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最強王者の離脱も何のその 90歳のプロモーターを本気にさせるメイウェザー二世とは?

三浦勝夫ボクシング・ビート米国通信員
クロフォードとアラム氏(写真:Mikey Williams/Top Rank)

アラム氏を人種差別で訴えたクロフォード

 サウル“カネロ”アルバレス(メキシコ=スーパーミドル級4団体統一王者)、井上尚弥(大橋=WBAスーパー・IBF統一世界王者)と並びパウンド・フォー・パウンド・ランキングのトップを争うWBO世界ウェルター級王者テレンス・クロフォード(米)がトップランク社の総帥ボブ・アラム・プロモーターと同社に対し損害賠償訴訟を起こした。その金額は1000万ドル(約12億円)と伝えられる。

 2008年にプロデビューしたクロフォード(34歳)は2011年にトップランク社と契約。3年後にWBO世界ライト級王者に就き、17年にはWBO・WBC・IBF・WBAスーパー世界スーパーライト級統一王者に君臨する偉業を達成する。その後4本のベルトを返上しウェルター級に進出。WBO王者に就き5度防衛に成功している。最新の昨年11月の防衛戦では元王者ショーン・ポーター(米)を10回TKOで一蹴。全階級を通じて、もっとも実力と人気を兼備した選手が集結するウェルター級で強さを誇示した。

 ポーター戦で600万ドル(約6億8千万ドル)とキャリア最高の報酬を手にしたクロフォードだが、12月にトップランク社との契約が完了。報酬や待遇をめぐり両者の関係悪化が噂されていた。案の定、クロフォードはFA(フリーエージェント)を宣言。今後ビッグマッチを見据える立場を強調した。とりわけファンが待望するWBC・IBF世界ウェルター級統一王者エロール・スペンス・ジュニア(米)との3団体統一戦が再度、現実味を帯びてきた。

 そんなタイミングでクロフォードが起こした訴訟。第一報を流したのはニューヨーク・ポスト。著名紙が報じたところにクロフォードと彼の陣営の意図が感じられる。アラム氏を名指しで「反感に満ちた人種偏見の持ち主」と非難。それが原因で契約違反を起こし、当然得られるべき報酬が獲得できなかったと語気を荒げる。そして偏見とはクロフォードが黒人であることだと訴える。

前例はメイウェザーとマイキー・ガルシア

 井上、そしてWBA世界ミドル級スーパー王者の村田諒太(帝拳)の米国のプロモーターでもあるトップランク社は選手の売り出しに関して他の大手プロモーションをリードしている。実力もメインエベンターに上がるまでのホープなら、ライバルプロモーションの選手に勝っている印象が強い。それは伝統に基づく育成ノウハウが半端でないからだと思われる。トップに立つアラム氏は昨年12月8日、90歳の誕生日を迎えたが、いまだに現場で陣頭指揮を執っており、現役バリバリである。

 それでも同社は手塩に掛けて育てた選手から裁判沙汰に持ち込まれるケースが同業者よりも多い。これまでの代表的なケースとして“マネー”フロイド・メイウェザー(米)と4階級制覇王者マイキー・ガルシア(米)が挙げられる。

 メイウェザーの場合は今回ほど露骨ではないが、同じく黒人に対する差別を口にした。それが「奴隷契約」という発言につながったと思う。だが別れ方は彼のボクシングスタイルと同様にスマートで、FAになって数試合行った後、アル・ヘイモン氏率いるPBC(プレミア・ボクシング・チャンピオンズ)傘下でリングに上がり、ニックネームも“プリティーボーイ”から“マネー”(金の亡者)へスイッチ。ヒールのキャラクターで荒稼ぎに没頭した。

 一方、フェザー級とスーパーフェザー級で世界王者に就いたガルシアは2014年にトップランク社との関係が悪化。こちらはこじれにこじれて長いブランクを強いられる。復帰できるまでに2年半もリングに立てなかった。その後ライト級とスーパーライト級で世界王座を獲得するが、法廷訴訟がいかにハードなものかを周囲に知らしめた。

1000万ドルはキャンセル料?

 さて、クロフォードが要求する1000万ドルは一度消滅したスペンスとの統一戦で予測されたファイトマネーに匹敵する金額だという。そうなると、スペンス戦は再度お蔵入りになるのか?

 ライバルのスペンスは、昨年マニー・パッキアオ(フィリピン)に判定勝ちでレジェンドに引導を渡したWBA世界ウェルター級スーパー王者ヨルデニス・ウガス(キューバ)と4月に対戦することが有力となった。19年に起こした自動車事故から復帰したものの、網膜裂孔(剥離の可能性も)を患ったスペンスが回復したのは事実のようだが、果たして以前と同じように無敵ぶりを発揮できるかは疑問。その復調ぶりが注目される。同時にダイレクトにウガス戦を選択したところにスペンスの自信が感じられる。

 その後はスペンスvsウガスの勝者vsクロフォードという展開になるだろうが、今回の提訴でクロフォードのキャリア進行に暗雲が立ち込めてきた。メイウェザーのようにすらりと立ち回ることができるのか。それともガルシアのように泥沼化するのか、予断を許さない。

 ポーター戦の勝利で、眼疾のためリングから遠ざかるスペンスを一歩リードしたかたちのクロフォード。今年中にスペンス戦(あるいはウガス戦)が実現すれば、FA宣言した甲斐があるというものだ。そこで首尾よく勝利を飾れば、豪華絢爛なクラス、ウェルター級の覇者としてボクシング史に名を刻むことができる。

すでにバナー広告まで作られているクロフォードvsスペンス(写真:PBC)
すでにバナー広告まで作られているクロフォードvsスペンス(写真:PBC)

最強の座をスペンスに譲る?

