ある」ということは、日本の当たり前になりました。「たくさんある」「選べる」「学校の代わりに子どもだけで通える」というのは、まだまだ都市部限定、それも一部地域での話ですが。

 そういった活動や組織に支えてもらいながら大人になるという道だって、もちろんあります。

 でも私は、この記事で「学校じゃないどこかに、Go!」とは訴えていません。

 もちろん、「死ぬ思いをしても学校に行くべきだ」とは思っていません。

 私自身は、極めて真面目に学校に通ったことになっています。小学校6年間の欠席は手術と高熱で止むをえなかった10日間程度、中高は1日も休んでいません。学校が好きだったからではありません。家が居心地や居場所感について考えられるような状況ではなく、また「学校を休ませない」ということに対する母親のこだわりが極めて強く(水疱瘡に罹った時も、隠して学校に行くように命じられました)、したがって「学校に行かずに家にいる」という選択肢がなかったからです。

 私は小学5年のとき、担任教師に嫌われ、その教師推奨のもとで、クラスのイジメのターゲットになりました。コンパスの針で突かれたり、傘で叩かれたり、クラスの中で恐喝されたり、そして担任教師は「クラスのお友達の中で、班の中で解決してください。先生は知りません」という態度を一貫させていました。

 イジメにたまりかねたことが一つの原因で、私は中学受験をして他地域の中高一貫校に行きました。しかしそこには同じ小学校から来た同級生がおり、頼みもしないのに「彼女は小学校でイジメられてて」と周辺に耳打ちしてくれました。結果、私は中高でもイジメのターゲットになりましたが、今思い出しても「よくぞ死ななかった」と思うほど酷いイジメを受けながら、「高校卒業まであと○日」とカウントダウンしながら、なんとか卒業しました。毎日毎日、イジメられるに決まっている学校に行っていたのは、家より学校の方がマシだったからです。登校すれば家の苦しさはなくなり、下校すれば学校のイジメはとりあえず今日はそこでおしまい(学校の噂話が家に伝わっていて家でも続きが……という場合はありましたが)。登校中に見る風景、下校時にいつも私に甘えに来る猫との交流などで気分転換しながら、なんとか高校3年まで学校に通い続けていました。

 ギリギリの綱渡りのような通学をしながら、年々、心身とも大人に近づいていった私は、少しずつ、いろんな大人たちやお兄さん・お姉さんたちとの人間関係を豊かにしていました。そして、「大学に進学することができれば、その後は世界がかなり変わるだろう」と、将来への展望を持てるようになりました。「退学して大検(現在の高認)を取って大学へ」という選択肢は、当然考えましたが、家にいて大検や進学のための勉強をすることは、まず不可能だったでしょう。というわけで、「大学進学資格を得るために最も手っ取り早い」という理由で、高校中退はせずに在学しつづけ、卒業しました。中学と高校に何人か、理解者や味方になってくれた教職員がいたので、なんとか乗り切れました。

 それでも中高時代のイジメの後遺症は、その後も数十年にわたって、私を苦しめつづけました。高校卒業にしがみついた選択が正しかったのかどうか、分かりません。でも、他の選択肢が実質的になかった中で、しかたなく選択して、正解だったかどうか分からないけど今がとりあえずあるし。

 というわけで、「まあ、よくやったじゃないか」と、私は当時の自分を認めてやることにしています。

できれば、学校をあなたの味方に

 今の私の仕事の柱の一つは、貧困問題です。貧困状態の子どもたち、子ども時代に貧困状態にあった大人たちに、私は数多く接してきています。「それほど困っているわけではないけれどお金は足りない」という「貧」、「お金が足りないわけではないけれど、困っている」という「困」を含めると、「貧」問題+「困」問題+「貧困」問題、と言うべきかもしれません。

 調べ、知り、伝える仕事の中で私が再認識したのは、学校というものの力です。特に義務教育の小学校・中学校は、6歳から15歳までの子どもたちが育つのに必要なものすべてを、まとめて子どもたちに与え、手渡すことのできる場所です。

 実際に与えられたり手渡したりできているかどうかは、その学校がどれだけお金を使えるかに大きく左右されますし、そこには数多くの「大人の事情」があります。

 しかし、学校では、教員・職員が子どもたちの育ちにかかわり、給食という形で食事が用意され(地域と学校によりますが)、心身ともの健康にかかわる保健室があり、保健室の先生(養護教諭)という専門家がいます。もちろん、さまざまな科目の学校教育もあります。これら全部が、「学校」という建物の中で一まとめにして供給されていることの価値は、決して小さくありません。そして学校を離れてしまうと、学校の中にいるのと同じように受け取ることはできなくなってしまうのです。

 さらに高校以後の学校になると、もう義務教育ではありません。かなり簡単に「不登校? まだまだ学校に来れそうにない? じゃ、退学ってことで」ということになってしまいます。

 ですから小中学生のうちに、なんとか少しでも学校を味方につける術を身につけ、学校にバックアップしてもらえるようになることができれば、と私は思うのです。

 だから、「学校じゃないどこかに、Go!」とは訴えません。

改めて、学校に殺される必要はありません

 もちろん、何よりも大事なのは、あなたの命です。命を危険にさらしてまで、学校に味方になってもらうための努力をすることはありません。小・中・高の学校教育を失うことが、その後の人生にかなり大きな損失として響いてくることが多いのは、残念ながら事実です。でも、命あれば、生きてれば、けっこう何とかなります。いろんなことを諦めなくてはならなくなるかもしれませんが、幸せな大人になることはできるのではないでしょうか。一度諦めた学校教育も、その気になれば取り戻せます。

 この記事にまとめたのは、「学校をあきらめる前に、出来るかもしれないこと一覧」です。出来たら、物事が動くかもしれません。でも、出来なくても、そこで人生が終わるわけではありせん。

 あなたが「平日の朝、子どもが学校に行かないなんて『ありえない』と思っているウチの親」は、もしかすると、率直に話してみれば一番心強い味方になってくれる人たちかもしれません。

 あなたの親が「家にいたら虐待で殺されそうだし、学校に行ったらイジメられて殺されそうだし」というしんどい状況を作っている張本人の一人なのだとしても、親以外の大人はたくさんいます。

 どこに誰がいて、あなたに何をどれだけ出来るのかは分かりません。あなたの生きていこうという意志が、あなたの必要な人や助けを必ず引き寄せるとは限りません。でも、100%のハズレだけが100%続くことも、ありません。

とりあえず、死ぬほど行きたくない教室からは、逃げちゃえ!

 まずは新学期、どうしても行きたくない学校に着いてしまって、教室に行きたくなかったら、保健室に飛び込みましょう。保健室も追い出されそうだったら、地域の図書館に行きましょう。

 いろんな場所、いろんな大人を紡ぎ合わせながら、今日は生きましょう。

 明日が来たら、明日も同じように生きましょう。

 その繰り返しは、間違いなく、あなたの将来を少しずつ明るく楽しいものにしていきます。