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藤井聡太七段(17歳)最強将棋ソフトが6億手以上読んでようやく最善と判断する異次元の手を23分で指す

松本博文将棋ライター
(記事中の画像作成:筆者)

 いやあ・・・。

 棋聖戦第2局▲渡辺明棋聖-△藤井聡太七段。なんともすさまじい一局でした。

【追記】ヒューリック杯棋聖戦の棋譜は公式ページで公開されています。

 この記事は・・・というか筆者がいつもこのヤフーニュースで書いている将棋の記事には、将棋の指し手を表す、棋譜の符号がいくつか出てきます。将棋にあまり詳しくない方のため、それは最小限にと心がけてはいます。しかしこの記事のように、どうしても符号が必要な場面は出てきます。

「符号が出てきたらもうそこで読む気をなくす」

 そういう方は、符号の意味を理解する努力をされる必要はまったくありません。適当にうまく読み飛ばしてください。

(観戦記は)図面と指し手はいっさい見ない。これが面白く読むコツで、多くの人は、指し手を目で追ったりするから、すぐくたびれてしまう。文を読み、面白いと感じたら、そこで場面を見れば十分である。

出典:河口俊彦八段『将棋界奇々快々』

 以上が先人から伝わる、将棋の記事を楽しく読むポイントです。

 さて、藤井七段の△5四金。対局者の渡辺棋聖をはじめ、誰もが予想できなかったこの金上がりは、新時代を告げる歴史的な一手として後世に伝えられるでしょう。

 そしてその16手後。△3一銀と持ち駒の銀を打つ受けもまた、信じられないような手です。

 渡辺棋聖に▲6六角と2二金取りに打たれた時、藤井七段は残り50分でした。

 ABEMAの中継で表示されている「将棋AI」は局面を解析し、藤井七段の勝率を「61%」と判定していました。やや優勢、というところです。

 「将棋AI」が示す候補手は次の通りでした。

1 △4六桂

2 △3二金 -1%

3 △3一銀 -4%

4 △5五桂 ー8%

5 △3三桂 -11%

 マイナスは勝率がいくら下がるかを示しています。

 ベストに挙げられている△4六桂はなるほど、よさそうな手です。藤井七段は最初その△4六桂の攻め合いを考えていたようです。しかし考えた末に、その順を採用しませんでした。

藤井「激しい変化になるので成算が持てなかったです」

 局後に藤井七段はそう語っていました。

 渡辺棋聖が本線で読んでいたのが△3二金です。これもまたよさそうな手で、そうされると渡辺棋聖は自信が持てなかったようです。

 3の△3一銀以下は参考までに、と挙げられる程度の候補手でしょう。

 しかし藤井七段が選んだのは、検討にも値しないと思われるような△3一銀でした。この手を指し、藤井七段は席を立ちます。渡辺棋聖は驚いたような仕草で、頭に手をやりました。

 この時ちょうど、ABEMAでは立会人の屋敷伸之九段が将棋盤を使って△4六桂以下の解説をしていました。そのため、対局室の音は拾われていません。

 渡辺棋聖は対局中、何度か「いやあ・・・」とつぶやいていました。この時も仕草を見る限りでは「いやあ・・・」というぼやきが聞こえてきそうです。

 さて、この△3一銀はいったい何でしょうか。渡辺玉の寄せに使えそうな貴重な持ち駒の銀を、自陣の金取りを受けるため、防戦一方に打ってしまった。そんなありがたい手のようにも見えます。

 ABEMA「将棋AI」が示す勝率は藤井61%から54%~57%へと戻りました。

 解説の阿部健治郎七段と加藤桃子女流三段が声をあげます。

加藤「いま指されましたね」

阿部「ちょっと意外な手を指しましたよ」

屋敷「意外な手でした?」

加藤「△4六桂ではなくてですね・・・」

阿部「そちらでいま見えてますか?」

屋敷「わからないです、何を指したか」

阿部「いや、これは当たらないと思うんですよ」

屋敷「当たらない自信はあるんですけどね(笑)」

阿部「銀を打ちました」

屋敷「えーと・・・。どっかに打ったんですね。えっ? 盤面見てもわからないですよ」

加藤「クイズみたい(笑)」

屋敷「もしかして受けたんですか。えっ? △3一銀? これすごい手ですね・・・。これは・・・何でしょう? やり直しですね。全部検討が無駄になっちゃった」

 解説陣の反応にも表れている通り、もし藤井七段の△3一銀を「次の一手問題」として出題したら、正解者は限りなくゼロに近いことでしょう。少なくとも人類側の達人が有力な候補手として挙げることはなさそうです。

