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鬼ひそむ暗闇の迷路屋敷でからくり看破 天才・藤井聡太二冠(18)深夜の大熱戦制しB級1組2勝目

松本博文将棋ライター
(記事中の画像作成:筆者)

 6月13日。東京・将棋会館において第80期B級1組順位戦3回戦▲屋敷伸之九段(49歳)-△藤井聡太二冠(18歳)戦がおこなわれました。

 10時に始まった対局は翌0時41分に終了。結果は130手で藤井二冠の勝ちとなりました。

 リーグ成績は藤井二冠2勝1敗、屋敷九段1勝2敗となりました。

 藤井二冠は次戦4回戦も前倒しの日程。7月6日に久保利明九段と対戦します。

 藤井二冠の今期成績は7勝2敗となりました。

日曜日、早熟の天才対決

 将棋界の対局はほとんどの場合、平日におこなわれます。本局は日曜日。土日祝にイレギュラーに対局が入れられる場合には、どちらかの棋士が特別に忙しいなどの事情があります。

 藤井二冠は6月18日に棋聖戦五番勝負第2局を控えています。B級1組3回戦一斉対局は17日。そのため藤井二冠の日程を考慮して、前倒しで日曜日に対局が設定されたというわけです。

 藤井二冠は前節、稲葉陽八段に敗れました。

 ここまで順位戦史上最高勝率で勝ち続けてきた藤井二冠といえども、そう簡単には抜けられない。それが「鬼のすみか」B級1組なのでしょうか。 

 本クラスは定員13人で総当り。順位戦5クラスの中では、もっとも多い局数をこなすことになります。

 前期で上位2枠に入り、A級昇級を決めたのは永瀬拓矢王座と山崎隆之八段。両者の成績は9勝3敗でした。例年、昇級ラインはその前後。前半に黒星が重なれば、昇級は厳しくなります。それはともかくとして、どのような状況でも目の前の一局に集中するのが藤井流。

藤井「B級1組、特に長いので、あまり星取りは考えずに臨もうと思ってました」

 局後に藤井二冠はそう語っていました。

 屋敷九段は前期、途中までは2勝6敗と苦しい星取りでした。しかし後半、底力を見せて追い上げて、最後は5勝7敗で残留を果たしています。

 藤井二冠が昨年に記録を更新するまで、三十年にわたって最年少タイトル挑戦&獲得の記録保持者だったのは屋敷九段でした。競艇(ボートレース)を愛する屋敷九段。若き日には自身の棋風を「まくり一発」と称していました。

 棋聖位復位を目指す1997年の五番勝負を前にして、次のように語っています。

十八歳で棋聖位を獲得したときは無我夢中で戦って、結果がよかっただけです。七年もたって、少しは落ち着き、余裕をもって指せるようになりました。(中略)タイトル戦では持ち味の“まくり一発”を決め、復位して美酒を味わいたい。

(「産経新聞」1997年6月8日朝刊)

 屋敷挑戦者は三浦棋聖を3勝1敗で破り、復位を果たしています。

 本局は早熟の天才同士の対戦と言えるでしょう。

 前回のABEMAトーナメントでは、永瀬拓矢現王座、藤井現二冠、増田康宏六段のチームが圧倒的な力を見せて優勝しました。今回はタイトル保持者となった藤井二冠はチームリーダーとして独立。代わりに永瀬リーダーが迎えたのが屋敷九段でした。

 強豪チームのメンバーに加えられた点からも、現在の将棋界における屋敷九段のポジションが推しはかれそうです。

順位戦のドラマは深夜に生まれる

 本局は屋敷九段先手で、戦型は互いに飛車先の歩を進める相掛かり。古くからある戦法で、戦前のトップクラスの間でもさかんに現れました。時代が何周かして、現在は再び最前線の戦型となっています。

