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第2局はわっしょいわっしょいで持将棋成立222手!第1局は千日手指し直しで合計228手!大波乱叡王戦

松本博文将棋ライター
(記事中の画像作成:筆者)

 7月5日。兵庫県「城崎温泉 西村屋本館」において第5期叡王戦七番勝負第2局▲豊島将之竜王・名人(30歳)-△永瀬拓矢叡王(27歳)戦がおこなわれました。10時に始まった対局は22時5分、222手で持将棋が成立。引き分けとなりました。

 七番勝負は第2局を終えた時点で豊島名人が1勝。そして千日手1回、持将棋1局という大波乱の展開です。

 次の対局は7月19日、愛知県名古屋市「亀岳林 万松寺」でおこなわれる予定ですが、その対局条件などは未確定のようです。(※7月6日10時現在)

千日手指し直しの次の対局

 叡王戦七番勝負は、えらいことになってきました。まずは第1局から振り返ってみましょう。

 第1局に先立つ振り駒では、永瀬叡王が先手と決まりました。そして第1局は20時20分、まず千日手が成立しました。

 永瀬叡王は公式戦通算39回目、豊島竜王・名人は19回目の千日手でした。

 叡王戦の規定では21時30分までに千日手が(そして実は持将棋も)成立すれば即日指し直しとなります。

 第1局の千日手指し直し局は、先後が替わって豊島挑戦者が先手です。そして結果は豊島挑戦者の勝ちでした。

 昔の番勝負では、千日手指し直し局の先後もカウントして、後日の対局ではそこからまた先後が替わっていました。その昔の方式であれば第2局は永瀬叡王が先手となります。

 しかし現在では「一局完結方式」が取られています。そのため第1局千日手局の先後は関係なく、第2局は豊島挑戦者の先手となります。

 第2局の持ち時間は各5時間(チェスクロック使用)。これは第1局と同様です。

 9時46分、豊島挑戦者は白いマスク。9時50分、永瀬叡王は黒いマスク姿で登場しました。タイトル戦の慣例通り、両対局者ともに羽織袴姿です。

 10時。立会人の福崎文吾九段が声を発します。

「定刻になりました。第5期叡王戦第2局は豊島竜王・名人の先手番で開始してください」

 両対局者が一礼し、対局が始まりました。

 豊島挑戦者先手で、戦型は角換わり腰掛銀に進みます。午前中に豊島挑戦者が仕掛け、戦いが始まりました。49手目まで進んで昼食休憩に入ります。

 休憩中、永瀬叡王は和服からスーツに着替えていました。

永瀬「スーツの方が(指しやすい)というのはあるんですけど。(和服は)不慣れな点が多いので。開始の時は和服だったんですけど、途中でスーツに着替えました」

 食事の時になにかこぼしたとか、そういったことではなかったようです。

 昨年の挑決三番勝負第3局、永瀬七段(当時)は開始から1時間ほどして和服からスーツにスイッチした例はありました。

 このあたりのマイペースさは、永瀬叡王らしいと言えそうです。

 さて将棋というのは攻めている側が必ずしもよいというわけではありません。攻めをとがめて優位に立つという戦略も有力で、それを得意にする棋風の棋士もいます。永瀬叡王はそうした棋士の一人かもしれません。

 永瀬叡王は豊島陣に馬を作って、次第に上部を開拓していきます。永瀬玉の上部をにらむ駒を一掃し、容易には負けない態勢を築きました。

 両対局者に出されたおやつ。筆者もローソンで買ってきました。

 夕方、永瀬叡王はスーツの上着を脱いで、半袖シャツ姿となります。いつもの将棋会館の対局で見るようなスタイルです。

 71手目。豊島挑戦者は中央に桂を打ちました。その局面で18時、夕方の休憩に入ります。

 18時30分、対局再開。ここからは前局を思わせるような死闘となりました。

第1局は千日手、第2局は持将棋

 豊島挑戦者は駒を渡すのを承知で、永瀬玉をつり上げ、永瀬陣に飛車を打ち込んで下から攻めていきます。永瀬叡王は手に乗って、上部脱出。入玉を確実にしました。

豊島「けっこういい勝負のつもりでずっと指していたんですけど、途中から気づいたら不利になってしまったかなと思っていて」

 永瀬玉が上部に脱出した盤上右上隅。駒を取りたい、取らせないのやり取りで、一瞬、千日手を思わせるやり取りが見られます。千日手とはなりませんでした。そして今度は入玉模様となります。

