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35歳まで全力疾走、五郎丸「日々の努力、夢への近道」

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
2015年ラグビーW杯では南アフリカを破る立役者となった(写真:アフロ)

 いかにも五郎丸らしい引退発表会見だった。記録にも、記憶にも残るラグビーの大選手。16日、34歳の元日本代表の五郎丸歩(ヤマハ発動機)が来年1月開幕のトップリーグを最後に引退することを表明した。その時は35歳。「(ヤマハと)22歳でプロ契約させてもらったとき、35歳まで戦い抜くと決意していました」と引退する理由を静かな口調で語り出した。

 「なぜ35歳かというと、自分のパフォーマンスを出せるトシは35までだという気持ちが強かったからだと思います。アスリートは、体力だけでなく、気力も非常に大事になってきます。その気力の部分が、自分の中で衰えていることを感じ、この節目で現役を退くことが、自分にとっても、周りにとっても、ベストだという決断に至りました」

 なぜ、トップリーグ前というタイミングかといえば、自分を支えてきたファンを思ってのことだった。あの2015年のラグビーワールドカップ(W杯)での大活躍を契機とし、ファンが一気に拡大した。とくに子どもたちの人気者となった。昨季のように、新型コロナウイルス禍の影響で突然、リーグが打ち切られる可能性もある。

 「引退発表会見はシーズン後にするのが本来の形であると思っています」と言いながら、五郎丸は丁寧に説明した。実直、誠実な男だ。

 「昨季はコロナの影響で6試合をもってシーズンが終了しました。それが大きな要因です。もしかしたら、途中で中断してしまうかもしれないシーズン前にしっかりとあいさつをさせていただき、自分のラストシーズンを迎えることが、礼儀であると考え、この会見を(チーム側に)承諾していただきました」

 記者会見が開かれた浜松市内のホテルの会場には、新型コロナの感染防止のため、出席は静岡県内のメディアに限られ、県外のメディアはオンラインによる参加となった。「一番思い出に残るシーンは?」と聞かれると、五郎丸は「やはり日本のラグビーの歴史を変えた(2015年ラグビーW杯の)南アフリカ戦が本当に心に残っています」と答えた。

 「その次のスコットランドに大敗したことも、ヤマハのチームとしての(リーグの)入れ替え戦も心に残っています。一番を選ぶことは非常に難しいですね。すべての試合、すべての練習が自分の中では一番です」

 続けて、「早稲田大学時代、一番の思い出は?」と聞かれると、「みなさん、一番が知りたいのですね」と苦笑いを浮かべた。

 「1年生で日本一をとったときは特別な瞬間でした。次の年の日本選手権でトヨタ自動車に勝ったのも、あの2015年(のラグビーW杯)に大きくつながっています」

 五郎丸といえば、ゴールキックを蹴るときの独特のポーズである。2015年のラグビーW杯で、一躍、時の人となった。「ラグビーにヒーローはいない」が持論で、「ラグビーをずっとやってきた人間としましては、やはり一人にフォーカスされることに対する違和感を覚えていました」と明かした。

 「ラグビーはだれかがヒーローになるのではなく、チームみんなが自分の仕事をまっとうしたうえで勝利を目指す競技性を持っていますので。ただラグビーをこの国に広げていくのが自分に与えられた使命だという風に感じてここまでやってきました。あのポーズから入って、ラグビーを好きになった、また違う選手を好きになった方が一人でもいれば、私がラグビーを続けてきた意味があるのかなと思います」

 静岡県下のメディアならではの質問は、趣味の釣りに関することだった。「静岡での釣りで一番うれしかった魚は?」ときた。

 五郎丸は「サカナ…」と漏らし、しばし考えこんだ。小さく笑い、口を開いた。

 「ここでは海岸からヒラメが釣れるんです。日の出前の朝5時から海に行って、(ヒラメが)いるかどうかわからない海にルアーを投げ、ヒラメが釣れたときが一番うれしかったですね」

 引退後のことを聞かれると、「まったくの白紙です」と言った。

 「私自身の性格をとっても、ふたつを同時に考えられるような器用な人間ではございません。不器用ですが、目の前のことをひとつずつ積み上げてきたものですから、シーズン後のことは自分の役目を終えたあと、しっかりと考えたいと思います」

 五郎丸は3歳のときに楕円球に触れ、小学生時代は一時サッカーをしたこともあるが、ほぼラグビーに没頭してきた。子ども時代から貫いてきたものは? と聞かれた。

 「“日々の努力、夢への近道”という言葉が自分にはピッタリだと思います」

 ざっと30年余、試合だけでなく、その準備にも日々、全力を傾けてきた。だから、今がある。こうも、言った。

 「ラストシーズンに向けて努力していきたいと思います」

 次の世代に残したいものは? と聞かれると、五郎丸は毅然とした態度で「下の子たちに何かを残すという気持ちはまったくない」と言い切った。五郎丸らしい言葉だ。

 「同じフィールドで生きている人間ですから、上も下もないです。そんな彼らとまずはレギュラーを争う、それがプロ選手としてやるべきことだと感じています」

 さあラストシーズンが始まる。五郎丸らしく、完全燃焼を目指して。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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