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豊島将之名人(30)二転三転、評価値ジェットコースターの熱い終盤戦を制し1勝目 名人戦七番勝負第2局

松本博文将棋ライター
(記事中の画像作成:筆者)

 6月18日・19日。山形県天童市・天童ホテルにおいて第78期名人戦七番勝負第2局▲渡辺明三冠(36歳)-△豊島将之名人(30歳)戦がおこなわれました。棋譜は「名人戦棋譜速報」などをご覧ください。

 18日9時に始まった対局は19日21時44分に終局。結果は158手で豊島名人の勝ちとなりました。

 第1局は渡辺三冠。第2局は豊島名人。互いに後手番を勝って、七番勝負の戦績は1勝1敗となりました。

 第3局は6月25日・26日、東京・将棋会館でおこなわれます。

戦型は相掛かり

 渡辺三冠先手で、戦型は相掛かりでした。

渡辺「予定だったんですけど。けっこう早い段階で力戦になったので。ちょっとあんまり予定はなかったですね」

豊島「力戦調の将棋だったんで指してみないとわからない感じかなと思いました」

 48手目。豊島名人は△6四桂と持ち駒の桂を7六飛車取りに打ちました。

豊島「あまり桂がいきるめどが立ってなかったです。桂馬打たないで7四(歩)伸ばされるのもいやなのかなあ、と思ってました」

 51手目。渡辺三冠は三段目に▲8七金と上がります。

渡辺「『ちょっとまとめづらい展開になっちゃったなあ』とは思ったんですけど」

豊島「ちょっとわからなかったですね。難しいのかなと思ったんですけど」

 ここで1日目が終了。豊島名人が52手目を封じました。

 2日目。豊島名人の封じ手は攻めの桂を跳ねる△7三桂でした。

渡辺「△7三桂▲6六角(あらかじめ桂が跳ねてきた時にあたりをかわしておく)の後、なんか攻められて手が続いちゃったらまずいような気はしたんですけど。ちょっとわかんなかったですね」

 渡辺三冠は白いマスクから「バフ」と呼ばれるスポーツ用の黒いマスクにスイッチします。これが今期名人戦の「秘密兵器」です。

 一方の豊島名人はずっと、白い麻のマスクをつけています。

 渡辺三冠は55手目▲5九金に47分。57手目▲3七銀に46分。59手目▲3六歩に37分。3手続けて時間を使うことになりました。

渡辺「ちょっと動かし方がわかんなくて。苦労してますよね、ちょっと。金銀の触り方がわかんなかったですね、なんか」

 60手目。豊島名人は△8八歩。渡辺陣左下隅、桂取りに歩を打ちます。これは典型的な「手裏剣を飛ばす」と表現される一手。白マスクの豊島名人の方が、黒マスクで「忍者」のようにも見えるという渡辺三冠に対して手裏剣を飛ばしました。

 さて渡辺三冠の表情は・・・と見ると、いつの間にか白いマスクに変わっています。渡辺三冠は白いマスク、黒いマスク、どちらもしない、という3パターンがあります。

 この△8八歩の手裏剣は機敏だったようで、渡辺陣はどう応じても味がよくない。渡辺三冠は金で取った局面で、昼食休憩に入りました。

 再開後、豊島名人は桂を跳ねて攻めます。これが金銀両取りで、こちらは気持ちのいい一手。豊島名人は銀桂交換の成果を得て、ポイントをあげました。

 盤面左側では譲歩した渡辺三冠。今度は右側での戦いでポイントを返します。

豊島「桂がさばけたんで、何かないかなと思ったんですが。まあでも本譜は(66手目)△2四歩・・・よくなかったかもしれないですけど、ちょっと変わる手もわからなかったので。本譜だったらちょっと、もしかしてわるくなっている可能性もありますし。桂がさばけた割にはあんまりたいしたことなかったのかなと」

渡辺「▲2六銀とぶつけってたあたりは『調子がいいかな』とは思ってたんですけど。うーん、まあただ△2五歩突かれてみるとなんか、攻めが細いような気はしました」

 形勢はほぼ互角のまま、難解な中盤戦が続きました。

 渡辺三冠は豊島名人の角を一段目に押し込め、自身の角をさばいて▲1一角成。右上隅の香を取りつつ豊島陣に角を成り込み、馬を作りました。

 対して豊島名人は持ち駒の銀2枚を投入して、その馬を生け捕りにします。力のこもった攻防が続き、形勢はやや豊島名人よしとなりました。

名人リードからの波乱

 豊島名人は渡辺陣右側にと金を作り、そのと金で王手をかけます。取っては危ないので渡辺玉は左辺に逃げていきます。しかし三段目のと金を取れないようでは、渡辺三冠の苦戦は明らかです。