 トップクラスの両対局者による入玉をめぐっての大熱戦は、複雑な駆け引きのもとにギリギリの攻防が続けられます。

 昨年の王位戦第4局▲木村一基九段-△豊島将之王位戦(肩書は当時)戦では相入玉となり、豊島挑戦者の駒数が足りないため持将棋は成立せず、285手で木村挑戦者が勝つということがありました。

 思えば昨年も熱い夏でした。

 本局。豊島挑戦者は上部を開拓し、入玉を目指す前に、周到な事前工作をしていました。

豊島「後手の玉は入玉ほぼされるのかなという感じで途中からやっていて。後手に歩以外の駒を持たれている状態だと、ちょっと入玉を目指してもうまくいかないのかな、という感じだったので。なるべく攻めていって、途中で(124手目、永瀬叡王が)△3七香と打って、歩以外の駒を使い切る形になったので、そこから入玉こっちも目指して、うまく入玉できるかとか、駒数が足りるかとか、ちょっとわからなかったですけど、けっこうがっちり守られたんでもう、こっちも入玉目指すしかないかな、という感じでした」

 豊島挑戦者は一足早く入玉をはたします。相入玉では大駒5点、小駒1点として、双方に24点あれば持将棋引き分けが成立します。豊島挑戦者の方は23点を確保して、あと1点、届くかどうか。相入玉特有の駒を取りたい、取らせないの攻防が延々と続くことになります。

 217手目。豊島挑戦者は盤上右隅に金を打ちました。これが相入玉特有の一手で、引き分けに持ち込むための決め手となりました。ねらっているのは永瀬玉ではなく、永瀬陣右隅、1二の地点にいる香車です。大駒の龍(成り飛車)を詰まされることなく、永瀬陣の香を1枚削ることが約束されました。

永瀬「最後の3、40手でこちらの1二の香が助かれば勝ちなんですけど、助かる形が思いつかなかったので、助からないのであれば持将棋濃厚なのかなと思って指していました」

 222手目。永瀬叡王は自陣の金を上に逃げます。

 両対局者ともにマスクをはずしています。永瀬叡王は口元をハンカチで押さえながら、豊島挑戦者に話しかけます。

 永瀬叡王は豊島挑戦者にぴったり24点を確保され、勝ちがなくなり、引き分けしかないと判断したのでしょう。永瀬叡王が話しかけたのは、持将棋の提案です。そして豊島挑戦者もすぐに了承しました。

 22時5分。222手で持将棋が成立しました。

 終局後、永瀬叡王は黒いマスク、豊島挑戦者は白いマスクをつけました。

「両対局者を称えましょう」

 解説の深浦康市九段はそう語っていました。この持将棋は観戦した多くのファンも大満足の内容だったのではないかと思われます。

豊島「(不利になったと思った)そのあとは、ちょっと苦しい感じで指していて、最後も持将棋になるか負けるか、どっちかという感じだったので。そうですね、一局を通して苦しいというか、自信がない局面が多かったように思います」

永瀬「よかった局面もあったかと思ったんですけど、局面が難しくて、いいとしても正解を発見することができなかったので、よかったのであれば今後それを発見できるようにしていきたいなと思います」

 第1局で千日手、第2局で持将棋と続いたことについては、両対局者は次のように話していました。

永瀬「(自分は千日手、持将棋)両方多い方だと。あっ、でも持将棋は1回ぐらい・・・? まあでも入玉形はけっこう多い方だと思うんですけど」

 調べてみると持将棋は、永瀬叡王は本局が4回目、豊島名人は1回目でした。

永瀬「そうですね、流れは・・・。不思議でもありますし、連続でつづくっていうのは珍しいことなのかと思います」

豊島「持将棋はあまり経験がなかったので・・・。ちょっと展開上、こちらも仕方がないかな、という形で指してました」

 両対局者にとってはタイトル戦では初めての持将棋。過去の例からすればタイトル戦の持将棋は1局としてカウントされ、生涯通算成績に「持将棋1」が計上されます。

番勝負における持将棋局の扱い

 以下は少しややこしい話になります。

 タイトル戦の番勝負ではない一般的な対局において、持将棋は千日手同様、無勝負で即日「指し直し」となります。最近では永瀬叡王が佐々木大地五段に持将棋指し直しの死闘で勝ったことがありました。(持将棋局は267手、指し直し局は107手でした)

