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ラグビー界のレジェンド「平尾さんの教えを胸に」

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
45歳の伊藤剛臣はすこぶる元気だった(29日・盛岡いわぎんスタジアム)

寒風吹きすさぶ中、ラグビー界の“レジェンド”が走る。ぶつかる。また走る。釜石シーウェイブス(SW)の45歳の最年長ラガーマン、伊藤剛臣。過日急逝した平尾誠二さん(享年53)との出会いがあるからこそ、“タケさん”こと伊藤の「いま」がある。

29日の盛岡・いわぎんスタジアムでのトップイースト、全勝対決の日野自動車戦。タケさんは試合後、「ぼくはね、平尾さんから、ラグビーにおいても、人生においても、積極性というものを学びました」としみじみと漏らした。

「こうして、ぼくがプレーできているのも、いろんな人のお陰でありますし、仲間がいるからだと思います。やっぱりね、平尾さん(の存在)も、いまの自分にとって、おおきな部分を占めています」

義理、人情、浪花節。そして男気があるラガーマンである。東京は下町の荒川区出身。東京で育った。法大3年で大学日本一になったとき、平尾さんに初めて会った。4年のとき、勧誘の電話をもらって、神戸製鋼に会いに行った。こんなことを言われたそうだ。「オトコだったら、一回、外のメシを食ってみろ。東京にこだわる必要はないんじゃないか。勝負してみろ」と。

その言葉にタケさんの心はふるえた。タケさんは遠くを見つめるような目で言った。

「“よしっ、勝負したろやないか”って。そのときの思いが、いまでも続いていると思います」

神戸製鋼に入社し、1994(平成6)年度、日本選手権7連覇に貢献した。神鋼フォワードを引っ張り続け、2012(平成24)年、神鋼を退社し、この東北の釜石SWに移籍した。日本代表でも長年、活躍した。からだはボロボロになりながらも、ラグビー魂は衰えない。この日は日野に敗れたが、80分間、からだを張り続けた。

よくやりますね?と声をかければ、「よくそう言われますけど」と笑った。

「自分自身、別に45歳とは思ってないですしね。まだプレーさせていただいて、非常にありがたいし、個人的には、きょうは非常に楽しかったですよ。何の後悔もない。ぼくは自分のできることはやりました」

平尾さんの訃報を聞いたとき、「非常に動揺し、混乱しました」と打ち明ける。

「ぼくにとって、平尾さんはスーパースターであり、チームメイトであり、先輩であり、恩師であります。早すぎます…。2019年(のワールドカップ日本大会)に向けても、日本のラグビーを引っ張っていってくれると思っていましたから…。非常に残念ですけど、何といったらいいか、そのときの気持ちはコトバでは言い表せないですね」

約20年。タケさんは神鋼で平尾さんをまじかにしながら、ラグビーに打ち込んだ。

「ほんと、お世話になりました。私生活でも、ゴルフに一緒に連れて行ってもらいましたし、飲みにも連れて行ってもらいました。平尾さんから、なんか、大人としての立ち振る舞いであるとか、公私にわたって学ばせてもらったのかなと思います」

平尾さんから教えてもらったものは、「積極さ」だった。だから、タケさんはポジティブに生きる。

かつて7連覇を果たした北の鉄人、新日鉄釜石の流れをくむ釜石SWでも積極的に生きている。己の限界に日々、挑んでいる。

「(きょうは)負けて悔しいですが、また、がんばります」

平尾さんの教えを胸に生きる。勝負したろやないか。タケさんの目は、平尾さんの現役時代とおなじ「野生の目」だった。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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