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あの日、沖縄は外国だった 日本の中の「リトル沖縄」の歴史と今を見つめる ~本土復帰50年~

南龍太記者
川崎で開催される「はいさいFESTA」のパンフレット

 5月15日、太平洋戦争終結後27年にわたって米軍の施政権下に置かれていた沖縄が日本本土に復帰して50年を迎える。復帰する以前は、沖縄から出る際にパスポート代わりの証明書が求められるなど、そこは日本ではなかった。

 もともと王国であった過去、琉球処分と県の設置、太平洋戦争を経て米軍による分離統治、そして復帰という曲折の歴史を辿ってきた沖縄。米軍基地をはじめ未解決の問題が残り続けている。

 日本の一県でありながら特異な存在感を放ち、日本国内に「リトル沖縄」と呼ばれるような、強固な同郷コミュニティも点在する。厳しい貧困や飢餓から逃れようと1世紀以上前に島を出ていった人々の歩んできた道のりを、日本有数のコミュニティがある3地域、鶴見、川崎、大阪から展望する。

鶴見

 4月に始まったNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」の舞台の一つとなった横浜市鶴見区。話題づくりにつながるとして歓迎する声が聞かれる。JR鶴見駅の南東側、臨海部にほど近い仲通商店街の辺りは「沖縄タウン」と呼ばれ、沖縄の物産や料理を扱う店が多いエリアだ。

 沖縄出身者同士が親交を深める「鶴見沖縄県人会」ができたのは1953年。加盟世帯は漸減傾向にあるとされ、現在は数百世帯が暮らす。進む高齢化が課題となる中、結束を強める気運を高めようと、県人会が冊子を作ったほか、鶴見を舞台とした映画『だからよ~鶴見』が制作されるなど、沖縄タウンとしての魅力のアピールに努めている。

 「ちむどんどん」の放送開始にあわせ、鶴見の街並みや見どころをツイッターやYouTubeで紹介もしている。

 このエリアは「沖縄タウン」と呼ばれるとともに、「沖縄・南米タウン」という別称もある。南米からの移民が多いためだ。

 横浜市が住民基本台帳に基づいてまとめた統計によると、鶴見区は市内18区のうち中区に次いで2番目に外国人が多い。市立小学校に通う外国人数は2021年5月時点、鶴見区が545人で最多とされる。

 特にブラジル人やペルー人の増加が顕著だ。鶴見区の「国籍別外国人住民数の推移」を示す上図の通り、1990年より前はほぼ韓国・朝鮮が内訳の9割を占めていたが、1990年代に入るとブラジル人、ペルー人の存在感が一気に高まる。現在最多の中国人よりも、ブラジル人のほうが多い時期があったほどだ。

 この急増の要因として、1980年代後半のバブル景気に伴う労働力・人手不足を背景とした出入国管理法の改正がある。1990年に施行されたこの改正法により、日系人が入国しやすくなった。

 そして、彼ら日系人のルーツを辿ると必ず行き着くのが沖縄出身者だ。100年以上前の明治時代から、厳しい貧困状態にあった沖縄では、毒性のある植物ソテツをも食べて飢えをしのいでいた「ソテツ地獄」から抜け出そうと、多くの沖縄の住民が島外を目指した。日本国内のみならず、ハワイや南米などの外国を目指した一行も少なくなかったという。

 1899年から約40年の間に移住者は7万人を超え、県民の約1割が移住した計算になるという(沖縄県庁ホームページに掲載「<統計トピックス>沖縄と移民の歴史」より)。

沖縄県庁ホームページに掲載「<統計トピックス>沖縄と移民の歴史」より
沖縄県庁ホームページに掲載「<統計トピックス>沖縄と移民の歴史」より

 海外に移り住んだ同郷人が情報交換や互助を求めてコミュニティや県人会を結成するのは沖縄出身者に限らず、珍しいことではない。ないが、琉球から変遷を遂げた沖縄を離れて「外」に住み、その間に故郷沖縄が米国の統治下に置かれ、再び日本に復帰する――。その激動のさまを日本の外・異国に居ながら目撃してきた沖縄人、その子孫に当たる二世、三世たちは、複数の国・属性の間で揺れる複雑なアイデンティティーの持ち主でもあった。

個々の県人会と全体を束ねる組織との絶妙なバランスは,必ずしも一枚岩とは言い難かった第二次世界大戦前の日本人移住者,日系のあり方も踏まえ,お考えになった成果ではないかと考えます。

 2016年9月に開かれた「沖縄県人ペルー移住110周年記念式典」の席で、当時の株丹達也大使はそう語った(外務省ウェブサイトより抜粋)。

 ペルー、ブラジル、そしてハワイといった大正期に多くの沖縄人が渡った土地をはじめ、世界中に沖縄県人会がある。そしてそこで育った人々は日系人であると同時に、「沖縄系人」と自称した。

 その彼らや子孫がまた、1990年に日系ペルー人、日系ブラジル人として横浜、川崎などに戻ってきた。そうした系譜を辿り、沖縄系人は「那覇と那覇以外」「本島と離島」といった二重、三重に複雑な複層構造を持つ。

