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ロシア構成国チェチェンの「ゲイ狩り」やブラジルのトランス女性描く映画。世界で起きる暴力にどう抗えるか

松岡宗嗣一般社団法人fair代表理事
MadeGood Films、ハーク提供

※この記事には暴力や残酷な行為に関する表現が含まれています。

ロシアによるウクライナ侵攻の報道を見て衝撃を受ける日々。人の命や尊厳が理不尽に奪われていく様子を、ただ見ているしかないのか。

「暴力」は、戦争という形や、または国家による少数者への弾圧、さらには日常に潜む多数派による差別など、さまざまな形で現れる。権力関係を背景に、特に立場の弱い側にある人たちを抑圧し支配しようとする暴力に、私たちはどう対抗できるのだろうか。

それを考える上で、ある2つの映画を取り上げたい。ひとつは、2月26日より全国で上映中、ロシア連邦構成国の一つ「チェチェン共和国」で、2017年頃から続く性的マイノリティへの暴力や迫害と、当事者の国外脱出を支援する活動家を追ったドキュメンタリー映画『チェチェンへようこそ ー ゲイの粛清 ー』だ。

もう一つは、4月1日より上映される映画『私はヴァレンティナ』。ブラジルで生きる17歳のトランスジェンダー女性「ヴァレンティナ」が受ける暴力や、周囲の人々の行動を描いている。

いずれも思わず目を覆ってしまいたくなるような凄惨な暴力のシーンが続くため、鑑賞には注意が必要だろう。しかし、これが目を背けるわけにはいかない現実に起きている問題であることも考えなければならない。

MadeGood Films提供
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バスルームに隠れた警察によって逮捕、拷問

叔父に性的指向がばれて「俺と寝ないと父親にばらすぞ」と脅された。父はチェチェンの高官で、きっと私は殺される。ロシアを離れたい。怖いーーー。

これは映画『チェチェンへようこそ ー ゲイの粛清 ー』の冒頭、「ロシアLGBTネットワーク」の担当者へ寄せられた電話の内容だ。

2017年頃から続く”ゲイ狩り”は、麻薬関連捜査で警察が手に入れた男性の携帯に、同性愛関連の写真とメールが見つかったことがきっかけに激化したという。

ある当事者は、オンラインで出会った男性のアパートに行くと、バスルームに隠れていた警察によって逮捕され、刑務所で電気ショックなどの拷問を受けたと語る。

警察は拷問した当事者の家族に対して「子どもを殺せ」と忠告し、実際に親や親類に命を狙われることもあるのだという。

MadeGood Films提供
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映画の途中にしばしば挿入されている「LGBT活動家が入手した映像」も凄惨を極める。

「ホモ野郎」と言われながら複数の人に殴られる男性。車から引きずり出された女性の頭上から石のようなものがふり落とされる映像。「カマ野郎、お前ら全員同じ目にあわせてやる」と言われ、唸りながらレイプされる人ーー。

映画では、ロシアの首都モスクワにあるシェルター「モスクワLGBT+イニシアチブコミュニティセンター」で当事者を保護し、ロシア国外への逃亡を支援する一分一秒を争う様子がカメラに収められている。

同センターのオリガ・バラノバ氏によると、ゲイ男性だけでなく、レズビアンの女性たちの場合は、そもそも女性であることで家に閉じ込められ、一人で外出することも許されない状況であり、多くの側面で介入が必要だが、同時に危険も大きいと指摘する。

撮影が終わった時点で151人が国外へ避難したが、それでも数万人が身を隠して暮らしている現状だという。

MadeGood Films提供
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本作はディープフェイクのような技法を活用し、当事者のプライバシーを保護している。撮影した映像に、別の協力者の顔を当てはめ、「フェイスダブル」として映画の登場人物の顔を覆うことで、ドキュメンタリーとして現実に起きている事象を映像として写すことができている。

筆者は、本人の性のあり方を第三者に勝手に暴露する「アウティング」の問題についてまとめた『あいつゲイだって - アウティングはなぜ問題なのか?』(柏書房)を昨年11月に出版した。

性的マイノリティの当事者にとって、自身の性のあり方に関する情報が公表されてしまうことは、まさに死活問題だ。映画で指摘されているように、その影響は計り知れず、まさに命を狙われる場合もある。

「この国にゲイは存在しない」

なぜこうした暴力や迫害が起き、近年激化しているのだろうか。

「チェチェン共和国」は、ロシア南部、北カフカス地方に位置し、イスラム教徒が多数派を占めるロシア連邦の構成国の一つだ。

真野森作『ポスト・プーチン論序説「チェチェン化」するロシア』(東洋書店新書)によると、チェチェン共和国は、1991年のソ連末期に独立を宣言したが、ロシアによって阻止され、二度の紛争を経てロシアに首都を制圧された。

