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バズさんの新たな挑戦つづくー浅原拓真、TL100試合

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
TL100試合出場の日野・浅原拓真選手(中央)(撮影:日野レッドドルフィンズ)

 ラグビーならではのノーサイド精神か、それともバズさんの人徳か。日野レッドドルフィンズとトヨタ自動車ヴェルブリッツの選手たちが試合後、日野の人気プロップ、浅原拓真選手の「トップリーグ100試合出場」を祝った。みんな笑顔で。

 「うれしかったですね」。浅原選手は愛嬌ある顔をくしゃくしゃにした。セレモニーでは、ラグビー仲間に感謝しながら、3歳の娘と1歳の息子にほほえむ顔が印象的だった。家族を愛し、ラグビーをラブする。

 グラウンドを離れると、だれとでもうちとける。愛称のバズは、トイストーリーの頼りになるバズが由来。絵がめっぽううまい。試合前、直前の試合で戦った東芝の選手たちから「おめでとう!」と声をかけられた。32歳はしみじみと漏らした。

 「ちょっと縁を感じました」

 トップリーグ初出場は東芝入社1年目の2010年12月25日の福岡サニックス戦、クリスマス・デビューだった。昨年、プロ選手となって日野に移籍した。東芝で9季の97試合、1年目の日野では3試合。なのに、日野のチームメイトは記念のTシャツまで作ってくれた。トヨタ自動車の分まで。赤色のTシャツの背中には黒字で「BUZZ」と「3」。浅原選手にとっては「サプライズだった」という。

 「ほんと、東芝で育ててもらって、で、また新しいところでチャレンジさせてもらう環境におかせてもらって…。日野の人たちも、ありがたいですね」

 名古屋・パロマ瑞穂ラグビー場には、家族も特別に駆けつけた。あまりにハートフルなセレモニーに、「あれ、おれ、引退かなと思ってしまった」と冗談を飛ばした。

 「昔、東芝のだれかの100試合キャップ(のセレモニー)で胴上げした記憶があって。おれ、胴上げやだなあって思っていた。(胴上げ)なくて、よかった」

 試合は、トヨタ自動車に31-61で敗れた。でも、浅原選手が後半途中に交代するまでは、互角の展開だった。スクラムでは押し勝っていた。「全然、戦える感じはあった」と振り返った。

 「でも、トヨタからずっと、プレッシャーを受けつづけて、こう、ぴきっと日野にひびがはいってしまって。我慢ですね。試合を通して、我慢できなかったんですね」

 この日の日野の1番は41歳の久富雄一、3番が浅原選手。スクラムで対するトヨタ自動車の3番は23歳の淺岡俊亮、1番が24歳の三浦昌悟だった。「まだまだ」。ベテランの言葉にプライドがのぞく。

 「スクラム、コントロールはできました。若いやつはパワーだけでくるので、その面で言わせてもらうと、ちょっと違うなって」

 次の試合の相手は、スクラムを看板とするヤマハ発動機(2月1日・瑞穂)。

 「スクラム勝負ですね。燃えます。いつもヤマハとの勝負は燃えます」

 ミックスゾーン。記者と快活なやり取りがつづく。囲みのうしろを日野の36歳フランカー佐々木隆道が通って、笑いながら、浅原選手を携帯で撮影した。記者が「記念Tシャツ、バズさんが自分でつくった疑惑があるんです」と言えば、佐々木が「そうです、そうです」と冗談を返した。「もう、(浅原選手が)在庫、抱えてますよ」

 チームにすっかり溶け込んでいる。新天地の日野は、いわばダイバーシティ(多様性)の典型のようなチームといっていい。いろんなチームから選手が集まってきている。浅原選手は東芝で培った文化を、日野でブレンドさせようとしている。

 日野の細谷直監督は、「100試合目を勝利で祝ってあげられなかったのは非常に残念で申し訳ない」と言った。

 「人間性を含めて、ほんとうにチームにフィットしています。試合ではだれよりもからだを張ってくれる。練習もミーティングも態度が素晴らしいんです」

 スーパーラグビーの日本のサンウルブズでは最多出場を誇り、日本代表でも活躍した。でも、昨年のラグビーワールドカップメンバーには入れなかった。日本代表の躍進を見ると、悔しかったのではないか。そう聞くと、表情をふっとやわらげた。

 「不思議と悔しさはありませんでした。チームのスクラムの成長の一環になっている自負はあったんです。4年間、ジャパンに携わらせてもらって、僕もひとつの歯車になれたのかなって。それが、でっかい誇りです」

 ついでにいえば、2018年9月には、酒に酔って寝て車の下敷きになった“武勇伝”を持つ。「その時に所属していた東芝には迷惑をかけました。ラグビー関係者には申し訳ないことをしました」と小声で振り返る。

 波乱万丈のラグビー人生も、トップリーグ10年目となった。山でいえば、いまどのあたり? もうてっぺん近く?

 「まだまだ。3合目ですよ。頂上目指して、日野でがんばります」

 自身の境遇に最善を尽くす人生。バズさんの挑戦はまだ、つづくのだった。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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