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侍セブンズ、意地の猛烈セービング

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)

もう寒くて、寒くて。からだの芯まで冷え切ってしまった。先週の香港から気温が約20度も低い10度弱。花冷えの中、熱燗のごときアツいプレーが、いぶし銀の大島佐利(サントリー)の猛烈セービングだった。

3月31日の日曜日、秩父宮ラグビー場。7人制ラグビーの東京セブンズのシールドトーナメント(13-16位決定戦)初戦のポルトガル戦だった。3点を追う後半4分。桑水流裕策(コカ・コーラウエスト)が相手に圧力をかけ、ボールがこぼれた。大島がそのボールに猛然と飛びこんだ。ボール奪取。右につないで、坂井克行(豊田自動織機)が中央に逆転トライを決めた。

ゴールも決まって、19-15でポルトガルを下した。試合後、大島は感極まって、涙を流した。「泥臭く、からだを張ることが、僕の仕事だと思っていました。下のボールへの反応では世界に勝っていきたい。そこだけは絶対、負けたくなかったのです」。なぜ泣いたのか、と問えば、しきりに照れた。「前半に僕が反則をしまくったので、責任を感じていたのです。勝って、“あぁよかったなあ”って。まあ、安どの涙みたいなものです」

大島は、瀬川智広ヘッドコーチから、「ブレイクダウン(タックル後のボール争奪戦)は全部、ファイトしていい」と言われていた。だが、そこで強引にファイトしようとしては、ボールの奪い合いを妨げる「シーリングオフ」の反則をとられたのだった。

「(ルールの)解釈の難しい部分がありました。やっぱり僕らもサポートにはやくいかなきゃいけないと焦り過ぎたと思います。ジャパン全体として、相手よりはやくサポートについて、(空いた)いいところにボールを運ぼうと考えていましたから」

ジャパンは続くシールド決勝(13、14位決定戦)でカナダに14-27で敗れ、16チーム中14位に終わった。香港、東京セブンズと戦い、世界トップクラスのチームとの差を痛感した。「身体能力と言ってしまえば簡単ですけど」と漏らし、「フィジカル、パワーやスピードが違う。でも逆に僕らの俊敏性や反応のはやさなどは世界に通じるなと感じました」。収穫は。「ここはイケる、ここはがんばらないといけないと分かった。例えばスピードに乗ったアタックとか、意図したボール運びとか、ゲーム理解をもっと高めないと勝てません」

ブレイクダウンがジャパンの生命線である。だがジャパンはサポートが遅いから、どうしても判断も遅れた。簡単にいえば、トップクラスと比べて精度不足、つまり雑だった。だからターンオーバーを許したり、ペナルティーをとられたりしてしまう。

「まずは基本のプレーがもっと細かいところまでできる集団にならなければいけない。その上で全員がボールをどこに運ぶのかを理解して、意図したところでブレイクダウンをつくっていくことが日本のカタチになるのだと思います」

国学院栃木高1年の時、野球部からラグビー部に移った。早大時代は、FWとバックスでプレーしていた。181センチ、90キロ。サントリーに入って、3年が経った。昨季は公式戦の出場機会がなく、2冠達成も、同期の日和佐篤や西川征克の活躍に悔しさも味わった。

「もちろん同期には負けたくないとの気持ちがあります。セブンズ(のジャパン)に呼んでもらった時も、自分を高めることができるチャンスかなと思いました。少しでも試合に出て、世界のプレーを学びたいのです」

ジャパンはセブンズのワールドカップ(6月・モスクワ)に出場する。「責任とプライド、この(ジャパンの)ジャージを着る重みを感じています。ワールドカップは1つでも上の順位にいきたい。オリンピックにも出場したい」。桜の木のそばで25歳はまたも、独り言のようにつぶやいた。「からだを張っていきたい」と。

【「スポーツ屋台村」(五輪&ラグビー)より】

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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