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ヤマハの誤算

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)

いわばチームの成熟度の差だった。とくに対応力か。トップリーグのプレーオフトーナメント決勝。敗軍の将、ヤマハ発動機の清宮克幸監督のコトバに悔しさがにじむ。「相手(パナソニック)の試合巧者ぶりが我々を上回った。不器用な敗戦だったかなと思います」

不器用に映ったのは、まんまと王者のパナソニックにヤマハの強みを消されたからだった。晴天だが、この時季特有の風の強い秩父宮ラグビー場だった。ヤマハはコイントスに勝ち、あえて風下の陣地を選択した。つまり、風上の後半勝負にかけた。

大きな誤算は3つ、ある。まずはスクラムである。確かに秩父宮のグラウンドは予想以上にひどかった。ところどころでは砂地のごとく、足元が安定しない。序盤のファーストスクラム。自陣の22メートルラインの内側の左中間の相手ボールだった。

組み直しで、スクラムが崩れた。ヤマハの3番(右プロップ)、人のいい36歳の田村義和が顔から枯れ芝に落ちた。コラプシングの反則をとられた。これは、どちらのチームが落としたとは明確なジャッジは難しかったが、下になったのは田村だった。

パナソニックのトイメン、左プロップの稲垣啓太とフッカー堀江翔太がバインドを締め、稲垣の右肩と堀江の左胸でねじり込むように押し込んだからだった。ヤマハの田村が試合後、「(相手に)落とされたんです。対応不足でした」とこぼす。

「(相手は)前よりもこう、まとまっている感があった。対策をしっかり、やってきたんだなって。ヤマハはもう、スクラムを押さないとダメなんです。それがスタイル。(押せなかったのが)チームが乗れなかったひとつの要因ですね」

トイメンの稲垣はこう、言った。

「ヤマハの組み方に対して、僕らの対応がしっかりできました。(押す)方向性の問題ですね。ヤマハの内にちょっとはいってくる組み方につき合わず、僕らの狙ったセットができたということです。具体的な組み方はちょっと、言えないですけど、まあ、練習したとおりにできました」

リーグ最終戦(1月11日・花園)の試合(ヤマハ26-18パナソニック)では、ヤマハはスクラムで圧倒した。だが、この日、最初のスクラムでパナソニックが逆にコラプシングの反則を得た。SOベリック・バーンズがPGを蹴り込んだ。3点以上に、両チームの選手に与えた心理的影響は大きかっただろう。

ヤマハはスクラムでほとんど押せなかった。パナソニックが結束し、ヤマハに負けないくらい低くまとまって構え、時には3番がヤマハ同様、相手のフッカーつぶしにいった。高度な駆け引きがなされていたわけだ。

パナソニックのフッカー、堀江主将は安堵の表情をうかべた。

「むこうの3番が少し内にはいってくる。そのアングルをレフリーに見てもらうように、(ポイントを)移動させながら、“アングルみてくれ!”と言い続けました。まあ、勝負ですから、“目には目を”でやらせてもらいました。練習通り、うまいこと、選手が対応してくれました」

2つ目の誤算はラインアウトからのモールである。うまく押しをかわされた。大相撲に例えるなら、横綱が立ち合いで“変化”してきたようなものだ。これは、決勝戦ならではのパナソニックの対策だったのだろう。

前半8分、ヤマハはゴール前のモールを押し込んで逆転トライを奪った。ヤマハならではの理想的なトライだった。清宮監督は、「いける」と思ったことだろう。

だが、その後、中盤のヤマハボールのラインアウトの際、パナソニックはコンタクトをうまく避け、モールをつくらせなかった。ルールを熟知し、うまく対応できるチームだからこその奇策といってよい。

こうなると、ボールキャリア―が突っ込んでいくしかない。厳しいタックルを受ければ、固いモールは形成できない。

この日の勝負の流れを決めたのは、後半序盤の攻防だっただろう。前半、射程圏内の11点のビハインドを追うヤマハが攻めに攻めた。勝利のストーリーを描くために。

でも、ぶ厚いパナソニックディフェンスでゴールを割れない。何度回しても、ディフェンスに穴ができないのである。

痛かったのが、後半7分ぐらいの敵陣ゴール前の左側のヤマハボールのラインアウトだった。モールを組んで押そうとした瞬間、ボールがぽろっとうしろにこぼれた。仕方なく、右に展開し、最後は密集に巻き込まれたSH矢富勇毅が反則をとられた。

清宮監督が試合後、「勝負を分けたプレーでしたね」とくちびるをかんだ。

「たしか後半の左のラインアウトでお手玉したんだよね。ぽろっとボールがこぼれた。あのモールがしっかり組めていれば、おそらく点になっていたので…」

ここでワントライ差以内に点差をしておけば、との思いがあったのではないか。

3つ目の誤算はブレイクダウン(接点でのボール争奪戦)である。何度展開しても、パナソニックのFWの数が減らない。ポイントに入る、入らないの判断が的確で、倒れている選手がほとんどいないのだった。

ヤマハの三村勇飛丸主将は嘆いた。「ブレイクダウンがうまく機能しなかった。相手のディフェンスがひとり、ふたりなのに、こちらは4人、5人が入ってしまった。人数勝負に負けてしまった」と。

そのほか、ハンドリングの未熟さも目立った。だがこれは、パナソニックのぶ厚く、はやいディフェンスに圧されたものだったのだろう。裏を返せば、それだけ、パナソニックの23人は力があった。

後半中盤、けがでFWとバックスの大黒柱、ロックのダニエル・ヒーナンとSOベリック・バーンズが交代しても、チームの優位は変わらなかったのだ。

さらに驚きは、チームを引っ張ったフッカーの堀江主将が首を痛め、実は左手の握力が落ちていたことである。そんなけがをまったく感じさせぬ闘志あふれるプレーだった。

パナソニックの名将、ロビー・ディーンズ監督は開口一番、「ショータ(堀江翔太)の偉大なキャプテンシーがあったからこそ、優勝があったのです」と話した。

「きょう、(内容で)一番満足したのは、ディフェンスです。ディフェンスで絆の深さ、お互いが助け合う姿をしっかりと見られたことです。(今シーズン)一番の成長は、しっかりと相手に適応し、進化することができたことです。どんな相手でも適応できます」

互いの戦略のぶつかり、駆け引き、確実な防御、瞬時の攻撃力、スピーディーな展開は、見ていてワクワクした。1万6304人(公式記録)の観客もラグビーの妙味を堪能してくれたのではないか。

試合から2時間、清宮監督の顔は意外と明るかった。「うまく彼らに変化球をなげられました」と少し笑った。おそらく、勝負のアヤを楽しみ、「次はいける」との感触があったからだろう。

まだ日本選手権が残っている。勝利を導く勝負師ならではの「ストーリー」は、これからがクライマックスである。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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