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羽生善治九段(50)角損の猛攻からスリリングな終盤戦を制し渡辺明名人(36)に勝利 NHK杯3回戦

松本博文将棋ライター
(記事中の画像作成:筆者)

 12月6日。第70回NHK杯テレビ将棋トーナメント3回戦▲羽生善治九段(50歳)-△渡辺明名人(36歳)戦が放映されました。棋譜は公式ページで公開されています。

 両者はともに1回戦はシード。2回戦では渡辺名人は増田康宏六段、羽生九段は佐々木大地五段と、若手精鋭を破っています。

 本局の解説を務めるのは、両対局者と数多く戦ってきた名棋士、森内俊之九段です。

森内「お二人はタイトル戦の舞台やこのNHK杯の決勝でも何度も対戦している、そういったカードですので、ちょっとここで対戦するのももったいない感じがしますけども」

 森内九段の言葉通り、豪華なカードが3回戦の段階で実現しました。

 対局開始前、両対局者は次のように語っていました。

羽生「(NHK杯は)時間が限られていますので、決断よく指していくことが重要ではないかなと思ってます。渡辺さんとの対戦は久しぶりですので、思いきって対局できればいいかなと思っています」

渡辺「羽生さんとはいろんなところで数多く対戦してきましたけども、このNHK杯ではけっこう大きいところで負けてる、なんかいやな思い出があるので(苦笑)。そうですね、それを、今回ちょっと借りを返せるようにがんばりたいというふうに思っています。羽生さんとの対戦は非常に注目度が高いので、いい将棋が指せるようにがんばりたいと思います」

 振り駒の結果、先手は羽生九段。戦型は相矢倉となりました。両者は何度も矢倉で戦ってきましたが、本局は現代風の駆け引きの末、昭和の昔に見られたような形に合流しました。

森内「これは私が子どもの頃に当時、中原先生、米長先生、加藤一二三先生といった大棋士が頻繁に指していた、その頃の矢倉戦ですので。すごく懐かしさを感じる、そういう戦型になりました。最近逆に、新鮮な感じがしますけどね」

 羽生九段のNHK杯通算優勝回数は実に11回です。

森内「ちょっと信じられない記録でして。NHK杯戦はトーナメント戦ですので、たくさん優勝するのは難しい棋戦だと思うんです。出場が35回でしたっけ? 35回中11回ですから、3回に1回近く優勝してると(笑)。すごい確率ですよね。(4連覇は)タイトル戦だとよくありますけども、トーナメントで4回続けて勝つっていうのは、確率としてすごい数値になりますし、恐ろしい強さですね」

 中段で角が向かい合う形から、羽生九段は棒銀に出ました。対して渡辺名人は五段目に桂を跳ねたあと、角交換から羽生陣に角を打ち込んでカウンターをねらいます。

 羽生九段は銀香交換の駒損ながら棒銀をさばきました。対して渡辺名人は角を引き成り、馬を作りました。ゆっくりしていると、渡辺名人の方が自然とよくなりますので、羽生九段の攻めがつながるどうかが以後の焦点となりました。

 渡辺名人は白、羽生九段は黒のマスクをしています。

 両対局者ともに机の上にひじを乗せて考えています。将棋のNHK杯はずっと畳の上に座る、昔ながらの対局スタイルでした。しかしコロナ禍の現在、机の上に盤を乗せ、アクリル板で対局者の間が仕切られるという形式に変わっています。

 コロナ禍の影響で今期NHK杯の収録がストップしていた間、1988年度のNHK杯が放映されました。当時18歳の羽生五段は、4人の名人経験者を連破して史上最年少優勝を飾っています。

 中盤の難所。羽生九段はすぐに攻めていかず、ふわっとした、含みの多い歩突きを選びました。羽生九段は自身の棋風を「柔軟」と表現しています。

森内「一本調子じゃなくて柔らかい手が多い印象ですね」

 羽生九段と数多く対戦してきた森内九段は、そう語っていました。

 羽生九段は4筋、渡辺名人は7筋から歩を突っかけていきます。取った方がいいのか、それとも手を抜いた方がいいのか。どちらも悩ましいところです。

 羽生九段は端1筋に据えられた香の二段ロケットで攻め始めます。まずはその手始めに、隅に歩を成り捨てました。渡辺玉はこのあと最終盤まで、この「穴熊」の位置に居続けることになります。

