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将棋の対局では「王手」と言わなくてもいい、というかむしろ言わない方がいい

松本博文将棋ライター
(画像撮影:筆者)

「王手」と言わなくていい

 将棋を指されている方が、以下のようなツイートをされていました。

 親切で王手がかかっているのを教えてあげたのに、逆にその前に王手と言わなかったことを責められたとするならば、それは釈然としない話です。

「他流試合で知らない人と対局している時に王手をかけた。すると相手から『王手をかけたら王手と言うのがルールだから言わなきゃダメじゃないか』と言われた。そんなルールがあるんでしょうか」

 こうした趣旨の質問は、将棋FAQ(よくある質問)の不動のレギュラーメンバーです。

 ドラマやCMなどの対局シーンを見ていると、対局者が「王手!」と言う場面が実に多いようです。もしかしたら多くの方は、これが将棋の対局における定番のシーンであると認識されているのかもしれません。

 まず結論から申し上げれば、王手をかけた時に「王手」と発声しなければならない、という公式ルールは、過去にも現在にも存在しません。王手をかけても、「王手」とは言わなくていいのです。

 信じられない、という方がもしおられたら、プロの公式戦の終盤の映像をご覧になってみてはいかがでしょうか。羽生善治九段も、藤井聡太七段も、王手をかけたところで「王手」と言っていないことがご確認いただけるかと思います。

 アマチュアでも有段者レベルの大会では、対局中に「王手」という言葉を耳にすることは、ほぼありません。やはり、そうしたルールはないからです。

「王手」はむしろ言わない方がいい

 将棋では、これだけは必ず口にして言うべき、ということがあります。

 まずは対局開始前の「よろしくお願いします」というあいさつ。

 次に、負けを認める際には「負けました」などの投了の意思表示。

 そして、対局終了時には「ありがとうございました」というあいさつ。

 以上はマナーとして必須です。これらをぞんざいにして、ペナルティを科されるようなことはほぼありません。しかし、互いに気持ちよく対局するために、ぜひとも心がけるべきことでしょう。

 そして競技の場では、対局中はできるだけ相手に話しかけないことが望ましいでしょう。

 「王手」という言葉もまた、むしろ口にしない方が、マナーにかなっているのです。

 もし対局相手が必ず「王手」と口にする主義で、それがこちらの思考の妨げとなるならば、「王手は言っていただかなくて結構です」と主張する権利もあるでしょう。

 現在は多くの対局が開始から終局まで、リアルタイムで、映像で流されるようになりました。その様子を見ていると、どうでしょうか。ほとんどの対局者は、あいさつと投了の意思表示以外は、ずっと無言でいます。

 対局中に何かつぶやいたりすることを「三味線」(しゃみせん)と言います。口三味線を弾いて、相手に揺さぶりをかけるような盤外作戦は、プロアマ問わず、かつてはよく見られたようです。木村義雄14世名人、升田幸三九段、大山康晴15世名人の時代の観戦記を読むと、対局者が対局中、実によくしゃべっていたことがわかります。盤外でのそうしたやり取りも、勝負の一つだったのでしょう。

 以後の世代では、次第に対局中にしゃべることは慎むべきという風潮が確立していきます。

 昭和の中頃、タイトル戦は王者の大山名人に、若手の旗手である二上達也九段が挑むという構図がよく見られました。その頃のこと。

ある対局のときでしたが、二上さんが声に出して”王手”をかけてきたことがありました。すると師匠の渡辺東一九段が、”声に出して言うことはない。黙っていれば気がつかないかもしれないじゃないか”と、まるで親が子を諭すかのように、二上さんに注意したことがありました。

出典:『近代将棋』1966年1月、『大山康晴全集』第2巻

 これはよほど珍しいシーンです。二上九段は理知的で、対局マナーも優れた棋士でした。それが思わず「王手」という言葉が口をついて出た。だから大山名人の記憶に残ったのでしょう。

 王手と言わなければ、相手が王手に気づかないことがある。だから競技の上でも損だというのは、その通りでしょう。プロの公式戦でも、何年かに1回は、王手に気づかず反則負け、ということがあります。

 とはいえ、それをわざわざ師匠が入門したての少年に諭すかのように、既にトップクラスで活躍している弟子に言うところが面白い。古き良き時代の味わいが感じられます。

王手に関する言葉

 以上は競技上のルール、マナーの話でした。

 一方で、競技の場からは離れたところで、家族や友人、気心の知れた仲間内の間柄では、楽しくにぎやかにしゃべりながら指すことはあるでしょう。

 そうした場でも、王手と言わなくてもいいことには変わりはありません。

 しかし、にぎやかしに「王手」やそれに関する言葉を口にすることもあるでしょう。それもまた、将棋の文化であります。

 以下はそうした場で使われるような、代表的な王手に関する言葉をご紹介します。

「王手は先手」

 将棋は玉(王将)を詰めるゲームです。玉を取られないことが何よりも最優先される。そこで王手をした場合には、相手は手を抜くことができず、必ず何か、王手を逃れるための手を指してきます。とりあえず、王手をかけているうちは、負けることはありません。

「王手は追う手」

 だじゃれのようでいて、これは立派なAクラスの格言です。

 一方から追い立てるような無策な王手をかけたところ、ただいたずらに相手玉を逃してしまうだけに終わった、ということはよくあります。むやみやたらと王手をかけるのではなく、包むように寄せるのが終盤の心得です。

「記念王手」「思い出王手」

 これは近年、主にネット上のスラングとして目にするようになった言葉です。強敵を相手に、順当に大差をつけられた。そこでまあともかく、一度ぐらいは王手をかけておこう、ぐらいのイメージでしょうか。

「初王手、目の薬」

 関根金次郎13世名人(1868-1946)も好んで揮毫したという、古くからある言葉です。初めて王手をかけられて、目が覚めるような思いがした、ぐらいの意味でしょうか。また、昔の目薬はあまり効果がなかったことから、中終盤の早い段階で初めてかける王手は、さほどたいしたことはない、という解釈もあります。

「王手うれしや別れのつらさ」

「王手別れがなけりゃよい」

 これらはもう、ただ語呂が合っているだけの「地口」(じぐち)です。「おうて」を「逢(お)うて」(会って)と掛けている。昭和の響きを懐かしむおじさんには受けるかもしれません。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)、『など。

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