 現代の相掛かりは、飛車先の歩の交換をギリギリまで保留するのが特徴の一つです。本局では後手番の藤井二冠が先に歩を交換することになりました。

藤井「こちらだけ飛車先(の歩)を切っている(交換している)形なので、それが主張になれば、と思って進めていました」

 午前中はゆったりとしたペースで進んでいきました。その間、将棋フォーカスやNHK杯・阿久津主税八段-村中秀史七段戦を同時に見ていた、という方もおられるでしょう。

 NHK杯の記憶は、明るい日曜朝の雰囲気とともに刻まれていきます。一方、順位戦でドラマが起こるのはほとんどの場合、対局者も観戦者も朦朧とした、深夜の闇の中です。

 NHK杯の放映が終わる少し前に、本局は昼食休憩に入りました。

 午後の戦いに入り、まず藤井二冠は飛車の動きでゆさぶりをかけ、千日手含みの順が生じました。一般的に考えれば、後手で千日手に持ち込めれば成功です。

 先手番の屋敷九段は34分考え、角交換をして打開。互いに角を手持ちにし、慎重に時間を使い合って駒組みを進めます。形勢はほとんど互角のまま推移していきます。

屋敷「あまり予想してない展開でしたので、指し方が非常に難しかったですかね。本譜はじっくりした組み合いになりましたので、少しちょっと駒組としてはつまんなかったかもしれないですかね」

 38手目。藤井二冠は38分考え、飛車を中段から自陣へと引き上げます。

藤井「途中、△8二飛車と引いたあたりとか・・・。もう少し△7四歩とかで突っ張れば違う展開になったのかなと思うんですけど。本譜だと組み合いになって。そうですね、形勢としては難しいのかなと、指していて思っていました」

 48手目、藤井二冠が金を上がり、自陣を整備したところで18時、夕食休憩。

藤井「序盤から選択肢が多くて・・・。本譜よりもう少しいい展開を選べたところもあったと思うんですけど、ちょっと全体的に難しくて、よくわからなかったです」

 18時40分の再開後、夜戦に入ってもまだ本格的に駒はぶつからず、順位戦らしいスローペースの序中盤が続きました。

藤井二冠、才能発揮の攻防手

 藤井二冠は金銀2枚ずつを両サイドに配し、バランス重視の構えです。対して屋敷九段は金銀3枚で矢倉の堅陣を築きました。

「堅い屋敷にご奉公」

 古い将棋の文献をひもとくと、かつてはそんな地口もあったようです。

 屋敷九段の十代の頃の二つ名は「おばけ屋敷」、あるいは「忍者屋敷」でした。いずれも秀逸なネーミングで、意外な手が飛び出してくる屋敷九段の才気をうまく表現しています。

 本局では深夜、誤算が生じた藤井二冠が迷い込みそうになった「迷路屋敷」が盤上に現れました。

 57手目。屋敷九段は5筋の歩を突きます。

「角取り将棋に5筋は突くな」

 という格言が古くからあります。その筋の歩を突くと、角の打ち込みがスキができるからです。とはいえ、それはもちろんケースバイケース。無理に馬(成角)を作ってみたものの、意外と成果が上がっていないという場合もあります。

 20時前。藤井二冠は6筋から歩を突っかけます。ここからいよいよ盤上の互いの駒が大きく動いていきます。

 藤井二冠がセオリー通り角を打ち込んで馬を作ったのに対して、屋敷九段は相手の手に乗りながら反撃します。屋敷九段は自身の攻めの銀と、相手の守りの銀を交換しました。一般的には得な交換ですが、本局の場合はどうだったか。この攻防で、藤井二冠がわずかにリードを奪ったようです。

屋敷「難しいかなとは思ったんですが、ちょっと仕掛けられてからは少しずつ苦しい感じがしてましたね」

 77手目。屋敷九段は攻めながら飛車を3筋中段に躍り出ます。縦には藤井玉のすぐそばをにらみ、横には7筋の馬取りになっています。

 持ち時間6時間のうち、残りは屋敷1時間35分、藤井1時間12分。コンピュータ将棋ソフトが示す評価値は藤井よしです。しかしそれを見ない観戦者の目には、難解な終盤に入ったようにも映ったでしょう。この難しそうな局面で、藤井二冠はどう指すのか。

