一橋大学アウティング事件裁判の控訴審判決が25日、東京高裁で行われた。

裁判長は「アウティングが人格権ないしプライバシー権等を著しく侵害する許されない行為であるのは明らか」と言及した一方、一橋大学の安全配慮義務違反は問えないと、遺族側の請求を棄却した。遺族は上告しない方針。

事件から5年。「アウティング」という問題への認知が広がる大きなきっかけとなった裁判が終わろうとしている。

事件と裁判の経緯

一橋大学院のロースクールに通う当時25歳だったゲイの大学院生のAさんが、同級生にLINEグループで同性愛者であることを同意なく暴露、つまりアウティングをされてしまい、2015年8月に大学の校舎から転落死した事件。

遺族は、アウティングした学生と大学を相手取り2016年3月に提訴。同年8月の裁判に関する報道が多くの注目を集めた。

遺族と学生は2018年1月に和解している。「大学が適切な対応を取らなかったとして安全配慮義務違反などがあった」と遺族は主張していたが、大学側は「当時の対応について落ち度はなく、防ぐことはできなかった」と反論。裁判は続いていた。

昨年2月の一審判決で、東京地裁は遺族側の請求を棄却。アウティングが不法行為にあたるかといった議論には一切触れられず、大学側の落ち度はないと判断された。

遺族側はこれに控訴し、二審では亡くなったAさんの相談を担当していた相談員への証人尋問も行われた。

Aさんが転落してしまったことを知らされた際について、相談員は「なんでだろうと思いました」と答えるなど、アウティングの問題に対する認識不足や、大学の相談体制に対して疑問を感じるものだった。

Aさんの父(筆者撮影)
Aさんの父(筆者撮影)

事件から5年が経ち、今日、控訴審の判決が行われた。原告の請求は棄却。

一審と異なり、裁判所は「アウティングが人格権ないしプライバシー権等を著しく侵害する許されない行為であるのは明らか」とアウティングが不法行為であることには言及したが、一橋大学の安全配慮義務違反は問えないとした。

判決を受けて、遺族側は上告はしない方針だと述べた。

その理由について、原告代理人の南弁護士は「遺族は、一審では全く触れられなかった『アウティングが不法行為だ』という点について、裁判所に認めてほしいという想い」があり、不法行為だと判断を示す今回の判決は「意味があった」からだと話した。

大学の対応は適切と言えたのか

裁判所がアウティングを不法行為だと示したことは確かに画期的だ。しかし、大学の安全配慮義務違反は問えないと結論づけた点は残念に思う。

大学側は当時、アウティングの危険性や多様な性のあり方について適切な認識を有しているとは言えなかっただろう。

Aさんがハラスメント相談室に相談した際、大学側は性同一性障害を専門とするクリニックへの受診を勧めたと報じられている。

亡くなった当日は、模擬裁判が行われたが、Aさんは発作が起こり保健センターへ連れて行かれた。母親にLINEで「吐いてしまい保健センターで寝ている」と連絡もしている。それでもAさんは授業に戻り、結果的に転落死へとつながってしまった。

その翌日、両親は大学の担当者から開口一番に「ショックなことをお伝えします」「息子さんは同性愛者でした」と言われたという。

このような認識で、大学が適切な対応ができたとは到底言えないだろう。もっとできる対応はあったのではないか。

やはり根底には、アウティングがどれだけ危険かという認識の欠如があったのではないかと疑わざるを得ない。

Aさんの妹(左)と母(右)(筆者撮影)
Aさんの妹(左)と母(右)(筆者撮影)

判決後の記者会見で、亡くなったAさんの母親は「息子のように命を落とすことなく、セクシュアルマイノリティが差別なく生きていけるようになってほしいです。

一橋大学は今回裁判に勝ちましたけれど、今後(大学の)授業で、この裁判について伝えられる時が来るんじゃないかと、そう願っています」と話した。

Aさんの妹は「一橋大学は兄が高校生のときから夢見ていた大学です。人を助けたいといって法律家を志し、その夢が叶いかけたところでした。

いま一橋大学の学生と卒業生が少しずつ大学をより良い所にしようと活動してくださっているので、その芽を摘むことなく、誰もが安心して学べるような大学になってほしいと思います」と述べた。

事件が社会に与えた影響

一連の事件と裁判は、アウティングという言葉が知られる大きな契機となり、Aさんが亡くなってからの5年間で、アウティングをめぐる状況も大きく変化してきた。

2018年には全国で初めて、一橋大学がある東京都国立市が「アウティング禁止」を条例に盛り込んだ。その後、同様の条例は、東京都豊島区や港区、岡山県総社市、三重県いなべ市へと広がり、三重県が都道府県として初めて、条例でアウティング禁止を盛り込むことを検討している。

さらに、今年6月には「パワハラ防止法」が施行。アウティングもパワーハラスメントの一つとして位置付けられ、企業や自治体、学校などでアウティングの防止対策が義務付けられた。もちろんこれには大学も含まれている。

しかし、大学におけるアウティングを含むハラスメント対応が進んでいないことから、今月13日には、文科省が全国の各大学の長に向けて適切な対応を進めるよう通知を出している。

