Yahoo!ニュース

米国代表の元エース、ドノバンが“壁”を越えてメキシコリーグへ移籍

三浦勝夫ボクシング・ビート米国通信員
米国サッカー最高のアタッカー、ランドン・ドノバン(写真:goal.com)

米国歴代最高選手の声も

 青天の霹靂というべきだろうか。サッカーの米国代表の歴代得点王で最多アシスト記録も保持するランドン・ドノバンがメキシコリーグ1部レオンに加入した。15日夜(日本時間16日)ホームのエスタディオ・レオンに約6千人のファンを集めて盛大なプレゼンテーションが開催された。

 まさに彼はアメリカサッカーを代表するアタッカーだった。

 代表チームでは157試合に出場し57ゴールをマーク。ワールドカップは日韓、ドイツ、南アフリカの3大会に出場。北中米カリブ地区の覇権を争うコパ・デ・オロで4回優勝。09年のコンフェデレーションカップ準優勝。多くのゲームでキャプテンマークをつけてプレーした。クラブチームでは05年から足かけ9シーズン所属したロサンゼルス・ギャラクシー時代がもっとも輝いた時期だったが、プロキャリアをスタートさせたのがブンデスリーガ、途中プレミアリーグでもプレー。キャリア初期にはLAギャラクシーと同じMLS(メジャーリーグサッカー)のサンノゼ・アースクエイクスでも活躍した。

 彼はテクニックに優れた選手だったが、最大の魅力は瞬時に相手を抜き去るタテへのスピードと得点感覚の鋭さにあった。一気にゴールへ突き進むダッシュもあれば、ピッチを対角線に滑走しチャンスを構築する走力と視野の広さにも目を見晴らされた。そしてドノバンのゴールは対戦相手に致命的なダメージを与える時間帯、状況でネットを揺らすことが多かった。それは地区のライバル、メキシコとのゲームでも炸裂。毒気に満ちたゴールはCONCACAF(北中米カリブ連盟)ダービー、USA-MEXICOの対決ムードを高揚させた。そのメインキャストはドノバンしかいなかった。

プレゼンでメキシコと米国の小旗を掲げるドノバン(写真:goal.com)
プレゼンでメキシコと米国の小旗を掲げるドノバン(写真:goal.com)

インタビュー拒否

 プレーの冷徹さは、そのまま彼のキャラクターにつながっていた。嫌忌すれば、生意気、不遜、図太いという言葉が当てはまる。ピッチ上の殺し屋ぶりはメキシコを筆頭にワールドカップ予選で対戦したホンジュラスなど中米諸国でも脅威の存在だった。スペイン語でいう「Pesadilla」(悪夢)そのものだった。彼を迎えたレオンのファンも「Amor y Odio」(愛情と嫌悪)が入り混じった複雑な感情にとらわれているという。

 ほかならぬ私もドノバンには苦い思い出がある。

 あれは彼がLAギャラクシーに加入したあたりだったと記憶している。その時、彼は代表チームの合宿にいた。幸い広報の人と知り合いだったので日本の専門誌用のインタビューを申し込んだ。前日から近くのモーテルに泊まり、その日、指定されたパサデナのホテルへ行った。

 チームメイトと朝の散歩から戻ったドノバンを待ち構えた。広報の人が「日本の雑誌の取材を受けてほしい」とリクエストするが、ドノバンは「いやだ」と露骨に言った。「せっかく遠くから来たのでどうか……」と懇願したが、彼は無視して他の地元記者の取材に応じていた。当然、私は落胆したが、同時に「やっぱりな」とも痛感した。それから何年か経過してギャラクシーで大活躍当時の彼を直撃したが、「単独取材は受けない」とこれもけんもほろろに拒否された。

スタジアムで失禁。セレブと結婚

 一方メキシコではW杯でも会場となったグアダラハラのエスタディオ・ハリスコでの放尿事件が有名。試合に備えてチームメイトと練習中にこらえきれなくなり、ピッチの片隅で用を足したもの。以前これはドノバンの悪童ぶりを強調するため、メキシコででっち上げられたエピソードといわれた。しかし今回、入団の際に「若気の至り」と本人も事実と認めている。

 クールなスマイルを浮かべる冷血漢、不遜な態度とは裏腹に私生活のドノバンはナイーブな男に見える。最初契約したレバークーゼンからMLSに移ったのはプレースタイルよりもドイツの環境に順応できなかったせいだといわれた。また同じくブンデスリーガからギャラクシーへ移籍したのは当時交際し、その後結婚する女優が恋しかったためだった。