 90手目。豊島名人は飛車先にじっと△8五歩と「合わせの歩」を打ちます。これが正確な速度計算に基づく確実な攻めでした。ただし名人は、そう形勢を楽観してはいませんでした。

豊島「ちょっときわどいのでよくわからなかったですね」

 17時50分頃、豊島名人は白い麻のマスクとめがねをはずし、おしぼりで顔をぬぐい、目薬を差します。

 18時。2日目夕方の30分の休憩に入りました。対局者は自室で軽食を取ります。豊島名人がオーソドックスにおにぎりなのに対して、甘党の渡辺三冠はロールケーキでした。

 18時30分、対局再開。91手目、渡辺三冠は▲7六金と上がる受けの手を指しました。

渡辺「△8五歩は読めてなかったんですけど。休憩はさんで考えた割には手が浮かばなかったんで。ちょっとあそこは・・・『劣勢なのかもしれないな』ってことは休憩明けぐらいには思ってたんですけど。▲8五同歩△同飛車で(▲8六)金打つんですかね。そういう展開も考えたですけど、やっぱりどっかで△4五角(王手)が来て、金を手放した時にやっぱり、攻めが、てんてんてん(『・・・』の意味)という感じかなと思ったんですけど。でも△8五歩と打たれた時に▲4五桂と打って(攻めに)いけないようでは、ちょっと局面としてはまずいというか、構想がおかしかったような気がしますね」

 はたして、豊島名人は中段に△4五角と打って、6七にいる渡辺玉に王手をかけました。渡辺三冠も当然覚悟はしていたところでしょうが、この王手は痛烈。形勢はさらに豊島名人に傾いたようです。

 渡辺三冠は貴重な金を中段に合駒に打って耐えます。

「勝ち将棋、鬼のごとし」

 という言葉があります。将棋はよくなった方に次々といい手が表れることがあります。

 自陣一段目に押し込められていた豊島名人のもう1枚の角もはたらき場所を得ます。豊島名人の2枚目の角は、合駒で打たれた渡辺三冠の金を取りながら、盤面中央に躍り出ます。

 駒割の差は大きく広がり、名人の2枚の角が好位置から挑戦者の玉を射すくめる形ともなっています。

 いかに渡辺三冠といえども、いかんともしがたい状況ではないか。

 観戦者の目には、そんな状況に映ったかもしれません。しかし将棋は難しい。わずか一手のミスであっという間にひっくり返ってしまう。豊島名人も渡辺三冠も、それは百も承知の上で指し進めています。渡辺三冠は勝負を捨てず、そういう罠をはりめぐらせながら指し進めているわけです。

 豊島名人は時間を使って慎重に考えます。

 この時、ABEMAの解説は深浦康市九段、聞き手は中村桃子女流初段が務めていました。

深浦「やっぱり、はっきり差があると思います。ただ、今のペースを続けていても、なかなか逆転とはならない。何らかの要素が2回、3回重なるとちょっとわからないということは過去にもありえますね。ただ、そういうことを分析すると勝っている側の油断だったり、迷いが生じたりとか、そういったことはあったんで。でも、画面から伝わる豊島さんに油断は見られないですからね」

中村「なかなか、この将棋を逆転するのは難しいですか」

深浦「そうですね、それはちょっと至難だと思いますね」

 画面には冷静な表情で盤面を見つめる豊島名人がずっと映っています。

深浦「豊島さんはやっぱり、楽に勝ってきたからではなく、いろいろ苦労して、勝ち将棋を逆転されたりしてここまで来たと思うんで。やっぱり逆転の怖さを知ってますよね」

評価値が示す大逆転

 現代の将棋の観戦者は、盤上の形勢が急変するとすぐにわかります。それはコンピュータ将棋ソフトが精度高く示す「評価値」が大きく上下するからです。

 一般的なコンピュータ将棋ソフトは、歩1枚の点数をおよそ100点(センチポーン)として、たくさんの判断基準(評価関数)に基づいて点数(評価値)を出します。

 111手目、渡辺三冠が▲8六金と歩を取った時点で、筆者の手元のコンピュータ将棋ソフト(水匠2)では豊島名人が三千点近くよしであると示します。これははっきり勝勢という点数です。

