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ソフトボール上野由岐子、39歳バースデー「金メダルは与えられるものではなく、つかみにいくもの」

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
22日に39歳の誕生日を迎えたソフト日本代表の上野由岐子投手=福島・あづま球場(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 鉄腕ウエノが五輪のマウンドに戻ってきた。東京五輪の開会式前日の22日。39歳バースデーの上野由岐子が、2試合連続で先発登板し、日本の連勝発進に貢献した。笑顔がはじける。

 「この1勝はかなり大きかったと思います。からだがいっぱいいっぱいだったんで…。39歳をリアルに感じながら投げました」

 ソフトボールの1次リーグのメキシコ戦。東日本大震災の被災地・福島のあづま球場だった。赤銅色の土のマウンドで、真っ赤なユニフォームのエースが躍動した。炎のごとく。トシの差が19歳、ハタチの左腕、後藤希友(みう)の好リリーフをあおぎ、日本が延長8回の死闘を3-2のサヨナラ勝ちで制した。

 上野は開幕戦の豪州戦(〇8-1)で85球、2戦目のメキシコ戦では121球をそれぞれ投げた。金メダルを獲得した2008年北京五輪の終盤2日間の「上野の413球」と比べるとどうってことない投球数だが、当時より年齢は13歳、加わった。体力的な衰えは隠せない。「若い時みたいに寝たら元気になるというのはもう、ないです」。ソロ本塁打を浴びた。10奪三振、2失点。7回無死1、2塁のピンチで後藤と交代した。

 この日朝、上野は宇津木麗華監督から2日連続の先発を告げられた。もちろん、投げる準備はできていた。できるかぎりのからだのリカバリーもやっていた。「誕生日だから投げるのかなという感じでした」と笑った。

 連日の気温30数度。マウンド上は40度近くまで上がっていたかもしれない。酷暑の中、試合は1点を争う好ゲームとなった。序盤は初日の反省を生かし、ストライクを積極的にとりにいった。メキシコ打線は、だれもがバットをしっかり振ってきた。「我慢比べだった」と、上野は振り返った。

 「やっぱり(日本)リーグでは、体力的に後半、疲れることを感じながら投げていました。こうやって、暑い中で試合するのは、私たちは久しぶりだったんで」

 ピンチでの降板は「先輩として、いい状態でバトンタッチしてあげたかった」と声を落とす。その後輩が後続を断ち切った。球に勢いがあった。上野は言った。

 「やはり後藤のピッチングを見ていると、自分のハタチの頃を思い出しますね。若い頃、自分もこんな感じだったのかなって。“イケ、イケ、ゴー、ゴー”というか」

 この開幕2連戦は、被災地が舞台となった。東京五輪は「復興五輪」とも形容されている。だから、上野は「福島の人たちの思いに自分たちがどれだけ応えられるのか」を意識した。

 「一球一球、思いを込めて投げられた。ほんとうに自分が持っているものすべてを、このグラウンドに置いてこられたと思います」

 上野は試合後、球場外の記者と交わるミックスゾーンに最後に現れた。新型コロナ対策として、記者との境の白いフェンスからは3メートルほど離れ、記者同士もソーシャルディスタンスが確保されていた。

 周辺の森から、セミの合唱がうるさい。話題が誕生日に集まった。「若さを保つ秘訣は?」と聞かれると、白マスク姿の39歳は「モチベーションだと思います」と言った。

 「気持ちがすべて。意欲があるから、この年齢でもこうやってプレーできるんじゃないかなと思います」

 そのモチベーションを高めるのは?

 「やっぱりソフトボールが好きということと、投げていて楽しいという思いからです」

 最後に。

 神様がバースデー・プレゼントとして、何でも与えてくれるとしたら何がほしいですか、と記者から聞かれた。「え~、何が欲しいだろう」と上野はしばし、考えこんだ。はにかみながら、「自由がほしいです」と漏らした。どこか切ない。

 おそらく東京五輪の金メダルと返ってくると想像していた。金メダルじゃないんだ、と記者から言われると、上野は言葉に力をこめた。首筋に大粒の汗が流れ落ちた。

 「それは、みんなが望んで、戦っているものなので…。(金メダルは)与えられるものというより、獲りにいくというか、つかみにいくものという感覚です」

 心身の強さ。年輪を重ね、打者との駆け引きにも磨きがかかった。金メダルにかける勝負根性もまた気高いのだ。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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