将棋の2日制のタイトル戦では2通の封じ手が作られるけれど、そこで違う手が書かれていたらどうなるのか?
将棋界では8つのタイトル戦があります。そのうち、2日制なのは名人戦(持ち時間各9時間)、竜王戦、王位戦、王将戦(各8時間)の4棋戦です。
2日制の場合は1日目が終わり「指し掛け」とする際、最後に手番となった対局者が「封じ手」をおこないます。これは手番の側が一晩考えられるなどの不合理をなくすなど、合理的な趣旨があります。
封じ手をする対局者は用紙に次の手を記入し、封筒に入れて密封し、運営側(立会人)に預ける。そして翌朝、封じ手を開封して対局再開。これが2日制のタイトル戦の流れです。
将棋界が近代的な制度を確立していく際には、チェスの制度も大いに参考にされました。持ち時間制や封じ手(シールドムーブ)などもその一例です。
封じ手の制度が導入された当初は、用紙に棋譜(符号)を記す形式でした。
ではもしその際、棋譜を間違えてしまったらどうするのか。そんな例はなさそうでいて、実は長い将棋界の歴史では、そんな前例もあります。将棋史に詳しい東公平さんは次のように記しています。
塚田正夫名誉十段(1914-77)は次のように記しています。
塚田名誉十段が記す通り、封じ手で間違いが起こらなくなったのは、用紙にあらかじめ運営側(ほとんどは記録係)が図面を書き、そこに矢印で駒を進める先を記入する方式となったからです。
その方式が最初に採用されたのは、1937年におこなわれた、いわゆる「南禅寺の決戦」(阪田三吉-木村義雄戦)のようです。「南禅寺の決戦」と「天龍寺の決戦」(阪田三吉-花田長太郎戦)は持ち時間30時間の7日制という空前絶後の設定としても知られています。
将棋史上のスーパーヒーローである阪田三吉贈名人・王将(1870-1946、姓の表記は「坂田」とも)は、ほとんど字が書けない人でした。そこで図面に矢印の方式が考えられたそうです。記録係を務めていた山本武雄九段(1917-1994)は次のように記しています。
指し手を図面に記すことにすれば、ほとんど間違いは起こらなくなるでしょう。そしてその方式は、現在にまで踏襲されています。念のために符号まで記しておけば、さらに確実かもしれません。(成、不成などの区別が必要な際には、その旨を字で記す必要はありそうです)
さて現在の2日制タイトル戦では、封じ手は2通作られるのが慣例です。その趣旨はまず何よりも、紛失に備えることと思われます。
1日目夜から2日目朝にかけて、封じ手の1通は立会人が預かり、もう1通は宿の金庫などに保管されるのが通例です。そうなれば仮に1通が紛失した際、対局続行に支障をきたすというリスクはほとんどなくなります。
ではいつから封じ手は2通作成されるようになったのでしょうか。東公平さんに尋ねてみたところ、これはどうもはっきりしないようです。
「南禅寺の決戦」の観戦記を担当した菅谷北斗星は次のように記しています。
これを読むと、当時は1通だけだったようにも思われます。
2通作ってしまえば、なるほど紛失のリスクは分散されます。ではもし、2通でそれぞれ違う手が書いてあると、どうなるのでしょうか。
これはもう将棋界の定番中の定番と言っていい疑問です。
X「封じ手は2通作られます」
Y「これもし、違う手が書かれていたらどうするんですか?」
X「さあ・・・。どうなるんでしょう?」
将棋番組の中継を見ていると、まるで定跡のように、そんな解説と聞き手のやり取りが見られます。関係者がどうなるのか知らないのですから、ファンは知るよしもありません。
東さんは次のように記しています。
どれほど完璧な人間でも、時には考えられないようなミスをします。タイトル戦に登場するような棋士であっても、ミスをしないとは限りません。
東さんは封じ手は1通でいいのではないか、という主張をされています。
一方で封じ手は必要に応じて作られる実用的な用途があるとともに、現代ではタイトル戦がおこなわれた際の重要な記念品ともなります。封じ手がプレゼントの商品となったり、チャリティーに出品されたりすると、ファンには喜ばれます。おそらく封じ手はこの先も、複数作られる続けるのではないでしょうか。
では2通の封じ手に違う手が記されていた際にはどうなってしまうのか。
それはやっぱり、よくわかりません。
悪意のない多少のミスであれば、運営側は善意に解釈して穏便に対局を続けようとするでしょう。そして木村名人と塚田八段の故事にならえば、相手は笑って了承、ということになりそうです。
想定されうる事態である以上、あらかじめルールで定めておけばよさそうにも思われます。しかし実際にトラブルが起こってからでないと細かなルールを作らないのもまた、将棋界の流儀のようです。
「どうなるか」という問いに、いま言えるだけの予想を記すとすれば、おそらくはそれを機にルールが設定され、その先同様の事態が起きた時にどうなるかはっきりする、ということになりそうです。