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渡辺明三冠(35)は史上4人目のA級順位戦全勝を達成できるか?

松本博文将棋ライター
(記事中の画像作成:筆者)

 昨日1月24日。A級順位戦は7回戦を終え、7勝0敗の渡辺明三冠(35歳)が最終的に単独1位となることが確定しました。その結果、初の名人挑戦権を獲得しています。

 渡辺三冠は現在、大阪府高槻市で王将戦七番勝負第2局1日目の対局中です。昨日は現地での前夜祭の後、三浦九段-木村王位戦の結果を見てから寝たそうです。

【参考記事】

渡辺明王将 初の名人戦挑戦に心境「実感がない」(スポニチ)

 A級は休場などがからむ例外的なケースをのぞけば、定員は10人。総当りで9回戦制となります。1987年度には谷川浩司王位(当時25歳、現九段)、2003年度には森内俊之竜王(当時33歳、現九段)が、7連勝で1月中に名人挑戦を決めています。

 今回の渡辺三冠と当時の森内竜王に共通しているのは、王将戦七番勝負の挑戦者として、対局先で宿泊中に競争相手(谷川浩司王位)の対局があり、その結果、名人挑戦が決まったことです。2003年度当時でも、対局者は対局前夜や1日目夜に控え室に行き、関係者のパソコンで中継を見たり、FAXで送られてくる棋譜を見て、A級順位戦の模様をほぼリアルタイムで知ることはできました。森内竜王はこの時、早めに就寝。自身の名人挑戦が決まったことを知ったのは、翌日に関係者から知らされてからでした。

 1987年度、谷川王位は最終9回戦で南芳一九段に敗れて、8勝1敗となり、全勝は逃しました。名人戦七番勝負では中原誠名人に挑戦し、名人復位を果たしています。

 2003年度の森内竜王は、最後まで勝ち進みました。

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 森内竜王は最終戦で勝ち島朗八段(現九段)に勝ち、9戦全勝を達成。一方で島八段は降級することになりました。

 森内竜王は王将位を奪取し、さらには名人位も奪取。その相手はいずれも羽生善治現九段でした。

 森内現九段以前には、1971年度A級で、中原誠十段・棋聖(当時)が全勝を達成しています。ただしその時には休場者がいたために、全8戦での全勝でした。

 1972年の名人戦七番勝負は49歳の大山康晴名人(三冠)と24歳の中原誠挑戦者が対戦。まさに時代の頂上決戦でした。この名人戦の結果、中原誠新名人が誕生。将棋史的には、ここが大山時代から中原時代への転換点となりました。

 2011年度には羽生善治二冠(当時)がA級9戦全勝を達成。森内俊之名人への挑戦権を獲得しています。名人戦の結果は、森内名人防衛でした。羽生現九段はこの時のA級9戦全勝を間にはさんで、A級21連勝という途方もない記録を作っています。

 改めて、羽生九段の過去のA級順位戦の成績を示しておきましょう。

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 まとめると、過去にA級全勝を達成したのは3人です。

1971年度 中原誠16世名人(8戦全勝)

2003年度 森内俊之九段(9戦全勝)

2011年度 羽生善治九段(9戦全勝)

 渡辺明三冠は果たして、史上4人目の全勝達成者となれるでしょうか。

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 渡辺三冠は8回戦では糸谷哲郎八段、最終9回戦では三浦弘行九段と対戦します。

 過去の対戦成績は渡辺三冠から見て、糸谷八段戦は14勝5敗、三浦九段戦は16勝8敗です。

 ところでB級1組で12戦全勝を達成したことがあるのは、丸山忠久現九段(1997年度)と渡辺現三冠(2018年度)の2人しかいません。渡辺三冠がB級1組、A級と2期連続で全勝を達成すれば、それもまた大変な記録と言えるでしょう。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)、『など。

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