 だが、FAとして成功しているカネロのようにうまく運ぶかは不透明。失敗する可能性も少なくない。アラム氏はファンが別料金を払って視聴するPPV中継でクロフォードが結果を出していない現実を指摘。「損益分岐点となる購買件数15万件にも達していない」と苦言を呈する。また契約時は「(クロフォードから)家の電気代まで請求された」と嘆く。

 今回、クロフォードの主張を全面的に否定するアラム氏だが、もしかしたら離脱を歓迎しているフシもある。プロモーションのエースの一人だったが、「試合のたびに損失が出ていた。それを合計したらビバリーヒルズの家が買えるほど」と広言。願ったり叶ったりはアラム氏の方かもしれない。

 ともかく、もしクロフォードのキャリア進行がとん挫するとウェルター級の覇者はスペンスかウガスとなるだろう。彼らをプロモートするPBCが天下を牛耳ることになる。アラム氏vsヘイモン氏という構図で見れば後者に軍配が上がる。そしてスペンスの眼疾が完治し、ベストなコンディションに仕上げれば有利の予想が立つ。

 まだ実際リングで対決していないものの、これまで抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げてきたスペンスとクロフォード。最初、勢いと若さで有利と思われたスペンスが結局、支配者に収まる結末となるのか。だが、以前も触れたようにウェルター級にはバージル・オルティス(米=18勝18KO無敗。23歳)、ジャロン・エニス(米=25勝26KO無敗1無効試合。24歳)という逸材が躍進中。スペンス、クロフォードといえどもいつまで王座が安泰かわからない。

「兄貴」を追ってウェルター級まで行く

 もう一度アラム氏。ウェルター級ではクロフォードという駒を失い、オルティス(ゴールデンボーイ・プロモーションズ所属)、エニス(PBC所属)に比肩するプロスペクトも傘下にいない。しかし最近、一段とヒートアップしてきたライト級では元統一王者ワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)という至宝を抱え、一度離脱しかけ、統一王座を失ったテオフィモ・ロペス(米)が傘下に戻ってくる様子がうかがえる。

 ロペスから王座を奪取したジョージ・カンボソス(豪州)は5月、自国の大スタジアムで初防衛戦を望んでいる。一躍ステージの中心へ進み出たカンボソスの相手にはWBC世界ライト級王者デビン・ヘイニー(米)のほか、ロマチェンコも候補に挙がる。進展が注目される中、きょう伝わったニュースではWBO世界スーパーフェザー級王者シャクール・スティーブンソン(米)もオプションにあるという。

スーパースター候補シャクール・スティーブンソン(写真:Mikey Williams/Top Rank)
スーパースター候補シャクール・スティーブンソン(写真:Mikey Williams/Top Rank)

 スティーブンソン(17勝9KO無敗)は昨年10月、フェザー級に続いて2階級制覇に成功。同じトップランク社傘下のWBO王者オスカル・バルデス(メキシコ)との統一戦が有力だけに、カンボソス挑戦は大きなサプライズと受け取られる。“メイウェザー二世”とも呼ばれるサウスポーのテクニシャンで、スーパースター候補の24歳。ハンディが多いアウェーへアラム氏が秘蔵っ子を送り出すとは想像できない。しかしスティーブンソン本人も「次の相手はビッグサプライズ」とツイートしており、一部メディアは「カンボソスではないか?」と色めき立っている。

 これだけでも驚きだが、プライベートでクロフォードを「兄貴」と慕うスティーブンソンの野望はウェルター級まで到達することと言われる。メイウェザー、クロフォードの心変わりで達成できなかった夢を老プロモーターはスティーブンソンに託しているのかもしれない。

ボクシング・ビート米国通信員

岩手県奥州市出身。近所にアマチュアの名将、佐々木達彦氏が住んでいたためボクシングの魅力と凄さにハマる。上京後、学生時代から外国人の草サッカーチーム「スペインクラブ」でプレー。81年メキシコへ渡り現地レポートをボクシング・ビートの前身ワールドボクシングへ寄稿。90年代に入り拠点を米国カリフォルニアへ移し、フロイド・メイウェザー、ロイ・ジョーンズなどを取材。メジャーリーグもペドロ・マルティネス、アルバート・プホルスら主にラテン系選手をスポーツ紙向けにインタビュー。好物はカツ丼。愛読書は佐伯泰英氏の現代もの。

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