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36歳の堀江翔太が元気なワケ「ラグビーが面白い」

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
準決勝の東京ベイ戦でもいぶし銀のプレーを見せた埼玉の堀江翔太=22日・秩父宮(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

 ラグビーのリーグワンの初代王者を目指し、埼玉パナソニックワイルドナイツ(埼玉=旧パナソニック)が29日の決勝(東京・国立競技場)へ進出した。強烈な存在感を示すのが36歳のフッカー堀江翔太。「30歳の頃より、いい感じで動けています」と、笑顔で言い切る。

 22日の準決勝、東京・秩父宮ラグビー場でのクボタスピアーズ船橋・東京ベイ(東京ベイ=旧クボタ)戦。後半10分過ぎ、堀江がピッチに入ると、スタンドから大きな拍手が湧きあがった。トレードマークとなった個性的なドレッドヘアとまくし上げた短パン。軽快な走りでボールに絡み、コンタクトエリアでもからだを張る。ラインアウトのスローイングはもちろん、的確なポジショニングとラン、ベテランらしいいぶし銀のプレーでチームを勢いづけた。

 堅いモールディフェンスにしろ、トライにつなげたドライビングモールにしろ、埼玉FWは結束し機能的に動いた。なぜ?と聞かれると、堀江は「特別なことはしてないですよ」とそっけない。

 「ただ、ひとりひとりの役割をしっかりやろうという話はしていて、それがうまく回っていたということです。モールが動いたから、自分はそこについていっただけです」

 それにしても、堀江はすこぶる元気だ。2019年のラグビーワールドカップ(W杯)日本大会の後、代表活動からは離れた。からだのコンディションがいいのは、佐藤義人トレーナーとトレーニングする時間が増えたからだろう。好調の理由を聞けば、ベテランは「佐藤さんのおかげです」と即答する。

 「佐藤さんとはもう、7年ぐらい、一緒にトレーニングしてきました。30歳の頃まで知らなかったS&C(ストレングス&コンディショニング)や、からだの使い方を教えてもらってきたんです。それが、すごくよくて」

 堀江は20代の後半、首の怪我に苦しんでいた。だが、2015年W杯の半年前、手術に踏み切り、佐藤トレーナーの指導でコンディションが劇的に改善された。

 「どの筋肉を使うことがそのスポーツに適しているのか。ラグビーは筋肉のここをつけなあかんという必ずベーシックなところがあるけど、バスケットボールだったり、サッカーだったり、ラグビー選手とは違う筋肉を使って、どういう風に動かすのがいいのか、それが大事なんです。それを知らない状況で30歳の頃までやってきて、首に爆弾抱えて、爆発したわけです」

 とくにスポーツ選手にとって、からだの使い方は重要である。それが分かれば怪我のリスクが減り、無駄な動きも少なくなる。

 「ランニングひとつとっても、ボールを持ってない時にダメな走り方をすると、そこで体力を削られるんですよ。いざ、自分がプレーせなあかん時に体力がなくて、いいプレーができなくなる。ボールと関係ない時、省エネでからだを動かせるかどうかが、ボールキャリアやタックルや重要なプレーの時、いい動きができるかどうかにつながるんです」

 もちろん、細かいスキル指導はラグビーのコーチから受けるにしても、「スクラムもタックルもボールキャリアも全部、ラグビーを知らない佐藤さんに教わっています」と説明する。

 運動力学の基礎や身体運動の仕組み(メカニズム)を知ることがいかに重要か。つまるところ、からだを知ることからスポーツは始まる。堀江は自分のようなケガを子どもたちにしてほしくないと考えている。だから、トレーナーを育成する講習会などの必要性も訴えるのだった。

 堀江は、過日発表された日本代表候補にも選出された。この日は日本代表のジェイミー・ジョセフヘッドコーチが視察に訪れていた。代表には不可欠な選手だろう。だが、当の本人は「僕のパフォーマンスを見て選んでくださいという話はしました」と淡々としたものだ。

 来年のW杯フランス大会に出場すれば、4大会連続のW杯となる。年齢を重ね、ラグビーに対する取り組み方も変わってきた。チームの決まり事はともかく、以前のように日々、練習のこと、自分の課題などをノートに書かなくなった。

 「試合に出ると、もう何も考えずに、今までやってきたことをやるしかないんです。ただ楽しもうとしか考えていません」

 もはや達人の域か。自然体というか、泰然自若というか。いかにも楽しそうなのだった。ラグビーってオモシロいですか、と聞けば、堀江は明るく言い放った。

 「オモシロいですね」

 決勝戦のポイントは。

 「決勝という舞台で、大きなスタジアムで気持ちが上がって、自分たちのやることを見失うことが多いと思うので、しっかり自分たちのやるべきことをやるということじゃないですか」

 初代王者へのこだわりは?

 「知っていると思うんですけど、“トップリーグラスト”とか、“リーグワン最初”とか、僕は気にしてないです。要は、試合に勝つか負けるかなので」

 そう言うと、記者と一緒になって笑うのだった。一戦一戦に最善を尽くす。ただ試合を楽しむ。ベテランならではの味わい深い言葉だった。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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