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沖縄のステーキは、なぜ他の都道府県と違うのか

松浦達也編集者、ライター、フードアクティビスト
ジャッキーステーキハウスのテンダーロインステーキ(筆者撮影)

「〆はステーキさー」の衝撃

「こっちの〆はステーキさー」。宮古島の人にそう教えてもらってから、早いものでもう15年以上が経つ。

沖縄の離島のなかでも、宮古人はとびっきりの酒好きだ。初めて〆のステーキに連れて行ってくれたのは、平良港で釣具屋を営み、昼は畑もやっているナカマさんだったか、朝はクルーザー、昼はユーノスロードスターを駆り、夜は西里でバーを営んでいたソナンさんだったか……。

その日は夕方から「おとーり(宮古島の回し飲み習慣)」を回したあと、深夜に島一番の繁華街、西里のスナックに連れて行ってもらった。

ドアを開けると、そこはオカアサンが一人でやっている店だった。ホワイトボードには中味汁とかチャンプルーといった定番沖縄料理のほか、「煮物」なんて書かれていたと思う。正体不明のメニューがあるのは、全国スナック共通の法則だが、そこに「ステーキ」の4文字はなかったと思う。

思わず、宮古島の先輩に「大丈夫なんですか?」と小声で聞いてしまった。そもそもステーキがあるのかわからない上、失礼ながら目の前のオカアサンにステーキが焼けるのか、という気持ちもあった。ナイチャーである僕は、年配の女性が上手にステーキを焼くのを見たことがなかったからだ。先輩はニヤッと笑って「水割りとステーキふたつねー」と注文する。「はいよー」とさらりと返事が返ってきた。

泡盛の水割りを飲みながら、待つこと数分。ジュウジュウと焼けた鉄板の上には褐色の宝物が鎮座している。脇にはもちろん沖縄定番のA1ソース。ざぁっと回しかけて、ナイフを入れる。ソースの雫を垂らしながら、口に運ぶと、深酒の陶酔感に加えて、深夜2時の罪悪感も手伝ってか、恍惚が全身に走った。旨い。何が旨いのかわからないくらい旨い。深夜に味わう、〆のステーキの恐ろしさを知った。

2020年現在は、沖縄での飲みの〆が「ステーキ」だというのはずいぶん知られるようになった。それどころか沖縄飲みの〆も、昔はステーキ一辺倒だったのが、最近の沖縄の若者は、ラーメンで〆ることもあるという。そのことに驚く自分も含めて、変われば変わるものだ。異文化は溶けて、混ざり合う。

そもそも沖縄のステーキ文化は、他の肉食が盛んな地域とはまったく違う文脈で始まっている。現在へと続くステーキ文化を持ち込んだのは、第二次大戦後、沖縄に駐留していた米軍である。だが沖縄市民にステーキを浸透・定着させたのは、実は沖縄県外の人だという。

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編集者、ライター、フードアクティビスト

東京都武蔵野市生まれ。食専門誌から新聞、雑誌、Webなどで「調理の仕組みと科学」「大衆食文化」「食から見た地方論/メディア論」などをテーマに広く執筆・編集業務に携わる。テレビ、ラジオで食トレンドやニュースの解説なども。新刊は『教養としての「焼肉」大全』(扶桑社)。他『大人の肉ドリル』『新しい卵ドリル』(マガジンハウス)ほか。共著のレストラン年鑑『東京最高のレストラン』(ぴあ)審査員、『マンガ大賞』の選考員もつとめる。経営者や政治家、アーティストなど多様な分野のコンテンツを手がけ、近年は「生産者と消費者の分断」、「高齢者の食事情」などにも関心を向ける。日本BBQ協会公認BBQ上級インストラクター

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