 琉球処分で日本国に組み入れられながら、戦後処理には分離統治という手段で日本国から切り離された沖縄。日本に復帰するまで、沖縄から東京などの本土へ行くには、米国民政府による「日本渡航証明書」が必要だった。

川崎

「ハーイーヤー」「イーヤーサーサー」

 2022年5月、青天のもと第19回となる「はいさいFESTA」が川崎市川崎区の複合商業施設「ラチッタデッラ」界隈で開かれている。その一環で地域の有志らがエイサーを披露。演者らの掛け声と打ち鳴らす太鼓の勇ましい音色がこだまし、数百人の観衆がじっと見守り、拍手を送った。イベントは5月6日現在、今も開催中だ。

エイサーを披露する有志団体=川崎市
エイサーを披露する有志団体=川崎市

 川崎でこうしたイベントが開かれるのは隣接する鶴見同様、多くの人が沖縄から移り住んできた長い歴史があるからにほかならない。

 移住者が相当数に上った1924年、「富士瓦斯紡績」が競馬場跡地に建てた紡績工場に勤めていた県出身者らによって「川崎沖縄県人会」が結成された。現在その工場があった付近には「富士紡績と競馬場」という案内板が設置され、

川崎の工業都市化を決定づけた富士紡績。女工二千人。沖縄出身者も多く、沖縄芸能が川崎に根づいた

と記されている。

 その沖縄民俗芸能は、1954年に神奈川県の無形文化財、1976年には県重要無形民俗文化財に指定された。そうして長らくエイサーや三線といった芸能が脈々と受け継がれ、こうしたフェスタなどの場で演じられている。

 「音楽・映像・食・酒・伝統芸能 大沖縄文化祭」として例年5月に開催されているが、新型コロナウイルス感染拡大に伴い、2020年は9月に開催、21年は規模を縮小して行われた。今年も感染対策に留意しながら、沖縄出身者や沖縄好きが集まり、沖縄料理に舌鼓を打ちつつ、エイサーやバンド演奏を楽しんだ。

 県人会も露店を出し、手作りのジューシーやサーターアンダギーを販売していた。県人会青年部のリーダー、宮古島出身の友利充秀さんは「コロナ禍で昨年は規模を縮小していたが、今年は拡大できてありがたい。天気にも恵まれて嬉しい」と語った。

 会場から数百メートル先にあるJR川崎駅。駅前には、魔除けの役割を果たす沖縄の石碑「石敢當」(いしがんどう)が設置されている。復帰前の1959年、沖縄・宮古島を襲った台風による被害への支援として川崎市内を中心に募金活動が行われた。石敢當はその募金に対する返礼として贈られたそうだ。

川崎駅前にある石敢當
川崎駅前にある石敢當

大阪・大正区

 ところ変わって大阪市。住民の5人に1人、日本一外国人比率が高い自治体と言われる生野区をはじめ、多種多様なバックグラウンドを持つ人たちが住む。「リトル沖縄」を擁する大正区もそれに彩りを加える行政区の一つだ。

 2015年ごろ、筆者は大正区にあるリトル沖縄を取材した。当時のデータになるが、「大阪沖縄協会の推計では、大正区民の2割強は本人か親族が沖縄出身。最初の一団が移り住んで1世紀となる」そうだ。当時の沖縄は不景気で、多くの人が職を求めて働き口の多い大阪や横浜、川崎などに渡った。特に大正区は航路の便が良い海沿いの工業地帯だったため、格好の移住先となった。

 そうした移住の歴史を背景に、大正区には多くの三線の音色とともに歌って踊れてお酒が飲める沖縄の「民謡酒場」が多くでき、賑わった。

 1世紀ほど前、沖縄から大阪へ移り住んできた第一陣の「ウチナーンチュ」(沖縄人)は、鶴見や川崎と同様、住居や銀行融資の手続きで何かと差別的な扱いを受けてきた。理不尽に耐えながら、今に連なるコミュニティの礎を築いてきた。

 当時、取材した大正区の民謡酒場「うるま御殿」。沖縄県今帰仁村出身の店主、川上清満さんは2015年当時、「ここは沖縄県大正村。そう思って、20年先もお客さんをもてなしたい」と話していた。

演奏と歌で賑わう「うるま御殿」、2015年撮影
演奏と歌で賑わう「うるま御殿」、2015年撮影

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あれから7年、コロナ禍という世界を一変させる事象も障壁となり、もう長らく大阪に行けていない。

(写真はいずれも筆者撮影)

記者

執筆テーマはAI・ICT、5G-6G(7G & beyond)、移民・外国人、エネルギー。 未来を探究する学問"未来学"(Futures Studies)の国際NGO世界未来学連盟(WFSF)日本支部創設、現在電気通信大学大学院情報理工学研究科で2050年以降の世界について研究。東京外国語大学ペルシア語学科卒、元共同通信記者。 主著『生成AIの常識』(ソシム)、『エネルギー業界大研究』、『電子部品業界大研究』、『AI・5G・IC業界大研究』(産学社)、訳書『Futures Thinking Playbook』。新潟出身。ryuta373rm[at]yahoo.co.jp

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