32カ国で笛を吹いた女性レフェリーの物語。元国際主審・今泉奈美さんの原点とセカンドキャリアの築き方

男子育成審判研修会でインストラクターを務めた(写真:フロリダサッカー協会審判部)

 女子サッカーの審判は、今後、大きなチャンスが広がりそうな仕事だ。

 女子プロサッカーリーグ「WEリーグ」の開幕を9月に控え、日本サッカー協会(JFA)は、女性指導者養成に力を入れるとともに、今後、女性レフェリーの数を増やしていくことを目標に掲げている。人材は常に求められており、資格を取得するプロセスも明確になっている。

 迷いのない判断で試合をスムーズに進めるためには、選手並の体力と集中力、決断力を必要とする。国際舞台ともなれば、一つの判定が国を一喜一憂させ、時には「審判のせいで負けた」と、厳しい批判にも晒される。試合中、判定に納得できない監督や選手から抗議されることもある。そうした中で選手と対話しながら感情をコントロールし、共に試合を作り上げていくのも、レフェリーの腕の見せどころだろう。

 年齢層は幅広く、経験を重ねて50代で第一線で活躍し続けるレフェリーもいる。

 国際サッカー連盟(FIFA)は、4月23日に東京五輪サッカー競技の審判団を発表。日本からは山下良美主審、手代木直美副審、坊薗真琴副審の3名の派遣が決まった。山下主審は今年、女性として初めてJ1リーグの主審リスト入りを果たし、女性レフェリーの新たな道を作った。

 女性レフェリーに道を切り開いた、日本のパイオニアたちがいる。 

 2000年のシドニー五輪で、日本女性として初めてFIFA主催大会決勝で副審を務めた吉澤久恵さん、2005年に初めて1級審判員になった大岩真由美さん、アジアサッカー連盟(AFC)の女子年間最優秀主審を3度受賞した山岸佐知子さん、11年に初めて、J2の第4審を務めた梶山芙紗子さん。

 そして、女子サッカー大国と言われるアメリカで、「初」のキャリアを切り開いているのが今泉奈美さんだ。

 今泉さんは、国内リーグと並行して08年から16年まで9年間、FIFAの国際主審を務めた。キリッと縛ったポニーテール、小柄で、腕をピンと伸ばすメリハリのある動きや力強い笛が記憶に残っている。

 17年に引退後、同年からアメリカのフロリダ州に拠点を移し、アメリカサッカー協会のトップインストラクターとして活動している。

 配偶者の今泉守正氏は、2004年から06年にかけて、U-17代表/U-20女子代表監督、A代表コーチなどを歴任。現在はアメリカの大学女子サッカーの名門校、フロリダ州立大学でアシスタントコーチを務めて9シーズン目になる。また、東京五輪を目指すなでしこジャパンのコーチとして昨夏から着任している。

【高校3年生の出会いから、夢だった国際主審へ】

 宮城県東松島市で生まれた今泉さんはサッカーが大好きで、高校時代は女子サッカーの強豪校だった石巻女子商業高校に、自宅から電車で片道2時間かけて通った。そして、3年生の時に神戸で開催された全国高校女子サッカー選手権大会で、一つの決意を固めた。

「私は選手として出場していたのですが、その大会は初めて女性レフェリーが全国大会で笛を吹いた大会だったんです。その時に、『こういう生き方もあるんだ!サッカーとこういう関わり方もできるんだ』と思って、準決勝の試合後にレフェリーの控室に行って、『どうやったら審判になれますか?』と聞きました。その方が、1998年に女性として日本で初めて国際主審になられた渡辺弥生さんだったんです。それで、私も全国大会で笛を吹きたいと思い、審判になろうと決めたんです」

 福島県のJヴィレッジに就職。在職中の2008年に女子1級審判員の資格を取得し、FIFAの認定を受けて国際主審になった。Jヴィレッジで仕事を続けながら様々な大会に赴き、W杯の大陸予選やアジア大会などで主審を務めた。レフェリーは自国代表の試合を裁くことができないため、W杯予選などは日本の裏のカードを担当した。仕事の傍ら、20kmの走り込みを毎日のように続けて体力を維持していたという。またレフェリーは試合が終わると必ず、その試合のジャッジについてインストラクター(審判アセッサー)から評価を受ける。その評価表を元に、スキル向上に努めた。