 強く攻め続ける羽生九段。対して渡辺名人は自然な手で受け続けます。

 駒割は羽生九段の角損となりました。

羽生九段とは79局目でしたが、角損で猛攻される展開は珍しかったかもしれません。

出典:渡辺明ブログ2020年12月6日

 渡辺名人は手を頭の後ろに組んで考えます。ここさえしのげば、というところですが、羽生九段の猛攻も厳しい。形勢不明、ギリギリの展開です。

森内「確信はないですけど、私は後手を持ってなんとかしたいなと思う方ですね」

 羽生九段の変幻自在な攻めVS森内九段の鉄壁な受けという構図は、これまで何度も見られてきました。

 82手目。渡辺名人は2筋に底歩を打って詰めろをしのぎます。

森内「そうなの? ん?」

 受けの達人・森内九段から見ても意外な受けでした。しかしこの手できわどく耐えています。

森内「はあ、さすがですね。気づかなかったですね」

 羽生九段は攻めながら駒損を大きく回復しました。一方で貴重な手番は渡辺名人に渡ります。白熱の終盤戦となりました。

 渡辺名人は寄せ合いに出るのか。それともまだ受け続けるのか。なんとも判断が難しい。しかし本棋戦は早指し。あまり考えている時間はありません。

 渡辺名人は受けを選びました。実戦ならば安全第一でそう指したいところです。

森内「どちらがいいのか、さっぱりわからないですね。対局者はわかってるのかもしれませんけど」

 森内九段がそう苦笑したように、なんとも難しい終盤戦でした。

 駒割を計算してみると渡辺名人が香得で、依然わずかながらに駒得。ただし形勢の針は、厳密には羽生九段よしへと傾いていたようです。

 ここからの最終盤の攻防は両者の実力が遺憾なく発揮され、圧巻というよりありませんでした。

 本局の放映日には、ちょうど竜王戦七番勝負第5局▲羽生九段-△豊島将之竜王戦、2日目の対局がおこなわれていました。将棋ファンにとっては何とも忙しい状況です。そうした中で、本局の最終盤の攻防には目が釘付けになったという方も多いのではないでしょうか。(筆者もその一人です)

 95手目。羽生九段は2筋に歩を打ちました。

森内「はあー、なるほど! 柔軟ですね」

 渡辺玉へ詰めろをかけながら、打った駒を抜かれてしまうリスクを最小限にとどめています。

 対して渡辺名人は攻防の飛車を放ちます。これが詰めろ逃れの詰めろです。

森内「おお、すごい攻防ですね。さすがはこの二人という感じですね」

 羽生九段は詰めろを受けながら馬(成角)取りに金を引きます。これもギリギリの攻防手です。

 渡辺名人は考慮時間をすべて使い切り、あとは1手30秒未満で指すことになりました。そして歩を取り込んで羽生玉に迫ります。もし馬を取られれば、その間に羽生玉に迫ることができます。

 羽生九段も考慮時間がなくなり、あとは両者ともに30秒将棋となりました。

 101手目。羽生九段は相手の歩を取りながら自分の歩を成り、渡辺玉に王手をかけました。

森内「羽生さん、珍しいですね、歩が下を向いているのが」

 いつもは駒台の上に整然と持ち駒を並べている羽生九段。しかしいま取った歩を置いた際、反対側を向いたままとなりました。

森内「ちょっと勝ちがわからないですね」

 森内九段もそうつぶやくような難解な最終盤です。

 羽生九段は攻防ともに手段を尽くしたあと、105手目、渡辺名人の馬を取りました。

記録係「20秒、1、2、3、4、5、6、7、8」

森内「ひえー!」

 テレビでは105手目に羽生九段が馬を取る手、記録係が「8」を読む声、そして森内九段が「ひえー」とうなる声が重なりました。

森内「これはすごい。勇者ですね。私は絶対指せないです、これは」

 森内九段はそう感嘆しました。羽生玉はいかにも詰みそうに見えるからです。

「運命は勇者に微笑む」

 というのは羽生九段の座右の銘です。その言葉通り、羽生九段はギリギリのところで決着をつけにいきました。

 勝負のゆくえは、ただ一点にしぼられました。すなわち、羽生玉は詰むや詰まざるや。詰めば渡辺名人の勝ち、詰まなければ羽生九段の勝ちです。

 2011年度決勝▲羽生-△渡辺戦は、NHK杯史上屈指の名局の一つに数えられます。その時にも最後、羽生玉は詰むや詰まざるやとなりました。そこで羽生現九段は角の王手に金合という絶妙手を指し、きわどく詰みを逃れました。羽生現九段はそこで前人未到の4連覇、通算10回目の優勝を果たしています。

 本局もまた、羽生九段の玉はいかにも危なそうに見えます。厳しく迫っていく渡辺名人。

 羽生九段は払ったと金(成歩)を下をむいたままの歩の上に重ねておきます。

 渡辺名人からの王手は続きます。羽生九段は少しでも応対を間違えれば、あっという間に詰まされます。しかし危ないようでも、羽生玉はきわどく詰みません。進んでみれば、ここに至るまでに羽生九段が周到な事前準備をしていたことがわかります。

森内「さすが、深いですね」

 113手目。羽生九段は相手の桂頭に玉を逃げます。そこからもなお、指そうと思えば王手は続きます。変化として、香の王手に中合して逃れるなど、高度なしのぎも含まれています。

 ほとんどの観戦者には、まだどうなっているのかははっきりしないところ。しかし渡辺名人の目には、詰まないことは、はっきりしていたようです。

「20秒、1、2、3、4」

 そこまで読まれたところで渡辺名人は頭を下げ、投了の意思を示しました。

森内「このお二人らしい、ハイレベルな応酬があって、最後の最後までどちらが勝つのかわからないような熱戦」「華やかな手も多かったですし、見応え十分」

 一局を振り返って、森内九段はそう称えました。

 羽生九段はこれでベスト8に進出。準々決勝では斎藤慎太郎八段-高野智史五段戦の勝者と対戦します。

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 羽生九段と渡辺名人の対戦成績は、羽生九段から見て41勝38敗となりました。

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将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)、『など。

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