 78手目。藤井二冠は7筋の馬を6筋へと寄せました。消費時間はわずかに1分。しかしこれが気づきにくい攻防手でした。この手を境に、藤井二冠がはっきりとペースをつかんでいきます。

藤井「△6五馬から△7五桂と打って、流れとしてはわるくないのかなと思っていたんです」

屋敷「△6五馬寄られてちょっと・・・。やっぱり攻めが難しいので、そのあたりは少し余されてるか、本譜の寄せ合いでも少し負けてる感じがした、という感じですね」

 互いに相手陣の金銀をはがし合う終盤戦。89手目、屋敷九段は飛金両取りで角を打ち込み勝負に出ます。そのタイミングを受けて、藤井二冠はスパートをかけました。

 90手目。藤井二冠は慎重に22分を使い、桂を打ちます。これは駒取りではなく、屋敷玉への「詰めろ」です。相手の金と銀が利いている地点ですので、タダのように見えますが、取らせることによって金銀の連携が乱れ、屋敷玉が寄せやすくなる。藤井二冠らしい冴えた寄せ方に見えました。

迷路屋敷の暗闇の中

 92手目。藤井二冠からは2通りの寄せが見えます。8七の地点に馬を入るか。それとも飛車を成り込むか。本譜、藤井二冠は残り20分のうち6分を使い、飛車成を選択しました。しかし藤井二冠は局後、その順を反省しています。

藤井「▲7二角のときに、うーん、本譜は(△6六桂から△8七飛成と)やっていったんですけど、少し誤算があって。違う手を選ばないといけなかったような気がします。馬と飛車成(△8七馬か△8七飛成)どちらかと思ったんですけど」

 藤井二冠の誤算とはなにか。それは屋敷九段の玉を追い詰めていくと、最後に驚くようなどんでん返しが待っていたことでした。局後、藤井二冠はインタビューに応じる形で、自身の読みを披露しました。

藤井「本譜(△8七飛成以下)は△6六馬▲同銀に△6七銀とかで(屋敷玉は)必至なので、それでどうかと思っていたんです。ただ、▲3三歩成(△同桂)から▲3四桂と(藤井玉に王手で)打たれて、ちょっとそのあとの変化でこちらの玉が詰まないと思った変化が詰んでしまうので。ちょっとそれは誤算・・・。△8七馬として▲7八銀で△8八銀▲6八玉△7七銀▲同銀△5九銀と打って▲6七玉△7一飛車とか考えていたんで。うーん、△7一飛車の図に不安があって本譜を選んだんですけど。ちょっとそうですね、読み抜けがあったので、そちらを選ばないといけなかった」

 毎日新聞の山村英樹記者は「迷路」という表現を使って屋敷九段に尋ねました。

山村「藤井さんが最後おっしゃってた、けっこう難しいというか、迷路みたいな筋がありますけど」

屋敷「いやまあ(笑)ちょっと・・・足りないと思ってたんですけど、けっこうきわどい変化が多かったので。そうですね、終盤は思ったより難しかったかな、という感じだったですけど」

 将棋の終盤は、ときに迷路のように感じられます。江戸期を代表する大名人・三代伊藤宗看は複雑難解をもって知られる詰将棋作品集『将棋無双』を遺しました。その悼尾を飾る最終第百番の難問は後世「大迷路」と名づけられています。

 本局でそうした「迷路」が生じたのはもちろん偶然ではなく、屋敷九段が最善を尽くしたためです。

 迷路屋敷で迷いかけた藤井二冠。方向を見失えば、闇に潜んだ鬼にあっという間に食われるところです。しかしすんでのところで踏みとどまり、大逆転に陥るからくりを見破りました。そしてとっさに軌道修正をはかります。

