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日本人とメキシコ人の気質から探る長谷川穂積復活の可能性

三浦勝夫ボクシング・ビート米国通信員
金曜日、開始ゴングとなるメキシコ-日本対決 PHOTO/WBC

辰吉vsシリモンコンの再現か?

1997年11月22日、大阪城ホール。世界戦に3連敗し、絶対不利を予想された辰吉丈一郎がタイのWBC世界バンタム級王者シリモンコン・ナコントンパークビュー(現在シンワンチャーでリングに上がる)に挑戦。王者に攻勢を許す場面もあったが、5回にダウンを奪った辰吉が7回、手に汗握る攻防から爆発。シリモンコンを沈め、王座を奪回した。日本ボクシング史上、名勝負の一つに数えられる一戦を制した“浪速のジョー”はカリスマの存在へと昇華する。

この試合が感動を呼んだのは辰吉が日本人同士の「世紀の一戦」といわれた薬師寺保栄とのタイトル戦に判定負け後、ダニエル・サラゴサ(メキシコ)の持つWBCスーパーバンタム級に2度挑みTKOと判定で撃退されたものの諦めずにキャリアを進め、ファンの期待に最高のかたちで応えたことによる。その復活劇の再現を目指すのが、16日金曜日、大阪(エディオンアリーナ大阪第1競技場)でウーゴ・ルイス(メキシコ=WBC世界スーパーバンタム級王者)に挑戦する元2階級チャンピオン長谷川穂積(真正)である。同日のダブルタイトルマッチのもう一つはWBC世界バンタム級王者の山中慎介(帝拳)が元WBA王者アンセルモ・モレノ(パナマ)との1年ぶりのリマッチに応じる。

長谷川が辰吉のたどった軌跡に重なるのは、その不屈のスピリット、姿勢である。2階級目の王座WBC世界フェザー級タイトルをメキシコのスラッガー、ジョニー・ゴンサレスにTKO負けで失った長谷川は3年後の14年4月、IBF世界スーパーバンタム級王者キコ・マルティネス(スペイン)に挑戦するも3度ダウンを奪われた末、7回TKOで敗退。新聞や専門誌には「引退」、「最後のドラマ」という活字が並び、グローブを吊るすことが確実だと思われた。辰吉のサラゴサ戦ストップ負けに相当する敗北だろうか。いやダメージや精神的なショックは、それ以上だったに違いない。

引退説を否定した長谷川

日本人の世界チャンピオンやそれに順ずる強豪選手は昔も今も引き際を大切にする。業界関係者の話ではタニマチ(後援会)との関係も影響するらしいが、とにかくベルトを失えばスッパリ身を引くケースが多い。それは引退後の生活の保障が日本は他国よりも整備されているからだろう。ある者はジムを経営し、ある者は堅実な職業に就いて第二の人生を歩み、ある者はビジネス界で手腕を発揮している。

WBCバンタム級王座を10度防衛し、同フェザー級も制した長谷川は将来、ボクシング殿堂入りが予測される名チャンピオン。日本リングの“常識”からすれば、マルティネス戦がラストファイトになるのは間違いないところだった。おそらく彼の周囲も引退ムードだったろう。だが長谷川はカムバックを決意する。「マルティネス戦に納得が行かない。“勝ちたい”という気持ちが強い」(長谷川)と理由はシンプル。その美学も同じ関西の先輩辰吉に通じるものがある。

辰吉はカムバックロードの最中、網膜はく離という難題に遭遇した。長谷川の場合はそこまで深刻ではなかったが、それでも世界ランカーを相手にした最近2試合は楽なものではなかった。特に昨年12月のカルロス・ルイス・マチュカ(メキシコ)戦は3ラウンドと5ラウンドにルイス・マチュカの右を食らい、ノックダウンを喫している。スコアカードを見ると他のラウンドはほぼ抑えたようだが、耐久力が問題。相手が本来2階級上のスーパーフェザー級選手というエクスキューズはあるが、不安を抱かせた。

