治療を必要とする人から治療を奪う? 今回の精神保健福祉法改正案を成立させてはイケナイ理由

監視や閉じ込めは、治療ではありません。(写真:アフロ)

現在、国会で精神保健福祉法の改正が検討されています。

最大の関心の的は、措置入院の取り扱いです。

明日(2017年4月25日)、参院厚生労働委員会で、大詰めの審議が行われます。

検討されている法案の、どこが問題なのでしょうか?

1. そもそも犯罪対策として意味がない

(2017.4.28 小修正を加えました)

もともと、2017年2月に閣議決定された精神保健福祉法改正案に関する厚労省の説明資料によれば、改正の趣旨は「二度と(注:相模原事件と)同様の事件が発生をしないよう」ということでした。

改正内容を3行で言うと

1. 措置入院の解除は慎重に

2. 退院後は警察と地域の視線の中に、決して行方不明にならないように

3. 退院後の連携体制は退院中に確立を

です。

名目は、監視や閉じ込めではなく本人の支援ですが、

「一度措置入院ということになったら、監視しつづけましょう」

ということです。

相模原事件の加害者は、殺人予告を行って措置入院となり、措置入院中に大麻を使用していたことが判明したものの病院から警察への情報提供は行われず、措置解除となって退院し、退院後の居住地や生活ぶりを入院中の病院は把握していませんでした。そして、事件が起こりました。

そこで、「措置入院させたら簡単に退院させない」「違法性のある何かがあったら病院は警察に知らせる」「退院後もどこで何をしているのか把握しつづける」が、同様の事件の再発防止策になるだろうと考えられたのでしょう。あまりにも単純すぎる、対策として有効性の疑わしい対策ですが。

犯罪防止策としては有効性が疑わしく、患者本人の治療に対する有効性も見当たらず、むしろ有害な面が目立ちます。

障害者団体をはじめとする多数の団体や、改正に反対する議員たちは、その面を問題にしつづけて来ました。

相模原事件の加害者は、精神鑑定の結果、完全に責任能力があるとされています。精神疾患の影響によって殺人事件を起こしたわけではないのです。

2. もはや法案としての意味もなくなった

さらに身も蓋もない話ですが、現在、審議されている精神保健福祉法改正案は、もはや根拠を失っています。

現在、厚労省のサイトで公開されている説明資料によれば、改正の趣旨は

○ 医療の役割を明確にすること - 医療の役割は、治療、健康維持推進を図るもので、犯罪防止は直接的にはその役割ではない。

〇 精神疾患の患者に対する医療の充実を図ること - 措置入院者が退院後に継続的な医療等の支援を確実に受けられ、社会復帰につながるよう、地方公共団体が退院後支援を行う仕組みを整備する。

〇 精神保健指定医の指定の不正取得の再発防止 - 指定医に関する制度の見直しを行う。

となっています。

当初の「相模原事件のような事件の再発を防ぐ」という趣旨の削除を、法改正の審議の中で厚労省が提案し、実際に削除したからです。

「……という問題が事実としてあるから、……という法制定(改正)が必要」の根拠となる事実(立法事実)が、消失してしまったわけです。

必要性の根拠が消えた以上、精神保健福祉法の改正は「できない」と考えるのが筋です。

3. 本人のためではない

精神医療には、通常の医療とは異なり、必ずしも本人の利益のために行われるとは限りません。

本人が治療や入院を望まなくても、本人の周辺や社会が望むなら、本人は治療や入院を強いられてしまうのです。

日本に限らず、精神医療には「危険な精神障害者から社会を防衛する」という期待がかけられ続けてきました。「犯罪防止のために」というのは、極めてわかりやすい強制治療・強制入院の理由ではあります。

20世紀後半から、精神医療を通常の医療の一部にする試みが、数多くの国・地域で続けられています。それでも「危ない人は社会にいてほしくない、どこかに閉じ込めておけばいい」という長年の習慣は、簡単には消滅しません。ふとした折に、簡単に表面化し、過去と異なる形で制度化されます。

「医療を受ける側のためではない医療」は、対象が人間以外の場合、一般的に見られます。

食肉や乳や卵を生産するための牛・豚・鶏は、病気にかかった場合、治療を受けられることがあります。その動物の権利や利益のためではなく、肉・乳・卵の生産に必要だからです。治療ではなく殺処分が選択される場面もあります。鳥インフルエンザを思い起こしてください。