 この場合には記録上、生涯通算成績に持将棋1局がカウントされることはありません。

 タイトル戦の番勝負においても、持将棋は「無勝負」で両者0勝なのは変わりません。(ややこしいところですが、古くは半星で0.5勝扱いでした。つまり持将棋2局で合わせて1勝、そこでどちらかが規定の勝数に到達して番勝負終幕という可能性もありました)

 ただしタイトル戦番勝負における持将棋は千日手とは違って、前述の通り「1局」として成立します。タイトル戦に登場して持将棋の経験を持つ棋士は、生涯成績に勝ちでも負けでもない、持将棋引き分けが1局として計上されています。

 現在のほとんどのタイトル戦の規定では、千日手は即日指し直し。持将棋の場合は次の一番は同日中には指さず、次局以降の予定通りに番勝負が進行していきます。

 よってタイトル戦番勝負においては「持将棋指し直し」という表現はこれまで正式にはなかったように思われます。第2局で持将棋が成立した場合には、次は「第2局指し直し局」ではなく「第3局」へと移行してきました。

叡王戦で持将棋が成立した場合にはどうなるのか?

 終局後、立会人の福崎文吾九段が対局室に入ります。まずは記録係の服部慎一郎四段に確認しました。

福崎「持将棋?」

服部「はい、持将棋です」

 筆者は今回初めて知りましたが、叡王戦七番勝負では千日手のみならず、持将棋もまた21時30分までに成立すれば同日指し直しという規定があるそうです。(また同様の規定を設けているタイトル戦は他にもあるそうです)

 また叡王戦の場合は21時30分を過ぎても、両対局者が合意すれば30分後に次の一番を指せるという、フレキシブルな余地も残されているそうです。(その趣旨は筆者は知りません)

 福崎九段が両対局者にその旨を話します。

福崎「持将棋になられたということで、この勝負はもちろん無勝負なんですけども、一応規定といいますかね。第2局立会人をはじめ、理事の関係者とかですね、皆さまと相談して、一応ね、夜の9時半を過ぎた場合は、まあ後日っていう話を決めたんですけれども」

 ここからは両対局者の意見を聞いて対局をするかどうかを決めるという、異例の場面が見られました。

福崎「まあ、あなた方の意見といいますかね。どうしてもこのままやるとお二方がおっしゃれば、やぶさかではないというか、対局は続行できるんですけれども。一応夜9時半・・・(いま)何時かな? 10時過ぎてますからね。内規というか、今までのあれではもう、これで打ち切りといいますかね。持ち越しになるんです、対局はね。まあ次のやつにスライドするのかもわからないですけどね。それでまあ、両者が続行を望む場合はだから、できるということなんですけれど。いかがでしょうかね。まあ今ね、終わったところでね、あれなんですけどもね」

 対局をするもしないも両対局者の意見次第、ということであれば、昭和の昔のように、両対局者が盤外でも張り合うようなタイトル戦だと、トラブルが生じる可能性もありそうです。

 1975年度の名人戦七番勝負、中原誠名人-大内延介八段戦では、最終第7局で持将棋が成立した後、次局の日程をめぐって両対局者の合意に至らず、副立会人の提案によって振り駒が提案され、その結果によって決められたということがありました。(以上は観戦記に残されているため現代に伝わっています。実際にはどこにも書かれず、記録にも残されなかったトラブルの方が多いものと推察されます)

 ただし、現代のタイトル戦に登場するのは永瀬叡王や豊島竜王・名人のように、盤外では温和に運営側の方針に従うという棋士がほとんどです。

福崎「もしやる場合は30分後に持ち時間(双方)1時間まで戻して、まあ今まで通りですね、従来もそうですし、やるのは可能なんですけれどもね。一応まあ、これで打ち切りというのが、将棋連盟の考え方なんですけどもね。お二人が元気いっぱいでしたら、まあできるんですけれども」

