入玉のドラマとタイトル戦の長手数局

(記事中の写真撮影・画像作成:筆者)

豊島-木村戦における入玉

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https://news.yahoo.co.jp/byline/matsumotohirofumi/20190821-00139300/

 改めて、王位戦第4局は大変な死闘でした。手数という外形的な記録もそうですか、内容もまた記憶に残るものでした。木村九段の指し回しは、なるほど、相入玉とはこう勝つものか、と思わされるような巧妙さでした。

 豊島、木村、両者の対戦では過去に2回ほど入玉がらみのものがあります。

 1回目は2014年度B級1組順位戦▲豊島七段-△木村八段戦(肩書はいずれも当時)。

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 238手目、木村八段の▲9九龍を見て、豊島七段は投了しました。豊島玉に王手がかかっているのですが、合駒をすれば、詰むわけではありません。ただし、互いに相手陣に玉を入り込む「相入玉」(あいにゅうぎょく)になった場合にはどうか。

 相入玉になった場合には、大駒(飛角)を5点、小駒(金銀桂香歩)を1点として、双方24点以上あれば「持将棋」(じしょうぎ)が成立して引き分けとなります。どちらかが24点に満たなければ、その対局者は負けです。

 上図では先手18点、後手36点。先手が取れそうな駒を全部取れたとしても、24点には届きそうにないと判断して、豊島七段は投了したわけです。

 2回目は2015年度B級1組順位戦▲木村八段-△豊島七段戦(肩書はいずれも当時)。

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 ここで豊島七段は投了しています。図では先手36点、後手18点。確かに後手は入玉を果たしても、点数が足りないのかもしれません。両対局者の実力をもってすれば、このあたりが投了の時機だという判断だったのでしょう。

 とはいえ、先日の王位戦と比べれば、ずいぶん早い投了のようにも思われます。

 王位戦で豊島王位は、点数が大きく足りない状況の中で指し続けました。この姿勢に対して観戦者からは、賛否、いずれの声もあったようです。

 筆者個人の感想を述べれば、絶望的な状況の中で、熱くなるでもなく、冷静に指し進める豊島王位・名人の姿勢は素晴らしいと感じました。強者に対して勝ち切るのはいかに大変かということを、改めて見せられたような思いがしました。豊島-木村戦はこの先もまだ続いていきます。トータルの勝負で見ればこの先、王位戦第4局は大きな意味を持っていたと、振り返ることがあるかもしれません。

1988年、高橋道雄七段-田中寅彦八段戦

 相入玉に関するドラマはそれこそ枚挙にいとまがありません。その全てはご紹介できませんが、「将棋では何でも起こりうる」という一例として1988年度B級1組順位戦▲高橋道雄七段-△田中寅彦八段戦を見てみましょう。昇級候補同士の大一番は、相矢倉から相入玉となりました。

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 図では互いに27点。取れる駒も数少なくなり、順当に進めば、ほどなく持将棋が成立しようというところです。しかし、ここから事件が起こります。実戦の進行は▲9二玉△8六と▲同金△同馬!▲同龍!

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 なんと5点の馬(成り角)を取られてしまいました。点数は先手31点、後手23点と激変。後手は1点が足りない状況となりました。進んで217手目。

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 図では先手32点、後手22点。△9九飛成と香を取っても23点で、どうしても1点足りません。ここで田中八段の投了となりました。この1勝は高橋七段にとっては大きかった。この年度のB級1組は田中八段、高橋七段は最終的に8勝3敗となり、ともに昇級しています。

1958年、升田幸三王将-大山康晴前名人戦

 タイトル戦に限った話ではありませんが、これまでの長手数記録の多くは、玉が相手陣に入ってつかまらなくなる、相入玉がらみの展開が多いようです。

 前述の記事にも書いた通り、筆者が調べた限りでは、これまでの最長手数局は、1957年度(1958年1月)王将戦七番将棋第2局▲升田幸三王将-△大山康晴前名人戦です。

 1957年度は、升田が大山に代わって棋界の第一人者となり、名人、王将、九段と、将棋界初の三冠同時制覇を達成した時代。しかし、不屈が反転攻勢に出て、各棋戦で次々と升田にリターンマッチを挑んでいた頃のことでした。

 先手升田王将の角換わり棒銀から、相入玉模様に。図は175手目の局面です。

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 図を見て状況を把握しようとするうちに、目がくらむような思いがします。時代の最強者同士による大熱戦の雰囲気が伝わってくるようです。

 図の点数は先手26点、後手28点。後手は入玉を目指すためには馬は助けていられなくなり、△3五銀▲5七銀と進みます。そこで点数は先手30点、後手24点になりました。

 さらに進みます。

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 ここでは双方27点です。しかし図の▲1二角が痛打。△2四玉▲5六角成と進んで、5点の角を1枚素抜けたために、出入り10点。先手32点、後手22点と点数は激変します。

 以後、後手は24点を確保できるかどうかの勝負が延々と続きます。やがて、ついに1点足りないことがはっきりしてきました。

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 271手まで進んだところでは先手31点、後手23点。ここでついに大山前名人の投了となりました。

 この一局は、大山前名人のがんばりが報われなかった、ということになります。しかし、トータルで見ればどうだったか。

 七番将棋はこうして升田王将の2連勝で始まったのですが、最後は大山前名人が追い込んで逆転。大山前名人が4勝3敗で王将復位を果たしました。

2002年、阿部隆八段-羽生善治竜王戦

 羽生善治竜王に阿部隆七段が挑んだ2002年の竜王戦(肩書は当時)。七番勝負第1局では千日手2回という、波乱の立ち上がりとなりました。その後、羽生竜王が2連勝し、阿部七段が1勝を返します。

 第4局。相矢倉から、阿部七段は入玉を果たします。図は164手目、後手が△2八歩と香を取った局面です。

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 点数は先手15点、後手39点。このまま相入玉になると、後手の勝ちとなります。阿部八段は▲2一飛成と5点を捨て、△同玉▲2三歩成と進めました。

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 これで先手12点、後手42点です。駒の点数は超大差。あとはもう、後手玉が寄るかどうかです。

 ここから90手ほど進んで、図は257手目。

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 点数は先手19点、後手35点。依然先手の駒の点数は、持将棋には足りません。しかし後手玉を受けなしに追い込むことができました。羽生竜王はここで投了しています。

 大熱戦の第4局を制した阿部七段は第5局も勝ち、3勝2敗で竜王位獲得まであと1勝と迫ります。

 第6局は敗戦。第7局では優位に立ちながらも、あと一歩で、阿部七段は羽生竜王の堅塁を抜くことができませんでした。