 またABEMAの中継では評価値に基づく独自の集計で「勝率」をパーセンテージで示しています。それによれば豊島名人の勝率は86パーセントでした。

 112手目。豊島名人は26分のうち16分を使って盤面中央に香を据えます。残りは10分。香を打った後、豊島名人は席を立ちます。

「うーん、そうか」

 盤の前に一人残された渡辺三冠は、はっきりそうつぶやきました。

 筆者手元のソフトでは評価値はぐっと押し戻されて三千点近くから千数百点台。ABEMAの勝率表示では86パーセントが64パーセントにまで押し戻りました。

 渡辺三冠は残り7分のうちから2分を使って金取りに桂を打ち、豊島玉の上部からプレッシャーをかけていきます。

 114手目。豊島名人は△5七と。7七にいる渡辺玉に向かってと金を寄せます。

「5三(5七)のと金に負けなし」

 と格言は教えます。と金が相手陣の中央を制するようになっては、ほぼ勝負あり。経験上はほとんどそうなります。しかしこの自然なと金寄りが悪手というのですから、将棋は難しすぎるとしか言いようがありません。

渡辺「わるいんでしょうけど、決め手がないように指してた。まあ『ないように』というか、あったらもうしょうがないんですけど。わるいなりにやってたら、チャンスが来たようなところはあったかもしれないです」

豊島「最後の方は正確に指せば、という局面が続いていたような気がするんですが・・・。そこからかなりおかしくして。おかしくしたというか、逆転されてたかもしれないんで」

 △5七との局面で、評価値は逆に千数百点ほど渡辺三冠よし。ABEMAの勝率表示では渡辺三冠の勝率が71パーセントになりました。大逆転です。

深浦「えっ? えっ? いやー・・・。これは驚いたな。危険な順なんですね」

中村「そんな急に後手玉、危なくなるんですか」

深浦「うーん」

 解説陣もこの評価値を無視することはできません。

「評価値があるから、見ていてわかりやすい」

 という観戦者の声もあります。一方で、

「評価値は興をそぐから隠しておいてほしい」

 という声もあります。以上はネット上で、毎度どちらの声も聞かれます。

 ともかくも、観戦しているほとんどの人間は、この一瞬の間に何が起こっているのか、ほとんど追いつけません。元気のなかった渡辺三冠を応援する人たちからは、何が起こってるのかわからない中で、歓喜の声が上がりました。

評価値ジェットコースター

 △5七との後、渡辺三冠は▲4六歩と角取りに打ちます。途端にまた評価値は豊島名人よしへと振れます。ここで代わりに▲4六銀の方が優ったのかもしれません。

 終局直後、歩の代わりに銀はなかったかと記者から質問があった際、渡辺三冠は「どのへんでしたっけ」と苦笑する場面がありました。

渡辺「まあ(△5六)角逃げて(▲4五)桂? えっ?(▲4五桂に代えて▲5三桂成と金を)取る? (△5三同玉▲4五桂に)なんか6四にいかれちゃう(△6四玉と逃げられる)かなと思ったんだけど・・・。(▲6二)桂成が詰めろにならないから・・・」

 対局直後のインタビューとしてはかなり詳細なやり取りになりました。

 整理すると▲4六歩に代えて▲4六銀△5六角▲5三桂成△同玉▲4五桂△6四玉では▲6二桂成が詰めろにならず、渡辺三冠はダメだと思っていたようです。しかしそこで▲2六飛と質駒の銀を取る手があり、▲6五銀の王手を見せれば渡辺三冠がやれていたのかもしれません。このあたりはどれだけ時間があっても難しいところでした。

 両対局者が一手指すたびに、評価値はジェットコースターのように乱高下します。観戦者が手に汗握る、勝敗不明の最終盤となりました。

深浦「いや、まさか、こういう勝負になるとは」

 そのまさかが起こったわけです。

 139手目。渡辺三冠は四段目に逃げ越した豊島玉の脇に歩を打ちます。王手といった直接手ではなく、間接的に有効な手を指して、チャンスを待ちます。残り時間は渡辺2分、豊島5分。

