あきれるほど将棋の強いYouTuberアゲアゲさんが棋士になるまで(2)奨励会というシビアな実力世界

王将戦で記録係の折田翔吾二段(当時)が作った封じ手記入用の図面(写真撮影・筆者)

 2004年秋。折田翔吾は中3で関西奨励会に入会した。同期は斎藤慎太郎(小5)、菅井竜也(小6)など。澤田真吾(中1)は研修会からの編入組で、少し前の春に入会していた。

 この時、関東奨励会には佐々木勇気(小4)、三枚堂達也(小5)、永瀬拓矢(小6)などが入会している。佐々木は小学生名人戦で優勝するなどこの世代のトップランナーで、誰もが認める天才少年だった。

 いま名前をあげた少年たちの共通点は、小学生の時から全国的に名を知られる強豪だったことだ。そして多くの場合、そうした者の中から奨励会を抜ける者が現れる。

 折田は中3。決して早いとは言えないスタートだった。それでも高2の9月で1級となるまでは、比較的順調に昇級した。10月には高校を辞め、将棋一本の生活に入った。現在活躍している棋士の中にも、高校を中退した者は何人もいる。

 折田が1級の時、既に二段に昇段していた菅井と対局した。

折田「相振り飛車でボコボコにされました」

 折田から見て菅井は才能の人でもあり、また努力の人でもあった。

(記事中の写真撮影・画像作成:筆者)
(記事中の写真撮影・画像作成:筆者)

 2009年、澤田と永瀬は17歳で奨励会を卒業している。2010年には、菅井が17歳、佐々木が16歳で卒業。少し遅れて、2012年に斎藤は18歳で四段に昇段した。

 いま名前を挙げた5人は、いずれもエリートコースを歩んできた。周囲からは、四段に昇段するのが当然と思われていた。

 戦前に始まった奨励会制度は、現在に至るまで制度的にいくらかの変更はあっても、その構造はずっと変わらない。盤外ではいくらか長幼の序があるものの、盤上では徹底的な実力主義が貫かれている。その格はただ、才能、実力によって決まる。同じクラスの中でさらに格をつけるとすれば、若ければ若いだけ、格上と言ってもよい。

 現代の奨励会員同士の格付けは、奨励会に入会する前後から既に始まっている。互いを見定める目は、誰もシビアである。そして盤上の指し手と結果には、プレイヤーの持てるものが、残酷なまでに明白に示される。

 その格付けからすれば、残念ながら折田は上位にはいなかった。

 もちろん、折田は折田なりに努力をした。

 奨励会在籍中、折田は記録係をよく務めた。おそらくは、400局近く記録を取っただろう。

 中でも、1歳上の稲葉陽(2008年四段昇段、現八段)の記録はよく取った。折田は稲葉の中終盤の見切りの早さと正確さに感じ入っていた。

王将戦挑戦者の久保利明棋王(=左)と記録係の折田二段
王将戦挑戦者の久保利明棋王(=左)と記録係の折田二段

 写真は2010年2月に指された王将戦七番勝負七番勝負第4局・羽生善治王将-久保利明挑戦者戦。記録係を務めたのは、折田翔吾二段だ。

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 記録係は盤側に座って、対局者が指した手の記録である棋譜を書き、時間を計測して秒を読む。その合間に、対局者と同様に考える。そして感想戦で、対局者の考えていたことを知る。

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 観戦するには一番いい席に座って、折田は記録係を務め続けた。

 実戦トレーニングは、同期の斎藤慎太郎や藤原結樹などとよく対戦した。関西将棋会館3階の棋士室(関係者用の控え室)で、時間が許す限り、指し続けた。

 2011年。折田は21歳で三段リーグに初めて参加した。ここまで来れば、四段まではあともう一歩のように見える。しかし実はここからが、最大の難関だ。半年1期、三十人前後のリーグで四段に昇段できるのは、基本的に上位2人だけだ。

 全18回戦の三段リーグではこれまで、18戦全勝で抜けた者はただの一人もいない。17勝1敗もいない。

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 天才・藤井聡太(現七段)は13勝5敗の星で奨励会を抜けている。四段に昇段し、棋士デビュー後29連勝した藤井でも、三段リーグでは5回も負けている、という言い方もされる。

 わずかな星の違いの中に、多くの三段の成績が集中する。そして将棋の勝敗がわずか一手の違いで決するように、わずかに生じる星の差が、奨励会員の人生を大きく左右する。

 同じ三段の中でも、格付けは歴然と存在する。奨励会員が三段リーグにたどりつく頃までには、格付けはほぼ終わっている。それがくつがえるようなことは、あまりない。

 折田は自身が「弱三段」だったと振り返る。強(つよ)三段、並三段、弱(よわ)三段というカテゴリーの中の、弱三段だ。

 折田の三段時代は、あっという間に過ぎていった。

(続く)