下馬評はルイスのKO勝ち

今回対戦するウーゴ・ルイスは長身のスラッガータイプで戦績は36勝32KO3敗。長谷川が5年前に屈した“ジョニゴン”にスタイルが似ている印象。今回の一戦が決まった時、私は長谷川の不利を直感した。長谷川がフェザー級王座を決定戦で争ったフアン・カルロス・ブルゴス(メキシコ)も長身パンチャータイプ。長谷川は勝利を得たものの、ブルゴスのパンチで劣勢を強いられる場面があり、この手のタイプを苦手にしていると推測される。

メキシコ、南米、米国の関係者にこの試合の予想を聞いてみたが、長谷川が勝つと答えた者は一人もいなかった。いずれもルイスがストップ勝ちすると回答。パワー、耐久力、年齢(長谷川35歳、ルイス29歳)が勝敗を分けるカギだとしている。

マルティネス戦でも最終戦の予感を漂わせた長谷川は、この試合ではもっと緊迫感が感じられる。「もう青コーナーに立つことはない」と宣言しているだけに、負け=引退を決意しているはずだ。憶測するに日本の関係者、メディアの予想もルイスに傾いているのではないだろうか。このシチュエーションは繰り返すが、シリモンコンvs辰吉を想起させ、シリモンコンも長身で懐が深い選手という共通点がある。

勤勉vs怠惰

3度目の王座に長谷川が就く――と仮定すると、真っ先に私は日本人の勤勉さが頭に浮かぶ。もう随分前のことだが、帝拳ジムの選手たちといっしょにロサンゼルスに来た長谷川の練習を見る機会があった。黙っていても練習に没頭してしまう、元々練習量が半端じゃない、常に手を抜かずに練習に取り組む――これらは日本の記者から聞いた長谷川の特徴だが、思い起こせばその時も同様な印象がしたものだ。この日々の努力が本番で結実することも十分考えられる。

対するルイスは4年前、同じ大阪で当時のWBA世界バンタム級王者亀田興毅に挑戦。結果はスプリット判定負け。敵地(日本)での1-2判定負けは「勝ちに等しい」とも受け取られる。しかし亀田の勝利に異議を唱える者は少なかった。KO率の高さから危険極まりない挑戦者(肩書きはWBA暫定王者)と畏怖の目で見られたルイスだが、経験不足もあってか、亀田に強打は封じられてしまった。計量を3度目でやっとクリアしたように調整にも問題があった。

サボテンをバックにソンブレロをかぶり、ポンチョ(メキシコではサラペという)をまとったメキシコ人。昔から彼らはルーズだという汚名を着せられているが、本当だろうか?

身近に接するメキシコ人たちを見て私はルーズだとは思わない。若干、米国に住んでいるメキシカンの方が本土にいる人たちより勤勉だという気がしないでもないが、大差はない。ただ彼らの人生観は日本人と異なる。メキシコ人が日本人を皮肉る時、「我々は生きるために働く。日本人は仕事をするために生きている」と言う。これをボクシングに当てはめると、「メキシコ人は勝つためにトレーニングするが、日本人は練習にも生き甲斐を求めている」となろうか。

練習の虫、長谷川。再度3階級制覇にチャレンジする
練習の虫、長谷川。再度3階級制覇にチャレンジする

メキシコ人は反省しない?

話は変わるが、リオ五輪でほぼ目標どおりにメダルを量産した日本に比べ、メキシコはさっぱりだった。経済規模が世界15位の国が大会終盤までメダルゼロ。さすがに世論が騒ぎ出し、エンリケ・ペニャニエト大統領の友人で選手団長にあたる文化体育スポーツ委員会のトップ、アルフレド・カスティーリョ氏がヤリ玉にあげられた。あれこれと弁明する同氏の姿がテレビに映っていたが、メキシコ選手が競技中にノヴァク・ジョコビッチとプライベートにテニスを楽しむなど評判はよくなかった。

メキシコ国内のメディアは自国の不振の原因を同委員会や政治家の腐敗だとレポートした。そして五輪が終了すると、金0、銀3、銅2に終わった結果を「まずまずの成績だった」と報道するところがほとんど。厳しい追求は行われなかった。個人的には「なぜ勝てなかったのか?」ともっと選手と指導陣の責任を検分してほしかった。

もちろんスペイン語にも「反省する」という言葉はあるのだが、あまり幅を利かせているとは思えない。失敗してもあまり気にしないという性格は調子に乗って押せ押せの時は有利に働く。しかしいざ頓挫すると行き場を失ってしまう。何も対メキシコ人だけに言えることではないが、長谷川はルイスのリズムを崩すことが攻略の第一歩だろう。

