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熱気球、親子2代の夢実現

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)

快挙である。サッカーのワールドカップ(W杯)で日本代表は惨敗したけれど、そのブラジルで熱気球の藤田雄大が日本人初の世界チャンピオンに輝いた。親子二代にわたっての夢を実現。27歳の藤田は「父ができなかった夢が僕の中で生きていて、それを僕が叶えられたことを、すごくうれしく思います」と感激の面持ちだった。

サッカーW杯直後にサンパウロ近郊のリオクラロで開催された熱気球の世界選手権(7月17~27日)。藤田の気球は「サムライ・ブルー」ならぬ、青色の気球だった。さとうきび畑などが広がる広大な大地を眼下にしてのフライト。日本とは違うダイナミックな風の中、大会2日目にトップに立つと、藤田は持ち前の飛行技術を駆使してポイントを重ねていったという。

8月5日の優勝報告会で、藤田は大会をこう、振り返った。「ワールドカップで日本は勝てなかったので、ここで僕が“日本のチカラを見せるぞ”という気持ちでした。ハードな毎日でしたけど、うまく風を乗りこなせました。父と母のサポートを含め、環境がすごく整っていて、自分の緊張をうまくコントロールすることができました」と。

熱気球の世界選手権は1973年から2年ごとに行われており、今回が21回目。南米では初の開催だった。日本の5機を含む22カ国の58機が参加した。藤田の父の昌彦さんはかつて熱気球界で「世界のフジタ」と呼ばれた名選手だったが、世界選手権のタイトルはとることができなかった。

その父と幼少期から大会を転戦していた藤田は18歳でパイロットのライセンスを取得し、日本の第一人者に成長した。前回世界選手権では3位。「真の優勝者は父」と藤田は言う。「父が持っている気球に対する情熱とかセンスとか、僕は受け継がせてもらっています。父がいるから、いまの僕があって、競技もできています。そういった面では、すごく感謝しています」。今回、昌彦さんは地上からアシストし、刻々と変わる風の情報などを送り続けたそうだ。

「表彰式で、周りを見たら、父は泣いているような感じでした。父は口下手というか、あんまり感情をコトバにするタイプではありません。でも、優勝した後、おやじから“よくやってくれたなあ”と言われました。あとはもう、おやじの目がアツくなって…。これが、ずっと、ずっと僕らの夢だったのです」

千葉県出身。2歳の時、熱気球の練習環境を求めて、家族で栃木県下都賀郡野木町に移った。183センチ、71キロ。父が経営する熱気球の「バルーンカンパニー」で働く。

次の世界選手権は2016年、佐賀県で開かれる。藤田は「1回だけで、ほんとうのチャンピオンになれたとは思っていません。次の夢は、日本開催の世界大会で日本人がチャンピオンになることです。何度でも優勝トロフィーに名前を刻んでいきたい」と意欲を口にした。大空に舞い上がる熱気球のごとく、藤田ファミリーの夢が膨らんでいく。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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