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祭りもスポーツも団結力~博多祇園山笠

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
櫛田入りする五番山笠・恵比寿流(7月15日)

祭りもスポーツと同じく、チームワークが肝要である。七百七十余年の歴史と伝統を持つ、九州は福岡の夏祭り『博多祇園山笠』に参加して、つくづくそう思った。

博多モンなら、七月は血が騒ぐ。祭りのクライマックスが七月十五日早朝の『追い山』である。夜が白々と明け始めた午前四時五十九分、大太鼓の合図で一番山笠の東流(ながれ)が「ヤァー!」という男たちの勇ましい掛け声とともに駆け出した。奉納の「博多祝い唄」をはさみ、櫛田神社の境内の清道(約110メートル)を猛ダッシュする。

そのあと、各流の「舁(か)き山笠」(御神輿)が順次、スタートしていった。山笠を担ぐことを“舁く”という。約1トンの舁き山笠を二十六人、あるいは二十八人の「舁き手」が交代しながら、勇壮に博多の街を五キロ、駆け抜けていく。「オイッサ! オイッサ!」。勢い水と拍手を受け、男たちが団となって突進する。

「流」とは、山笠を運営する七つの地域の自治組織。よく見れば、舁き手だけでなく、先頭を走る「先走り」「前さばき」や、舁き山笠の後ろからラグビーのスクラムのごとく押していく「後押し」など、じつにたくさんの人々で流が構成されている。

ひとつの流が、四百から五百人、多いところだと八百人となるそうだ。境内アナウンスが流れる。「老年組、中年組、若手組、子ども組に分かれて、一糸乱れぬ統率ぶりは、さすがに博多の街ならではです」と。

櫛田神社の境内を走る「櫛田入り」も、博多の街を駆ける「全コース」とも所要タイムを競う。ことしは櫛田入りが三番山笠の西流、全コースは一番山笠・東流がそれぞれ1位のタイムとなった。商品や賞金はなくとも、各流がプライドをかけた。あらゆるスポーツの起源が祭りの儀式や奉納行事に由来している、といわれる。山笠の安全を守る“山笠ドクター”の内田泰彦さん(三愛健康リハビリテーション・内田病院院長)は言う。

「追い山笠は重量挙げをしながら、短距離とマラソンを走るようなものです。チームワークは何より、大事です。みんなで一緒に力を出さないと、(舁き山笠も)上がりません。うまく前に進むこともできません」

内田さんはスポーツドクターとしても著名で、オリンピック大会のシンクロナイズドスイミングのチームドクターも務めたことがある。明朗闊達で温厚実直。からだの治療だけでなく、言葉で患者の心も癒してしまう。

山笠は伝統的に「女人禁制」の祭りとされ、山笠の期間中、櫛田神社の祇園宮の神紋ときゅうりの切口が似ているということで「きゅうりが御法度」とされている。内田さんは「スポーツのトレーニング理論」と重ねて、こう説明する。

「掟から入ると、きゅうりを食べてはいけない、といった共通のことを守ることで、意識の統一を図って、チームワークを盛り上げていきます。ま、メンタルトレーニングみたいなものです。スポーツで金メダルを目指そう、センターポールに日の丸を挙げようといったことと似ています。メンタルが整ったら、実際、日ごとにハードになるトレーニングを積んでいく。そしてフィナーレ。これってスポーツの理論と合致しています」

博多の男たちは正月を終えると、ジョギングをはじめ、GWごろからは走り込んでからだを鍛えていく。そうやって締め込み(ふんどし)姿が様になるからだ付きになる。追い山の一週間前からは、チーム練習に移り、舁き山笠を担いで町内を回る『流舁き』から、早朝練習の『朝山』、四キロを疾走する『追い山馴(な)らし』と続いた。夜は酒を飲みながら、親睦を深め、さらにチームワークを密にしていく。

つまりは、綿密なスケジュールにおいて、科学的トレーニングの根幹をなすからだと精神の鍛錬がロジカルになされているのだった。厳しい上下関係もあるから、礼節や郷土愛も自然と引き継がれていく。親子や世代間の関係もいい。内田さんの長男、次男も山笠に参加した。山笠のよさを聞けば、次男はこう、即答した。

「街から離れ、1年に一回だけ会える人たちとも、一気に打ち解け、一致団結できるところだと思います。タテ(世代)ヨコ(地域)の集まりです」

なるほど、祭りをすることで、地域のコミュニケーションが活発となっている。そう見える。人間関係が希薄になりがちな現代において、じつはこのコミュニケーション効果が一番の祭りの長所ではなかろうか。

さらにいえば、祭りは多くの人々のサポートで成り立っている。内田さんたちの救護班もそのひとつ。神社の警備員から、警察、消防と何十人、何百人という人の協力があって、祭りが無事に進んでいく。

内田さんは深夜零時には櫛田神社の救護室に入った。筆者は午前三時前に神社入りした。ことしの「追い山」では、流の男がケガしたけれど、観客では軽い熱中症と貧血の人が出たくらいだった。内田さんはこう、総括した。

「とにかく、私のテーマは“安全で安心な祭りを支える”ことです。やはり救護の仕事はお祭りの裏方として欠かせない仕事として再確認しました」

余談をいえば、内田さんと同じ西流には、高校ラグビーの強豪、東福岡高校ラグビー部の藤田雄一郎監督の姿もあった。

祭りはいい。とくに博多祇園山笠は。その礼節やしきたり、伝統に触れ、チームワークやコミュニケーション、献身の精神の貴さを改めて考えたのである。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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