相模原事件から一年:近くにいながら知らなかった私に、何か言う資格はあるのか?(改題)

生きていれば、悼まれなくてもよかったはず。(ペイレスイメージズ/アフロ)

 2016年7月26日、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」に入所していた障害者19名が殺害された相模原事件から1年が経過しました。

 事件が話題になるたびに、私には「事件だけが問題なのか?」という思いが募るばかりです。

 事件前、生きていた犠牲者の方々を気にかけていた方は、いったい何人いたのでしょうか?

 人数は、事件後の数千分の一、あるいは数万分の一でしょう。そもそも、存在が知られていなかったのですから。

事件の犠牲になったことで初めて存在を思い浮かべられた人々

 相模原事件が話題になるたびに、私にはどうしても「生きている間は、いるかいないかを気にもかけていなかったのに?」という違和感が湧き上がってきます。

 もしも事件が起こらなかったら、犠牲になられた障害者の入所者たちは、「津久井やまゆり園」の中、あるいは近隣の病院などで生涯の終わりを迎えたことでしょう。世の中から忘れられた存在というより、そもそも最初から「世の中にいる」と意識されていないまま、世の中の一部とはいえない施設の中で過ごし、さらに寿命とともに現世から消えるわけです。

 私は、相模原事件の報道への世の中の反響を見るたび、なんともいたたまれない気持ちになりました。殺害を行った容疑者に対する「よくやってくれた」という共感は問題外です。そうではない「抵抗できない障害者に対して、なんとひどいことを」「何も悪いことをしていないのに殺された障害者が気の毒だ」という多数の反響に、私は激しく動揺したのです。

 相模原事件の前、「津久井やまゆり園」を知っていた方は、日本にどれだけいたのでしょうか? たぶん、圧倒的多数の方が、知らなかったはずです。ならば、そこにいた障害者の方々のことも知らなかったはず。

 そういう方々多数が、事件まで存在も知らなかった犠牲者たちのために怒り、嘆き、涙しました。

 このようなことは、災害被災地の報道でも起こります。初めて聞く地名、そこにいたと知らなかった人々のために心を動かされることは、誰にもあるでしょう。

 しかし、どうしても私が気になるのは、相模原事件の犠牲者たちは障害者であったということです。

日本人は、そんなに障害者に優しかったのか?

 日本社会は、障害者が痛めつけられることに対して、それほど「ひどい」と感じる社会だったでしょうか? 少しは「ひどい」という声があがっても、「その障害者のほうに問題が」という声の方が大きく上がる社会ではないでしょうか? 

 そもそも日本社会は、障害者として暮らしているだけで必要になる数多くの資源や制度(ヘルパー派遣や障害者手当・年金など)の利用を不当な悪と見たり「障害者利権」と呼んだりすることを、日常的に許容しています。その視点からは、障害者として生きることそのものが悪。言い換えれば「健常者に一切迷惑をかけずに生きていくならば悪ではない」ということですが、それはすなわち「生きていけない」ということです。障害によるハンデを誰も埋めず、必要とする資源も提供しないということですから。この結果として、入所を拒まない最後の福祉施設=刑務所に障害者があふれ、結局は刑務所でしか生きていけない「累犯障害者」化することが問題視されました。現在は少しずつ対策が進んできましたが、まだまだ不十分です。

 障害者である私自身は、日常的に「存在が悪」とする視線、奇異や好奇心の対象とする視線、露骨あるいは隠微な差別、「親切」を前面に出しての迷惑な手出し、時には(というより、しばしば)ハラスメントや本物の肉体的攻撃などにさらされています。介助者が確保できず単独行動していることが多いので、「やりやすい」と思われるのでしょうね。

 重度障害者は、生きるにあたって人的・物的に多くの資源を必要とする存在です。規制緩和と新自由主義のもと、重度障害者に向ける資源を少しでも減らそうとする動きが続き、介護職員の待遇は悪化、現在は深刻な介護人材難となっています。

 そのような状況と変化を、我が身でも若干は体験し、身辺で見聞きしている私は、相模原事件の犠牲者へ共感と悲しみを向け、加害者に怒りや憎しみを向ける日本人多数に対して、「いったい、どこの誰なんだ?」という思いになります。そういう日本人は、どこかには間違いなくいるのでしょう。でも、どこの誰なんでしょう? そんなに多数いるのなら、なぜ私は、日常的に障害者差別を受け、悪意敵意をぶつけられなくてはならないのでしょうか? 近辺の障害者たちが、ほとんど常に、生存や生活を脅かされなくてはならないのはなぜでしょうか?

