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寂しい幕切れ。なぜ7人制ラグビーの日本女子は1勝もできなかったのか。

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
最下位に終わった7人制ラグビーの女子日本代表(写真は30日・日本-ケニア)(写真:ロイター/アフロ)

 無観客の寂しいスタンド、無勝利の哀しい幕切れ。東京五輪で、メダル獲得を目指した7人制ラグビーの女子日本代表『サクラセブンズ』は最後の11・12位決定戦でもブラジルに敗れ、12チーム中最下位に終わった。

 31日の東京スタジアム(味の素スタジアム)。強い夏の日差しが照りつける中、日本選手たちはグラウンドを懸命に走り回った。「とにかく、自分たちのラグビーをやり切ろう」。そう言い合っての最終戦。自分たちのラグビー 、すなわち、人とボールが動き続けるラグビーをしようとの意図は伝わってきた。

 ランの方向を変えるアングルチェンジ、相手のディフェンスラインの裏を狙うゴロキック…。グラウンドを幅広く使い、開いたスペースをついていこうとするが、接点で後手を踏み、ボールを奪取された。細かいハンドリングミスもあった。密集周りも抜かれた。

 結局、12-21でノーサイド。体力、気力を振り絞った選手たちは緑の芝生に崩れ落ちた。ミックスゾーン(取材エリア)。「アタックで迷いが出てしまった」と、梶木真凛は涙を流しながら悔やんだ。

 「自分で勝負するのを怖がっちゃって、強く仕掛けることができなった。そのあたりが負けた原因だと思います」

 共同主将の清水麻有はこう、言った。

 「選手たち全員、最後まで諦めなかったんですけど、セットプレーからボールがうまく出なかったり、細かいところのミスが出たりして、このスコアになったんだと思います。個人としても、チームとしても、悔しさが残るオリンピックになりました」

 7人制ラグビーが初採用された2016年リオデジャネイロ五輪で、日本女子は10位だった。プール戦ではブラジルに勝った。それから5年。この東京五輪では、プール戦で3戦全敗。とくにアジア予選で勝ち上がってきた中国には0-29で完敗した。これは痛い。その後、9-12位順位決定予備戦でケニアに競り負け、この日、ブラジルにも勝てなかった。

 つまり、サクラセブンズの成長速度よりも世界各国の成長速度の方が速かったことになる。今回、日本チームの平均年齢は22歳と若い。リオ五輪経験者は、追加の山中美緒を加え、わずか2人だった。もう1人のリオ経験者、小出深冬は「悔しいですね」と漏らした。

 どんなオリンピックでしたか、と聞けば、25歳は「苦しくて、悔しくて、楽しかった大会でした」と明かした。

 「苦しさは、勝てなかったから。でもリオの時は会場の雰囲気に飲み込まれて大会を楽しめなかったんですけど、今回は少しだけ、周りが見えた感じです。そこが、少し楽しかったのかなって」

 この5年間の他国との力の差については、「ちょっと開いたのかなという感じです」と漏らした。冷静、かつ正直なのだ。

 「例えば、試合の運び方だったり、1つひとつのスキルの面だったり…。5年前より、どの国もいろんなスキルや戦術を高めてきていました。日本もラグビーの面ではすごく成長したと思うんですが、世界のレベルにはまだまだ逹していなかったのかなと思います」

 他国のラグビーの進化を見れば、個々のフィジカル、スキル、体力、スピードのアップは当然として、チームとしての戦術面、防御システムが上がっている。例えば、一番大事なキックオフはどうするのか、どうボールを確保するのか、といったことである。

 片や、日本の強化戦略はどうだったのか。指導体制でいえば、昨年末、ヘッドコーチ(HC)が稲田仁氏から、ハレ・マキリ氏に唐突に変わった。戦い方も変わった。選手が戸惑わないはずがない。しかも新型コロナの影響で国際マッチをほとんどすることができなかった。とくに戦術や防御システムは実戦でしか磨かれない。

 果たして、選手たちはマキリHCの目指すラグビーを自分たちのものに完全にしていたのかどうか。指導期間の短さの影響を聞けば、マキリHCはこう、応えた。

 「自分は短かったけれど、チームの強化期間は4、5年あった。(HC期間は)もっと長ければよかったけれど、与えられた期間にベストを尽くすのが私の仕事だ」

 さらにいえば、そもそも選手選考はどうだったのか。選手の発掘は。結果として、『世代交代』はうまくいったのか。あるいは、女子ラグビーの環境はどうなのか。クラブチームは、大会は。普及と強化は両輪である。また、15人制と7人制の選手のすみ分け、強化のバランスはどうするのか。

 12チーム中11位に終わった日本男子とともに、まずは日本の7人制ラグビーの“現在地”と強化体制、ラグビー環境を検証しなければなるまい。3年後のパリ五輪での勝負はもう始まっている。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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