Yahoo!ニュース

露ドーピング問題、IOCの3つの大罪

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
IOCのバッハ会長(写真:ロイター/アフロ)

失望である。怒りである。混沌である。「理想」ではなく、「現実」を選択した国際オリンピック委員会(IOC)は、ロシアの国ぐるみのドーピング問題の解決に際し、3つの過ちを犯した。

1つ目は、ドーピング問題に対し、IOCが、世界アンチ・ドーピング機関(WADA)の「リオ五輪からのロシア全面締め出し」の勧告を受け入れなかったことである。IOCは一貫してWADAの姿勢を支持してきた。そりゃ、そうだ。IOCは主導して、アンチ・ドーピング活動の推進やドーピング問題を解決するため、1999年、WADAを設立したのだ。IOCは、先のWADAの「ロシア陸上連盟の資格停止」の勧告には従っていた。

IOCの憲法といわれる五輪憲章の59条では、世界アンチ・ドーピング規定の規則に違反した場合、IOC理事会はNOC(国内オリンピック委員会)を資格停止、承認の取り消しをできるとうたってある。対象となる違反とは、組織的なドーピング違反、大量のドーピング違反である。今回のひどく悪質なロシアの国ぐるみのドーピング違反を不問に付すなら、今後、いったい、どんなドーピング規定に関する規則違反をもって、NOCを制裁できるというのか。

なぜIOCが勧告を受け入れることができなかったかというと、スポーツ大国のロシアと対立することを避けたからであろう。そこにスポーツの大義や正義はない。

2つ目は、IOCがリーダーシップを捨て、ロシア選手のリオ五輪参加の是非の判断を国際競技連盟(IF)に投げたことである。確かに、選手の参加資格はそれぞれの競技を統括するIFに属する。だがIOCがひとつの裁定を下さなければ、IF間では判断基準が不統一となり、現場の混乱を招くことになる。 

つまり、オリンピック大会の価値のひとつであるフェアネス(公平さ)を失うのである。今回、国際陸上連盟(IAAF)の個人参加の条件とした「ロシア国外を拠点とし、潔白を証明できる」と、他の国際競技連盟の「信頼できるロシア国外の検査機関の検査を受けていること」との参加条件は大きく違う。リオ五輪でメダルを争うほどのトップ選手なら、これまで、国際大会出場のため、ロシア国外の検査機関でドーピング検査を受けているのは普通であろう。

結果、ロシアの陸上選手はほとんどリオ五輪に出場できず、他の競技団体の多くの選手がリオ五輪に出場することになりそうだ。過去、ドーピング検査にひっかかっていないロシア選手がほんとうにクリーンなのか。“グレー”の選手はいないのか。今回の措置は、競技間や選手間の不公平を生んでいる。

3つ目は、勇気を持って国ぐるみのドーピング違反を告発したロシア陸上選手、ユリア・ステパノワ選手をリオ五輪から排除したことである。国際陸連は反ドーピング活動への貢献を評価し、ステパノワ選手のリオ五輪への個人資格としての出場を認めていた。

なのに、IOCは「過去のドーピング違反選手はリオ五輪から排除」との条件を出した。これにより、ステパノワ選手はリオ五輪に出場できなくなった。これはない。IOCは同選手を開会式には招待するとしているが、選手は競技に参加したいに決まっている。

命をかけて告発してもいいことはないぞ。IOCはそんなメッセージを発したことになる。今後、内部告発を躊躇させることになり、アンチ・ドーピング活動にブレーキをかけることなるのではないか。

そもそも、この過去のドーピング違反者はダメ、というのは、道理に反するのではないか。ドーピング違反を犯し、資格停止の処分を受け、罪を償って復活した選手を”前科者”扱いで差別する。しかも、ドーピング違反を犯したことのあるロシア選手はリオ五輪から排除されるが、ロシア以外の国の同様の選手はリオ五輪には出場する。不公平ではないか。

以上の3つ、IOCは過ちを犯した。IOCが政治的な判断をしたため、アンチ・ドーピング活動はスピードダウンするのではなかろうか。IOCは「クリーンなアスリートを守る」と言い続けてきたのに…。

IOCのバッハ会長は、今回の決定に際し、「国全体の責任と個人の権利のバランス」と説明した。でも、国全体の責任を問うことはほとんどなく、ロシアの利益に与することになった。そりゃ、ロシアは今後、反ドーピング活動に本腰を入れると宣言したが、この決定でプーチン大統領やロシア・オリンピック委員会の幹部を喜ばせたことになる。

バッハ会長の言葉を世に詭弁という。ほんとうにこの言葉を実践するのなら、まずIOCはWADAの勧告を受け入れ、ロシア・オリンピック委員会を資格停止処分とする。リオ五輪への選手派遣の資格と権利を持つ同オリンピック委員会が機能しなくなれば、当然、ロシア選手はリオ五輪に出場できなくなる。

だが、「個人の権利」を守るとして、IOCはロシアのクリーンな選手に対してはリオ五輪への「個人参加」を認める。IOCと国際競技連盟のバックアップのもと、リオ五輪に初めて参加する難民選手団のごとく、『クリーン・ロシア選手団』を編成すればよかったのである。

スポーツの正義はどこにいったのか。IOCはリオ五輪の価値を維持したのかったのだろうが、結果的にリオ五輪を混乱に陥れ、五輪のイメージを損なうことになった。なにやらIOCのバッハ会長とロシアのプーチン大統領の祝杯の絵が浮かんでくるではないか。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

松瀬学の最近の記事