 残りは屋敷8分、藤井14分。

 藤井二冠は4分考え、98手目、金を捨てて王手。手順に王手角取りをかけていきます。屋敷玉をいったん中段へと逃してしまいますが、自玉に迫る角を抜いて龍を引き上げ、勝勢をキープできました。

藤井二冠、闇を切り裂く鮮烈フィニッシュ

 日付も変わった深夜0時過ぎ。ずっと秒を読んでいる記録係が声をかけます。

記録「屋敷先生、これより一分将棋でお願いします」

屋敷「はい」

 屋敷九段は最後の1分を使います。あとは一手60秒未満で指す一分将棋に入りました。そして107手目、銀を打って藤井玉に王手をかけて迫ります。これがさすがの追い込みで、若き現在の最年少棋聖をそう簡単に楽にはさせません。

 残り10分の藤井二冠。ここで貴重な5分を使います。そして自玉への寄せを一手しのげば、屋敷玉に詰みがあることを読み切りました。しかし勝ちかどうかの確信は持てていなかったようです。

藤井「本譜は詰み・・・だなとは△5一玉と引いた段階で思っていたんです。ただ、△5一玉に▲4一金とかいろいろあるので、少し・・・なんか、わからなかったというか、難しい気がしました」

 屋敷九段は桂の連打で藤井玉に迫ります。勝負のゆくえは、屋敷玉が詰むや詰まざるやの一点にしぼられました。

「中段玉寄せにくし」

 その言葉の通り、観戦者の目には、屋敷玉は中段をさまよいながらも、そう簡単に詰むようには見えません。しかし藤井二冠はあわてることなく落ち着いた様子。闇の向こうにわずかな光を見出すかのように、藤井二冠は長く複雑な詰みを読み切っていました。

 118手目。藤井二冠は中空に銀を打ちます。ただで取れる銀。しかし同玉と取れば、屋敷玉は下から追って、上下挟み撃ちの形で詰みます。

 本譜、屋敷玉は上から押さえられ、下段へと落とされていきます。屋敷九段は中空を見上げ、後ろ頭に手をやりました。

 藤井二冠は飛車を捨て、遠く自陣の龍を相手陣にもぐりこみ、銀を成り捨て、二十手以上にもおよぶ「実戦詰将棋」の手順を披露します。作ったかのような鮮やかな収束で、屋敷玉を即詰みに討ち取りました。

「30秒・・・」

 屋敷九段はもう一度、中空を見上げました。

「40秒・・・。50秒、1、2、3」

 そこまで読まれたところで屋敷九段はゆっくりと一礼しました。

屋敷「負けました」

藤井「ありがとうございました」

 0時41分、屋敷九段投了。順位戦の長い一局が幕を閉じました。

 藤井二冠と屋敷九段の対戦成績は藤井二冠の3戦全勝となりました。

 局後、両者はそれぞれの視点で一局を振り返りました。

藤井「ちょっとやっぱり▲7二角打たれたときに、そこで時間があったので、ちゃんと読まないといけなかったような気がします」

屋敷「最後はぴったりの詰みでしたので。やはり少しずつ足りなかったと思いますね。中盤でうまく指し回されたという感じだったですね。△6五馬と寄られた手がかなり手厚い手で。そのあたりは・・・。仕掛けられてから△6五馬寄って。最後うまくまとめられたという感じだったですね」

 B級1組4回戦以降について、両対局者は次のように語っていました。

藤井「順位戦についてはまだ9局残っているので、あまり先のことは考えずに、目の前の一局一局に集中して指していきたいと思います」

屋敷「またしっかりと準備して、次に備えたいと思ってます」

 藤井二冠の順位戦通算成績はこれで41勝2敗(勝率0.954)。黒星のあとにすぐ立ち直り、A級昇級、そして史上最年少名人挑戦への道を再び歩み始めました。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)、『など。

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