その後、プーチン政権が暫定政府を設置。行政長官に親露派に転じたイスラム指導者のアマフト・カディロフ氏が任命されたが、2004年に爆弾テロにより死去した。現在は息子のラムザン・カディロフ氏が実権を握り、紛争は終結した一方で、強権支配が深まっているという。

同性愛者らへの弾圧の背景には、性的マイノリティに限らず、プーチン政権やカディロフ政権体制を批判するジャーナリストや活動家らが暗殺され、人権侵害が横行する権威主義的な社会の現状を押さえる必要があるだろう。

MadeGood Films提供
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カディロフ氏は、あるテレビのインタビューで、チェチェンで同性愛者が拉致や拷問を受けている件について質問を受けると「そんな質問をしにきたのか」と笑い、こう答えた。

「この国にゲイは存在しない。もしいるならカナダにでも連れてってくれ。民族浄化のためにもいらない」

ロシア政府もチェチェンで起きている同性愛者らへの迫害について認めることはない。

2013年にはソチ五輪を前に「同性愛宣伝禁止法」が成立し、性的マイノリティ関連の社会運動も抑制され、活動家の襲撃なども急増したという。2020年には憲法改正で同性婚が「禁止」された。

さらに、「外国エージェント法」により、外国から資金援助を受けるNGOの登録が義務付けられている。NGOなどを「外国のスパイ」と位置付け、悪魔化するのが狙いだと言われ、人権団体や性的マイノリティ、外国人労働者などが「伝統に反する存在」として、国内の不満を向ける敵として利用されているという指摘もある。

ただ、同国の性的マイノリティをめぐる政治や文化、アクティビズムの歴史は多層的だ。安野直『ロシアの「LGBT」』(群像社)で、「ロシアにおける『LGBT』のあゆみとは、一言で表現すると、『寛容』と『抑圧』とのあいだを、振り子のように行きつ戻りつする往還の運動だった」と指摘されているように、前述した状況のみをもって、ロシアの性的マイノリティの状況を一言で表すことは難しい。

他方で、ソ連崩壊から約30年、ウクライナ侵攻を目の当たりにしている現在。米政府関係者によると、ロシアが作成しているウクライナ侵攻後の「殺害もしくは収容所送りにするウクライナ人のリスト」には、反体制派やジャーナリストに加え「性的マイノリティらが狙われる可能性が高い」と指摘されている。

性的マイノリティをはじめ、社会的マイノリティ、権力にとって都合の悪い人々の「人権」状況は、厳しい状態が続いていると言わざるを得ない。

MadeGood Films提供
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「LGBTQ」に見落とされる視点

映画『チェチェンへようこそ』監督のデイヴィッド・フランス氏は、2017年にチェチェンで起きている惨状を知り、約1年半近くかけて、ロシアで取材を重ねたという。危険を冒しながらの撮影であることは映画からありありと伝わってくる。

フランス監督の過去作には、「LGBTQ」ムーブメントの象徴として語られる1969年の「ストーンウォールの反乱」で中心的な役割を果たした「マーシャ・P・ジョンソン」のドキュメンタリー映画『マーシャ・P・ジョンソンの生と死』がある。

こちらも優れたドキュメンタリーだが、他方でこの映画に対し、黒人のトランスジェンダー女性で、アクティビスト、映画監督のトルマリン氏は、自身が長年集めてきたアーカイブやアイデアが盗用されたと批判している。

その際、監督の白人シスジェンダー男性という立場が、制作費用のための財団への助成金申請や、Netflixという場で映画を公開しやすいといった優位性があるのではないかという問題も指摘されていた。

「LGBTQ」という言葉が謳われつつも、主流派の運動には注目が集まりやすい一方で、トランスジェンダーを取り巻く課題は置き去りにされがちといった点など、マイノリティの運動の中にも格差や不平等が存在する。

ブラジルで生きる17歳のトランスジェンダー女性を描いた映画『私はヴァレンティナ』も、日常で受ける暴力や、「LGBTQ」という言葉に見落とされがちな視点、それと同時に、抑圧された側の連帯のあり方なども考えさせられる映画だ。

ハーク提供
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母親の仕事の都合で、ブラジルのある小さな街に引っ越してきたヴァレンティナは、出生時の名前ではなく通称名で学校に通うことを希望するが、正式な手続きには離婚後から連絡が途絶えている父親の署名が必要と言われてしまう。

トランスジェンダーであることを隠して補習授業に通うヴァレンティナ。そこでゲイのジュリオや未婚で妊娠中のアマンダと親しくなり、新生活にも慣れてくるが、SNSでトランス嫌悪的な画像が共有され、いじめや匿名の脅迫を受けるようになる。

本作では、冒頭からクラブでヴァレンティナが受ける理不尽な暴力の被害に衝撃を受ける。

友人と参加した年越しのパーティでも性暴力を受け、深く尊厳を傷つけられるシーンが続くが、ヴァレンティナが女性であることで性暴力の被害を受け、加えてトランスジェンダーであることをアウティングされ、暴力を受けるという、女性蔑視やトランス嫌悪による複合的な差別や暴力を受けてしまう点を考えさせられる。