「32カ国は行きましたね。W杯は日本が参加しない1次予選から行って、外国チーム同士のフレンドリーマッチでも笛を吹きました。南アジアサッカー選手権では1カ月間バングラデシュに滞在しましたし、中国の国民体育大会などにも呼ばれましたね。忙しい時は帰国して2日後にまたフライト、という具合で1年の三分の一近くは海外でした。でも、現役生活を振り返って一番、『審判員になって良かったな』と思うことは、世界中に友達ができたことです。その時にできた友達とは今も繋がっていて、アメリカでもいろいろとサポートしてもらっているんですよ」

 2011年に、当時JFAアカデミー福島で女子統括ダイレクターを務めていた夫の守正氏が、フロリダ州立大学に指導者として派遣されることになった。そこで、Jヴィレッジを辞めて一緒に渡米。2年間はアメリカを拠点に国際主審として活動を続けた。13年に帰国後、守正氏は15年に再渡米したが、自身は日本に残った。東日本大震災で傷ついたJヴィレッジの復興を、自分の目で見届けたいと思っていたのだ。

「当時は福島県内の専門学校で教員をしながら、県の審判委員会をお手伝いしつつ、なでしこリーグや国際大会で笛を吹いていました。アメリカでも用があり、年間18往復ぐらいしましたね」

 その後、アメリカでグリーンカード(永住者カード)を申請することを決め、日本での審判活動に区切りをつけた。

 国際主審として世界各国の試合で笛を吹くという夢を叶えたが、心を挫かれるような思いをしたこともある。ヨーロッパなどでは男子サッカーリーグで笛を吹く女性レフェリーも現れ、今でこそ風潮は少しずつ変わりつつあるものの、ジェンダーの壁はまだ厚い。

「2016年に日本を離れる前に、福島県で行われた男子の高校サッカー選手権予選の決勝戦で笛を吹いた時のことです。その時に、会場にいた方から試合が始まる2、30分前に、『女に吹かせるなよ!』と、審判控室に向かって叫ばれました。その時に、『こういう思いをするのは、私が最後だといいな』と思いましたね。そしてこれが、審判活動の中で最もつらいことでした」

 高校年代の県予選決勝ともなると、Jリーグの下部組織出身の選手もいて、スピードやパワーは大人にも引けを取らない。女性が主審を務めることは難しいと思われてきたが、その壁を破った。当時のことは、福島の地元紙に紹介されている。試合は全国大会常連の強豪校、尚志高校が2-0で郡山高校を下して連覇したが、今泉さんはスムーズなレフェリングでハイレベルな試合を滞りなく進めた。堂々とした笛で、149cmの小柄さを感じさせなかったという。そして、福島県の予選決勝戦では、後に続く女性レフェリーも現れている。

 日本で裁いた最後の試合は、2016年12月の皇后杯決勝だ。今泉さんの最後の花道を見届けようと、国内外から多くの知人や友人が駆けつけた。

「選手たちも最後だと知っていたのか、試合後に『お疲れ様でした』とねぎらいの言葉をかけてくれて。本当に、幸せでしたね」

【再渡米で切り開いたキャリア】

 再度渡米し、19年にグリーンカードを取得するまで、練習試合で笛を吹くことはできても、公式戦は担当できなかった。だが、「審判員としての復帰は難しいかもしれない」と諦めかけた時、新たな道が開けた。

「元審判員の友人や、FIFAで出会った仲間たちが気にかけてくれて、18年のある日、アメリカサッカー協会のリック・エディー審判委員長が同席する食事の場に誘ってくれたんです。その場で、リック委員長が、『ナミ、いつまでも現役を続けられるわけではないし、レフェリーのインストラクターも一つの道だぞ。興味はあるか?』と言ってくれました。その時は冗談だと思って、『興味はあるけれど、私はアメリカ国籍ではないですし、トップで指導できるほどの英語力はないですよ!』と、お断りしたんです」

 それは全米で男女合わせて100人しかいないレフェリーのトップインストラクターになる話で、過去にアジア人女性は一人もいなかった。だが、リック・エディー氏は本気だった。

 1カ月後、「アメリカサッカー協会ナショナルコーチ就任、おめでとう!」というタイトルのメールが届いた。エディー氏は国を超えた今泉さんの幅広い人脈や、レフェリー仲間からの信頼の厚さを知り、人間的な魅力に接した上で、審判委員会の会議を経て正式なオファーを届けたのだ。

「アメリカサッカー協会に電話して、『私には難しいと思いますよ』と伝えたら、リックが『俺たちにはお前が必要なんだ』と言ってくれたんです。嬉しかったですね。その言葉で、私も腹を括りました」

 そして、正式にアメリカサッカー協会所属のインストラクターになり、新しい目標もできた。英語の勉強も兼ねて、2017年から短大に通い、今は幼児教育についても学んでいるという。