なくならないアウティング被害

当事者にとって、アウティング被害は珍しいものではない。

ライフネット生命保険が宝塚大学日高庸晴教授に委託した調査では、性的マイノリティの約25%がアウティング被害を経験していると回答。

虹色ダイバーシティが職場でのアウティング被害を調査したところ、同性愛者や両性愛者等の27%、トランスジェンダーの約38%が経験していたという。

昨年8月には、大阪府の病院に勤務する女性が、過去に性別を変更したことをアウティングされ、同僚から「気持ち悪い」などと差別的な言動を受け精神的に追い詰められ、自死を図った。その後病院を提訴している。

今年6月、職場の上司から同性愛者だとアウティングされ、精神疾患になった20代の男性が、条例でアウティング禁止を規定する東京都豊島区に対し、事業者への指導などを求める申し立てを行った。

このように、まだまだアウティングによる被害は後を絶たないのが現状だ。

あらゆる場所でアウティングを防ぐルールを

アウティングがいかに危険な行為であるかは、今回の一橋大学アウティング事件をはじめ、上述した事例からもわかるだろう。しかし、残念ながらアウティングの危険性が広く共有されているとは言えない。

カミングアウトしたあと、いつの間にか噂として広められてしまったなどのアウティング被害の事例はさまざまな場所で起きてしまっている。

危険性に対する認識を広げ、アウティングを未然に防ぐためには基盤となる制度が必要だろう。

パワハラ防止法にアウティングの防止義務が盛り込まれたことは画期的だったが、あくまでも職場に限定されている。自治体のアウティング禁止条例も一部にとどまる。

EU圏内の個人情報の保護などを規定する「GDPR(一般データ保護規則)」と、これに対応するために内閣府が定めたルールでは、「性的指向」が要配慮個人情報として規定され、本人同意が原則とされている。

一方で、個人情報保護法が定める人種や信条、社会的身分、病歴などの「要配慮個人情報」に性的指向・性自認は入っていない。職場に限らず、広く性的指向や性自認に関する情報が機微な個人情報であることを法律で定める必要があるのではないだろうか。

アウティングを防ぐために

アウティングを未然に防ぐために一人ひとりにできることは、非常にシンプルだ。それは「本人に確認をする」ということ。どの範囲にまで伝えている/伝えて良いのかを確認することが重要だろう。

アウティングが起きてしまった場合は、まず本人への説明と謝罪、伝えてしまった人へ事情の説明とそれ以上広がらないような対処。再発防止策などを事前に策定しておくことも必要だ。

アウティングという言葉が何か新しい規制のように感じる人もいるかもしれないが、これまでも病歴などの機微な個人情報は勝手に暴露して良いものではなかったはずだ。これらと同様に、性的指向や性自認に関する情報も、本人の同意なしに勝手に伝えてはいけないという基本的な認識の話と言えるだろう。

さらに、なぜアウティングが危険な行為なのかという背景には、依然として社会に性的マイノリティに対する差別や偏見が根強く残っていることが指摘できる。

先月も「同性愛が広がると足立区が滅びる」「春日部市にLGBT差別は存在しない、小学校でLGBTを教えるよりも英語や分数を教えるべき」など、政治家による差別発言が相次ぎ、多くの批判が集まった。

まだまだ偏見による差別的な言動、さらには、「トランスジェンダーであることを伝えると内定を切られた」「『オカマみたいなやつに営業はさせられない』と内勤にさせられた」などの、具体的な差別を受けることもある。

こうした差別をなくしていくための基盤となる法律が日本にはない。OECD諸国で比較すると、日本は性的マイノリティに関する法整備状況はワースト2位、差別を禁止する法律がないのはG7で日本だけだ。

性的指向や性自認による差別を禁止し、LGBTもそうでない人も平等に扱われるために「LGBT平等法」の法制化を求める署名キャンペーンが先月から始まっている。

基本的なルールとして、性的マイノリティに関する差別を禁止し、その上で多様な性についての適切な認識を広げていくことが求められる。

EqualityActJapan提供
EqualityActJapan提供

アウティングされても、何も問題が起きない社会へ

アウティングについて本来目指すべきは、「アウティングが起きない」社会よりも、「アウティングが起きたところで、何も問題が発生しない」社会だろう。

筆者の星座は「獅子座」だが、「松岡は獅子座なんだって」と暴露されたところで何も起きない。同様に、ゲイであることを知られても何も問題が起きなければ、「アウティング」という概念は必要ない。

そんな社会が実現するまでは、対症療法としてアウティングが危険な行為であり、してはいけないことだと制度に明記し、認識を広げる。そして同時に、性的マイノリティに関する差別をなくしていく作業も並行して進めることが重要ではないだろうか。

事件を風化させない

筆者は亡くなったAさんと同年代で、同じ出身地、そして同じセクシュアリティの当事者だ。アウティングを経験したこともある。裁判について報道で知ってから4年間、他人事とは思えずこの事件を追ってきた。

なぜAさんは亡くならなければならなかったのか。裁判を傍聴する度にその想いが強くなる。

今日、判決後の記者会見でAさんの母は私に、大粒の涙をためながら「生きよう」と伝えてくれた。

二度と同じような事件が起こらないよう、この社会から性的マイノリティに関する差別や偏見がなくなる日まで、この事件を風化させず語り続けていきたい。