深刻なトランスジェンダーへの暴力

ブラジルは性的マイノリティの権利保障に関して先進的だと言われる。

2011年にブラジル最高裁は、同性カップルも男女間の結婚と同等の法的権利を認める判断を下した。トランスジェンダーに関しては、2018年に性別適合手術や司法判断なしに法的な性別や名前を変更することができるようになった。

法的な権利擁護の背景には、1980年代の軍政から民政への移管後、2000年代からの労働者党政権期の社会的マイノリティの権利擁護や多様性を尊重する政策が進められたことが挙げられるという。

ハーク提供
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一方で、性的マイノリティに対する暴力や嫌悪は深刻な課題であることも指摘されている。

「トランスジェンダー・ヨーロッパ」の調査によると、トランスジェンダーの殺人事件の7割は中南米で起きており、約3割がブラジルと最も多い。同団体によると、ブラジルでは2008年から2021年にかけて1645人のトランスジェンダーが殺されているという。

さらに、被害者の多くが黒人のトランス女性であり「トランスフェミサイド(トランスジェンダー女性を標的とした殺人)」つまり、女性蔑視やトランス嫌悪、さらに人種差別などとの交差性も指摘されている。

ブラジル最高裁は2019年、トランス嫌悪や同性愛嫌悪の行為は、既に刑罰が科されている人種差別と同じく犯罪とする判断を下したが、残念ながら性的マイノリティに対する暴力は依然として根強い。

また、2019年には右派のボルソナロ政権が誕生。同氏は新型コロナ対策の演説で「ホモの国みたいなのはやめろ」など、同性愛嫌悪的な発言を続けており、厳しい現状が続いている。

映画『私はヴァレンティナ』でも、トランスジェンダーの約8割が学校を中途退学し、平均寿命は35歳だと示されている。こうした状況が変わり得るのか。今年10月に行われるブラジル大統領選も注目が集まる。

ハーク提供
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暴力への抵抗

本作で、主役のヴァレンティナを演じるのは、ブラジル・サンパウロ在住のトランスジェンダー女性でYouTuberのティエッサ・ウィンバック氏だ。当事者が演じているからこそ伝わる、日常生活におけるトランス女性のリアリティも本作の魅力だろう。

トランス嫌悪的な人々によって、ヴァレンティナの転入に反対する意見書が高校に提出されるなど、多数派による抑圧の厳しさを突きつけられるが、一方で本作は、ゲイのジュリオや未婚で妊娠中のアマンダをはじめ、母やクラスメイトなど、周りの人々のサポート、味方として「暴力」にどう対抗できるかという視点も提示している。

映画『チェチェンへようこそ ー ゲイの粛清 ー』においても、フランス監督は映画の試写イベントで、私たち一人ひとりができることとして、自国の政府に対して、ロシア政府へ圧力をかけるよう声を上げることが重要だと語った。

ウクライナ侵攻の件でロシアに対する国際社会の行動が日々議論されているが、チェチェンで起きている性的マイノリティへの弾圧はこれまでなかなか「外圧」がかからなかったと同氏は指摘する。

また、チェチェンから逃れてきた性的マイノリティの当事者が日本にたどり着いた場合、そもそも日本は難民認定率が著しく低く、適切な保護を受けられない恐れもある。この点について関心を持ち、日本政府に対し声を上げることも重要だろう。これは今日のウクライナの状況についても言えることだ。

認定NPO法人難民支援協会が指摘しているように、日本では2018年に初めて、同性愛を理由に母国で迫害されるおそれがあると訴えた人が難民として認定されているが、その後も性的マイノリティの難民保護が適切に進んでいるとは到底言えない。

加えて、日本社会自体が、性的マイノリティの権利や尊厳が守られている社会とはいえない点に対して目を向けることも重要だろう。近年、日本においてもトランスジェンダーに対するバッシングは激化しており、性的マイノリティに関する差別禁止法などもなく、十分な権利保障がされていない。

さまざまなレベルで起きている「暴力」。身近な範囲の暴力から、国家レベルのものまで、私たち一人ひとりができる支援や暴力へ対抗するための行動は無数にある。

MadeGood Films、ハーク提供
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一般社団法人fair代表理事

愛知県名古屋市生まれ。政策や法制度を中心とした性的マイノリティに関する情報を発信する一般社団法人fair代表理事。ゲイであることをオープンにしながら、GQやHuffPost、現代ビジネス等で多様なジェンダー・セクシュアリティに関する記事を執筆。教育機関や企業、自治体等での研修・講演実績多数。著書に『あいつゲイだって - アウティングはなぜ問題なのか?』(柏書房)、共著『LGBTとハラスメント』(集英社新書)など

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