 私は、相模原事件の犠牲者を悼み、そのご家族に共感や配慮を及ぼす日本人の方々と、事件について会話することはできそうにありません。私はおそらく

「では、あなたは、ご自分の近くにいる障害者が、その人の望む人生を生き、その人らしいありようでいることを、ごく普通に受けとめ、憎んだり怒ったり疎んだりせずにいられるのですか?」

と問わずにいられないでしょう。そしてたぶん、折り合いのつかない口論になるか、「そういう障害者の気持ちを私たちが分かって”あげ”なくてはいけませんねえ」と上目線の理解を示されるかして、その方との関係はそこで終わるでしょう。

すぐ近くにいたのに知らなかった「津久井やまゆり園」

 私は1990年~2000年の10年間、会社員でした。最寄り駅はJR中央線の高尾駅。「津久井やまゆり園」の最寄り駅であるJR中央線・相模湖駅から1つだけ東京寄りです。

 私自身は、従姉の一人が高機能自閉症であること・高校時代から通っていた予備校が校長方針で積極的に障害のある生徒を受け入れていたこと(1981~84年という時期を考えると偉業だと思います)などから、障害者とその状況には一定の理解はある方だと思っていました。後に自分自身が障害者になってから「何も分かっていなかった」と痛感することになりましたが、少なくとも、自分の近辺に障害者がいることには慣れがあったと思います。職場の近くには、八王子市の障害者福祉センターがあり、さまざまな障害者を見かける機会が多々ありました。コンビニの入り口のドア・横断歩道などで困っておられたら、困っていて手助けが必要であることを確認してから何かするのは、自分にとっては自然なことでした(そういうふうに生徒を感化する環境を作ってくれた予備校に感謝しています)。

 自分自身も、40代で中途障害者になりました。少なくとも、自分が障害者に対して情けない人間であるとは思っていませんでした。

 しかし相模原事件で、私は激しく動揺しました。元職場のすぐ隣の駅にあった「津久井やまゆり園」の存在を、その時まで全く知らなかったからです。

津久井やまゆり園から元職場(東浅川小学校隣)までは、車で20分と少し。(Google mapより)
津久井やまゆり園から元職場(東浅川小学校隣)までは、車で20分と少し。(Google mapより)

 日本のすべての障害者施設と、そこにいる人を知ることは不可能です。

 しかし、自分のよく知っている場所のすぐ近くにあった「津久井やまゆり園」と、そこに入所していた障害者たち多数のことを、私は事件のときまで、存在を思い浮かべたことさえありませんでした。

 そんな人間に、相模原事件について何か言う資格はあるのか。

 事件以来、ずっと自問しつづけながら、最小限に発言しています。

「津久井やまゆり園」の立地

 最後に、「津久井やまゆり園」の立地について、あまり報じられていないことを述べておきます。

 「津久井やまゆり園」は現在、住宅地域にありますが、1964年の設置当初は人里離れた山の中でした。あまりにも交通不便で大規模施設の誘致が困難な地域に誘致できたのが障害者入所施設だったというわけです。このことはNHK・ハートネットTVブログ「知的障害者の施設をめぐって 第13回 津久井やまゆり園の創設」に詳しく述べられています。

 「津久井やまゆり園」にかぎらず、障害者入所施設の多くが、のんびりした風光明媚な地域、その都道府県の小中学校が遠足やキャンプで行くようなところに設置されてきました。言い換えれば「普通の世の中」からは隔離されてきたわけです。

 1986年、JR中央線快速電車(東京方面への通勤の足)が山梨県の大月駅まで運行されるようになり、相模湖駅はじめ、JR中央線の高尾駅以西の駅周辺の住宅地化が進みはじめました。結果として、「津久井やまゆり園」は住宅地の中に存在するようになりました。事件直前は、地域との交流も盛んに行われていたということです。

 だからといって「そこに施設があることは良かった」と言えるものでしょうか? 

 障害者入所施設を今すぐ全廃すべきとは思っていませんが、認知症の高齢者・精神障害者などを含めて、「シャバから切り離して収容」という在り方そのものを考え直す必要があるだろうと思われてならないのです。

 事件まで存在を知らなかった「津久井やまゆり園」にいた障害者の入所者の方々、事件の犠牲者となってはじめて「そこにいた」と知った方々のすべてに対して、毎月26日が来るたびに、私は「どうあることが望ましいのか」「これからどうすればよいのか」を少しだけ考えてきました。これからも「少しだけ」しか出来ないでしょう。

 しかしながら、せめて、

「10年間、すぐ隣の駅まで来ていながら知らなくて、いることを知ろうともしなくて、ごめんなさい」

という気持ちを保ちつづけることくらいは出来るだろうと思うのです。