 19年にはフロリダ州で、アメリカ初の女子の審判育成研修会をすることになり、いきなりメインインストラクターに抜擢された。この時も自分には経験が足りないからと断ったが、3度目で「これがラストチャンス」と言われ、覚悟を決めた。2泊3日で行われたこの研修会には、リック・エディー氏やインストラクターの統括マネージャーも参加。受講者は50名近くが集まった。

女子審判員だけの育成研修会をメインインストラクターとして主催した(写真提供:フロリダサッカー協会審判部)
女子審判員だけの育成研修会をメインインストラクターとして主催した(写真提供:フロリダサッカー協会審判部)

「このセミナーは、最も初期の段階です。『ファウルとは何か』からスタートして、審判員とは何かということを一から伝えました。セミナーは、受講生が子供を連れてきていいんですよ。子供たちが自分のお母さんを見て、『サッカーをやってみたい!』と思うように、お母さんがレフェリーになろうとしているなら、子供も憧れて、トライしてみよう、となる。だから、私も子供を持つ審判員を積極的にサポートしていきたいと思っています」

 アメリカの競技人口は160万人(日本は5万2000人前後)とも言われるが、こうした裾野を広げる努力にも、女子サッカーが人気スポーツとして根付いている理由が垣間見える。

 2020年11月には、アメリカサッカー協会と欧州サッカー連盟(UEFA)の共催で行われた18歳以下の大会に同行。この大会は、アメリカの国際審判員を目指す女性レフェリーが集い、トーナメントをこなしながら2週間を過ごしたという。

 日本では審判アセッサーから「評価される側」だったが、アメリカでは逆の立場になった。

 同年末には、フロリダ州の男性レフェリー育成のための研修会に唯一の女性インストラクターとして参加した。

 指導の様子(写真:ご本人提供)
 指導の様子(写真:ご本人提供)

 インストラクターとして着実にステップアップを続けた今泉さんは、2020年末には、北アメリカ、中央アメリカ、カリブ海諸国の41カ国のサッカー協会を統括する北中米カリブ海サッカー連盟(Concacaf/コンカカフ)のインストラクターへの挑戦権を手にしている。資格を受けるためのセミナー受講者枠は、わずか「2」。男女合わせて倍率50倍の熾烈な競争を勝ち抜いた。

「この枠に入れたことは奇跡のように感じます。アメリカでは国籍は関係なく頑張れば評価してもらえますし、ダメならその場で切られてしまう。そういう意味では、毎日がチャレンジですね。毎回ベストの状態でいかないと、来年どころか、次の仕事の保証もなくなってしまいますから」

 自身のインストラクターとしての強みについて聞くと、今泉さんは少し間を置いて、「一人ひとりのレフェリーに寄り添うことでしょうか」と話した。レフェリーを育てる側になった今も、サッカーを学び続けている。男女や海外など、カテゴリーを問わず毎日一試合は見て、インストラクター同士で試合のジャッジについて意見交換や分析を重ね、指導に生かしている。

 今後の目標を聞くと、こんな答えが返ってきた。

「まずは、現代サッカーの進化に遅れを取らないインストラクターでありたいですね。今はVAR(ビデオアシスタントレフェリー)がありますし、主観的な分析と客観的な分析を常に向上させていかなければいけないと感じています。2つ目は、このフロリダから少しでも良い審判を全米に送り出して、Concacaf(コンカカフ)で活躍する審判を育てることです。私自身が講習を終えてConcacafのインストラクターになれた時には、世界に通用する審判員を育てることも目標です。3つ目は、私がアメリカに来たのは夫の仕事についてきたことがきっかけなので、彼が置かれている立場で納得いく結果を出してくれることですね。最後に、『ディス・イズ・マイライフ!』と、胸を張って言える人生にしたいです」

 取材を通して、挑戦に対する前向きな気持ちと、何よりも人が好きな方なのだろうということが、伝わってきた。人種や年代、パーソナリティも十人十色のレフェリーたちと向き合いながら、一つひとつの疑問に対して広い見識と情熱を持って指導にあたる姿が目に浮かぶ。

 新たにコンカカフのインストラクターになった時には、国際主審時代以上に多忙な毎日が待っているのかもしれない。その道は、後進の女性レフェリーたちにとっての新たな道標になるはずだ。

(※)インタビューは、オンライン会議ツール「Zoom」で行いました。

女子サッカー大国・アメリカの審判事情とは?  今泉奈美さんインタビュー