経験豊富な長谷川はその辺は抜かりないはず。パワーで勝負するルイスには鋭い出入りの動きやアジリティー(機動力)で対処するのが有効か。ルイスは亀田興毅と対戦していることもあり、長谷川のサウスポースタイルを苦にしないと見られる。セオリーどおり「サウスポーへの右強打」を狙ってくる。序盤のKO勝ちが多いルイスだけに出だしは、できるだけ慎重に戦うのが得策だろう。バンタム級王座を奪ったウイラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)戦のような右フックのカウンターが炸裂する期待も膨らむ。

ボクシングは別物なのか

オリンピックで勝てなくともボクシングでは優位に立てると思っているメキシコ人は多い。日本のファンや関係者もメキシコのボクシングに一目置く者が少なくない。だがアマチュアでは今回のリオ五輪、メキシコは銅メダル1個に終わった。その銅も16年ぶり。プロでメキシコが強いのは、いわゆるプロ向きなアグレッシブな戦法の選手が重宝され、マッチメークに恵まれていることが幸いしている。

今回、長谷川はアマチュアスタイルで対処することも効果的かもしれない。ボクシングと他のスポーツは異質なものと私は思っているが、以前よりプロ向きになっているアマチュアボクシングでも、リオ五輪を見る限り、やはり“点取りゲーム”だった。日本のトップボクサーの中でもロードワークで最速を誇る長谷川は、そのアスリート能力を発揮したい。「用意ドン」の競争はけっこうメキシコ人の苦手とするところなのだ。

そうやって長谷川がコツコツとポイントを積み重ねても、一撃で状況をひっくり返すパンチ力をルイスは秘めている。これだけは何も忠告できない。亀田戦では期待はずれに終わったルイスだが、王者に就いたこともあり調整は周到に違いない。小技を大技で斬って捨てる大胆さは、メキシカンならではのもの。マッチョの豪快な性格がここで生きてくる。

秒殺劇で豪快に同胞フリオ・セハを倒して戴冠したルイス PHOTO/PBC
秒殺劇で豪快に同胞フリオ・セハを倒して戴冠したルイス PHOTO/PBC

マネーへの執着はどっち?

決戦までわずかとなり、私自身はルイス優位はやはり動かないと思う。最後にファイトマネーの観点から両国をチェックしてみよう。

メキシコ在住の日本人マネジャーから聞いた話だが、日本で戴冠したメキシコ人世界チャンピオンが自国で行った2度目の防衛戦で稼いだ金額は普通のメキシコ人の約10年分の収入だったという。もちろん個人差があるから一概には比較できないが、日本で年収の10倍というと少なく見積もっても3500万円から4000万円ぐらいに達するのではないだろうか。

1試合でこれだけ稼ぐ世界王者はザラにはいない。物価が違い、出費も多いから何とも言えないが、10年間暮らせるメキシコに対して日本はせいぜいその半分ぐらいではないか。そうなると勝利のモチベーションは日本選手の方が大きいとも解釈される。アウェーの日本で戦うルイスはそれなりの魅力的な報酬が用意されているだろう。一方で王者に復帰すれば、また実入りが増える長谷川も当然、負けられない。

勤勉、緻密、スピード、スタミナとストロングポイントが豊富な長谷川だが、メキシカンのパワーと大胆さはそれを包含してしまう。やはり見逃せないカードだ。

ボクシング・ビート米国通信員

岩手県奥州市出身。近所にアマチュアの名将、佐々木達彦氏が住んでいたためボクシングの魅力と凄さにハマる。上京後、学生時代から外国人の草サッカーチーム「スペインクラブ」でプレー。81年メキシコへ渡り現地レポートをボクシング・ビートの前身ワールドボクシングへ寄稿。90年代に入り拠点を米国カリフォルニアへ移し、フロイド・メイウェザー、ロイ・ジョーンズなどを取材。メジャーリーグもペドロ・マルティネス、アルバート・プホルスら主にラテン系選手をスポーツ紙向けにインタビュー。好物はカツ丼。愛読書は佐伯泰英氏の現代もの。

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