しかし精神医療には、さまざまな理由のもとで、本人のためではない医療が許されています。このことこそが問題なのです。

現在、厚労省が公開している説明資料の「改正の趣旨」には、一応

「医療の役割は、治療、健康維持推進を図るもので、犯罪防止は直接的にはその役割ではない」

とあります。しかし「直接的には……ない」としつつも、「犯罪防止」はしっかり残っています。

改正するなら、精神医療の目的を「本人の幸福追求」「本人の利益」と、はっきり書いてほしいものです。

むろん、それが他の誰かの「本人の幸福追求」「本人の利益」と相容れないことはあるでしょう。

健常者どうしでも、そういうことはあります。通常は、人と人・人と社会・社会と社会の通常の調整や交渉によって解決されています。

どちらかが精神障害者であったり、精神障害者を含む社会であったとしても、その「通常」の解決方法が成り立つ方法を確立すれば、精神医療だけを他の医療と異なる位置づけにおき、「本人のためというわけではない医療」の余地を残しておく必要はなくなります。

4. 「怖くて治療が受けられない」という可能性も

現在の精神保健福祉法改正案がそのまま成立した場合、精神科の治療を必要とする状態、特に措置入院の可能性がありうる状態になったら、

「措置入院が恐ろしいから治療が受けられない」

という事態が発生します。警察との連携が強化されるからです。

精神科に入院する必要がある状態にある人々は、自分自身が苦痛や疲労消耗や困惑の中にあることが多いのです。そうはならない精神疾患もありますが、基本、現在ただいまの苦痛や困惑から逃れて疲労消耗から回復したいから、精神科に行くし、入院が必要だと言われたら入院するわけです。

もしも、警察と治療機関が連携するようになると、

「警察が恐ろしいから精神医療に近寄らない」

という選択が行われる可能性は高まります。

今回の精神保健福祉法改正案では、とりあえず「措置入院解除に際して」限定ですが、

「病気がひどくなったら警察から逃れられなくなる」

ということになると、多くの場合は「だから早め早めに、悪化させないように、かかりつけ精神科へ」ではなく、「もしかしたら措置入院が必要な状態と言われるかもしれないから、精神医療には近寄らない」という選択がされることになるでしょう。

「警察が自分のすべてを監視・盗聴している」というのは、統合失調症に非常によくある妄想です。

今回の精神保健福祉法改正案が成立すると、病状が悪化して措置入院となったら、その後はおそらく事実上、永遠に警察から逃れられないことになります。「警察に監視されている」が、「監視」という名目でなくても事実になってしまうわけです。それでは、ビョーキの治るヒマがなくなります。

さらに薬物依存症の方々で依存している薬物がそもそも非合法である場合、「精神医療が警察と連携」ということ自体が、症状に関する相談や治療を受けることから、依存症の方々自身を遠ざからせてしまいます。

精神医療が警察ではなく、あくまで本人の治療を行う場であり、「実際にそうである」という本人の信頼を得ていなければ、治療関係は成立せず、治療効果は期待できません。そもそも、本人が精神医療に近寄れません。

この事情は、薬物依存症の女性たちの回復施設である「NPO法人ダルク女性ハウス」が公開した「精神保健福祉法改正案に対する声明文」に詳しく示されています。その一部を抜き書きしておきます。

病院は治療する責任があります。

本人たちはやっとの思いで病院に来るのです。

薬物依存症の場合、治療が遅れれば死に至る病気です。(略)一回目の病院で警察が連携しているのが解れば逃げてしまい二回目に会うときは棺桶かもしれません。

監視は薬物依存症を悪化させ不信感を募られ、当事者にも社会的にも悪影響が出ます。当事者にとって助けにならない法案は、社会的な負担が更に増える心配があります。

精神保健福祉法改正案は薬物依存症の問題に悩む薬物依存症の当事者にとって、回復の妨げになる危険の多い法案です。

安心して病院に行ける事が大事であるため精神保健福祉法改正案に対し強く反対します。

上記の観点から、違法だった薬物を実際に合法化した国(ポルトガルなど)もあります。

治療が受けやすくなり、どうしても薬物を使用せずにいられないなら害少なく使用する工夫やアドバイスが可能になり、デメリットは特にないということです。合法化され、特に闇ルートでなくても入手できるとなれば、密輸やアングラ流通の必然性がなくなりますから、犯罪も減少していきそうです。

結論:精神医療に関する「○○の一つ覚え」は、早期治療が望ましい

現在はおそらく、精神医療全体に「本人に薬を飲ませておく」「危なければ(危なそうなら)閉じ込めておく」という過去の蓄積の修正ではない次の新しいステップ、人ひとりや小さな部分社会に対するものではないアプローチが必要とされている時期かと思われます。

今回の精神保健福祉法改正案がいったん廃案になり、「精神医療とは何か」「精神医療は誰のどういうことのためか」ということが改めて根本的に考えられ、精神医療に関する法律のすべてが「医療」として検討され再構築される成り行きを、強く望みます。