永瀬「まあ、規定通りで・・・。規定っていうことですね?」

福崎「規定の方はこれで一応、もうこのままね。次の対局にスライドって形かな、と思うんです。終わったところで急な話ですけれども。将棋連盟としてはまあ、これで一応、今回はこれで終わりという形になるんですけれども、それでよろしければ」

 両対局者とも穏当にうなずき、福崎立会人の提案に同意しました。

福崎「あ、いいですか? じゃあとりあえずこの将棋はね、これで。あとはまあ、今日はもうやらないということなのでね」

 持将棋成立後の次局は7月19日、愛知県名古屋市「亀岳林 万松寺」でおこなわれます。

 叡王戦七番勝負はいろいろな持ち時間でおこなわれる点に特徴があります。予定では万松寺では、第3局と第4局、いずれも1時間の対局が、一日のうちにおこなわれる予定でした。そうした特殊な事情があるため、今後の予定がどうなるかは、確定次第また発表されるようです。

 

 もし両対局者が第2局が持将棋になった後、同日中に次を指すことで意思が一致していたとすると。両者ともに残りは0分だったので、両者ともに1時間を足して、持ち時間は1時間での「指し直し局」がおこなわれていました。

 一方で、当初発表されていたように(現在はいったん撤回されて協議、確認中のようです)もし予定を変えて万松寺で各5時間の対局をするとなれば、時間設定が大きく違うことになります。

 参考までに、今期竜王戦2組準決勝(持ち時間各5時間)は千日手となった後、コロナ禍という特殊な状況で、両対局者の合意により、後日指し直しになっています。

 千日手指し直し局の持ち時間は5時間にまで戻らず、通常の指し直し局の規定通りで、松尾歩八段1時間19分、佐々木勇気七段1時間0分でした。

 さて、叡王戦ではどうなるのでしょうか。

将棋界には、前例のないことに関する規約はない。名人戦対局規定にも、七番勝負が七番で終わらなかった場合のやり方は示されていなかった。

出典:紅、1975年名人戦七番勝負第8局観戦記

 盤外では現実にその事例が起こってからどうするのか考えることが多いのが、将棋界の伝統のようです。

 ともかくも今回、両対局者をはじめ、関係各位は大変なことだったと思われます。

ハードスケジュール続く両対局者

 次局に向けて、両対局者は次のように話しました。

永瀬「まだ持ち時間は確定してない・・・ですね? してないと思うんですけど、持ち時間決まってからちゃんと準備をして、いい将棋を指してがんばりたいなと思います」

豊島「対局が続いているので、コンディションをしっかり整えて、またがんばりたいと思います」

福崎「あとはまあ、感想戦はどうなんですかね。感想戦は任意ですね。・・・持将棋の感想戦ってあるんですかね(笑)」

 とりあえず一度おつかれさまです、ということで両者一礼しました。

永瀬「見届人の方もいらっしゃるので・・・」

 見届人の方、さらにはニコニコ生放送を見ている方へのサービスもあるのでしょう。永瀬叡王の提案によって、感想戦が始められました。

 感想戦は初手からから永瀬玉が上部に抜けたあたりまで並べられ、25分ほどおこなわれました。

 中継を見ていたファンに向けて、両対局者は次のように語っていました。

豊島「長い将棋だったんですけれども、最後までご観戦いただきましてありがとうございます。ちょっと今日の将棋はよくないところも多かったような気もするんですけど、またよい将棋が指せるようにがんばっていきたいと思いますので、今後もご観戦いただけたらと思います。ありがとうございました」

永瀬「ご視聴いただきましてありがとうございます。持将棋、千日手はわりと持ち味に近いかなと思いますので、その点楽しんでいただけたらよいなと思っています。局面がよかったとするのであれば、持将棋にしてはいけなかった気がするので、そこらへんを精査して、皆さまによい将棋をお見せできるようがんばりたいと思いますので、今後とも応援よろしくお願いいたします」

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)、『など。

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