その女優とは数年後離婚するのだが、ドノバンがギャラクシーでキャリアの頂点に達することを考慮すれば、彼女は“貢献者”と呼べるかもしれない。

キャリア2度目の引退撤回

 南アフリカW杯で活躍したドノバンは4年後のブラジル大会でも大黒柱に挙げられた。確かに全盛期に比べるとパフォーマンスはやや下降していたかもしれないが、チームの精神的支柱として欠かせない存在だと推測された。しかし米国代表ユルゲン・クリンスマン監督は彼を最終メンバーに加えなかった。カリスマへと昇華したドノバンは強烈過ぎる個性がチームにとり諸刃の剣と思われたのではないだろうか。

 ここで一度スパイクを脱いだドノバンは16年、ギャラクシーにカムバック。MLSの年間MVPに6度輝いた男はシーズン終了後2度目の引退を発表した。途中で一般人と再婚し、一児の父となったドノバンはテレビコメンテーターなどを務めながらサッカーと関係を保ち、家族と移り住んだサンディエゴでMLSチーム誘致の推進役を担当していた。

最後はやっぱり金?

 現役復帰にあたり誰もが危惧しているのが3月で36歳になる年齢と1年半のブランク。「1週間前まで再びプレーすることもメキシコへ来るとも想像していなかった。でも代理人から電話があり、(レオンの)会長や関係者と話し決心した。家族もいっしょに来る。同時に契約にサインする前、今までメキシコでプレーしたマルセロ・バルボア、デマーカス・ビーズリー(ともに元米国代表)、ギャラクシーで同僚だったオマール・ゴンサレスとじっくり相談し決断した」とドノバン。流暢なスペイン語を話すのは学校で学習したこともあるが、生まれ育ったロサンゼルス郊外で子供の時からメキシコ系の友達とサッカーに興じたことも影響したようだ。

 オファーを受け、即決した背景には好条件が提示された、とみる。メキシコからの報道ではサラリーは月給185,000ドルというから約2千万円。批判的な記者は「同額で少なくとも南米のベストな選手の誰かを獲得できる」とドノバンの加入に疑問を投げかける。

 ちなみにメキシコ中央部に位置するレオンにはドノバンが塗り替えた米国代表選手最多得点記録を持っていたエリック・ウィナルダが所属していた。また年末、柏レイソル所属のFW伊東純也の移籍先として話題となったチームでもある。他方で昨年レオンBに田中シュウ、富田カイキ(漢字表記不明)の2選手が所属しトップチーム昇格を目指した。

スタンドのファンと交流するドノバン。レオンのリーグ制覇を目指す(写真:Liga MX)
スタンドのファンと交流するドノバン。レオンのリーグ制覇を目指す(写真:Liga MX)

本田圭佑との対決も楽しみ

 レオンの母体は「パチューカ・グループ」で本田圭佑がプレーするパチューカとは兄弟チームの関係。メキシコでは本田のライバルとしてレオンにドノバンが移籍したと伝えるメディアもある。あるいは伊東に代わるキープレイヤーがかつて“アメリカンヒーロー”と呼ばれた男なのかもしれない。

 メキシコ代表の中軸、ジョバニ・ドスサントスが昨シーズン、ギャラクシーに加入。もう一人の攻撃の主力カルロス・ベラがリーガエスパニョーラのレアルソシエダから先日MLSに移籍した。そしてドノバンがリーガMX(メキシコリーグ)へ。両国のライバル関係の象徴でもあったドノバンは果たしてキャリアの最終章を飾ることができるのか?

 今のところ、一時的にファンの目を向けさせても期待通りの活躍は難しい――という意見がメディアの主流。だが、背番号20をつけたサッカーの申し子は「タイトルとトロフィーを皆さんにもたらすために全力をささげる。壁のことは考えていない」とスピーチし、ファンの喝采を浴びた。かつての悪童も性格や態度が丸くなった印象がする。

 彼の言う壁とはアメリカサッカーとメキシコのスタイルの相違とドナルド・トランプ大統領が建設を目指す国境の壁、2つの意味がある。

 因縁や固執がある選手を温かく迎えるメキシコのファン。ボクシングでいえば、同国選手を倒してトップに君臨したマニー・パッキアオやミドル級の帝王ゲンナジー・ゴロフキンを称える姿勢に通じる。最後の花を咲かせるか、客寄せパンダで終わるか。本田との対決も興味深くなってきた。

ボクシング・ビート米国通信員

岩手県奥州市出身。近所にアマチュアの名将、佐々木達彦氏が住んでいたためボクシングの魅力と凄さにハマる。上京後、学生時代から外国人の草サッカーチーム「スペインクラブ」でプレー。81年メキシコへ渡り現地レポートをボクシング・ビートの前身ワールドボクシングへ寄稿。90年代に入り拠点を米国カリフォルニアへ移し、フロイド・メイウェザー、ロイ・ジョーンズなどを取材。メジャーリーグもペドロ・マルティネス、アルバート・プホルスら主にラテン系選手をスポーツ紙向けにインタビュー。好物はカツ丼。愛読書は佐伯泰英氏の現代もの。

三浦勝夫の最近の記事