 豊島名人は残り時間をすべて使い、ついに60秒未満に指す一分将棋となりました。そして△4七飛。渡辺陣三段目に飛を打ち、渡辺玉に王手をかけます。

豊島「一分将棋になって、もうわからなくなってしまったんで。うーん・・・」

渡辺「その後はまあ(チャンスが)なかったような気がしたんですが・・・。△4七飛車打たれて対応が・・・。うーん、そうですね。△4七飛車打たれる前は逆転してるんじゃないかと思ったんですけど、ちょっと飛車打たれてみると、手がわかんなくなりました」

 続いて渡辺三冠も一分将棋に。そして渡辺玉も中段四段目に逃げます。

 もともとの戦型は互いに飛車先の歩を突き合う「相掛かり」でした。しかしこの終盤の図を示されると、どういう戦型だったかを当てることは難しそうです。

 両者マスクなしでの一分将棋。形勢は本当に1手ごとに激動します。

 将棋界最高峰の座を争う両対局者をもってしても、最善が指せない。しかしそうした難解な終盤の局面を作り上げたのはもちろん、両対局者の技量があればこそです。

 147手目。渡辺三冠はギリギリまで秒を読まれながら▲3三歩成とし、2四にいる豊島玉の斜め下にと金を作ります。その時、渡辺三冠は駒を持つ手がおぼつかなくて、置いたときに少し駒が乱れました。渡辺三冠には珍しいことです。そしてこの瞬間、渡辺三冠の手からは勝ちもまた離れていきました。

名人、大きな1勝を挙げる

「優勢が長い方が最後には勝つ」

 これもまた将棋界における経験則です。中盤で長くリードを保っていた豊島名人は終盤で逆転され、危地に立ちました。しかし最後には、ついに豊島名人よしではっきりしました。

 豊島名人は和服の裾をまくり、自玉に迫る渡辺三冠の駒を払っていきます。

 渡辺玉は桂1枚あれば詰む形。その桂は豊島玉すぐ近く、4三の地点に成駒として存在しています。

 152手目。豊島名人は△4一飛と展開してその成桂をねらいます。桂を取られてしまうと勝負は終わり。渡辺三冠は豊島玉とは離れる形で成桂を逃げます。そして頭に手をやり、肩ががっくりと落ちました。

豊島「△4一飛車▲5二成桂で、また正確に指せば勝てる感じになったのかなと。(勝ちになったと思ったのは)最後は詰みが。最後の最後(まで)、はっきりとはわかってなかったですけど」

 158手目。豊島名人は渡辺陣左隅に成り込んだ馬を一つ引いて王手をかけます。これで渡辺玉は詰みです。

「50秒」

 記録係の鈴木麗音初段がそう告げたところで、渡辺三冠は頭を下げました。

「負けました」

 そうしてさしもの大熱戦も、ついに幕が閉じることになりました。

 豊島名人が大きな勝利をあげ、七番勝負はこれで両者1勝1敗となりました。

 「七番勝負は第2局が重要」とは、七番勝負がおこなわれる野球界、囲碁界、そして将棋界でしばしば言われてきた言葉です。

 一試合ごとに全力を尽くすのは前提として、第2局が終わって2-0になるか、それとも1-1になるかでは、その後の戦略や精神の持ち方が大きく変わってきそうです。

 終局後、渡辺三冠と豊島名人は白いマスクをつけ、しばらく押し黙っていました。渡辺三冠が盤上に手を伸ばし、一言二言、口を開き始めたところで、対局室に報道陣が入ってきました。

豊島「今日の将棋はあんまりよくないところも結構出てしまったような気もするんですけど。(1勝1敗で)仕切り直しになったんで、改めてがんばります」

渡辺「(第3局は)来週すぐあるんで。(少し考えて)そうですね、また、気持ちを充実させて向かいたいと思います」

 コロナ禍の中、2020年6月は延期されていた重要な対局が密度濃く続いていきます。観戦する将棋ファンもまた休む暇なく、うれしい悲鳴をあげる日々が続きそうです。

 豊島名人は山形県天童市から静岡県河津町に移動し、わずか中1日で、叡王戦七番勝負第1局に挑戦者として臨みます。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)、『など。

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