【追記】公式中継の棋譜コメントでは窪田義行七段が△3一銀を候補手として挙げていたという指摘がありました。

 さて、この一見ありがたいような△3一銀が、調べてみると実に手強い。実戦でも渡辺棋聖はよくする順を見つけられず、敗戦に至りました。

 局後の感想戦でも△3一銀以下の変化手順は検討されていました。しかしどうも、渡辺棋聖よしの変化はなかったようです。

渡辺「じゃあやっぱそうか、銀入れられてきついんですね。いやあ、そうか、銀ね・・・。そうか、銀か・・・」

 渡辺棋聖は対局中だけではなく、感想戦でもまた「いやあ」とうならされたわけです。

 渡辺棋聖はブログに次のように記しています。

△31銀は全く浮かんでいませんでしたが、受け一方の手なので、他の手が上手くいかないから選んだ手なんだろうというのが第一感でした。(中略)感想戦では△31銀の場面は控室でも先手の代案無しということでしたし、控室でも同じように意表を突かれたと聞いて、そりゃそうだよなと納得したんですが、いつ不利になったのか分からないまま、気が付いたら敗勢、という将棋でした。

出典:渡辺明ブログ

 さて、改めて現在の最強将棋ソフトは、その藤井七段の△3一銀をどう評価するのでしょうか。

 今年2020年の世界コンピュータ将棋オンライン大会で優勝したのは、水匠というソフトです。開発者は杉村達也さんという弁護士さんです。

 対局が終わった後、杉村さんは以下のツイートをされていました。

 どういうことでしょうか。

 ざっくりいえば、最強ソフトが最初はベスト5にも入らないと判断した候補手が、6億手(局面)以上を読んでようやく最善手として浮かび上がった。そんな手を藤井七段は23分で指した。

 そういうことになりそうです。

 水匠の最新バージョン(水匠2)は無料でダウンロードできます。もし興味のある方は、追実験をなさってみてください。筆者の普段使いのソフトも水匠2です。筆者もまた試してみましたが、なるほど、読みが6億手を超すあたりで△3一銀が最善と判断されます。

 いかに研究が行き届いている藤井七段といえども、将棋は千変万化。中盤奥深くの△3一銀まではカバーできていません。つまり藤井七段は対局中、限られた短い時間の中、比較検討の末に、自力で最善と判断して指した手というわけです。

 これは藤井七段が23分で6億手を読んだことを意味するわけではありません。(たぶん・・・ですが)

 ではなぜ最強ソフトが6億手を読んだ末に最善と判断できる手が指せるのか。

 これはまさに「大局観」という、将棋界における伝統的な概念で理解するよりなさそうです。

 将棋の達人はそれほど多くの手を読まなくても、脳内に蓄積されたいくつかの判断基準から、自然と最善手が思い浮かびます。これが大局観です。

 藤井七段の読みは質、量、速さともに抜群です。たとえば41手の古典詰将棋を二十数秒で解いたこともありました。

 しかし読みの量と速さだけを言えば、コンピュータにはかないません。それを大局観でカバーして最善を導き出した。そう理解するのが自然でしょう。

 さて、杉村さんがもう一つ言及している△7七同飛成。熱烈な藤井ファンなら「ああ、あれね!」とすぐ図面が再現されるでしょう。

 2018年6月5日、竜王戦5組決勝▲石田直裕五段-△藤井七段戦。藤井七段は事前によく読んだ上で△7七同飛成という信じがたい手をノータイムで指しました。この歴史的妙手も、やはりコンピュータは時間をかけて読まないと最善手として導き出せなかった、という点で話題となりました。

将棋史に残る鮮烈な一手。藤井は将棋ソフトにも浮かばない、独自の寄せの構図を描いていた。

出典:中座真七段『将棋年鑑』平成31年・令和元年版

 この△7七同飛成は2018年度を代表する名手として「升田幸三賞」に選ばれました。誰もが納得の選考でしょう。

 今回の△3一銀は、その△7七同飛成に比べると地味で難解です。正直なところ、筆者もどこまで理解できているのか、まったく自信がありません。しかしそうした誰もが思いつかないような地味な名手を指せるのもまた、藤井七段のすごみです。

 藤井七段には現在、タイトル獲得の史上最年少記録更新という期待がかけられています。なるほど、その記録がもし実現されれば、藤井フィーバーはさらに加熱し、大変なことになりそうです。それは将棋界の内外を問わず、多くの人が実現してもらいたいと願っているイベントかもしれません。

 しかし藤井七段は、そうした記録にはほぼ興味がないようです。報道陣は仕事なので、記録に関して繰り返し質問をします。藤井七段の回答はデビュー以来一貫していて、そうした記録などよりもまず、棋力向上を目指して努力するという旨が繰り返し述べられています。

 藤井七段の純粋な姿勢は変わりません。だからこそ、神からの恩寵のような才能がその身に宿り、人々が予想だにしない、呆然とするしかないような名手を、盤上に表すことができるのかもしれません。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)、『など。

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